旧約聖書「詩篇」には、数多くのダビデ王の詩が含まれ、その中で最も有名な詩が23篇である。
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの”魂をいきかえらせ”、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、
わたしのこうべに油をそそがれる」。
さて、多くの観光地で、コロナ禍のために観光客が遠のいている。
奈良公園といえば、多くの鹿が公園内を歩き、観光客も売店で煎餅をかって鹿に与えるのが名物なのだが、客足は遠のいている。
ここで「売りもの」となっているのが「鹿煎餅」で、小麦粉と米ぬかが原料となっている。
与えるものがいなければ、鹿はどうしているのか、さぞや腹をすかしているのではないかと想像したら、人間には見向きもせず無心に草を食べており、けして食料不足というのはあたらない。
ただ、エサを探す範囲が広がっているのは確かだ。
野生動物の鹿は本来、芝や木の実といった公園内にある主食でまかなえる頭数しか生き残れないので、遠出がいつもより多いとすれば、人という防波堤が減ったことが理由の一つと考えられる。
コロナ禍で人間が行動を抑制している分、動物たちが元気になっていることは世界中で報告されている。
鹿の前歯は下アゴにしかないが、硬く発達した上アゴの歯茎と下アゴの前歯で草を引きちぎる音があちこちから聞こえてくる。
ニュースによれば、鹿は自ら草を求めて広範囲に移動し、草をニレハンデ(反芻)食する鹿本来の姿に戻っており、来年は子供も多く生まれることが期待できるという。
詩篇23篇に「わたしのこうべに油をそそがれる」という言葉があるが、この油は、”オリーブ油”を指し、イスラエルでは、葡萄酒と同じくらいに生活には無くてはならないものであった。
実は、このオリーブ油に多く含まれる「ある成分」が注目を集めている。
カナダには、マイナス50度以下という過酷な大地で 狩猟生活を続けてきた先住民族がイヌイット。
彼らの狩りのターゲットはアザラシ、トナカイ、さらに溶かしたクジラのアブラをたっぷりつけて食べのがイヌイット流。
摂取カロリーのなんと7割がアブラ。普通なら体は太り血液はドロドロで、心臓病や動脈硬化も招いてしまうが、イヌイットの人たちはいたって健康だし、太ってもいない。
あるアメリカの生理学者が、イヌイットが食べているアブラの成分を徹底的に調べ、彼らの健康の鍵を握るアブラを見つけた。それが、「オメガ3脂肪酸」で、オリーブ油に多く含まれる成分である。
我々の全身の細胞はアブラの膜で覆われているが「オメガ3脂肪酸」は、その大事な細胞膜の材料となる特別なアブラの一つである。
電子顕微鏡で観察すると、曲がったかたちの「細胞」をもつ「オメガ3脂肪酸」が入り込むと、棒状の物質がくっつき合う部分が少なくなる。
すると 摩擦が減って動きやすくなり細胞膜が 柔軟に変形しやすくなる。
例えば、血液を全身に届ける血管の壁の細胞。「オメガ3脂肪酸」が多いとしなやかに伸縮でき血流がよくなる。
クルミとかエゴマなどにも含まれるこのアブラは、動脈硬化の予防であったり認知症の予防に有効という研究成果が報告されている。
実はこの「オメガ3脂肪酸」の弟分にあたる「オメガ6脂肪酸」も大きな役割を果たしている。
ただ、この弟分はやんちゃ坊で、兄貴がいないと色々と問題を引き起こす。
「オメガ6脂肪酸」は、大豆油やコーン油などいわゆるサラダ油に多く含まれていて、「オメガ3脂肪酸」と同じく全身の細胞を覆う細胞膜の材料となる体に欠かせないアブラで、ウイルスや病原菌などから体を守るという重要な役割を果たしている。
オメガ6は、悪者と戦う白血球に触れることで「攻撃せよ!」という命令を伝えると 白血球が病原菌をやっつけ始める。つまり 体を守る防衛隊長のような役割を果たす。
そんな頼もしい「オメガ6脂肪酸」だが、サラダ油のほかに鶏肉・豚肉・牛肉のアブラにも多く含まれている。
ところがこの「オメガ6脂肪酸」が体の中で増えすぎると大問題が起きる。
白血球が大暴走し、敵ではない自分の体の細胞まで痛めつけてしまうのだ。
実は そんな時にも役に立つのが兄の「オメガ3脂肪酸」で、弟の過剰な攻撃指令にブレーキをかけ白血球の暴走を鎮める働きもしている。
アクセルを踏むオメガ6と、ブレーキをかけるオメガ3、この2つが常によいバランスを保っていることが、我々の健康にとって重要なのである。
世界的にも有名な福岡県の「久山町研究」、この町の年齢別人口構成が日本全国のそれとほぼ一致していることから、様々な医療データの宝庫となっている。
久山町の40歳以上の町民 3000人を対象に血液中のオメガ3とオメガ6の割合を詳しく調査したところ、心臓病による死亡リスクとの間に驚きの関係があることがわかった。
オメガ3とオメガ6の割合がおよそ1:1から1:2までの間は病気のリスクは低いままだが その割合を超えてオメガ6の方が多くなると、急速にリスクが高まっていくことが分かった。
つまり 兄のオメガ3ひとりで抑えられるのは、弟のオメガ6は せいぜい2人までということである。
実はここで問題なのは、我々が口にするアブラのほとんどに「オメガ6脂肪酸」がたくさん含まれているということ。
すると、白血球に誤って大事な血管の壁まで攻撃させ知らぬ間に動脈硬化を進めてしまう危険性が高まることになる。
欧米型の食事が多い10代から20代の日本人は食事からとっているオメガ3対オメガ6の割合が1:10にまでなっているといわれている。
実際、我々が食する牛肉は、そのエサによって大きな成分の違いが現れる。
トウモロコシなど穀物を食べて育った牛と、ほとんど牧草だけを食べて育った牛とを比較してみると、それは食感だけでなく、脂身に含まれるオメガ3とオメガ6の割合がまるで違っている。
牛本来の食べ物である牧草で育った牛はオメガ3とオメガ6の割合がおよそ1:2では トウモロコシをエサとしている牛はオメガ6が 多く含まれている。
最新の研究で興味深いことが分かってきたことは、ほとんどの動物はその動物本来の自然な食べ物を食べていると
体内のオメガ3とオメガ6の割合がおよそ1:2で、理想的なバランスに保たれている。
メカニズムはまだよく分かっていないが、この比率こが自然の摂理というもののようだ。
とすると、狩りをして野生動物を食べていた頃の人類も、この自然の摂理にのっとり理想的なアブラのバランスを
保っていたと考えられる。
およそ7万4千年前、想像を絶する巨大噴火が起きたのは、ばく大な噴出物が地球の大気を 長期間 覆い尽くし
平均気温は12度も低下。
火山の冬と呼ばれる 急激な寒冷化が起き、その影響で多くの動植物が死に追いやられた。
アフリカ中に広がっていた人類の祖先は食糧難で絶滅の危機に追い込まれた。
そんな大ピンチの中、巨大噴火の難を逃れた海の生き物たちを食料にして祖先たちは命をつないでいた。
これら 海の幸のどれにもたっぷり含まれていたのが「オメガ3脂肪酸」である。実はこの時、命のアブラが海辺の祖先に思わぬ大躍進をもたらした可能性が見えてきた。
今も海の中では、イワシとかサンマとかサバなどの青魚やマグロに含まれるというEPAとかDHAなどのドコサヘキサエン酸。それこそがオメガ3脂肪酸なのである。
大量のオメガ3を摂取したおかげで祖先の脳では 神経細胞の高度なネットワークが 急速に発達。
人類に高い知性と文化を生み出す原動力になった。
そして海辺の祖先たちは、やがてこの地を旅立ち広い世界へと進出していったのである。
ところがあるころから人類は道を踏み外していく。それを物語るのが3500年ほど前古代エジプト時代の王族のミイラである。
およそ50体のミイラの体内を詳しく調べたところ、半数からこれまで現代病と思われていた動脈硬化が見つかったのである。
その後も人類は おいしさを求めてますます オメガ6が過剰な食生活に突き進んでいく。
とにかく、太らせていっぱい食べる部位を増やそうということになって、おいしいアブラが食を豊かにした一方で我々は知らぬ間に自然の摂理から外れたアブラに取り巻かれることになっていくことになる。
実は、生まれたあとに与えられる母乳にも母親の体に蓄えられた「オメガ3脂肪酸」がたくさん溶け込んでいる。
存亡の危機に追い込まれた人類を一気に飛躍へと導いた「オメガ3脂肪酸」。そんな特別なアブラが今も命と知性を支え続けている。
旧約聖書の中に「聖い動物」と「聖くない動物」とがある。聖い動物は、人の「食べ物」や神への「捧げもの」に適う動物で、ヒズメの分かれ、にれはむというのがその条件となっている(レビ記11章)。
こうした「食べ物」の規制は、新約の時代にキリスト教の「救い」が異邦人に伝えられるに及んで廃棄されたが、ユダヤ教の中ではいまだに生きている。
羊や鹿は、上記の二つの条件にかなう「聖い動物」にあたるが、旧約聖書にでてくることがらは、新約聖書の型であること多く、これらの条件がどうして「聖さ」に繋がるのかが長年の疑問だった。
最近NHKの「動物番組」で、「反芻する」ことの生物学的な意味が説明されていた。
それは、草食動物は草ばかり食べてなぜあのように大きな体になり、サバンナの中で生きていけるのか、ということと表裏一体の疑問であった。
実は、牛や馬は「草の栄養」で成長しているわけではない。
草食動物は胃の中にバクテリアを飼っており、草は体内に生息しているバクテリアを繁殖させるための「媒体」に過ぎない。
発酵が進んだ草を「反芻」するうちに、草を養分にバクテリアが動物の体内で「爆発的」に増殖するのだという。
牛や馬などの草食動物は、実はバクテリアつまり「動物性タンパク質」を消化吸収することで、大量の栄養を得ているのである。
ところが、アメリカの「食糧メジャー」とよばれる大企業がやっているように、牧草にかえて経済的に安価な飼料であるトウモロコシが与えられ続けると、どうなるか。
バクテリアは突然変異を起こして、「O157」などのウイルスに変っていくという。
この話、新約聖書にある「パンを求めるのに石を与える」とか、「魚を求めるのにへびを与える」とかいう譬えを想起させる話(マタイ5章)である。
したがって、こうした新型の「ウイルス」は、人間が自然界のおきてを踏みにじって「経済的な富」を追いかけた結果、飼育場で発生させたものである。
反芻動物は、自分の食べ物になるバクテリアを胃に飼っていて、それに植物のエサを与えていることになる。
胃に共生しているバクテリアこそは、反芻動物にとって大切なエネルギー源となっている。
信者は内に宿る「聖霊」を、神の言葉を「反芻」することによって活発にして生きていく。
神の言葉こそが糧であり、それはイエスの「人はパンのみに生きるにあらず、神のひとつひとつの言葉で生きる」(マタイ4章)という言葉にも符合する。
パウロは新しい教えを広める「疫病(ウイルス)のような輩」との評を受けたが、ノーベル賞の発端となった「ダイナマイト」は、「聖霊」と関係の深い言葉である。
ギリシア語で「デュナミス」は「力」を意味する言葉だが、新約聖書には聖霊の力として、「デュナミス」という言葉が溢れている。
例えば、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」(使徒行伝1:8)とあるが、
この「力」こそが、ギリシャ語の「デュナミス」なのである。
そればかりか、この言葉の派生語が「ダイナマイト」にもなっている。
さらに、詩篇23篇にある”油そそがれる”とは、聖別されるという意味で、「キリスト」という言葉の語源となっている。
結局、「反芻する」こと、「油そそがれる」こと、いずれもやがて来たるべき”救いの型”を指し示しているのである。
新約聖書には、「信仰とは目に見えぬことを確認すること」(へブル11章)とある。
そうした信仰を抱いた「雲のごとき証人たち」の代表格であるアブラハムは、メソポタミアのウルにいた頃、ある時神様からこう告げられる。
「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように」(創世記12章)と。
そしてアブラハムはこの神の御言葉を信じて信仰の旅に出た。
神様が約束して下さったのだから、たとえ途中にどんな困難が待ち受けていても、神様が必ず成し遂げて下さるという確信を持っ進んでいった。
アブラハムには、あたかも「幻(まぼろし)」を抱き続けたといってよい。
またヨセフは、兄弟に裏切りられ、荒野の穴の中にヨセフ放置されながらも、商人に拾われてエジプトの宰相となった。
しかし、王の妻の誘惑を拒否したことから11年も牢獄に入られれるが、ヨセフの最大の特質は、「夢見る人」。
ヨセフは、苦難に満ちた人生を歩んでいるようだが、実際は幻や夢によって神に絶えず励まされた人だった。
さて冒頭の「詩篇23篇」とは対照的に、聖書には「牧者のいない羊」という言葉が見受けられる。
例えば、モーセは自分の死を予感して、次のような祈りをしている。
「命の神、主よどうぞこの会衆の上に一人の人を立て、彼らの前に出入りし、彼らを導き出し彼らを導き入れるものとしてください。神の会衆を”牧者のない羊”のようにしないでください」(民数記27章)。
さらに新約聖書では、「イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気・患いを癒した。
さらに、群衆が”飼う者のない羊”のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた」(マタイ7章)とある。
さて、聖霊は様々なカタチで顕れる。「わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る」(ヨエル2章)とあるとおり。
実際、「主行わば誰かとどむるをえん」(イザヤ43)という力強い言葉がある一方、「幻なき民は滅びる」(箴言28章)という言葉がある。
預言も夢も幻も示されず、人々はただ思いのままに生きる他ない「御言葉の飢饉」(アモス書8章)の時。
それを現代に置き換えると、一国の指導者に民を導くいかなるビジョンも描けないということだ。