古代イスラエルの人々は、エルサレムに神殿がつくられる前には「幕屋」でヤハウェの神を礼拝をしていた。
イスラエルは紀元前15C頃エジプトで奴隷になり、そこを「出る」にあたって、指導者モーセと祭司アロンがエジプトのパロに求めたことは、「主なる神はおおせられる。イスラエルのの民を行かせ、荒野で神を祭らせよ」ということだった。
するとパロは「主とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのか。私は主を知らない」と拒絶する。
その後、数々の奇跡と不思議を経た後に、イスラエル人はエジプトを「去る」ことを許された。
この神のワザが行われるに際して使われたのが「アロンの杖」であり、イスラエルの「三種の神器」のひとつに数えられている。
出エジプト後、シナイの荒野をさすらいながらイスラエルは、各宿営地に「幕屋」を設営して神を拝したのである。
旧約聖書によれば、イスラエルの宿営が進む時に、ある特別なことが起きている。
それは「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった」(出エジプト13章)とある。
そして、この雲の柱は、ただ前を進むだけではなく、時に後ろへまわり、イスラエルの陣とエジプトの陣の間へ入り込み、イスラエルの陣を守る役割を果たした。
それは、次のように記されている。
「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである」(出エジプト40章)。
イスラエル人は、故郷カナーンの地を目指したが、時に食料がなくなり神が「朝露」のごとき食料を降らせた。
そしてこの朝露のような食べ物が「マナ」とよばれ、「三種の神器」のヒトツとなっている。
さらにモーセがシナイ山で「十戒」を与えられえ、その「十戒」が刻まれた二枚の石板も、「三種の神器」のひとつとなっている。
「宿営、陣営」を表わすヘブライ語(マハネ)は、遊牧民が一時的にとどまる場所である。イスラエル人が荒野を移動していたとき一時的に設営した移動式の天幕の配置または軍隊の防御のための囲いに関連して用いられている。
宿営の中心となっていたのは、中庭に囲まれたヤハウェの臨在の天幕、つまり「幕屋」である。
ヤハウェの聖なる所で奉仕するよう割り当てられたレビ人が幕屋の周辺に住み、レビ人の天幕の外側には、羅針儀の四つの方位にしたがって定められた四辺形の形に12部族が宿営を張った。
一般の民は幕屋からかなり遠くに離されていた。
イスラエルのこの宿営の規模は非常に大きなもので、戦う者たちの登録数は合計60万人を超えた。
それ以外に女や子供たち、老齢の人々や身体障害者、約2万2000人のレビ人、および異邦人入り混じった大集団がいた。
これらすべてを合計すると、300万人以上になったと推定される(出エジプト12章)。
之だけの大規模な宿営がシナイ半島を1つの場所から他の場所へ移動したこと自体が、驚嘆すべきことだ。
ただ単なる移動集団でありばかりか、戦いに関係して使われる場合「宿営」は、出撃拠点となる本部、つまり作戦基地を指す「陣営」という表現に近い。
つまり、「陣営」は軍隊が夜間に天幕を張る場所というよりは、軍隊そのものを表わすことにもなる。
当時の軍隊の”陣営”はイスラエル以外にも様々な形式があり、「出エジプト」時のエジプト王のラムセス2世の陣営は盾で囲まれていた。
また、アッシリア人の防備を施した陣営は一般に円形で、壁や塔で強化されていた。
さらには、ペルシャ人の陣営の天幕はすべて東を向いており、その野営地はざんごうや土手で守られていたという。
そうした事例から思い浮かぶのは、日本の「幕府」という言葉の由来である。
「幕府」とは、征夷大将軍を頂点とする武士による統治機構のことだが、その言葉の由来は、中国の古典からだという。
将軍のいる天幕(テント)を意味したのが日本語に借用され、武家の棟梁であるものの名称になった。
ただ、中国の影響とはいっても、シルクロードで中近東と結んでいるので、そのルーツを探れば、案外とイスラエルの”幕屋”つまり移動式神殿にも繋がるのではなかろうか。
例えば、空海は唐に留学し日本に密教を伝えたが、それはキリスト教(ネストリウス派)の影響を強くうけている。
それは空海が作った「イロハ歌」にも表れている。
(い) ろ は に ほ へ (と)
ち り ぬ る を わ (か)
よ た れ そ つ ね (な)
ら む う ゐ の お (く)
や ま け ふ こ え (て)
あ さ き ゆ め み (し)
(ゑ) い も せ (す)
ここで、一番右の文字を続けて読むと「とがなくてしす」(歌の中で清音と濁音は一つになっている)となることがわかる。つまり「咎なくて死す」である。
更に、左上(い)左下(ゑ)右下の文字(す)を続けて読むと、「イエス」と読める。
「いろは歌」に秘められた「暗号」は、「罪なきイエスが十字架上の死を遂げた」ということである。
空海は31歳の時に入唐留学生として遣唐使の一員となる許可が与えられ、804年遣唐使一団に混じり、一路唐の長安をめざした。同じ船団には最澄の姿もあった。
ところで空海の入唐は、「大秦景教流行中国碑」が建てられてから23年後のことで、空海がいた当時の唐では景教文化が栄えていて、空海がそれに関心を示さなかったハズはない。
「景教」とは中国に伝わったキリスト教のことである。
なにしろ、空海にサンスクリット語を教えた人物「般若三蔵」は、実際に当時景教に心酔し始めていたのである。
真言密教の「大日如来」の考えや「弥勒菩薩来迎」の信仰は、キリスト教における「天地創造の神」やイエスキリストの「再臨」の信仰に符合している。
仏教における「仏」は、もともと「(真理に)目覚めた人」という意味であった。
はじめ「仏」とは、導師シャカ(釈迦)のことであり、人々から尊敬された一人の人間を示す言葉にすぎなかったのである。
ところが密教の「大日如来」では 「永遠の実在」としての仏(宇宙仏)の存在を認めるのである。
また、空海が創建した高野山の儀式では、最初に棒で十字を切る(中印と呼ぶ)し、真言宗の儀式にある灌頂(かんじょう)は、キリスト教の洗礼そのものである。
カソリックの洗礼では「三位一体」の意味をこめて、三度水を頭にかけるが、「灌頂」でも三度水滴をかける。
また、信者は手に数珠(ロザリオ)を持っている。
さらには、空海が灌頂を受けて授かった「遍照金剛(へんじょうこんごう)」という法号は、「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」(マタイ5章)の言葉を彷彿とさせる。
伊勢神宮では、ご神体を納めた建物などを20年ごとに造り替えていて、その都度「遷宮」を行っている。
そうした一定の周期で行う遷宮を「式年遷宮(しきねんせんぐう)」という。
伊勢神宮の「式年遷宮」は、およそ1300年前の飛鳥時代に始まったとされ、現在までほぼ絶えることなく続いている。
「幕屋」は古代イスラエルの宿営地の移動とともに移動したのだから、イスラエルでは「神様のひっこし」が時々行われたということである。
要するに幕屋は「移動式神殿」ということができるが、伊勢の「式年遷宮」に注目したのは、その段取りがイスラエルと似ているのではと推測したからである。
幸いにも、古代イスラエルの「神様のひっこし」の段取りは旧約聖書「民数記」4章に詳細に書いてある。
この時「担ぎ棒」をつけて運ぶというヤリカタ、そして布で器具を覆って見えないようにしている仕方が、テレビ画面でみた伊勢神宮の「式年遷宮」とよく似ている。
また20年に1度という点では、宮大工などの技術の伝えるのにちょうど適した期間といった説まである。
突飛な推測だが、いまだ霧のむこうに行方不明のとなっているイスラエル10部族と日本との間にの接点があるのなら、イスラエルの幕屋と式年遷宮との間に、何らかの記憶の相関があったのかもしれない。
ヘブライ王国(古代イスラエル王国)のソロモン王の時代に「神殿」がつくられ「幕屋」の時代が終わるが、神殿の構造も基本的に「幕屋」と同一である。
要するに「幕屋」とは、神と人が出会う場所であり、幕で仕切られ「会見の幕屋」ともよばれていた。
荒野を流離うイスラエル人にとって「幕屋」は、キャンプする際の生活の中心となり、ここで祭司や大祭司が神に仕え「聖所」で罪のための犠牲の動物を屠ったりした。
そして幕屋に入ることを許されたのは「祭司」にかぎられ、本人および民の罪をあがなうための「いけにえ」(子羊など)を携えることを必要としたのである。
さて、古代イスラエルには12部族がいたが、レビ人だけは祭司職を出す部族として区別された。
そして民が「神を礼拝すること」において、それを仕切る大きな責任は祭司に委ねられ、収穫の10分の1を働きの報酬として受けた。
さて、神がモーセに与えたものは、「十戒」ばかりではなく、幕屋のいわゆる「設計図」をも示したのである。
それは「出エジプト」26章に詳しく書いてあるが、新約聖書には次のようにまとめられている。
「まず幕屋が設けられ、その前の場所には燭台と机と供えのパンが置かれていた。これが、聖所と呼ばれた。また第二の幕の後ろに、別の場所があり、至聖所と呼ばれた。そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置かれ、その中にはマナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れてあり、箱の上には栄光に輝くケルビムがあって、贖罪所をおおっていた」(ヘブル9章)。
「幕屋の構造」に関して最も注目すべきことは、聖所から至聖所に入るとき「第二の幕」が降りており、「至聖所」は大祭司が年1回だけ入る場所であった。
前述のごとくイスラエルの「三種の神器」は、いずれも「出エジプト」という民族的苦難の中で生まれたものだが、それらは「契約の箱」に入れられて「至聖所」におさめられた。
しかし、その「契約の箱」は今もって行方不明である。
新約聖書は「幕屋」とは「天をかたどったものである」と驚くべきことを語っている。
それが具体的にどんなことかはわからないが、それを解くヒントとなるのが、パウロの次の言葉である。
「私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に~肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです、第三の天にまで引き上げられました」(第Ⅱコリント12)。
ここでパウロが知っている「ある人」とは、実はパウロ自身のことである。パウロは自ら誇らぬように、あえて「第三者」として自らの体験を語っている。
聖書の「創世記」には天地創造の話があるが、神が作った「天」は複数形であり、パウロが語るとおり、第一の天から第三の天まである。
「第一の天」は人の住み諸々の霊が住むところ、「第二の天」は天使の住むところ、そして「第三の天」は神が住みたもうところ。
これは、幕屋における「大庭」「聖所」「至聖所」に対応していると推測される。
さてパウロは、へブル人へ次のような手紙を書いている。
「天にあるもののひな型は、これらのもので清められる必要があるが、天にあるものは、これよりさらにすぐれたいけにえで、きよめなければならない。ところがキリストは、ほんとうのものの模型に過ぎない手で造った聖所にははいらないで、上なる天にはいり、いまやわたしたちのために神のみまえに出てくださったのである」(ヘブル書9章)。
聖書における「幕」は、単に幕屋の中の聖所を区別するものばかりではなく、神と人間との間にある「隔て」を表すたとえとして語られる場合が多い。
さらに、十戒の石版をもって下山したモーセの顔の輝きに、「顔覆い」がかけられたことから、人と神との「隔て」の意味でも語られる。
イスラエル人の「思いは鈍く」なり、今日に至るまで、同じおおいが取り去られないままで残っているとしている(Ⅱコリント3章)。
つまり、神と人類との間には「覆い」がかかっていることだが、その覆いが取られ「顔と顔をつきあわせるように知る日が来る」という。
またパウロは次のように語っている。
「こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。
われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」(使徒行伝17章)と。
パウロはキリストを「大祭司」にたとえ、次のように語っている。
「大祭司なるものはすべて、人間の中から選ばれて、罪のために供え物といけにえとをささげるように、人々のために神に仕える役に任じられた者である。
彼は自分自身、弱さを見におうているので、無知な迷っている人々を、思いやることができると共に、その弱さゆえに、民のためだけではなく自分自身についてもささげものをしなければならない」(ヘブル4章)。
「キリストは模型で幕屋の中ではなく、本物の天の幕屋にご自身の血を携えて入られ、ただ一度の贖いを成し遂げられた」とある(ヘブル7章)。
つまり、キリストは「永遠の大祭司」であるばかりではなく、ご自身が「完全ないけにえ」となったというスゴサである。
そしてイエスの十字架の死の直後に「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」とある(マタイ27章)。
その結果、パウロは「わたしたちは、イエスの血によって、はばかることなく聖所に入ることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いてくださった新しい生きた道を通って、はいっていくことができる」(ヘブル10章)としている。
つまりイエスの十字架によって、天における神と人との「隔ての幕」がなくなり、すべての人々に「聖所」への道が開かれたということである。
古代イスラエル人の中で特別の存在である祭司のみが細心の注意を払って入ることができた「聖所」に、誰しもが神の懐にまで進むことができる、そんな人類「救済」の道が開けたということである。
旧約が示す”型(神殿の構造)”と新約が示す”本体(救い)”が、かくも整合的に一体をなしているのが、聖書の聖書たるところである。
ただイエス自身が、救いの唯一の条件を示している。「人は水と霊により新たに生まれなければ神の国に入ることはできない」(ヨハネ3章)と。
今日、目に見えない疫病の脅威にさらされる中にあっても、約束の聖霊に与ることができる目に見えない恩寵の中にある。