聖書の人物(マルタとその家族)

新約聖書には、マリア・マルタ姉妹の次のようなエピソードが登場する。
イエスが一同が旅を続けているうちに、ある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
このマルタにマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思い煩っている。
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」(ルカによる福音書10章)。
姉マルタがイエスの言葉をどう受け止めたかは書いていないが、幾分マルタには気の毒な言葉である。
実際、姉が損ばかりして妹が得するといった関係はこの世の中、石ころの数ほどもある。
ひとつの極端なケースをあげると、韓国フィギュアスケート界のスター、キム・ヨナの姉妹。
韓国のフィギュア・スケートのキムヨナとその姉の姉妹は、共にスケートに励むが、家計が苦しくて姉の方は母親から突然選手を辞めるようにいわれる。
そして母親はフィギュアスケートの韓国代表となった妹とつきっきりとなるが、姉は妹のスケートのために自分の夢を断念し母親の代わりをするばかりか、家計を助けるために看護婦になる。
テレビで見る限り姉は全く不満を言わずに、父親の世話や家の事も担当し、黙々と妹のため働いているというカンジであった。
もちろん、長い人生の中、姉妹のうちどちらが幸せであったかは、誰にもわからない。
さて上述の聖書のエピソードを、マルタを「働く人」、マリアを「祈る人」というように、シンボリックに置き換えてみてはどうだろうか。
人間には「ホモ・ファーベル」(作る人)やら「ホモ・ルーベンス」(遊ぶ人)等様々な定義がある。
最近、「ホモ・コントリービュエンス」(貢献する人)という新しい言葉を聞いたが、今のところ「ホモ・プレイトス」(?)(祈る人)などという定義は聞かない。
現代人の多くは、「祈り」を喪失した人種なのではなかろうか。
ここでいう「祈り」とは、日本人が神社で行う「合格祈願」や八幡宮に「安産祈願」などのような願い事のでことではない。
新約聖書の「ピリピ人への手紙」の中に「絶えず喜べ、絶えず祈れ、絶えず感謝せよ」とあるとおり、「祈り」は少なくとも信者にとっては「呼吸みたい」なものだった。
「旧約聖書」の詩篇とは、イスラエルの二代目の王ダビデ王が神に捧げた「詩」であるが、その本質からすると詩の形式をとった祈りである。
この詩篇における、ダビデの祈りの内容を、最小限にまとめていうと、「神様 どうか守ってください。働き出でてください」という祈りなのである。
こういう生き方は、「自助努力・自己責任」を旨として生きている人には、あんまり感心できる態度ではないのかもしれない。
また人によっては、これがイスラエルという一国の王が作る詩なのか、と違和感をもつかもしれない。
ただ、ダビデの最大の願いは「神の栄光が顕れること」、そして神の前に己を虚しくすることこそが、神の御手が働く”極意”であることを熟知していたといえる。
なんと"近代的自我"の表明とかけ離れていることであろうか。
サリンジャーの小説の中に、「主よ憐れんでください」と絶えず祈る男が登場する。不思議なことに、この男の祈りは、時をかけてことごとく実現していくのである。
人間が"祈り"を失うということは、飛ぶことを忘れた鳥とそれほど隔たりがないのかもしれない。
では、いつごろからか「祈る」ことをしなくなったのだろう。
中世の修道院は「祈りと労働」こそが神への奉仕であったが、人の労働が自然環境に関わりなく、神の関わりなくとも、働きが確実に収入に繋がるようになると、「祈る」などということをほとんど無駄と思うようになる。
近代社会になると、人々の期待にこたえる生き方こそが望まれ、成果をだすことこそが善となる。
それが共同的成果であったとしても、組織の目的にそった成果を出せる個人こそが最高の評価を受けることになる。
もちろん、人間には肉体的・精神的な制約があって力及ばぬことが多いが、その人は生産性の低い人間とみなされる。
現代のように成果主義が蔓延すると、検事の冤罪ストーリー作りやアメフトの「日大タックル事件」などのような事件がおきる。
人間が祈りを忘れ、自分の意思と努力だけで生きることが普通だと思うことの本質は、人間が神の座を占めはじめたことに他ならない。
巷間によく知られた言葉「神は自ら助ける者を助く」という言葉がある。しかしこの言葉は聖書にはない。
当時アメリカで印刷工であったベンジャミン・フランクリンが、カレンダーを売り出すために月ごとに警句をつけたら大ヒットした。
そのために創った警句の一つにすぎない。
さて、新型コロナウイルスの教訓は、我々はとても小さく脆い存在であること。目に見えぬウイルスの危険にさらされた状況にあって、一体どれほどの人が自分と家族を守りきれると思えるであろうか。
新約聖書には、「あなたがたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできない」(マタイ5章)、あるいは「あなたがたは、夕方には、”夕焼けだから晴れる。”と言うし、朝には、”朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ。”と言う。そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのか」(マタイ16章)とあるとうりである。
要するに人間は、こうあって欲しいという問題をたくさん抱えつつ、どうにもならぬことはスルーしながら生きている。
しかしそれでも、どうにも神様に助けてもらわなければならない問題に遭遇することもある。いわゆる困った時の神頼みだが、ダビデの天才は、あえて神様に働いてもらう”余地”を残して、神の御意志がどのようなものか見極めようとする姿勢にある。
ダビデにとっての”神に頼る”とは、神の意志の実現を求めることにあり、その過程で”不断の祈り”が生じるのである。
それは、少年の頃、巨人ゴリアテと対峙して勝利したという強烈な体験があったからであろう。
ダビデは現代人のような「家内安全・無病息災」などという公約数的な祈りをしたのではなく、神と自己との間に通じる祈りのパーソナルな「チューニング」を見出した人であり、竪琴の名プレイヤーであったことを含めて、全身全霊の「祈りの人」であった。
そして己の力を表すよりも神の栄光を顕さんとした点で、ミケランジェロの「少年ダビデ」のモデルになったにもかかわらず、ルネサンス的人間像とはまったく異なるのである。

マリア的人間をマルタ的に変えてしまった近代の始まりは、一体どこからなのだろう。
16世紀のデカルトの言葉「我思うゆえに、我あり」というのが一般的である。それは、神の存在を根拠としない”自我”の表明である
しかし意外なことに、近代の萌芽は、13世紀の”ペスト(黒死病)”が広まった頃から芽吹いていたといえる。
13世紀末、ドイツ北部の町ハーメルンの笛吹男の話がある。住民達がネズミの大量発生に悩まさ駆除を男に依頼した。
男が持っていた笛を吹くと、不思議なことに町中のネズミが路上に現れ、行進を始めたのである。笛吹き男は町の住民に約束の報酬を要求した。
ところが、住民達はその約束を反故にしてしまった。今度は、町中の子供達が隊列を作り、行進をはじめたのである。そして子供達はどこか遠いところに消えていった。
実際にハーメルンの町で、1284年に130名の子供が消えたとする記録が残っている。
ではなぜ子供達は集団で失踪したのだろうか。
その理由の一つに、ペストにより子供達が集団死したとの見方がある。ペストはネズミと密接に関連する病気である。ネズミを駆除したという最初のストーリーは、ペストを暗示させるものだ。
また、この事件がおこってから60年後の1340年代に、ヨーロッパ全域は中世の黒死病流行と呼ばれる、空前のペスト大流行に見舞われている。その少し前からペストが燻っていても不思議はないのである。
中世の西ヨーロッパは神に対して敬虔であった。ところが人口の3分の1がバタバタと死んでいく。そうすると「神様はいないのでは」「どうせ死ぬなら好き勝手しよう」ということにもなる。
つまり、ペストは従来の価値観に大きな変化をもたらし、それが花開いたのがルネサンスである。
ペストの経済的影響をいうと、中世の西ヨーロッパでは、農村は共同体で、畑には柵がなく、みんなで働いて、領主に年貢を納めた残りをみんなで分け合っていた。
しかしペストによる大量死は極端な労働力不足をもたらし、領主は農民の労働意欲を上げるために、それぞれに土地を貸し出す。
すると農民たちは、麦を植えるか、豆を植えるか、羊を飼うかと、自分で考え行動し、その成果も失敗も自身が受け入れる。
これが資本主義、自由経済の始まり、ペストは経済的自由をもたらしたのである。
イギリスでは農業より広い土地を使う放牧が効率が良いと始められ、毛織物が発達したり、羊の面倒を見る牧羊犬を導入すると羊飼が暇になって、合間に遊び始めたのがゴルフになったという説もある。
ペストが猛威を振るった14世紀に出された「十日物語」(デカメロン)は、ペストから逃れるためフィレンツェ郊外に引きこもった男3人、女7人の10人が退屈しのぎの話をするという趣向で、10人が10話ずつ語り、全100話からなる。
内容はユーモアと艶笑に満ちた恋愛話や失敗談などで、日によって話のテーマが決められていて、話者はそれに沿った話を披露していくという趣向で近代小説の始まりとされる。
さて、20年以上も前、ひとりの大学教授が「人間の歴史はドーダの歴史である」と喝破され、「ドーダ学」なるものを提唱されていた。
教授は「東海林さだお」の漫画に触発されたそうだが、教授が提唱するところの「ドーダ学」とは、人の心の「認知への欲求」という機微をツイタものであった。
つまり、人間のコミュニケ-ションのほとんどは、「ドーダ おれ(わたし)はすごいだろう、ドーダ、マイったか」という自慢や自己愛の表現であるという観点に立つ。
そして、こうした人間像こそがルネサンスが生んだものなのである。
教授によれば、人間は誰しもどこかにドーダ心を秘めているが、芸術家などの表現者や歴史を動かした人物などにはその傾向が著しい。
ドーダとは「自己愛に源を発するすべての表現行為である」と定義され、画家でも音楽家でも表現者といわれる人々は、結局、朝から晩までドーダすることを考え、ドーダしたくてしょうがない「ドーダ人間」なのだ。
そして、ドーダ心が芸術家や英雄の専有物ではなく、一般に普及したのが大量消費社会ではなかろうか。
なぜなら、現代は"持ちモノ"や”いいね”の数によってドーダすることが多く、大概の人間はかたちこそ異なれ、ドーダ心をうちに秘めているからだ。

聖書では「復活」といえば、当然イエスの蘇りの場面だが、ルーブル美術館の「ラザロの復活」の場面(ヨハネ11章)も、よく知られている。
実は、このラザロこそは、マルタとマリア姉妹の弟なのである。
さて、イエスがエルサレム行くと、ラザロは死からすでに四日間もたち墓の中に置かれていた。
イエスがマルタに「あなたの兄弟はよみがえるであろう」と語り、マルタは「終りの日のよみがえりの時、よみがえることは、存じています」と幾分ズレた応答をしている。
そしてマルタはこう言って、家にもどって姉妹のマリヤを呼び、「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます」と小声で言った。
これを聞いたマリヤはすぐ立ち上がって、イエスのもとに行った。
マリヤは、イエスと出会いその足もとにひれ伏して「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」と語った。
イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、”激しく感動し”、また心を騒がせラザロをどこに置いたのかと尋ねた。
彼らはイエスに「主よごらん下さい」と語った。その時に、イエスは涙を流された。
するとユダヤ人たちは「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」言い、別の人々は「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」と言った。
イエスはまた”激しく感動し”て、墓にはいり、「石を取りのけなさい」と語った。死んだラザロの姉妹マルタは「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」と応えた。
その時イエスは彼女に「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと言ったではないか」と語った。
人々は石を取りのけ、イエスはそばに立っている人々に、これは神ががわたしをつかわされたことを、信じさせるためであると言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわった。
すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。そしてイエスは「彼をほどいてやって、帰らせなさい」と語った。
以上が「ラザロ復活」のアウトラインだが、現代人がほとんど誤解するのはイエスの涙の意味である。
それは、民衆が流した涙と、イエスが流した涙は、真反対の意味をもつものなのである。
実は、”激しく感動”し(ヨハネ11章33)は別訳の聖書では「霊の憤りをおぼえ」になっている。
イエスの涙の理由は、「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じ」たことの結果なのだ。
それに対して人々は「なんとラザロを愛されたことか」とピントはずれな反応している。
さらには、少々”怒り”さえも含んでいるように思えるイエスの言葉が「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」である。
実は、この出来事で浮き彫りになっていることは、イエスを信じることができない人々の言動であり、イエスの涙とはそうした不信仰に対するものである。
イエスが、エルサレムの街から離れたベタニアの村でマルタとマリアの兄弟である「ラザロの死」を聞いた時に遡ると、「わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになるためである」と語っていることからも、わかる。
現代人は、”復活”を異常なことと捉えるが、聖書では永遠の生こそが自然であり、人間の"死"はエデンの園の原罪の結果であり、”死”こそ異常なものであることを教えている。
このラザロの出来事では、”復活”を異常なことと捉える人々の中にあって、イエスと人々の応答はことごとくズレていることがわかる。
しかしその結末は、「イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた」とある。

20年ほど前、ひとりの大学教授が「人間の歴史はドーダの歴史である」と主張され、「ドーダ学」なるものを提唱されていた。
教授によれば「東海林さだお」の漫画に触発されたそうだが、教授が提唱するところの「ドーダ学」とは、人の心の「認知への欲求」という機微をツイタものであった。
つまり、人間のコミュニケ-ションのほとんどは、「ドーダ おれ(わたし)はすごいだろう、ドーダ、マイったか」という自慢や自己愛の表現であるという観点に立つ。
教授によれば、人間は誰しもどこかに「ドーダ心」を秘めているが、芸術家などの表現者や歴史を動かした人物などにはその傾向が著しい。
ドーダとは「自己愛に源を発するすべての表現行為である」と定義され、画家でも音楽家でも表現者といわれる人々は、結局、朝から晩までドーダすることを考え、ドーダしたくてしょうがない「ドーダ人間」なのだ。
ピアス・刺青・スプリットタンなどをよそおう若者は、それによって他者との差異化を図ろうとする、つまりオレはお前達とは違うんだゾ的な表現者であり、これもドーダ人間の「行動類型」といえる。
またアキバ系など「一点マニア的ドーダ」、高級車愛好者など「一点豪華主義ドーダ」などのエピゴーネン(亜流)もいる。
大概の人は「ドーダ心」を奥に秘めている「隠れドーダ」なのだが、臆面もなく「ドーダ心」露わにする人もいる。
こうした「ドーダ人間」は、おばあちゃん子であったり一人っ子だったりして「自己愛」が損なわれることなく「肥大化」しているケースが多いようだ。
数年前の「号泣地方議員」はそれにピタリだが、最近「三島由紀夫賞受賞」を不愉快と記者会見で怒ってみせた大学教授も「屈折ドーダ」といえるかもしれない。
またドーダ人間は、「ドーダ、すごいだろう」を見て欲しいため、「ドーゾ」と相手に一歩譲ったり、相手の話を聞いたり、奉仕すること、他者を生かすことにあまり関心が向かない。したがって人望がない。
ドーダ心の根元には、「被認知の欲求」がある。
ジャーナリストの辺見庸は、現代社会の特徴を「認知されないことへの飢餓」であると提起した。
この「被認知飢餓」は、最近のIS国による「テロ行為」と無関係ではないようにも思える。
つまり人々は、たとえどんなに裕福で恵まれていようと「認知される」ことの欲求が満たされない限り、この世に不満をもつことになる。
例えば、ひとりの人間が社会や職場で「役割」を果たし、そのことを「充分」に認知されているのであれば、何も問題ない。
しかし、何かのきっかけでいくらでもスペアがきく存在なのだということを思い知らされりすると、鬱状態から「被認知飢餓地獄」にはまったりする。
人間とは、そんなに危うく脆い存在なのかもしれない。
数年前、いわゆる「秋葉原事件」をおこした男性は、事件前日に次のようなことを携帯サイトに書きこんでいる。
「顔のレベル0/100、身長167、体重57、歳26、肌の状態最悪 髪の状態最悪 輪郭最悪。
普段会う人の数0、普段話す人の数0、自分の好きなところ無し 自分の嫌いなところ無し、 最近気を使ってい入ること無し、これだけは他人に負けられないこと無し」。
男性は派遣社員のつねとしてリストラに怯えていて、他人との繋がりをたもつ環境にないことは確である。
それにしても「0」や「最悪」や「無」という言葉の羅列が目に付く。
この男性、自身の人生を「ゼロ」に極限化したがっているようだ。
母親の過剰な教育熱で追い込まれていた体験からか、平均的なことや標準的であることはすべて「ゼロ」と認識される精神が生まれた。
トップになれなかったとか、世間で優等とは認められなかったことで自分のすべては全否定され、「ゼロ」と自己評価している。
日々自分を「ゼロ」と散々に打ち消しつつも、一方でとてつもなく肥大した自我を抱えこんでいるため、よほどのことをしないかぎりは、周りが自分の存在に気づいてはくれないという「被認知飢餓」の状態に陥っている。
さあて、疫病といえばコレラが社会に与えた影響もおおきかった。
コレラは飲み水を介して流行が広がったので、予防のために上下水道の整備が進んだ。
また、結核予防のため、空気の通りを良くする大通りなど近代都市のインフラが整備されたのである。