ただ今、迷走ぎみ

最近、迷走していることがらが目につく。イージスアショアの導入・リニアモーターカー・国産ジェット機などもそうだが、水道・保育・電力などが重要で、我々の足元が揺らいでいる。
この度の新型コロナで明らかになったのは、ロードマップが描けない国に対して、いくつかの自治体が迅速に指針を作って、動いたこと。
となると、災害時などのライフランの整備などは、自治体(もしくは首長)の能力でかなり差がでそうだ。
2018年12月に水道法が改正された。その趣旨は「水道基盤」の強化である。
水道の管轄は市区町村単位で進められ、その公共性の高さゆえ、競合する民間企業も存在しない。
そのため、人々は居住した地域のルールや設備をそのまま利用してきた。
しかし、近年全国的に水道の老朽化、耐震化対策、水道事業者の資金問題などの問題が浮上している。
人口が少ない自治体は、運営が脆弱になると人材も確保できず、資産管理や問題発生時の対応も十分ではない。
そこで、「コンセッション方式(民営化)」の導入が論じられるようになった。
現在、全国の水道事業者の実に3分の1が、コストが利益を上回っている状態である。
また、水道料金の格差問題は深刻で、全国の自治体で水道料金が最も安い自治体と最も高い市区町村では、なんと8倍もの差がある。
コンセッション方式において、公的機関(発注者)は民間事業者(受注者)に対して「運営権」を売却して、それ原資に既存の債務を軽減できる。
つまり、財政負担なく、水道事業を運営することが可能になるが、この方式の受け入れについては、自治体によって賛否がある。
否定論は、民営化されても独占状態であることにかわりはなく、競争の原理は働かないのでメリットが少ないこと。
また民間が「営利目的」となれば、採算を理由にして、設備の保守や更新を怠りがちになること、などである。
世界に目を向けてみると、フランス・アメリカ・ドイツなど、多くの国と地域で水道の民営化がされた。
しかし、失敗に終わった例も多く、民営化後に「再公営化」したのは、32ヶ国26国にも上る。
また、料金は高くなったのに水質が悪化して訴訟問題にまで発展した地域もある。
ローマ帝国の崩壊を早めたのは、水道メインテナンスの崩壊ともいわれている。管理を怠った水が水道管を流れていくサマは、想像だにしたくない。

2016年、「保育制度」の充実を求める2万7千人余分の署名が、当時の塩崎厚生労働相に提出された。
きっかけは、保育所に子供が落ちた一人の女性の「怒り」のブログ「保育園落ちた。日本死ね」だった。
当時、保育所さえまともに作れずして、なにが総活躍社会だという思いからであろう。
また、「認可保育園」と「認可外保育園」の不条理きわまりない格差も、背景にあった。
パートやアルバイトで生活費を稼ぐ親の子供が認可保育園に入れなかった場合、認可外保育所に預けざるをえない。
もちろん良質な認可外保育園もあるが、「安かろう悪かろう」も多く、死亡事故も起きていた。
認可保育所は、認可外がもらうことのできない巨額の「施設整備費」を受け取っているため、園舎は立派で、園庭も大きい。それでいて、補助金のおかげで月謝の平均は約2万円と安い。
一方、都心の「認可外保育所」の多くは、雑居ビルで運営され、0歳児の月謝は6万~7万円かかった。
当然、認可保育所には黙っていても園児は集まる。園児が集まれば、それだけ多くの補助金が入ってくる仕組みなので、その経営感覚は一向に高まらない。
そして経済的事情もあり、保育所に入れない「待機児童」の存在が大きく浮上することになった。
待機児童がたくさんいることは、母親が仕事ができないばかりか、若い世代に「子どもを持つと大変」というメッセージを送ることにもなり、少子化を加速することにもなるからだ。
政府は「待機児童ゼロ」を掲げ、施設整備に力を入れて、2013年には自治体に対し、部屋面積や保育士数などの基準を満たす保育園について、経営主体にかかわらず積極的に認可するよう通知した。
そして、これまでにない急速な受け皿整備が進み、「待機児童数」が2020年春、約1万2千人と過去最少になった。
認可施設の定員は過去5年間で約46万人増え、待機児童の減少につながった。
その理由としてあげられるのが、自治体が独自の基準で認定して運営費も助成する保育園が「認証保育園」が増加したこと。国の基準を満たさない認可外園だが、入所できれば待機児童に数えない「準認可」施設として、都の認証園は2001年にスタートしたことがあげられる。
それに加えて「認可外」の「企業主導型保育所」が増えたことにある。
企業が設置する方式と、保育事業者が設置した施設を企業が利用する方式がある。主にその企業の従業員向けだが、地域の子供を受け入れることもできる。
全国の企業の拠出金を原資に、施設の整備には認可施設並みの補助金が出るので、2016年度の制度導入以降、待機児童解消の切り札と言われた。
その一方で、保育の質のばらつきが目立ち始めた。
待機児童解消のための保育施設の整備は待ったなしとはいえ、安心して子どもを預けられることが大前提である。
「企業主導型園」は制度開始当初、開設前の審査が書類のみで行われ、自治体との整備計画の調整もなかった。
また子どもへの虐待、補助金をめぐる不正などの問題が相次いだため、新たに厳格な審査や調査が求められている。
そんな急激な増加に審査や指導・監督体制が追いつかず、経験が乏しい事業者の安易な参入も指摘されている。
また、企業がつくるため、地域の保育需要とのミスマッチも目立つようになり、新たな「保育異変」を起こしている。
手厚い助成を受ける以上、質の高い保育や安定的な運営が求められるのは当然で、問題はそれをどう担保するかである。
実際、保育の「質」は長年の積み重ねで作るもの。一度作った保育施設は、子どものためにも簡単に閉められるものではない。
それなのに、事業継続の責任は、運営側の自助努力にばかり求められている。
大幅な規制緩和などで施設の増設を急速に促した今、利用希望者を超える定員数はあるが、需要が一部地域などに集中。現場では保育園と希望者のミスマッチが生じている。
横浜市は今春、市内の認可園や認定こども園計876園のうち、437園に定員割れがあった。
その理由で最も多かったのが、保育士不足や急な辞退者や退園者がいたなどの理由ではなく、入所希望者が少ないためだったという。
民間経営が多い保育園は統合が難しく、様々な施設が乱立し、利用者も経営者も混乱しているのが現状である。

今では想像さえできないことだが、日本では第一次世界大戦前には700あまりの電気事業社が乱立した。
満州事変ごろから電力の「国家統制」が強まり、10社による完全な統制、独占が行われることになった。
第二次世界大戦後、国家統制は解かれたものの1951年に今日の9電力会社が発足し、1988年に沖縄電力が加わり、10社によるほぼ「地域独占」が今日まで行われてきたのである。
今は生産者を消費者が選ぼうとする時代、価格や質ばかりではなく、同じ買うなら「エシカル」(倫理的)なものを買おうとする時代である。
ちょうど「有機栽培」で育てた野菜しか買わない人がいるように、「有機発電」の電力しか買わないというのがあってもいい。
ところで、電気は質に差はないことはない。まず、停電が少なく、周波数や電圧にムラがなく安定した電気が良質な電気といえる。
発電設備が余っていれば、発電した電気を買ってもらうために安くするが、足りなければ高くする。
そこまでは一般の商品と同じだが、電力の消費は発電とほぼ同時におこなわれるのだから、「貯蔵」も「買い控え」もできない。
従って、瞬間、瞬間で需要と供給がマッチしていなければならない。
アメリカでは1980年代に、「ガス供給事業者」が不況に陥ったために、その活性化のためにガス会社に発電させ、電力の発電部門に参加させたことによって、電力自由化への「風穴」が空いた。
そして1984年に、電力会社以外の「発電者」を認め、その電気を送電線にのせると同時に、その電気の購入を電力会社に義務付ける法律をもってはじまった。
この時、電気会社が発電者にはらう購入価格は、発電所のコストということで、結果として相当割高な値段になった。
さらに1992年、送電線をもっている電力会社に自社以外の発電事業者の電気を依頼されて送る、いわゆる「託送」を命令することができるようになった。
つまり、電力の自由化とは、発電業者の広がりと同時に「送電線の開放」ということである。
そして日本でも2000年3月び「電気事業法改正」をもって、「電力の自由化」が実際にスタートをきった。
これで、電気小売の「部分自由化」が明記され、「新規参入者(特定規模電気事業者)」は、電力会社が提供する「送電サービス」を利用して、電力の小売販売が可能となった。
ちょうど高速道路のように金さえ払えば誰でも「送電線」を利用できるようにしたということである。
気になるのが、「新規参入」電気事業者の顔ぶれだが、日本では、初期にダイヤモンドパワー(三菱系)、丸紅、旭硝子、新日鉄、エネット、などの9事業者である。
特にインパクトが大きかったのは、2000年春に初めての大口電力の入札が経済産業省で行われ、新規参入業者であるダイヤモンドパワーが、東北電力、東京電力を振り切って落札がなされ新たな時代の幕開けを予想させた。
つまり、一応使用電気よりも低い価格で落札し、「自由化」=「値下げ」を証明したカタチとなったからだ。
「電力自由化」には自然エネルギーへの転換というねらいがある。
風力、太陽光、水力、地熱、バイオマスなどの再生可能なエネルギー源を用いて発電された電気を、国が定めた「固定格」で一定期間(10年間)、電力会社が買い取ることを義務づけた。
これが2009年に始まった固定価格買い取り制度(FIT)で、買い取り価格を高めに設定すれば参入インセンティブが働くし、再生可能エネルギーで発電した電気はすべて買い取ってもらえるから安心して投資できる。
投資といっても、一般家庭の太陽光パネルを設置してで起こした電気のうち、家庭で使わなかった余剰電力はすべて買い取ってくれることになる。
ただ、電気会社は再生可能エネルギーの買い取りコストを電気料金に上乗せできる仕組みだから、高額な買い取り価格は最終的には消費者である1「国民負担」になってしまうのだ。
FIT導入後は太陽光発電の設備申請が急増し、再生可能エネルギーの9割以上を「太陽光発電」が占めるようになった。
確かに太陽光の発電コストは他の電源より高い。
国の試算(2014年)で石油火力は30~40円/kWh、LNG(液化天然ガス)火力で約13円。
原子力は約10円だが、廃炉などのコストを全部込みにすると倍の20円程度にはなる。
対して太陽光の発電コストは約30円だが、福島の原発事故をきっかけに世界的に太陽光発電の導入が進んだおかげで発電コストはどんどん下落している。
太陽光(産業用)の買い取り価格も12年度の40円から36円、32円、29円、24円と徐々に下がってきた。
しかし導入初年度に認可を得た事業者は10年間にわたって40円の固定価格で買い取ってもらえるのだからボロ儲け。
とはいえFITという制度が稼働しているかぎり、それが「全部国民負担」に転嫁されるというわけだ。
そして10年を経て、2019年、固定価格買取制度は終わり、太陽発電した家庭の多くはかつての「余剰電力」を自家消費にまわしている。
また最近では、「自治体小電力」の動きがある。
ところが、立ち上げたばかりの小規模の自治体新電力にとって、価格競争の中を勝ち残るのは容易ではない。
新規契約が増えず、収益が伸び悩み、地域還元に手が回らないというジレンマに陥る。
過去には、電気料金を割高にせざるを得なくなり、自治体が事業者へ支払った電気料金は不当だとして、一部市民が訴訟を起こす問題にまで発展したケースもあった。
自治体新電力を立ち上げる際には民間事業者とコンサル契約を結び、アドバイスやサポートを受けるというパターンがよく見られる。
立ち上げ当初は公共施設などへの電力供給で右肩上がりだが、それらのターゲットが頭打ちになれば、その後は新規市場を開拓しなければならない。
新規開拓がうまく進まず、売上は停滞する。利益が減っていく中でも、高額なコンサルフィーは発生し続けるため、結果として地域への利益還元が実現できないのが現状である。
新電力というジャンルに関する十分なノウハウを持ち、かつ自治体の課題を理解して共に地域おこしをしてくれる良き相談相手を持つか否かが、「自治体新電力」の明暗を分けるカギになるといえよう。

日本社会で、電力供給が迷走がちなら、「電波」(料金)も波乱含みである。
菅義偉首相は、総務相経験者でもあり「デジタル丁」発足や 政権の目玉政策に携帯電話料金の引き下げを掲げている。
菅首相が当時より問題にしているのは、「国民の財産の電波の提供を受け、携帯電話の大手3社が9割の寡占状態を長年にわたり維持して、世界でも高い料金で、20パーセントもの営業利益を上げ続けているということである。
これは、正論で国民もそれを望んでいることは確かだ。携帯料金が下がれば、その分を消費に回すことになるので、 日本経済にプラスの影響を与えることになろう。
ところで、時代をNTT誕生時に遡ると1980年代の「土光臨調」により、電信電話公社が分割民営化され、NTT(日本電気電信公社)から「移動体通信業務の分離」が決定し、それでドコモが誕生した。
ところがそのドコモは、KDDI・ソフトバンクに次いで業界3位。
菅首相就任のタイミングで、「NTTがドコモの完全子会社化」を発表した。
実は、政府より携帯電話料金の引き下げは業界への圧力があったが、ドコモはそれに意欲的に取り組もうとはせず、NTTはそれに対し業を煮やしていたのだ。
ドコモの完全子会社化で非上場にすれば、値下げに不満を持つ株主の声に左右されなくなる。
さらには、クラウドサービスを手がけるNTTコミュニケーションズなどもドコモ傘下に移す。
つまり、これまで共食いをしていたグループ内のムダを省き、より効率的な経営を実現できれば、「値下げ分」を補う資金が確保できる。
ドコモの値下げが、携帯料金の業界全体の値下げの起爆剤になりうる期待の一方で、「ドコモ口座」など電子決済サービスを悪用した預貯金の不正引き出し事件がおき、波乱含みの展開となっている。