聖書の場面から(香油を注ぐ女)

新約聖書に、ひとりの女がイエスの頭に香油を注いだという話がある(マルコの福音書14章)。
「イエスがベタニヤでらい病の人シモンの家にいて、食事の席についておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた」。
その場にいた人々は、「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油は300デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことが出来たのに」と言って彼女を厳しくとがめた。
するとイエスは、「この人はできる限りのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、葬りの準備をしてくれた」と応えた。
ナルドの香油というのは当時1デナリオンは1日の日当分だから、労働者の約1年分の給料の価値があった。ヒマラヤの高い山にある木の根から取れたもので、非常に高価なものであった。
それ故に、周りの人々の反応は至極もっともなのだが、イエスの応えは異次元なものだった。
それにしても、石ツボを破壊して香油をイエスの頭から注ぐなど、女性の行為は、常軌を逸しているようにさえみえる。
この女性はイエスを前にして、香油の価値などは頭の片隅にもなかったのであろう。
おそらく彼女は香油というより、自分の人格全体をイエスに注ぎだしたのではなかろうか。
それよりも驚くのは、「前もってわたしの体に香油を注ぎ、葬りの準備をしてくれた」というイエスの言葉。こんな言葉、創作ならば絶対に思いつかない。
人々はこのイエスの理解しがたい言葉をスルーしたに違いないが、イエスははやくも十字架の贖いという自分の進むべき道を告知しているのである。
一般にメシヤという言葉はヘブライ語で、「メシャー」(=油を注ぐ)という動詞から派生した言葉で、メシアのギリシア読みが「キリスト」である。
さてこの「香油を注ぐ女」と幾分重なるのが、「マリヤとマルタ姉妹」のエピソードである。
イエスが一同が旅を続けているうちに、ある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
このマルタにマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思い煩っている。
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」(ルカの福音書10章)。
姉マルタは、世の気遣いに心がむいていたが、マリヤには、イエスの姿しか見えていない。
実は、前述の「ナルド油」を注いでイエスの弔いの準備をした女性こそ、他ならぬこのマリヤなのだ。
聖書には「マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ」と4人がイエスを別の角度から描いた4つの「共観福音書」があり、マルコとルカが語るこの場面が、次の「ヨハネの福音書」とほぼ一致している。
「そのとき、マリヤが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった」(ヨハネの福音書12章)。
当時の東方(オリエント)の習慣では、人を招く時に主人が客人の肩に手を置き平安を祈る接吻をし、水で足を洗い、香をたいたりして礼儀を尽くしたが、ナルドの香油は、イエス誕生の際に、「東方の三博士」がプレゼントしたものでもあった。
マルタとマリヤ姉妹には、イエスにより死から蘇った弟ラザロもその場にいたので、マリヤのイエスへの思いが格別であったことが容易に推測できる。
共観福音書を総合すると、マリヤはイエスの頭から香油を注ぎ、その香油でイエスの足元に塗り、その長い髪で拭き取ったことになる。
つまりマリヤはナルドの香油をもって、イエスの十字架への準備をなしたばかりか、本人も知らずイエスがキリストたることを示したことになる。
イエスはこの女性がなしたことは記念として語られると預言しているが、その預言どおりに、我々も聖書を通じてマリヤの行為を知ることになった。
最高級の香油を注ぐというのは、旧約聖書における「いけにえ」を捧げる人々の気持ちに近いかもしれない。ダビデは次のように語っている。
ダビデの「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」(詩篇51篇)という言葉が思い出される。
また「多く赦されたものが、多く愛する」(ルカの福音書7章)とある。

新約聖書(ルカの福音書9章)には、弟子たちがイエスの他に何もみえなくなる場面がある。
イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。
すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。
「起きなさい。恐れることはない」彼らが顔を上げて見ると、”イエスのほかにはだれもいなかった”。
このように、イエスの変容に遭遇した弟子たち、いずれも”イエスの姿”以外に、ほとんど目にはいっていなかったことがわかる。
このイエスが変容する場面、つまり肉体から霊体への変化する場面は他にもある。
それはイエスが海の上を歩くシーンである。
イエスは群衆を解散させておられる間に、弟子たちを舟に乗り込ませ、 向こう岸へ先にやる。
そして、群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登り、夕方になっても、ただ一人そこにいた。
ところが、舟はもうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていた ために、波に悩まされていた。
するとイエスは夜明けの4時頃、海の上を歩いて彼らの方へ行った。
すると弟子達はイエスが海上を歩いているのを見て、幽霊だと言って恐怖のあまり叫び声をあげた。
しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて「しっかりするのだ、わたし である。恐れることはない」と励ました。
この言葉は、”変容”の場面で、イエスが弟子達にかけた声とほぼ同じである。
すると、ペテロが「水の上を渡ってみもとに行かせてください」と答えて、イエスが「おいでなさい」と言われると、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスの所へ行く。
しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで イエスに助けを求めた。
イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」としかった。
そして、二人が舟に乗り込むと風はやんでしまい、舟の中にいた者達はイエスを拝して「本当に、あなたは神の子です」と言った。
この場面でペテロの視線がイエスではなく風の方に向かった時、ペテロが沈み始めたことがわかる。
したがって「香油を注いだ」でマリヤと合わせると、心の向きこそがポイントであることがわかる。
聖書には、個別にみると、理性では信じがたいエピソードがあるが、それが信じられるのは聖書全体を貫く整合性にあるといってよい。
例えば、イエスが海(湖)を歩くシーンは普通には信じ難いが、前述のイエスの変容の場面や、イエスの昇天(使徒行伝1章)の場面などを合わせてみると、単なる創作では決して生みだしえない整合性を見出すことができる。
つまり聖書における、数千年単位における整合性こそが奇跡であり、そこに一貫した”意思”が働いているという外はない。

あるTV番組で、会社の社長が、ものごとをボーッと見ることが経営の極意だと語ったことが印象に残っている。 その方が、全体の中に潜む問題点を見つけられるのだという。
さてイエスは、人間の本質を浮彫にするように、「種まき」のたとえ話を語った(マタイ13章)。
「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
また、別の種がいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
別の種は良い地に落ちて、あるものは100倍、あるものは60倍、あるものは30倍の実を結んだ」。
イエスは、このたとえ話をしたうえで、弟子たちに次のように解説する。
「御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。 道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまづいてしまいます。
また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは100倍、あるものは60倍、あるものは30倍の実を結びます」。
イエスは、このたとえでは、種が落ちた四つの土壌を例にあげ、同じメッセージを聞いても、なぜある人々は信じ、他の人々はそうではないのか、という点を明らかにしている。
たとえの最初の土壌である「道端」とは、田んぼや畑のあぜ道のように、踏み固められた土地のことで、偏見や誇りや正義、思想によって固まった心の状態を指す。
踏み固められた土地に種が蒔かれても根を張る余地がないように、神のメッセージを聞いても「道端」の心の人は、基本的にはねのけてしまうので、鳥が御言葉を奪い取ってしまうように、あとに何も残らない。
聖書の人物では、自分たちの義を疑うことのないパリサイ人たちのような人々である。
二番目の土壌は「岩地」で、小石が混ざっているような土地のことではなく、岩の層の上に土が薄くかぶさっている土地のことである。
この土壌が示しているのは、根を張れない土壌の層である。
これは感情に支配されている人々の心といえる。
最初は御言葉に感動して、すぐに喜んで受け入れるが、困難や迫害等、自分の都合が悪くなると、手の平を返してしまう。
聖書の人物では、ほとんどの人々がそれにあたるといって過言ではない。
三番目の土壌は「いばらの中」で、いばらが生い茂ったというのではなく、土の中に雑草の根など様々なものが残っている状態。
この土壌が示しているのは、常識や体裁を何よりも大切にしてうわべをよくすることに専念して、信仰の芽がうまれたとしても、それが育つ余地がない。
すなわち、「この世の心づかいと富の惑わし」という根っこがはびこっているので、御言葉の種が蒔かれても、信仰が成長する前に息の根を止めてしまう。
マリヤの姉にあたるマルタはよく気が利く女性で、人からの評判はよかったに違いない。
最後の土壌は「良い地」で、保水性があり、水はけの良い土地のこと。神のことばをあるがままに受け入れる素直な心をさしている。
柔らかい心を持ち、雑草の根も残っていないので、神のことばを素直に聴くことができる。
それは、香油を注いだマリヤや、罪深さを赦されたマグダラのマリヤや、イエスによってその人間性を完膚なきまでも裸にされてしまったペテロのような人物なのであろう。

イエスは、人々の世の中への思い煩いを「空の鳥、野の花」をたとえに、次ののように語っている(マタイの福音書6章)。
「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」。
現代人はこの聖句のようにはなかなか生きられないが、歴史上この聖句どうりに生きた人がいる。
「サンフランシスコ」の地名の由来となった聖フランチェスコである。
彼の生きた時代は12C、十字軍が派遣される教皇権絶頂期の時代で、1972年アカデミー賞ノミネート作品の「ブラザーサン・シスタームーン」という映画となった。
映画では、フランチェスコがこの聖句をそらんじて語り、インノウケンチウス3世の心を動かし、「フランチェスコ会」を開くことを認められる。
フランチェスコは1182年生まれで、アッシージきっての大商人で毛織物を商っていた。
当時の大修道院は、祈りの場というよりも工場を備えた大農場に近く、莫大な収益をあげながら税金は一文も払う必要がなかったから、その経営者である修道院長が飽食して肥満化し、風紀が弛緩するのも無理はなかった。
彼の説くところは、愛と平和と清貧に尽きていた。人が本当に必要とするのは愛と平和だけである。
物を所有すれば、それを守る腕力が必要になり、腕力はまず愛と平和をぶちこわす。彼は自己自身との闘争以外の一切の闘争を否認した。
彼は物質的な豊かさだけでなく、精神的・知的な豊かさをも認めていなかった。
「知識が豊かになって何になろうか。心貧しいことこそ神の御心に沿うのだ。修道士に学問はいらない。書物も要らない。今日の時は自分の言葉と歌を使えばよい。学問好きで理屈っぽい修道士は、いざという時になす術を知らぬものだ」といった。
ところで、使徒パウロはキリスト者に転じ取り調べを受けた際に、「博学がおまえを狂わせている」と言わしめたが、パウロ自身は、それまでの知識を糞土のようなものだと語っている(ピリピ人への手紙3章)。
また、パウロは伝道に訪れたギリシアの地で栄えた哲学に対して「虚しいだましごとの哲学」(コロサイ人への手紙2章)に気をつけなさい、と手厳しい。
パウロは信徒への手紙で「わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉を語るのではなく、“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです」と語っている。(第Ⅰコリント2章)。