聖書の言葉より(神の愚かさ)

東京のランドマーク「六本木ヒルズ」に近い赤坂には巨大なビルと空間のコンプレックスがある。
全日空ホテル、サントリーホール、テレビ朝日社屋、レストラン・ショッピング街を有するアーク森ビルを含む「アークヒルズ」である。
このアークヒルズの一角「カラヤン広場」に流れる人工の滝の裏側に刻まれている言葉がある。
「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない」。
これは、新約聖書「ローマ人への手紙」の一節だが、これは、一代で世界最大の貸ビル会社を築いた株式会社森ビルの創業者・故森泰吉郎の座右の銘である。
森を支え動かした原動力は、この聖句にある「患難・忍耐・練達・希望」であったに違いない。
森が若き日に洗礼をうけた霊南坂教会もこれに隣接しており、かつて、三浦友和夫妻の結婚が行われた教会としても有名である。
ちなみに、「アークヒルズ」のアーク(ARK)とは箱船のことで、キリスト者であった森が、旧約聖書の大洪水を乗り切って救われた「ノアの箱船」の物語から得たコンセプトだ。
アダムとイブの「失楽園」以来、人間は堕落し地上には悪がはびこった。
ソドムやゴモらの町の滅亡がよく知られるが、死海の底にこれらの町は眠っている。
さらに神は「人間を地上から消し去ろう」として、神の前に正しいと思われるノアの家族のみを救うために箱舟を作らせることになる。
そして主人公ノアは、家族と共に巨大な箱舟をつくり始めるのだが、自分の仕事もせずに「巨大な箱舟」を作ることがいかに愚かしく見えることか。
大洪水が来るといっても、雲一つない青空をみて人々はノア一家がなさんとしていることを"あざ笑う"。
その状態は「大洪水が来る直前まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた」(創世記6)という言葉によく表われている。
このノアの家族の物語から、旧約聖書・詩篇第一篇の言葉が浮かぶ。
「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、”あざける者”の座にすわらぬ人はさいわいである。このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う」とある。
聖書の中には数々の名言があるが、個人的には次の言葉が時折、脳裏をよぎる。
「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」(Ⅰコリント1:25)。
一般的にはあまり知られていない言葉だが、世の中で「愚か」と思われるようなことの中に、神の叡智が秘められているということである。
人は一般に、自分が置かれている状況を不利にするよな愚かなことを避け、周りの評価を下げないように自分を守ることを第一とする。
イエスが「私につまづかない者は幸いである」(マタイ11章)とあるが、イエスの生き様はそれと真反対であり、常識人はつまづきやすい。

旧約聖書には、様々な戦いが記されている。
なかでも「ギデオンの三百」(士師記6章)の戦いや「エリコ」の戦い(ヨシュア記6章)は、その戦法において実に"愚かし気"なものであった。
イスラエルで王がおらず「士師」とよばれるリーダーがいた時代に、ギデオンとよばれる士師がいた。
敵であるミデヤン人や、アマレク人などが「いなごのような大群」で谷に伏していた。
それらの敵と戦うギデオンに対して神は、イスラエルの戦士の数を減らすように命じた。
その理由は、戦いの勝利が自らの力によるものとイスラエルが誇らないためだという。
そこで戦いに恐れを抱くものは即帰るようにいうと、2万2千人が帰っていき、残ったの者は1万人だけになった。
しかし神はそれでもまだ人数が多いという。そして、彼らを湖の水際に下らせるよう命じる。
その中で、手ですくって水を飲むものを選び、犬がなめるようにひざをついて飲む者を帰らせた。
つまり武器をいつでもとれる臨戦状態で水を飲んでいる者だけを選んだのである。
ひざをついて水を飲むものは武器を手離し、敵の不意の攻撃に対して警戒を怠っているからである。
そして、条件にかなう戦士を集めたところ、かろうじて300人。
しかし、いかに精鋭とはいえ、わずか300人だけでどうやって、「いなごのような大群」と戦うのだろうか、と思ったに違いない。
そして神がギデオンに命じた戦いたるや、実に風変わりなものであった。
ギデオンは300人を3隊に分け、全員の手に角笛とからツボとを持たせ、そのつぼの中にタイマツを入れさせた。
そして、真夜中の番兵の交代したばかりの時間、陣営の端に着いたギデオンが角笛を吹きならす。
すると全陣営、回りの百人ずつの三隊が一斉に角笛を吹きならし、つぼを打ち砕きながら「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫ぶというものだった。
そして各自が持ち場を守り、敵陣を包囲したのである。
そして300人が角笛を吹き鳴らしているうちに、陣営の全面にわたって同士打ちが始まったのである。
結局、ギデオンの勝利は神の働きと人の動きが一つになってもたらされたものである。
、 注目すべきことは、ギデオンの300人のエピソードの中には1人の英雄もいない。
ただただ「神の御名が崇められる」という点では「ベストの戦い」であったといえよう。
さて、イスラエルは出エジプト後にカナーンの地に帰還するが、それを率いたのがモーセの後継者ヨシュアである。
そしてヨシュアが最初に攻撃したのはエリコの町である。我が幼少の頃、「ジェリコ」という戦争映画をTVで見たが、エリコの英語読みが!ジェリコ”で、”難攻不落”を象徴する言葉である。
聖書では、ヨシュアは神の命令にしたがって、城を囲んで6日間ラッパを吹き鳴らして周囲を回り7日目に全員が一斉に雄たけびを上げると、この難攻不落の城壁が突然崩れ落ちたのである。
現代人は、ばかばかしいとと思うかもしれないが、考古学者によるエリコの発掘はむしろ聖書の記述の正しさを証明する結果となった。
この城壁が異常な力の加わり方で、一瞬にして崩れ落ちたことが判明した。
しかもその力が横からではなくて、上方から力が加わっているのである。
発掘現場から見えてくることは、難攻不落の城がいとも簡単に崩れてしまったということである。
一般に、戦(いくさ)では大概手柄をたてたり英雄が現れるのに、エリコの戦いには一切それがなく、神のみが崇められるという戦いであった。
しかし、人間は神よりも英雄を求める存在のようである。自ら英雄になりたいという願望がそうさせるのかもしれない。
思い出すのは、イエスの十字架の最後の場面で民衆はイエスを赦すのではなく、暴動の指導者であるバラバを赦すことを選んだ出来事である。
結局、イスラエルの民衆は神が預言者を通じて導かれる戦いではなく、「王が裁きを行い、王が陣頭に立って戦う」という行き方を求めた。
そしてBC11C頃にサムエルという預言者が現れ、民衆がもしも王を立てることを求めるならば、息子や娘を兵役や使役にとられたり、税金をとられたち、奴隷となることもあり得るとそのデメリットを語ったが、民衆は聞き入れなかった。
さらに預言者サムエルは、”王政”について「また、あなたがたの羊の十分の1を取り、あなたがたは、その奴隷となるであろう」と預言している。
それでも民はサムエルの声に聞き従うことを拒んで「いいえ、われわれを治める王がなければならない。われわれも他の国々のようになり、王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである」(サムエル記上8章)」と応じている。
サムエルは民の最終意思を確かめ、「民の声」をとりなして神に伝えた。
すると神は、「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい」と答えている。
こうして「王制」が始まるのだが、神はサムエルを通して、彼らが退けたのはサムエルではなく、”神”が彼らの上に君臨することを退けたのだと、応えた。
つまるところ、イスラエルの民が他のすべての国々のように王を望んだのは、自分たちの上に君臨し守り導く主なる神への揺るぎない信仰ではなく、自分たちの”武力”により頼んで行こうとする「不信仰」を表すものである。
それは民衆の「我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかう」という言葉にも表れている。
さて1990年代の日本の政治で、小沢一郎が著書「日本改造計画」の中で使った「普通の国」という言葉を思い出すが、イスラエルは、ギデオンの時のような「主の戦い」ではなく、英雄を求め、武器や馬に頼る普通の国に転じていく。
そしてサムエルは、「その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない」と預言する。
実際、イスラエルの民衆は「王」によって、様々な辛酸をなめることにもなる。
サムエルが神の言葉によって立てた最初の王サウル王は、「若くて麗しく、イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はなく、民はだれよりも肩から上、背が高かった」(サムエル記上9章)。
ある戦いで、サウル王が逼迫した戦況のため、預言者サムエルが来るのを「待ちきれず」に燔祭を行う。
これは預言者がすることで、国王がすることではなかった。それは「民の声」に動かされた可能性が高いのだが、それ以後、サウルがなすことはことごとく裏目に出て、精神的にも狂ってしまう。
預言者サムエルはサウル王に「あなたの王国は続かないであろう。主は自分の心にかなう人を求めて、その人に民の君となることを命じられた。あなたが主の命じられた事を守らなかったからである」(サムエル記上13章)と預言する。
そしてサウル王の後、ダビデ王とソロモン王の全盛期を迎えたが、成立した王国はわずか数十年で分裂し、北のイスラエル王国は分裂後、ちょうど200年目のBC722年に滅び、南のユダ王国はBC587年に滅び、ダビデの家の支配が終わる。

人間に越えられないハードルというものがある。越えられないならクグレばよさそうだが、そんなことはとても出来ない、というのが人間の心情。
そんなエピソードが、旧約聖書「列王記下5章」にある。紀元前9C頃のお話、スリヤ配下のナアマン大将は、その主君に重んじられた有力な人であった。
しかし彼は戦場における大勇士であったにもかかわらず、らい病を患って悩み苦しんでいた。
そんな時、スリヤ人がイスラエル側から捕らえた一人の奴隷の少女が、ナアマン大将の妻に仕えていた。
そのイスラエルの少女がいうには、イスラエルにはひとりの預言者がいて、その預言者のもとにいけば、 主人の病は癒されるだろうにというのだ。
しかし、ことはそう簡単ではない。なにしろ他国の預言者であるからだ。まずは、双方の国王の許可が必要となる。
そこでナアマンが、スリヤ王にそのことを相談すると、スリヤ王は彼のために便宜をはかり、イスラエル王にナアマンの病を癒してほしいという旨の文書を渡して、ナアマンを送り出した。
ところがイスラエル王はその手紙を読み、自分に人を殺したり生かしたり出来るはずもないのに、ライ病人を自分によこすというのは、スリア王がイスラエルに何かハカリゴトを仕掛けようとしているのではなかと警戒した。
ところがナアマンの病のことが預言者エリシャに伝わると、エリシャはナアマンを早速自分の元によこすよう語った。
そこで、ナアマンは馬と車とを従えてきて、大預言者という評判のあるエリシャの家の入口に立った。
ナアマンにすれば、ベストのカタチを整えてやってきたといってよい。
ところが預言者エリシャは、ナアマンに会おうとさえせずに使者を遣わして、「あなたはヨルダンに行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの肉は元に返って清くなる」と語った。
それは、ナアマン大将に対して、アマリにも素っ気ない対応であった。
ナアマンは自分の地位からして、エリシャ自身が出てきて、何か特別の業を持って病を癒してくれるだろうと期待していたのである。
聖書によれば、ナアマンはその時の心情を次のように吐露している。
「私は、彼がきっと私のもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、その箇所の上に手を動かして、らい病を癒すだろうと思った。ところが川で七回身を洗えという。わが国にもイスラエルの川以上の川がある。その川で身を洗って清まる事が出来ないかと不平をいった」。
そしてナアマンが怒って立ち去ろうとした時、しもべ達がナアマンに近寄って、ご主人(ナアマン)ぐらい重い病気にかかったらどんな難しいことでもしなければならないのに、川に入って水を浴びるくらい簡単なことではありませんか、と諭したのである。
そこでナアマンはようやく気持ちを切り替えることができ、エリシャの言葉どうりに七度ヨルダンに身を浸した。すると、その肉がもとに返って幼子の様になり、清くなったという。
ちなみに、エリシャは他国の英雄ナアマンを癒してスリア国を利し自国イスラエルの国益に反しているようであるが、それは当時の観念からすれば違う。
イスラエルに「真の預言者」がいるというメッセージは、下手な手出しはできないという安全保障となるからである。
それはエリシャの「スリアはイスラエルには真の預言者がいることを知るだろう」(列王記下5章8)という言葉からも推測することができる。
さて、このナアマンがツマヅキそうだった「愚かしさ」の罠と同様な体験を、新約聖書の人々に見いだすことができる。
この人々とはガリラヤの漁師達で、ナアマン大将に比べてはるかにたやすくその「愚かしさ」の挑戦をクリアすることができた。
イエスがガリラヤ湖のほとりで説教をし終えたころ、仕事を終えたばかりの漁師たちが船着場で片づけをしていた。
そしてイエスが問うと、シモン・ペテロが「夜通し働いたが、何一つとれませんでした」といった。
そしてイエスが、「もっと深みに漕ぎ出だして網を下ろしてみなさい」といった。
シモン達は長年漁師をしてきた体験から、イエスのいうことが「愚かな」ことに思えたかもしれない。それは、信仰か、自身の体験かを試されたかのようである。
そしてペテロは「お言葉ですから」とイエスの言葉どおりに、深みに漕ぎ出だして網をおろしてみた。
すると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになったのである。
その時の漁師達の反応は、単なる大漁を喜んだというものをはるかに超えたものであった。
「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」(ルカ5)とひれ伏したのである。
最後に、「神の愚かさが人よりも賢い」ことを示す、次のような言葉がある。
「すなわち、聖書に"わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする"と書いてある。 知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである」(Ⅰコリント1章)。