公人か私人か法人か

最澄と空海は804年に、同じ船団で遣唐使として中国に渡るがいずれも博多に立ち寄り、寺を建てた。
空海創建の「東長寺」は博多駅繁華街近く多くの人が訪れる一方、博多駅と吉塚駅の間の住宅街の中に在る「東光院」の存在にすら気づいていないようだ。
ただし、「東光」は町名にもなっているので、人々が馴染んでいるのは「東光」の方である。
かつて「東光院」には、常時30躯の仏像が並び、その名は広まり多くの僧侶が育ったが、その後博多の承天寺の末寺となり、戦国時代の焦土化にて衰退した。
1981年に宗教法人を解散され多くの県重要文化財などは福岡市美術館に寄贈されている。
ここを訪れて見えてくるのは、宗教法人が解散したらどうなるか、ということ。現在は、仏像のない寺という器(うつわ)、僧のいない管理人でだけの施設。
閑静な佇まいを留めているだけに、なお一層無残な気分にさせられるが、無残ついでにもうひとつ無残な話をしよう。
会社を買収して一番手っ取り早くもうかる方法は、会社法人を解散する方法。それが所有していた機械や工場や建物や土地などの物的な資産を中古市場でバラ売りしてしまうことである。
バラ売りした価格の価格の合計が株式を買収した金額を上回れば、それが買収ファンドの利益になる。
80年代のアメリカでは、実際にこのような買収が数多くおこなわれたのである。
実は、「企業の市場価値」というものがあって、これはその会社の「株価の現在価値の総額」で表す。
しかし疑問に思えるのは、会社の価値とは、器(うつわ)の価値でしかないのか。言い換えると、会社の価値の中には、そこで働いている人々の価値は入らないのかということである。
この疑問を解くには、単なる企業と「法人」の違いを知る必要がある。
”法人”は、営利法人、社団法人、宗教法人など色々あるが、一言でいうと、本来ヒトではないモノなのに、法律上ヒトとして扱われるモノのことである。
それでは「独立行政法人」とは何か。
それは、かつて中央省庁傘下の特殊法人などが行政改革で看板を掛けかえたもので、行政機関である省庁から独立して、一定の行政サービスを行う法人組織のことである。
2004年4月1日から国立大学は「独立行政法人」となった。国立大学という組織が、国家から独立し、法律上はあたかも人と同じように権利や義務を認められた存在なったのである。
それで何が変わるかというと、それまで「教官」とよばれていた先生が、「教員」とよばれるようになる。
教官とは教える従業員という意味だが、法律上のヒトつまり「法人化」された国立大学と雇用関係を結んだ従業員となったのである。
国立大学の建物や土地は、それまで国家財産の一部であったが、国立大学の財産となった。
すると、国立大学の老朽化施設で誰かが怪我をすると、大学は国家の一部なので、これまでは国を訴えたが、これからは国立大学を相手に訴えを起こすことになる。
つまり大学は、法律上のヒトとして訴訟の対象、つまり「被告」になるわけである。
逆から見ると、研究費の不正使用など、他のヒトに対して訴訟を起こす原告にもなりうるのである。
「独立行政法人」においては、行政を司る政策官庁の場合、事務次官レースに敗れると、局長や審議官は退官を余儀なくされるが、これまでに売った恩をカサにいまだに独法の理事などに天下りし、引き続き高収入を確保できる仕組みになっている。
そうした「天下り」を監視する目的で、2030年、再就職監視委員会が設けられた。
思い出すのは、2017年1月、文部科学省の局長から、早稲田大学の教授へ就任したのは、退職のわずか2ヶ月後でしたことが問題となった事件。
その局長は、大学への助成金などを決める高等教育局の局長であった。
当時の人事課職員2人が、課長に報告の上、元局長を再就職させるために履歴書を作成し、大学側と採用面談を設定したという。
監視委員会は、これらが組織的なあっせん行為だとして国家公務員法に違反すると認定した。
ところで企業とは利益をもとめて経済活動を行う主体といってよいが、会社とは「法人化された企業」のことである。
お金を出せば、株券、すなわちモノとしての会社を買うことはできる。
しかしそれは、組織としての会社、そこで働く人を買うことには、必ずしもならない。
新たな経営陣の下で働くのはいやだと集団で抵抗して退職することは現実に起きている。
資本主義初期の工場や機械等の生産設備が利益の源泉だった時代とちがい、現在は人こそが新たなアイデアを生む源泉だからである。
十分な報酬を払わなければ人は逃げるし、その存在が許されるのは社会の承認が前提とされる。
そこに会社のステークホルダー論が登場する。
したがって企業の市場価値を最大化するといった会社の所有者(株主)さえ儲かればいいとの視点は、通用しなくなりつつある。
そもそも株式会社は、なぜ存在が許されて、有限責任という特権まで与えられているか。
それは一言でいえば、社会にとって役立つ存在だからであり、株主のために存在するわけではない。
広くステークホルダーとよばれる利害関係者(株主・従業員・地域社会・取引先・金融機関)全体のためである。
すなわち、会社は社会に許されて存在しているというのが大前提で、その意味でたとえ民間企業であっても”公的存在”といえる。
したがって株価最大化を企業の目的とすることはありえない。株価を犠牲(コスト高)にしてでも、環境や従業員の福利に努めなければならないのである。

近年、"文春砲"をあびた芸能人が、まるで国民に謝罪するかのごとく頭を下げる姿に違和感を覚える。
そもそも、芸能人は、「公人」ではない。公人とは国家公務員とか県立学校の教員とか、国民や市民の税金を給与としている人であり、芸能人は通常「私人」と考えるべき存在だ。
そういえば、ミュージックバンド「Official男dizm」の”Official”が幾分気になるが、自ら”公人”を名乗るほどの意図は全くないようだ。
思い出すのは、森友学園問題の時に、安倍首相夫人が、公人か私人かといった議論。
憲法は「公法」すなわち、公共機関(役所)どうし、または公権力と私人との関係を規定するものだったが、1960年ぐらいから私人間の関係も規定するとみなされるようになった。
つまり、私企業と従業員との間で人権問題(パワハラやセクハラ)が起きたとしても、かつては憲法を適用されず民法の公序良俗規定や商法が適用されたのだが、最近ではすっかり憲法上の人権問題として取り扱われる。
それは企業というものが、いわば「公器」としてみなされることとなったからだ。
とするならば、ポイントはその人物の影響力ということになる。公人・私人の区別はどうあれ、その影響力故に、世の中を「お騒がせ」することになる。
森友学園は、安倍首相夫人という影響力を利用したがゆえに、「みなし公人」とでもいえようか。
公人が私人と違う点は、政策や資質についての批評に常に服すべき存在であるということ。
例えば、日本国憲法16条には、国民が「公務員の罷免」を平穏に請願できる権利として「請願権」が定められている。
つまり政治家にやめろといっても、不利益を受けないとのルールがあるので、政治家が「誹謗中傷による被害を防ごう」という言葉を語るとしたら、それこそが警戒すべきである。
したがって、安倍首相夫人たるもの、自粛期間中に桜を見ながらの友人との食事会をするなど、”公人”並みの批判をされても致し方ない。

現代において、「公」がつくものに、公共事業や公害というものがある。
この二つは似て非なるものどろか、経済学上は、「外部経済」という観点からすると、非常に似通ったものである。
公共財は、インフラ整備など大きな固定費を要し、一旦供給すると誰しもその利益にあずかる可能性がある。
逆に、具体的な形での利益にあずかる人を特定できず、当事者から金を徴収するにもなかなか採算が合わなく、民間はその仕事に参入しようとはしないのである。
また、公共財は利用者を排除できないため「タダ乗り」が生じる。
つまり、民間がやったら供給が貧弱になりがちで、人々に適切なサービスの規模を市場では決定するのはできない領域なのである。
だからといって政府に公共事業を任せたら、今度はほとんど使わない道路やハコモノをゼネコンの利益の為に作ったりするので過大な投資がおき、「市場の失敗」に負けず劣らぬ「政治の失敗」がおこりうるのであるが。
一方、公害は、その被害のひろがりが広範囲に広がるため、その費用全体を発生源たる企業に課することが難しい。
被害者が裁判に訴えるにせよ時間と費用がかかりする。まり「泣き寝入り」する外ない領域で、こういう外部不経済がともなう生産を放置すると、企業が甚大な社会的費用をまき散らす可能性が高いのである。
こういう企業には「排出税」などで社会的費用を「内部化」しない限り、「持続的な破壊」を続けることになる。
以上のような「プラス・マイナスの外部経済」の存在ゆえに、政府による介入が正当化される。
また、公共財やサービスの供給を政府が直接行う代わりに民間の企業や団体に請け負わせる、あるいは「委託する」という方法もある。
これは政府が直接事業を行うよりも民間が行う方が能率的で安くつくだろうという長所があり、多くの公共事業で行われている。
政府機関はかつての特殊法人のように一度作り出されると廃止することが難しいということも、この方法を採用する理由になりうるのだが、民間委託は、利権の温床になりうるという欠点もある。
特に業者選定の過程が不透明な場合や政治的に決められる場合がそうである。
近年では「新自由主義」の台頭で、公共部門から民間への”事業委託”が増える傾向にある。
身近なところでは、日本でも駐車違反の取締りを一部民間に委託するなどの動きもでている。
そして今槍玉にあがっているのが、安倍政権のによる政府事業の「民間委託問題」である。
それは、民間委託したアベノマスクの質の悪さのことではなく、「持続化給付金」の民間委託のことである。
政府が緊急時に国民に資金を給付するという大事業は、国の"直轄"でやるべきことではなかろうか。
省庁の縦割りで、経済産業省には金を扱う組織がないという言い訳は国民には通用しない。税金・年金など、国の様々な部署には、金銭の徴収や還付金の仕組みがあるからだ。
にもかかわらず、安易に民間に委託し、その分、税金の負担が増えているに過ぎない。それどころか、悪辣な税金ビジネスの影が気になる。
今回、委託事業の実際を担っているのは、大手広告会社の電通で、電通が与党自民党のPR業務を手がけてきたことは、周知の事実である。
自民党は政権を取り、維持するために、あの手この手の広告宣伝をしており、両者はもちつもたれつの関係である。このような企業が、果たして政府の”委託事業”に関与してよいのだろうか。
現在、野党のPR業務をしている企業でも、野党が与党になった時には、同様の問題が生じる。
与党の広告宣伝の仕事をうける企業が、政府の委託事業には関与するとしたら、どんなに公正にやったとしても、そのようにはみえない。
結局は、仕事をまわしてもらって税金で儲けていると勘ぐられるし、実際、実体のよくわからない「サービスデザイン推進協議会」に再委託していることが発覚した。
その結果、国民の税金を上乗せするカタチでその企業に儲けさせているという疑惑を生じ、閣僚と社員との接点が浮上している。
いずれにせよ、持続化給付金と実施が不透明な委託先、その背後に自民より大手企業が控えるという構図は、省庁の予算執行のあり方として適正とは思えない。

鎌倉時代におけるモンゴル軍の2度の襲来には、「ひとつ前」があったことはあまり知られていない。
それは、元寇の百年以上も前に起こった「刀伊の入寇」(1019年)という出来事である。
刀伊とは、中国のツングース系民族「女真族」で金国や、のちにに清国を建国している。
平安時代の終わり頃、この刀伊が北九州を襲撃した。
当時の太宰権卒(大宰府の副長官)は藤原隆家で、あの清少納言の弟にあたる人物である。
刀伊は 賊船50隻で突然 対馬に襲来し、福岡県糸島郡にも襲来し 志摩郡・早良郡などで暴れまわった。
壱岐島は 400人の島民が殺されたり捕らえられたりして、残った者はわずかに35人に過ぎなかったという。
大宰府の長官は親王の名誉職なので都にいて「現地不在」である。そこで副官の藤原隆家が実質的に指揮をとったのである。
「刀伊の入寇」の一つの特徴は、米穀・牛馬の略奪にとどまらず、「住民拉致」を行った。
1300人前後の日本人が拉致されてしまった。
つまり刀伊の入寇は騎馬民族による「領土拡張」が目的ではなく、奴隷労働の確保というレベルのことではあった。
北九州・対馬・壱岐は日本防衛重要地であることに変りはなかったが、日本側は桓武天皇によって「軍団制」から少数精鋭の「健児制」に切り替わっていた。
その結果、刀伊を撃退したのは藤原隆家が召集した地元豪族の”私兵”というものにすぎなかった。
そのため朝廷は、藤原隆家が刀伊と戦ったことを「私闘」とみなし 何の「恩賞」も与えられなかったのである。
貴族達は、隆家の「緊急報告書」を受け取っても、その書状の形式が整っていないといった些末なことを問題にするなど、その当時の貴族たちの「状況認識」の甘さを露呈した。
つまり、最前線の武士たちは、騎馬民族の「集団戦法」や火器を利用した戦闘方法を体験したにもかかわらず、 その体験を将来に生かそうということはなかったのである。
ところで、鎌倉時代にモンゴル軍が日本に攻めてきた元寇の様子を描いた「蒙古襲来絵詞」という絵巻物がある。実は、教科書に出てくるのは、そのほんの一部で、とても長い絵巻物である。
実は、この絵巻物を書かせたのは、子孫に「己の奮戦」を伝えようとした肥後の御家人・竹崎季長である。
さてこの絵巻物の展開は、戦果をあげたにも関わらず、竹崎のもとには幕府からの褒美の知らせが来ず、恩賞奉行の安達泰盛に直訴しに行く。
朝廷に至っては、武士の奮戦どころか神のご加護力と認識していたくらいだ。
安達泰盛という幕府の大物相手に直訴に行くこと自体が大変な勇気だが、竹崎を突き動かしたのは命がけで戦い戦果をあげたのに報われない理不尽さに対する怒りがあったことが推測できる。
竹崎の熱心さに折れた安達は、竹崎に対して褒美として竹崎の地元の地頭の地位、それから名馬一頭を与えている。
このことは、鎌倉武士の志気を高め、弘安の役でも勝利に繋がる要因の一つとまでいわれている。
竹崎の行動の意義とは、刀伊の入寇で「私闘」とみなされ泣き寝入りした武士達と対照的に、幕府に"公けの戦い"であることを具体的なカタチで認めさせたことにある。

つまり竹崎の貢献は、戦果にふさわしい報酬を幕府のトップにしっかりと求めた勇気と近代性にある。
朝日新聞の天声人語で「おおやけ」と「パブリック」は違うと言い、「おおやけ」の語源は「おほ(大)やけ(宅)」で朝廷のこと、つまり「お上」であるとしている。
しかし、パブリックとは「公共」を意味するものである。
また混乱しやすいのが、会社と企業はほとんど同じ意味に使われているが、それが異なる。
第1回目の蒙古軍襲来(文永の役)において、日本軍は蒙古軍に易々と上陸を許し、内陸を蹂躙された。
この苦い経験から幕府は九州各国の御家人らに対して石を積み上げて造る防壁の築造を命じた。
鎌倉幕府は九州各国の御家人らに対して博多湾岸に防塁を築造するように命じたが、生の松原 1.7km、が肥後に割り当てられた。というわけで、肥後の御家人・竹崎季長のレリーフが生きの松原に埋められているのである。
日本の場合、「公」が「お上」として位置付けられることが指摘される。
① 社会的に重要な事業や活動は政府が運営しなければならない。 ② 公共財は政府がなければ民間だけでは供給されない。 ③ 政府が公共財を提供するためには政府が直接その事業を営まなければならない。 まず① の命題についてある事業が社会にとって重要あるいは不可欠な活動だという前提だけから、それを民間でなく官が提供しなければならないという結論は出てこない。 たとえば食事を取ることは人間の生存にとって不可欠だが、だからといって政府が公営食堂を経営すべきだとか、食料を配給すべきだということにはならない。 むしろ自由競争が存在し、民間投資家が企業経営に目を光らせる市場の方が、多くの場合独占的かつ特権的でコスト意識が乏しい政府部門よりも効率的で、かつ多様な需要に応えたサービスができるのが常である。 さすがに①のような露骨な国家主義的主張を素朴にする者は今では多くないが、特に文化市場における消費者の選択に反対する人々は、自分が信奉する価値を押し付けるために政府の積極的介入を求める傾向がある。 次に②の命題について経済学者はく公共財は自由市場では供給されないから、政府がそれを供給しなければならない〉というタイプの議論を安易に行う傾向があるが、その前提が当てはまらないことも多い。 実際には市場で供給されてきた公共財は少なくない。たとえば燈台の光によって利益を受ける人々から料金を取り 立てることができないという理宙から、燈台は経済学の教科書で公共財の典型例としてあげられてきたが、経済学者のロナルド・コースは、イギリスの燈台が税金ではなしに船主たちの私的な醸金で維持されてきたことを示した。 またラジオ放送も誰でも無料で聞けてそのことによって他のリスナーが聞けなくなるわけではないから、それが聞ける地域では定義によれば純粋な公共財ということになるが、放送局はリスナ一から受信料を取り立てられない代わりに、広 告のスポンサーからの広告料によって経営を成り立たせてきた。 もっと一般的に言って、秘匿されていない情報・知識や、文学・音楽といった無形の芸術作品も排除性と競合性を持たないから公共財だが、後述の無体財産権の制度が導入される前から公的援助を受けずにも供給されている。 その原因の一端は、民間の領域は市場経済に限られず、そこには金銭的な報酬が乏しくても名誉心や表現欲や利他心などの動機から文化的生産をする人々が存在するということもあるだろうし、そのような生産への有形無形の支援を行う人々に も欠けていないということもある。 その一方、多くの公共財は現実の世界では過小どころか逆に過剰に供給される傾向がある. 道路や港湾や多くの公共建造物や軍備は公共財だが、これらの財を専門的に供給する企業は自由市場では生き残りにくいという正にその理由のために行政と癒着しやすく、政治的影響力を行使して、できるだけ多くの公金をその分野に つぎ込ませようとする。 これらの公共財を計画し発注する公務員も、自分の持つ権限と予算の拡大を自己利益としている。これらの公共財の 供給側と需要側のいずれも、外からの制約がなければ、真の利用者であり費用の負担者でもある国民や住民にとっての必要性を超えて、いくらでも過大な支出をさせようとする動機を持っている。 最後に③の命題についてここでは「公共財」という言葉を広くとらえて、経済学的な公共財だけでなく、政府が社会の中に存在するよう配慮すべき財一般を意昧することにしよう。 そう解釈すると③の命題の説得力が大きくなるからである。しかしよく考えてみると、本当にある種の社会にとって有益な財が市場ではほとんどあるいは全く供給されない場合でも、それを政府自身が供給すべきだという結論が出てくるとは限らない。 政府はそれ以外のさまざまの仕方でも公共財の供給を促進することができるからである。 たとえばバウチャー制度によって公共財を間接的に供給することができる。 バウチャー制度が典型的に提唱されるのは、義務教育の領域である。バウチャーという言葉は使っていないが、 つとにJ・S・ミルも『自由論』でその提案をしていた。 ミルはある一定の標準までの教育が万人に必要だという理由から義務的普通教育を提唱する一方、国家による教育に対しては断固として反対し、国が何をどのように教育すべきかについて論争する必要などないと主張した。 教育は経済学的な意味での公共財とは言いがたいが、少なくとも一定の基礎的教育は万人が受ける権利があり、それを政府は保障すべきだから、その意味では公共性がある。 それでもミルによれば、政府は教育の供給を私立学校にゆだねるべきであり、子供の親に教育費を支給すれば足りるのであって、自ら公立学校を運営する必要はない、いや運営すべきではない。 ただし現在の教育バウチャー論者の多くは、ミルと違って公立学校と私立学校の並存を認めている。 バウチャーは政府が個々の消費者に金銭的援助を与えることによって公共財の供給を間接的に支援する制度だが、もっと直接的に、政府が民間の公共財供給者に補助金を与えるという支援方法も考えられる。 教育の場合で言えば、政府は子供の保護者に教育バウチャーを与える代わりに、私立学校に補助金を与えることもでき るのである。また政府が学問研究や文化芸術活動に助成金を提供するのもこの例である。 ただこの制度では、どの機関にどれだけ金を与えるかを決めるのが消費者ではなくて役人であり、バウチャー制度ほどには消費者のニーズが供給者に影響しないという短所がある。 公共財の供給を政府が直接行う代わりに民間の企業や団体に請け負わせる、あるいは委託するという方法もある。これは多くの公共事業で行われているもので、政府が直接事業を行うよりも民間が行う方が能率的で安くつくだろうという長所がある。 政府機関は一度作り出されると廃止することが難しいということも、この方法を採用する理由になりうる。 他方公共事業の委託は、②の命題について述べたように利権の温床になりうるという欠点もある。特に業者選定の過程が不透明な場合や政治的に決められる場合がそうである。 公共財提供の別の手段としては、公共財を供給する経済活動について税金を控除するというものもある。私は税制についてはよく知らないので自信を持って判断できないが、税金の控除には公務員による不公平あるいは恣意的な判断があまりはいり込まないだろうから、比較的高く評価できるだろう。 しかしこの制度では、どんな活動が公共財を供給するのかという面倒な問題を解決しなければならない。 ある種の公共財については、その生産者に法律⊥特別の権利を与えて保護することで生産を奨励するという制度がある。ここで私が念頭に置いているのは無体財産権である。 ① の命題への反論の中で指摘したように、無形の芸術的・文化的作品や発明は物理的に排除性と競合性を持たないから公共財である。他人の著作の複製も発明の利用も簡単にできる。 そこで著作者や発明者に人工的に排他的利用の特権を与え、そのインセンティヴによって知的創造を奨励しようというのが、著作権と特許の制度である。 この制度の趣旨はもっともだが、その制度は権利者以外の人々が他人の知的創造を利用する自由を制限しているという弊害も持っている。 また著者の死後五十年間(国によっては七十年間)も著作権が消滅しないなど、著作権制度の現状は創作活動の奨励という趣旨を逸脱するほど著作権を強大にしている。 そして政府自身が公共財を供給すべきだとしても、高速道路のように無料でなしに利用者から料金を取ることが適切な場合がある。 受益者負担は公正の理念にかなっているし、過度の混雑・利用を避けることもできるからである。 ただその財の消費が基本権の一部とみなされる場合は無料で提供すべきである。 また公共財を中央政府が一律の基準で供給すべきか、それとも地方政府に任せるべきかも考慮すべき問題である。 地域的規模が限られた公共財ならば、地方政府がそれぞれの仕方で供給する(あるいはしない)方が、住民に「足によ る投票」を通じた選択を可能にするという長所がある. 最後に、① から③ までの命題に共通する難点は、<民間人は自分だけの私的利益をめざすが、政治家や公務員は公共の利益をめざす〉という非現実的な想定にしばしば基づいているということである。 政治家や公務員も立派に自己利益を追求している。彼らに大きな信頼を寄せない人々の中に大きな政府の主張者がいるのは不思議なことである。 私は結論として次のように主張したい。政府の正当な役割を考えるにあたっては、現実の国家が持っている機能や権限を当然の前提にすべきではない。 それはゼロベースで判断すべきである。言い換えれば、政府活動の民営「化」に特別の論拠はいらないのであって、その公営を主張する方が主張責任を負う。 悪質だったのは、これらの行為を隠蔽するため、文科省人事課の別の複数の職員が、「早稲田大学に再就職した経緯のある人物の仲介だった」という虚偽の話を作り上げたことだ。
大学側にも口裏合わせを依頼し、監視委員会に対しても虚偽の回答をしている。
1「公・私」の様々の意味 「公public」と「私private」という対概念は色々の意味で用いられている。 それは第一にく国家・政府に属する(official)〉対く民間の領域に属する(private)〉という意味で使われる。これは権力性に着目した区別で、「官」と「民」の区別とも言い換えられるし、「国家」と「市民社会」の区別と言うこともできる。「お上」やauthority'という言葉もこの意味の公を意味している。 第二にく万人にかかわる(common)〉対<一部の人だけにかかわる〉という意昧で使われる。第三にく開かれている(open)〉対く閉ざされている(close)〉という意味で使われる。法制度における公法と私法の区別は第一の意昧であり、経済学の一分野である「公共選択論puわ1icchoicetheory」の「公共」も同様である. しかし同じ経済学でも公共財と私的財の区別は第二の意味である。そして「公共交通機関」とか「公の場」、その反対に 「プライバシー・」といった言葉は第三の意味だろう。 なお「オープン」と言うとき、普通は一部の人だけでなく誰に対しても開かれているということを意味しているから、第三の意味は第二の意味の一種と考えたくなるが、ここでは一応区別しておく。 これらの意味は、事実問題としてオフィシャル等々であるのか、それとも規範的問題としてオフィシャル等々であるべきなのかによって、さらに区甥できる。 さらにこの「公共性」を「公・私」の二分法の「公」と同一視する人がいる一方で、両者と異なる第三の概念として理解する人も最近多い。 その人々のいう「公共性」は、NGO活動など、社会的だが国家的ではない「民の公共性」を意味していることが多い、私はこの領域の重要性を否定するつもりは全然ないが、〈公〉とく公共性〉を特に区劉しないことにする。 それはこの両者を使い分けるよりも、公私の対概念の多様な意味を正面から認める方が簡明だと考えるからである。 実際、「私・公共・公」という三分法をとると、「公」と「私」にはそれぞれ一つの意味しかないような印象を与えてしまいかねない。また「民の公共性」論者が市場の公共性を見逃しやすいことも問題である。 「公・私」の多義性というテーマに戻ると、ある事柄が「公(共)的」だと言われる場合、それがいかなる意味で公的であるのか曖昧なことが多い。それどころか、論者自身、その意味を余り考えずに使っているように思われる例も多い。 たとえばしばしば教育や医療や環境や景観が公共的だと言われて、そこからそれらの領域についてく政府はもっとカネを出すべきだ〉とかく政府がもっとしっかり監督すべきだ〉とかく私的な利益は制約されてしかるべきだ〉とかく市民が民主的に決定すべきだ〉といったさまざまの結論が引き出されるのだが、そこで言われる公共性はいかなる意味のものかが明確で ないことが多い。だがある事柄が公(共)的だという主張は、それ自体が説明されるべき命題である。 しかし私は「公」のこれらの複数の意味を区別さえすればそれですむと考えているわけではない。 第一に、これらの意味は異なっているが無関係ではない。共通という意味で公的なものはオフィシャルという意味でも公的でなければならないという発想は、私は必ずしも賛成しないが有力である。 たとえば伝統的な公共経済学は政府が公共財を供給しなければならないと主張するし、政治思想における共和主義は市民全 体にかかわることは政治的過程を通じて決定されなければならないと考える。 共和主義republicanismという言葉の語源である、ラテン語で国家を意味するrespublicaという言葉自体、「共通の事柄」のという意味だった。 またコモンでない個人的な私生活は、官が介入すべきではないし一般に公開してもならない、つまりオフィシャルでもオープンでもあってはならない、と考える人も多い。 次に、これらの「公・私」の意味はさらに細分化することができる。 オフィシャルという意味の公について、政府のかかわり方は多様である。 たとえば国法はすべてオフィシャルだが、その中でも公法では行政行為に私人の行為と違った特別の効力が認められるわけだから、一層公的性質が強いと言える。 政府の関与のさまざまな態様については2③ でさらに述べる。コモンという意味の公は相対的な程度の問題だというこ とも、以下で述べる。 さてコモンという意味で「公」を理解するならば、私的な利害は公的な利害と対立し、下位に法的制度としての私と公をめぐってあると考えるべきか?こういう発想は広く認められていて、特にコミュニタリアン(共同体主義者)と呼ばれる人々は「共通善=公共善の政治」を提唱している。 私はこの発想に対しては両義的な態度をとる。まず消極的な態度の方から述べる。 個人主義的な思想からすると、公益とは個々人のすべてあるいは大部分にとって共通な利害という意味であって、個人の利害から離れてそれに優越する集団自体の利害ではない。 つまり公益とは多様な私益の中の共通部分だと理解することができる。そして政府が個人の利益をそれ以外の多 くの人々の利益に反してでも保護すべき場合がある。<各個人は全体の利益の最大化といった集団的な価値によってたやすく制限されてはならない人権を持っている〉という近代の人権思想によれば、公的な目的よりも私的な利益や自 由が優先されるべき場合がある。 人権は集団的利益に反しても立法において優先するものである。あるいは人権を持ち出さなくてもモンテス キューの公私観によれば、(公民としての政治的)自由は政治的・国家的法律によるが、所有権はシヴィルな法律によるものである。 後者の私法の問題を前者の公法の原理で規定してはならない。私益が公益に譲歩すべきだというのは公法の領域だけの話である。 私法の領域では、各人が民事法の与える所有権を保全することこそ、公共の福祉に他ならない。 この発想によれば、個別具体的な人権は個人のものだからコモンでなく私的だが、それを守るべき政府の義務は、単に オフィシャルと言う意味で公的であるにとどまらず、特定の個人ではなくて万人に向けられているという意昧でコモンでもあると言える。 だが集団的活動の方が個人的活動より価値がある、もっと特定して言えば民主的政治に参加する生活の方が私的生活よりも立派であるという発想は、法学の世界ではともかく、政治思想の世界では有力だ。 その典型は、偏執的なほど私生活の価値をおとしめるハンナ・アレントの『人間の条件』だが、そのような政治の自己目的 化はとることができない。 (それに政治だけが公的な人間活動ではない。学問・文化も公的である。) アレントとは逆に非政治的個人主義者のソローは「原則なき生活」という講演で、respublicaよりもresprivataの方が人間にとって大切だと言った。 これもまた一面的な嫌いはあるが、公的生活原理主義よりはまだ説得力があるように感ずる人も多いだろう。 しかし公益の優先を支持すべき理由もある、権利が画定されていない領域、また政治的決定に委ねられるべき領域では、特定の人々の利益よりも不特定多数の人々の一層大きな利益を政府が追求することには十分な正当性がある。 それは功利主義的に望ましいというだけでなく、長期的にはすべての人々の利益にもなる可能性が強い。 それに対して、政府が特定の私益、特に圧力団体の権益を実現することは現実にはありふれているが、それは特定の人々の利益を別の人々の犠牲の下に実現するにすぎない。 後者の例としては強制的な財の再分配をあげることができる。 それはオフィシャルではあるがコモンでない。また公共事業は、公共財を供給すならばコモンと言えるが、それを請け負う企業に利益を与えるためならばコモンではなく、財の再分配の一種になる。 そういうわけで私はコモンという意味で公的な利益を政府が重視すべき場合があることを否定しない。特に「法の支配」や立憲主義はそのような公益を実現するための制度だと解釈できる。 いずれにせよ、特定の集団の利益を安易に「公益」とか「公共的利益」とか呼んではならない。 この関係で次に指摘しておきたいのは、コモンという意味での「公」は程度の問題だということである。 このことをつとに指摘したのは福沢諭吉である。 日本では昔から「公」という言葉は「お上」と言い換えられるような概念で、英語で言えばオフィシャルという意味に近かったようだが、それと逆に自覚的にコモンの意味でこの言葉を屠いた例として、福沢諭吉が勝海舟と榎本武揚の出処進退を非難した論説「痩我慢の説」(明治24年脱稿、明治34年発表)の冒頭をあげることができる。 福沢は「立国は私なり。公に非ざるなり」という有名な文章によってこの論説を始めた。 彼によれば、人類が人為的に国をわかって他国と国境を争ったり君主を立ててそのために民衆の生命財産を空しくしたりすることは「人間の私情に生じたることにして天然の公道にあらず」。 しかし福沢はそれに続けて、哲学的な観点から見れば人類全体の利益こそが公で、愛国心やナショナリズムは私情にすぎないが、今までの世界の実情からはその私情も美徳とせざるをえない、と妥協的なことを言っている。 福沢の用語法でここで注目したいのはく哲学的な意味での私情=集団的利己主義は一国内の地域についてもあてはまることで、特定の集団内部にとっての公はその外部にとっては私である〉という彼の指摘である。 この指摘を一般化すればこういうことになる。 一公私の区別は相対的なものであって、利害の範囲が狭い方が相対的に私的、広い方が公的である。 従って、たとえば家族愛よりも愛郷心の方が公的だが、それよりも広範な愛国心の方が一層公的である。 しかし普遍的な人i類愛と比較すれば愛国心は私的である。 この基準によれば、グローバル経済が国境を越えた人々に利益を与えているのと比較すると、国の統治は基本的には一国内だけにかかわるから私的だということになる。 国内の産業を保護するために関税や補助金などの障壁によってグローバリゼーションを妨害する政府は、公益の敵に他ならない。 規範範的観点から見てofficialであるべき活動は何だろうか? それに対する二答えは政府の果たすべき任務を何と考えるかによるが、どんな考え方をとるにせよ、次の三つのよく見られる命題いやむしろ、暗黙のうちに前提されていることが多い命題を当然視してはならない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「公」を貶めたいようだ。そもそも日本語なら「おほやけ」であり、漢字なら「公」だが、「公」は「ム」(私)を開く意になる。
さらに言うなら「ム」の字は「サイ」であって、儀礼の時に使う器を意味する。「公」は両側に儀礼の柱があって、中央で儀式用の器を使っている図になる。
何のための儀礼かと言えば、人民のためであり、すると「パブリック」と意味は大して違わない。
支那の皇帝よりも、日本の天皇の方が、はるかに人民を思って統治(シラス)していたから、ますます「公」は抑圧的権力ではなく、「公共」「パブリックマインド」と同義になってしまうのだ。
ふだん何気なく使っている法人という言葉。法人とはどういうものなのでしょうか?言葉の由来や、法人にはどのような主体があるのかなどについてご紹介します。法人の概念について考えてみましょう。
人にはさまざまな権利や義務が認められています。 法人には実に多くの種類があります。その性格上、営利法人・非営利法人・公的法人に分類できるのです。営利を目的とした営利法人としては、会社法で規定されるさまざまな会社があります。たとえば、株式会社・合同会社・合資会社・合名会社などです。
営利を目的としない非営利法人と公的法人をいくつかご紹介します。
社団法人・財団法人(一般社団・財団法人法、公益法人認定法)学校法人(私立学校法)
宗教法人(宗教法人法)医療法人(医療法)
社会福祉法人(社会福祉法)農業協同組合(農業共同組合法)
信用金庫(信用金庫法)健康保険組合(健康保険法)など
どの法人も規定する法律があります。逆に規定する法律がなければ法人とは認められません。 本書の一番のポイントであり、 議論のベースとなるのは、冒頭 部分に掲げられた「会社の二階 建て構造」論だ。「本来モノでし かない会社が、法律上ヒトとし て扱われる」意味の解説を通じ、 会社とは何か、その存在の本質 は何かが明快に提示される。 すなわち、二階部分では株主 が株式という形で会社をモノと して所有し、一階部分では会社 がヒトとして会社資産を所有す る。この二重の所有構造が著者 の法人企業論の骨格である。 以上を踏まえ、著者はコーポ レート・ガバナンス、「経営とは 何か」へ議論を進めていく。そ こで強調されるのは経営の独自 性と、経営者の役割の重要性だ。 「モノに過ぎない会社がヒトと して振る舞う。そこでは経営者 が会社という人形に命を吹き込 む人形遣いとなり、すべてを信 任された後見人のような仕事を します。会社に対しても社会に 対してもその責任は重大です。 すなわち経営者は株主の代行 者ではなく、第一義的にヒトと しての会社に、忠実に任務を遂 行することを義務づけられた存 在なのです」 こうした独自の視点に立つ著 者からすれば、会社は株主のも のとする株主主権論は二階部分 だけを見たものに過ぎず、会社 の本質に対する無理解がそうし た論を生んだと言う。 ライブドアによるフジテレビ 買収騒動を通じて多くの人々が もった素朴な疑問、「会社はお金 で買えるのか」というテーマも、 そんな思考の延長線上から眺め ると理解しやすくなる。 一貫して法人論の原理から会 社の行動原理をとらえる著者の 面目躍如の主張といえるだろう。 モウ一つの出来事は、国家間の「衝突」事件をアイマイに処理しようとして、重大な事態を招いた台湾での出来事である。
琉球・宮古島島民は、日清修好条規の結ばれた1871年「琉球王国」の首里王府に年貢を納めて帰途についた。
ところがソノ船4隻のうち1隻が台湾近海で遭難し、漂着した69人のうち台湾山中をサマヨッタ生存者のうち54名が台湾原住民によって殺害された。
これを日本側では「琉球漂流民殺害事件」、中国では遭難船が到着した場所に因み「八瑤灣事件」とよんででいる。
日本政府は、事件に対し清朝に厳重に抗議したが、清朝は原住民は「化外の民」であるという返答であった。
つまり原住民は清国から見て「まつろわぬ民」であり、我関知せずといった態度をとった。
ソモンソモ沖縄は、長年に渡って日本と中国の「両属」の関係を取り、事件が起きた時も、アイマイナ状態が続いていた。
これに危惧していた日本政府は、この台湾で発生した事件を契機として、沖縄を日本へ帰属させようと考えた。
清国も最初日本に対して強気で応じ、なかなか沖縄の「属国主」の立場をトリ下げなかった。
琉球の支配権を持つ鹿児島では、不平士族たちが一斉に台湾とそれを属国と主張している中国を非難した。
一戦交えるも辞さずと強硬意見が飛び交う中で、西郷隆盛や副島種臣はこの主張を抑えて、交渉を行うこととした。
北京で開かれた会議では、清国側は台湾の原住民までは「法治が及ぶものではない」と逃げ口上を述べたため、日本は独自で対処すると明言して、会議は打ち切られた。