旧約聖書に「あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」と記載された"王"がいる。
これだけ読むと神が栄光を表した偉大な"王"のように思えるが、実はその真反対の存在である。
それは、「出エジプト記」に登場するエジプト王パロ(ラムセスⅡ世)のことである。
紀元前13世紀頃、飢饉がおきてエジプトに寄留していたイスラエルの民が、いつしか奴隷の待遇を受けて苦しむに至り、神がイスラエルの指導者モーセをエジプトの王パロの元に送り、「イスラエルの民を去らせよ」と迫るように命じる。
しかしパロは幾度もそれを"拒絶"して、そのたびごとにエジプトで、イナゴが大発生したり、ナイル川が血の色に染まるなど、神のワザが現われる。
そしてパロは、エジプトを襲った疫病で息子を失うことにより、ついに「イスラエル人解放」の決断を下す。
この出来事の中で、聖書は、パロの度重なる”拒絶”の理由について意外なことを語っている。
「神がパロの心を頑なにした」(出エジプト記7章)というのである。つまり、パロがモーセの言葉に耳を貸さなかったのは、神がそのように仕向けたということに他ならない。
神はモーセを通じてパロに、「イスラエルを去らせよ」といわせながらも、当のパロの心をも頑なにさせ、その結果、神の力が次々に表われていき、”ヤハウエ”の名が諸民族に広まったのである。
そればかりか、「出エジプト」における奇跡と不思議は、その後に聖書を通じて全世界に言い広められたのである。
伝道者パウロは、人間を土の器にたとえ、「尊く用いられる器」と「卑しく用いられる器」とがあるということを「ローマ人への手紙」に書いているが、彼の分類でいえば「卑しく用いられた器」といえようか。
さて、パロに起きたように、人が”思う”のではなく、神が”思い”を起こさせるということは聖書の他の箇所にも書いてある。
「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」(ピリピ2章)。
その一方で、神の”対極的”存在であるサタンによっても、それがなされる場面がある。
それは、イエスの十字架の前夜「最後の晩餐」場面(ヨハネの福音書13章)である。
「イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、”よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている”。弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。
弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。
そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、”だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ”。
その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、”主よ、だれのことですか”と尋ねると、イエスは答えられた、”わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである”。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。
この一きれの食物を受けるやいなや、"サタンがユダにはいった"。そこでイエスは彼に言われた、”しようとしていることを、今すぐするがよい”。
席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった 」。
芥川龍之介の短編「羅生門」は、サタンがユダに入ったように、悪人とはいえない人物に「魔」が入り込む瞬間を、見事に描いている。
一人の下人が門の下に佇んでいる。平安京は衰微しておりその余波からか、下人は主人から暇をだされて、格別何もすることはない。
下人は何とかせねばと思うがどうにもならない。結局、餓死するか盗人になるか、と途方に暮れている。
そんな時下人は、門の階上で死体の髪の毛をむしりとる老婆をみて、ひとかたならぬ嫌悪と憎悪を抱く。
老婆は鬘にして売るのだという。
下人はそれを聞き、あらゆる悪に対する反感が湧き上がり、この時点では、饑死するか盗人になるかと云う問題でいえば、明らかに餓死を選んでいた。
しかし、下人に襟首を捕まえられた老婆は言う。この死んだ女は蛇を干魚だといって売り歩いた女だ。この女のした事が悪いとは思わない、饑死をするのじゃて、この女わしのする事も大方大目に見てくれるであろうと。
皮肉なことにこの言葉は、下人の心に今まで全くなかった勇気を与えた。下人は「きっと、そうか」と確認した上でこう云った。
「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ」。
下人は、すばやく老婆の着物を剥ぎとりしがみつこうとする老婆を振り払い、夜の闇へと消えた。
神もしくはサタンが人に働いて「思い」を起こすのなら、人間の自由意思やそれに付随する責任はどこまで認められるのか。その点につき、政治学者の国分巧一郎が紹介した「中動態の世界」が興味深い。
英文法で能動態と受動態を習ったが、驚くべきことは、かつての言語では、能動態と受動態ではなくて、能動態と中動態が対立していたという。
たとえば古典ギリシア語を勉強する時には、中動態の活用を学び、「受動」というのは中動態がもつ意味の一つに過ぎないのだ。
例えば、「謝る」や「仲直りする」は、「する」と「される」の分類では説明できないものである。
文の形式は「能動態」であっても、自分の心の中に「私が悪かった」という気持ちが現れないかぎり「能動態」にはならない。
だからといって「受動」で説明することもできない。もし、それを受動で説明しようものなら、それこそトラブルは拡大する。
人間は日常、それほど明確な独自の意思をもって行動しているわけではない。それが一番あてはまるのが消費行為。消費者は品物を買うように見えながら、実は買わせられてる面があるからだ。
今のように能動と受動でこれを分類するようになったことの背景には、「責任」という観念の発達があるからかもしれない。
「これはお前がやったのか、それともそそのかされたのか?」という取り調べを想起すればわかりやすい。
逆にいうと、今日という時代は、「中動態」が消し去られた世界ともいえる。
国分教授は、17Cのオランダ哲学者スピノザの思想が「中動態」で描かれた人物に関わっていることに注目し、「中動態」を研究し始めたのだという。
スピノザの世界観をまとめると次のようになる。
(1)世界は唯一の実体である神そのものであり、世界に現れていることは、すべては神という実体の変状である。
(2)真に原因であるのは、神のみであり、残りはすべて”中動態的”な出来事にすぎない。
(3)現実に生きている人間は自由な意思をもったり、束縛を感ずることがあるため、日常的な対象に「能動/する」と「受動/される」という表現を用いることが意味を失うわけではない。
スピノザの人間観は、ひとことでいえば、過去や現実の制約から完全に解き放たれた絶対的自由など存在しない。
たとえある人間が”恣意”にもとづいて行なったと思われるものも、その裏には”必然性”が貫徹しているということになる。
このような世界では、無からの創造としての自由意思の余地はなく、厳密にいうとそれによって伴う責任も生じない。
だが現実世界で、個人の責任を問うのは、世の秩序を維持するための”便宜”にすぎないということだ。
さて、悲劇「オイディプス王」は、古典ギリシア語で書かれ、”中動態の世界”を思わせる物語だ。
舞台は、古代ギリシャの都市テーバイで、同じギリシャのアテネとはライバル関係にあった。
そして物語は、テーバイ王ライオスが「アポロンの神託」を得るところから始まる。
もし、ライオスが妃イオカステとの間に男子をもうけたなら、ライオスはその子によって殺され、またその妃イオカステはその子に犯されるという恐ろしい信託だった。
ところが、ライオスは情欲に負けて、妃イオカステとの間に男子をもうける。
「神託」を恐れたライオスは、生まれたばかりの赤子の両方のくるぶしにピンを刺しとおし、牧人に命じ、山中に捨てさせた。
「オイディプス」は、「腫れた足」を意味する。
ところが、牧人はその赤子を哀れに思い、コリントスにいた羊飼いにあずけることにした。
その羊飼いは、コリントス王ポリュポスに仕えていたので、このことを王に話した。
こうして、赤子はコリントス王のもとで育てられ、子に恵まれなかったコリントス王とその妃メロペは、その子を実子のように育てた。
オイディプスは、コリントスの王子としてすくすく育つが、それを妬んだ友人に「偽りの子」とののしられる。
自らの出生を怪しんだオイディプスは、「アポロンの神託」にその真偽を問おうとするが、その答は得ることはできない。その代わり、彼が故郷に帰れば、父を殺し、母と交わるだろうと告げられた。
オイディプスは親と信じるコリントス王とその妃を心から敬愛していたので、予言が成就されぬよう、コリントスに帰らずテーバイに向かった。
旅の途中、狭い道で、オイディプスは戦車にのった老人の一行に出くわす。双方が道を譲らず争いになり、オイディプスはこの老人を殺してしまう。
そしてこの老人こそ、オイディプスの実父テーバイ王ライオスであった。
こうして、「第1の予言」は成就されたのである。
オイディプスがテーバイに着くと、町はスフィンクスの災難に悩まされていた。
スフィンクスは、女の顔に、ライオンの身体、鷲の翼をもつ怪物で、テーバイの国境に居座り、市民に謎かけ歌を歌い、解けないとそれを喰らうのであった。その謎かけとは、「声は1つながら、4本足、3本足、3本足となるものは何か?」。
オイディプスはその謎をみごとに解いた。「それは人間である。生まれたときは4本足で、成人して2本足になり、老いると杖をついて3本足となる」。それに驚いたスフィンクスは、崖から転落して命をおとす。
テーバイを災難から救ったオイディプスは、新しい王として迎えられ、死んだライオス王の妃イオカステを娶り、2男2女をもうけた。
つまり、実の母を妻とし、交わったのである。こうして「第2の予言」も成就された。
しかし、その事実に誰も気づくこともなく、テーバイの町は平穏に過ぎていく。
ところがある時、テーバイで疫病が発生した。大勢の人が死に、大地も家畜も人も、何も産まなくなった。
オイディプス王は、「アポロンの神託」を得るため、妃の弟であるクレオンをデルフォイにつかわした。
そしてクレオンはそこで驚くべき神託を得る。
「テーバイで、ライオス王殺しの犯人がまだ罰せられずにいるから、災難がおきるのだ。地の汚れを払うため、ライオス王殺しの犯人を罰せよ」。
やがて、盲目の予言者ティレシアスが呼ばれ、彼はオイディプス王こそがその犯人であると告げる。オイディプス王は、これは王位を狙うクレオンの謀略だと考え、予言者ティレシアスを追い返す。
そのとき、コリントスから使者が到着した。この使者は、昔、テーバイの牧人から受け取ったオイディプスをコリントス王に預けた羊飼いだった。
使者は、コリントス王が死んだので、帰国して王位に就くよう、オイディプス王に願い出る。
しかし、オイディプス王は、先の「アポロンの神託」が気がかりだった。
コリントス王は死に、父王を殺すことはないが、母と交わるという予言はまだ生きている。そのことを告げた上で、オイディプス王は帰国を断った。
それを聞いた羊飼いは、「自分がテーバイの牧人からオイディプス王を渡され、コリントス王に預けたのだから、コリントス王妃はオイディプス王の実の母であるはずがない」とうち明ける。
やがて、殺されたライオス王の一行で逃げのびた男が帰ってきた。彼はライオス王にオイディプスを捨てるよう命じられた牧人であった。
牧人は、オイディプス王こそ紛れもなくライオスの子であると告げる。期せずして次々と明らかになっていくオイディプス王の秘密。
悲嘆した母であり妻であるイオカステは寝室で首を吊って死んだ。
すべてを知ったオイディプス王は、自らの手で両目を突き刺して潰し、王位を退く。
オイディプスはテーバイを追われ、娘のアンティゴネに手を引かれ、諸所をさまよい、アテネ郊外のコロノスで死んだ。
この物語に見るように「中道態の世界」とは、人間は自律的な存在のようでいて、神の意思の下に動いているという世界観なのである。
ヨーロッパに広がったキリスト教社会では、ユダヤ人は「イエスを十字架に架けた」民族として差別されるが、地中海世界へのキリスト教伝道の最大の功労者であるパウロは、ヨーロッパで流布したそうした言説とは、まったく異なる意味づけをしている。
聖書における旧約と新約の違いは、旧い契約が「イスラエルの民」と結ばれたのに対して、新しい契約の方は広く「人類」と結ばれたということである。
いいかえると、神との契約の対象が選民たる「イスラエル(ユダヤ人)」から、ユダヤ人以外の「異邦人」に広がったということだ。
イエスが復活後に使徒にむけて語った「全世界に出て行って福音を述べ伝えよ」に応えて、使徒パウロやペテロの使命は、「救いの福音」をユダヤ人ではなく、むしろ「異邦人」に宣べ伝えることにあった。
「福音」とは、イエスの名により洗礼と聖霊を受けることで罪許されて救われ、やがて到来する「神の国」に入るということである。
この「十字架の死」で血を流すという「罪の贖い」がなければ、イエスの教えが福音となる「キリスト教」が成立することもなかったのである。
パウロは地中海世界の"異邦人伝道"に全力をそそぎ「ユダヤ人の救い」を忘れたかのようだが、パウロの本心は違っていた。
なによりも、パウロはベニヤミン族に属する生粋のユダヤ人でエリート律法学者なのだから。
「ああ深いかな、神の智恵と知識の富とは。そのさばきは究めがたく、その道は測りがたい」と前置きし、パウロはイエスを十字架につけたユダヤ人について次のような"驚くべき"ことを書いている。
「彼らがつまづいたのは、倒れるためであったのか。断じてそうではない。かえって、彼らの罪過によって、救いが異邦人に及び、それによってイスラエルを奮起させるためである。しかしもし、彼らの罪過が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となったとすれば、まして彼らが全部救われたなら、どんなにかすばらしいことだろう」。
そしてパウロは、「いくばくのイスラエルの心が鈍くなれる」時として、異邦人の(救い)の数が満ちた時、イスラエルがキリストこそ約束のメシアであることを悟り、キリストに立ち返る時が来ることを語っている(ローマ人への手紙11章25/26)。
パウロは、そのことを「顔覆いがとられる」(第二コリント人への手紙3章)とも表現している。
パウロの観点に立てば、「イエスの十字架の死」による”贖罪”は人類にとってどうしても必要なことであり、ユダヤ人は"過ち"を犯したというよりも、むしろな歴史的な"役割"を果たしたともいえる。
つまり、エジプト王パロの「かたくなさ」がユダヤ教成立の契機となったように、今度はイスラエルの民(ユダヤ人)の「かたくなさ」が、キリスト教成立の契機となったのである。
それ故、異邦人たる諸民族が"イエスの十字架"をユダヤ人迫害の根拠とするのは筋違いなことなのだ。