「空前絶後、世界最大」。新型コロナウイルス対策の第2次補正予算案を説明する際に、安倍晋三首相が規模の大きさを誇った仰々しい形容詞である。
国内総生産(GDP)の規模では米中に続き世界3位だが、国民の豊かさを表す1人当たりGDPは26位と落ち込んでいる。
コロナ危機のもとで、ビジョンなき政府対応に加え、日本の脆弱な社会基盤の現実を目にした。
特に、感染者を特定するPCR検査の能力である。
5月初旬の日本の人口千人当たり検査数は2・2人。OECD加盟37カ国中36位とは、一体どこの国かと問いたくなる。
首位アイスランドは147人、加盟国平均は27・7人に遠く及ばない。
死者が少ないのは、いわゆるXファクターという、幸運な不可解因子による。
そもそも、日本的社会は、内発的に大変革をしたためしがなく、いつも外圧(黒船)や国難(敗戦)などでようやく重い腰をあげる傾向がある。
給付金手続きを進める電子政府、仕事面でのテレワーク、小中学校のオンライン学習などでも先進国レベルに達していない状況が露呈した。
細かいところでは、キャッシュレス決済や電子印鑑への移行も、それにあたるであろう。
その一方で、日本は1100兆円の政府債務を抱え財政健全度で世界最悪の国でもある。
コロナ対策で今年度の新規国債発行は、たしかに首相がいうように空前絶後といってよい90兆円。
これをどう返そうかなんて考える余裕はあるはずもない。東日本大震災の時のような「復興税」などは、さすがに国民に長きにわたる自粛をお願いした上では、なかなか提案できないのであろう。
結局、安倍政権は、"行政サービスの質の低下"を容認する方向を選ぶほかはない。政府が配布したアベノマスクの質の悪さがそれを如実に物語っている。
また、給付が速やかに可能となるマイナンバーが普及しないのも、政府の情報管理への信頼度の低さを物語っている。
要するに、コロナ禍でわかったことは、政府が必要なところに必要な予算を回せず、マンパワーを確保できないため、何事も迅速性を欠いた、”機能不全”の状態にあることだ。
特に、初期の段階でダイヤモンド・プリンセスにおける現場の混乱などにそれがよく顕れた。
終始、神奈川県が前面に立って対応をつづけ、厚生省の命令により、なぜか医師団が引き上げるなど、不可解なことがおきている。現場で戦っている人々は、見捨てられたように感じたことであろう。
また、行政の質の低下は、政治によって歪められた部分が大きいともいえる。
最近のイージス・アシュアの設置場所の選定における測定ミスは、意図されたものというほかはない。
住民への説明では根拠の薄い安全性のみを強調し、その挙句、それが保障できないことが発覚し、イージス・アショアの設置は当面凍結された。
さて、一昨年の末に発覚した「統計不正」は、厚労省が毎月勤労統計のデータをする際に、勝手にサンプルの入れ替えを行い、賃金が上昇したようにして、アベノミクスが功を奏しているかのような偽装を行ったというものであった。
もともと、官庁エコノミストを抱える内閣府(旧経企庁)が算出する「経済見通し」が、民間の予測を上回ることが多く、以前から「政治的思惑」によるものではないかとの指摘はあった。
実は、バブル経済が崩壊した1990年代、財政再建を急ぎたい大蔵省は財政出動の要求をかわすため、高い成長率見通しを出すよう要求する一方、経済対策を引き出したい通産省は逆に低めの見通しを出すよう求めた。
当時は大蔵省と通産省の力関係で、高めの数字で決着しがちで、消費や投資などを大きく見積もったとみられる。
その結果、2013年度ごろから再び政府見通しが、民間予測より過大になっているという。
成長率見通しが高いと「税収」を想定でき、大規模な財政出動を含んだ予算を作り続けられるという実利がある一方、実際の成長率が下回り続ければ、期待した税収は得られず、国債の増発で国の借金がさらに積み上がることになる。
統計を表す「スタティクス」という英語は、主権国家を表す「ステイト」という英語の派生語である。
近代欧州で統計はまず「政治算術」として発展した。
そのことからわかるように、もともと国家と深く結びつき、政治を動かす道具になっていたのだ。
戦力の国際比較が元々の目的だが、体重をごまかしバンジージャンプし、川底に頭をうちつけた女子アナを思い浮かべる。
日本政府は世界最大額の「借金」をもちながら、日本の「円」は世界で比較的安全な資産であるとみなされている。
まるでコロナの”Xファクター”かと思いたくなるが、海外市場は国の借金の規模によってのみ、国債を評価しているわけではない。
しばしば、日本は借金があっても、その分世界一の金融資産があるから大丈夫といういわれ方をする。
しかし、金融資産があるからといって即「借金返済」可能というわけではない。
問題は、いざというときその金融資産にどれほどの税金をかけ、返済にあてられるかである。
その点、日本にまだ増税余地があると市場からみなされているからだ。
外国では、しばしば増税の限界点になるのは、資産が海外に逃げるキャピタル・フライトであるといわれる。
例えば、数年前ン「パナマ文書」で、世界の主要な要人が、南米の島国を「タックス・ヘイブン」として利用していることを明らかになった。
同文書には、日本の法人(ペーパーカンパニー含む)など400あまりも記載があったが、外国のように日本政府要人や財界人トップの名は出ていない。
それをみても、ペーパーカンパニーまで作って大がかりな財産隠しをすることが比較的少ない。
それ以上に問題なのは、政治に対する信頼度だ。
さすがに"天下りの受け入れ先確保の特殊法人は数を減らしたが、外務省機密費や政務調査費などの「領収書のいらない経費」を使って、政治家や官僚が組織的にいいように血税を食い物にしていることが発覚している。
海外では、キャピタルフライトとは別に、国民が逃げ出すということもある。
しかし日本は島国で、温暖で平和、暮らしやすい上に外国語が苦手。したがって増税したからといって、外国に移り住むなんてことはほとんどない。
世界には少し増税しただけで国民がどっと逃げ出す国もある。
日本でこれだけ「消費増税」への反対世論が強いのは、多くの日本人が増税されても外国に逃げられないからだという見方もできる。
また、政府が国民に対して財政の説明する際に、あえて実体を見えなくするような、”まやかし”が存在する。
例えば、日本の財政が不健全であることを示す際に、1人当たり約800万円の借金を国民が背負っている事実が強調される。
これは1000兆円を超える国の借金の大きさを人々に実感させるときに用いられる数字である。
これを家計に例えると、「年収555万円に対して年間支出963万円の生活を送っている。その結果、毎年新たに300万円以上の新規借り入れを行っており、ローン残高は8400万円に達している」といった具合に説明される。
国民はこれでは破綻が確実だと財政再建つまり増税もしくは歳出カットに協力するほかはないという雰囲気が醸し出される。
しかし、国債などの所有者の内訳をみると、国債の8割強は個人ではなく、日銀、銀行、生損保などの「機関」が所有している。
それを国民1人あたりで割るなどというのはおかしな話で、そもそも各個人が金融機関や生損保に預金や保険料というかたちでお金を貸しているわけだ。
さらに、政府の借金は、国の借金もしくは国民の借金であるというのなら、政府のもつ資産や債権も、国民の資産だとはいえないか。
またもうひとつのまやかしは、2050年に国民の4割が高齢者となり、1.2人の現役世代が高齢者1人を支える「肩車型」の社会が到来するというものである。
政府は今も増税見送りなどをして、給付に見合うだけの負担を国民に課しておらず、このままでは持続不可能。
そこで政府は、社会保障給付を削減し、国民の税負担を増大させなければならないことを国民に納得させようとしている。
しかし、扶養の負担を表す指標として、65歳未満人口を65歳以上で割った値を用いるのは、正しいとはいいがたい。
65歳を超えて働いている高齢者はたくさんいるからだ。むしろ人口を就業者数で割った値を用いる方が正しく実態を示しており、これまで約2で安定している。つまり1人の就業者が、1人の非就業者を支えてきたきたわけだ。
これは、高齢者1人を9.7人で支えてきた1955年も、5.9人で支えていた1985年も同じなのであった。
「高齢化」というのは、働かない者の数が増えるのではなく、就業者の高齢化にすぎないということの認識が十分にされていない。
要するに高齢化が進展し、人口構成が変わっても、定義次第では社会の扶養負担はほとんど変わらないのである。
日本の「円の信頼度」に関わるもうひとつのポイントが「経常収支」の動向である。
経常収支は、貿易収支、所得収支、サービス収支の合計からなるが、日本は2014年の上半期とはいえ、「経常収支」が赤字となったことが話題になった。
それ以前、2011年の日本の貿易収支が1963年以来、実に48年ぶりに赤字へ転落し、それを所得収支(海外への投資収益)などでカバーできなくなったことを意味する。
外国での現地生産の活発化や、原発事故による火力発電の稼働率上昇で燃料の輸入が増えたこともある。
それでも、日本が貿易赤字なのになぜ経常収支が黒字を維持できたかというと、所得収支が「貿易収支の赤字」をカバーしているということが一般的なカタチとなったということである。
今の貿易の仕組みは、日本がアメリカに対して貿易で黒字になると、その黒字分でアメリカの国債を買うというのが、一般的なルールとして定着している。
なぜなら、「黒字分」のドルで、そのまま「米ドル債」を買うことが、日米間で取り決められているからだ。
それは、アメリカが、日本から借金して(米国債を売って)、日本から必要なものをたくさん輸入したきたということだ。
そのお金を貸した分の利子が所得収支の「黒字」として日本にもたらされてきた。
また海外に移転した日本企業がその収益を日本に送るかたちでの「所得収支」もある。
したがって、貿易収支で赤字になっても、これまではこうした「所得収支」でカバーすることができ、経常収支は黒字を維持することができたのである。
しかし、「経常収支」の赤字が定着となれば、日本経済ががいままで体験したことがない「異次元」経済に入ったことを意味する。
日米貿易摩擦が問題となった1980年代に、アメリカでは「双子の赤字」ということが問題となった。
日本が貿易黒字はそのまま米国債の購入になるので、日本がアメリカの「財政赤字」のァイナンスは日本がアメリカの国債を購入することでカバーしている構造のことなのだ。
日本の「経常収支の赤字」が意味することは、かつてのアメリカの状況に日本が陥ることで、日本の財政赤字を「海外資金」に頼ることになるということだ。
つまり、外国人が日本の国債を買って日本の財政赤字をカバーするような構造ができあがっていくということだ。
そうなると、日本経済は外国の投資家の動向に大きく揺さぶられることとなり、日本経済はひところ続いたギリシア経済の状況にも似通ってくる。
ただそれでも、当時のギリシャに比べて、はるかに借金残高が多い日本の「円」が安全とみなされるのは、決定的な違いがもうひとつある。
それは、ギリシャは、国債が「ユーロ建て」で、ユーロという通貨を使えるけれども、ユーロを勝手に印刷したり、発行する権限がない。
ギリシアは他のユーロ加盟国同様に、金融政策をすべてFCB(ヨーロッパ中央銀行)に委ねてしまったから、独立国でありながら独自の金融政策を行うことができない。
もちろんギリシアとて「徴税権」は残されているが、それさえも国民の「徴税拒否運動」で、政治的な分裂を引き起こしてしまったのである。
そして、ギリシアは「10年物国債」を世界中の投資家に買ってもらおうとしたが、金利はなんと30パーセントに達した。それくらいの利率をなければ売れないということなのである。
その究極の理由は、ギリシア政府の「徴税力」の弱さにいきつく。
一方、日本国債は「円建て=自国通貨建て」である。日本では、円という自国通貨で発行し、円という自国通貨で返済するということだ。
これは、増税しても資金がそれほど外国に逃げていかないことのひとつの原因といえる。
加えて世界一の金融資産があるために、いまだに「国債」を引き受ける余力はあるという認識もある。
しかし、今後「少子高齢化」が進む中で、貯蓄率の向上は望めず、社会保障費や医療費増大も拡大する。
それは、国債の買い手が足りなくなる傾向にあるばかりか、国民が増税を受け入れる余力も徐々に弱まっていく。
政府の徴税力とは、国民に増税を納得させる政治力といっていいが、それは政府が国民の税を使って公正にサービスを国民に提供してくれるという「政府への信頼度」が大きくものをいう。
しかし、昨今は、国民の信頼を裏切るようなことが続発し、こんな政府の求める要求に対して、国民から返り討ちをくらうかもしれない。
そうであるならば、政府は「復興税」あろうと、増税をすることができない。
なにしろ、司法のトップに位置する検事総長が、国民に自粛を依頼した緊急事態宣言中に新聞記者と駆けマージャンをした。
何ものにも代えがたいと銘うって、強引な法解釈の変更まで繰り出して、定年延長した人物なのに。しかも退職金はフルで支払われるという。
桜の会では、安倍首相の”後援会”もどきに国民の税金が使われ、法務大臣が選挙において公職選挙法違反をして夫婦ともども逮捕された。
いずれも安倍総理と非常に近い、いわゆる「お仲間」の不祥事である。
河井克行は参院選当時、首相補佐官で安倍首相と菅官房長官の側近中の側近だった。
河井夫妻がばら撒いた現金の原資は自民党本部が工面した1億5千万円の選挙資金。通常の10倍以上の額に達するというのだから、空前、唖然、呆然。
つまり、空前絶後の選挙資金が党本部から割り振られおり、その多くは国民の血税である。
そんな政府が打ち出す増税案を、復興税と銘うったとしても、コロナ自粛で疲弊した国民が受け入れるのはなかなか難しい。
遡れば、自殺者まで出した森友問題にはじまり加計問題など、政治不信の沸騰点が徴税力の限界を決めるということである。
特にコロナ後の社会では、政治不信は、財政破綻に直結する問題だといえそうだ。