元プロレスラー

1980年代後半、安部譲二の「塀の中の懲りない面々」という本がブームとなった。
プロレスのリングの中にも、ひとかたならぬ破天荒な面々が存在する。
少し古い話だが、”SEKAI NO OWARI”のステージなどに登場する「パラパラ動画」が人々の感動を呼だ。
制作者は「鉄拳」という人物だが、プロレスのマスクをしているので、その実像は見えない。
元々漫画家志望で、初期の作品があるコンクールで入選したものの、次が出ず漫画家の夢を断念した。
高校卒業後は二番目の夢であったプロレスの世界を目指して、FMW(超戦闘プロレス)に入団がかなうが、レフェリーとしての採用だったことにガッカリ。まもなく退団する。
次いで俳優の世界に挑戦。1995年に劇団東俳に入団するものの、滑舌の悪さははなかな修正できず、こちらも退団する。
そこで、自分の挫折の繰り返しを逆手にとって、「滑舌の悪いレスラーの格好をしたゴツイ男が得意の絵を活かして芸をしたらどうだろう」と考え、芸人の世界に飛び込んだ。
独特の風体のお笑い芸人「鉄拳」として活動を始め、ある程度人気を得ることができた。
その後、個人事務所「鉄拳社」に籍を移すが、唯一のマネージャーの退社で、全ての仕事を一人ですることになってしまう。
そのうち、体を壊して8か月間休養することになった。
そこで、マネージャー不在を解消するために吉本興業へ移籍するが、周りのスゴサに圧倒され、芸人としての自信を失い、2011年夏に芸人を辞めることを決断する。
芸人引退を胸にしばらく仕事をこなしていたら、芸人がカラオケ・ビデオにパラパラ漫画を描くという企画があった。
他の芸人がドタキャンし、急遽絵の描ける芸人としてオファーが入り、なんでもいいいと受けた。
ところが、これがテレビのプロデューサーなどの目に留まり、「パラパラ漫画家」としてテレビ出演が増え、芸人廃業を撤回するに至ったという。
芸人の「鉄拳」が世に広く知られたきっかけは、イギリスのロックバンドMUSEの楽曲「エクソジェネシス(脱出創世記):交響曲第3部(あがない)」をバックに、左右に揺れる振り子の中に夫婦の半生をマジックペンで描いた「振り子」であった。
それが、日本国内のみならず海外を含めて一躍注目を集めることになり、逆に「振り子」の映像が「エクソジェネシス(脱出創世記):交響曲第3部(あがない)」の公式プロモーションビデオに採用されるに至り、全米・ヨーロッパなど世界各地で配信された。
そして、鉄拳のペーソスあふれる「パラパラ動画」は、多くの人々の心をとらえた。また「鉄拳」のような変転人生だったからこそ、「パラパラ動画」の感動をつくったといえる。
その限りでいえば、その人生に一点の無駄もなかったということだ。

ケンゾウ(鈴木健三)は、恵まれた体格を武器にラグビー選手からTV局の営業マンになり、世界的レスラーにまでなった人物である。
そこまではアルアルとしても、奥さんまで巻き込んで、女性レスラーになってしまった。
ケンゾウはラグビー部に所属していて日本代表の予備軍日本代表Aに選出されるほどで、「ラグビーマガジン」表紙を飾ったことがある。
奥さんのヒロコ(水野浩子)とは同じ明治大学で、放送部に所属しケンゾウを取材したのが出会いのきっかけ。
2人はそれぞれに希望の就職先がテレビ局で、見事別のテレビ局に入社する事ができた。
就職してから1年経ったある日、アメリカにいたケンゾウからヒロコに電話があり、いきなり「プロレスラーになるから」と言ってきた。
夫ケンゾウがどうしてプロレスラーになってしまったのか。それはヒロコの知らないところでとんでもない奇跡が起こっていた。
ある日、ケンゾウがスーツを仕立てにいき、たまたまお店にあったプロレスのカレンダーを見ていたところ、その姿を見たスーツ屋の店長がおもむろに誰かに電話をした。
その相手がなんと プロレス界のレジェンド坂口征二だった。
ケンゾウは、たまたまプロレスのカレンダーを目にしただけなのだが、この店長からすれば身長191センチその時の体重が120キロというガチマッチョな体形の男性がプロレスに興味を持っていると思い込んでしまったという。
そしてお店の常連の坂口に、こんな男が店に来ていると報告した。
するとケンゾウは、坂口に会う事になり、すぐさまスカウトされたのである。
ケンゾーが坂口の大学の後輩だったということもあり、 猛烈ラブコールを受ける。
ケンゾウは安定したサラリーマンの道とプロレスラーの道との2択で迷うが、ケンゾーにはひとつのポリシーがあった。
迷ったって時は やりたい方を選ぶということ。脱サラしてプロレスラーになることを決めヒロコへ正式に伝えたというわけだ。
ケンゾウは入社してわずか1年にして「新日本プロレス」にいり、ヒロコも夢だったアナウンサーを辞めて東京へ引っ越してきて、二人はめでたく(?)結婚をする。
その後、ヒロコはケンゾウの恐るべき”破天荒ぶり”を知ることになる。
ケンゾウは当初”プロレス闘魂三銃士の橋本真也”の付き人をやっていたが、この付き人時代に 数々の事件を巻き起こしていた。
付き人なので 本当は「もうすぐ出番ですよ」とか「橋本さん次の試合です」とかって「ガウン着てください」とかやるのが役目だが 橋本がテレビ見てると 一緒にテレビ見入ってしまう。
すると出番が来ているのを知らせるのことを忘れて、「橋本さん もう音楽鳴ってます」なんということは、一度ならず何度もあった。
さらに、入場が始まるとすごい遠くからケンゾーが「橋本さん 忘れてます!」と声がかかり、途中まで花道出てあわててガウンをとりに戻ってくるなどの恰好の悪いこともあった。
ところが、ケンゾーはプロレスラーとしてはすごかった。デビュー後4カ月でタイトルを獲得する。
集中力がすごいく、ゾーンに入ってしまうとすごく格好よく、しかも華があった。
そして3年後別の団体へ移籍するが、ケンゾーとヒロコの2人にとんでもないピンチが訪れる。
なんと移籍後、興行主にお金を持ち逃げされて資金ゼロになってしまった。
いわゆる崖っぷち夫婦になって、貯金を切り崩してなんとかしのいだ。ヒロコは経済の苦しさは、自分だけに収めて出来るだけ”普通”を装っていた。
しかし、ケンゾウは、金もないのにまたもや”無茶”を言い始める。
それまではカナダを拠点にしていたが、WWEというアメリカ発の超人気プロレス団体をめざすという。
そして、ケンゾウのポリシーに従って安定より”攻める”ことを選んで、世界一の団体に決死の売り込みをする。
売り込むにも金がないので、WWEがニューヨークでショーがある日を見付けてその前後を5日間ツアーに行った。
当然のごとく、門前払いを食らってしまう。ところが、ケンゾウは片言の英語で熱い気持ちをアピール。もうこれが最初で最後のチャンスなんだというような事を一生懸命語って 強引にセキュリティーを突破してしまう。
さすが、元ラグビー選手だが、何を思ったかケンゾウ、着てるものを脱ぎパンツ一丁でうろつく。
やばいヤツがいると警備員が来て、騒ぎを聞き付けたWWEの社長が見にきた。
社長が来たら、お得意の全力アピール。 するとまたもや情熱が伝わった。
社長はケンゾウを気に入その日の 前座の試合に出場が決定した。
その場で契約し、契約の支度金として500万円をその場でもらったという。
ケンゾウの破天荒すぎる行動力で奇跡的に世界的プロレス団体と契約が成立したのだった。
しかし、ケンゾウのアメリカデビューに当たってある問題が浮上する。WWEでは”ディーヴァ”というキレイなモデルが一緒に出場することになっている。
難航する会議の中で、WWEの社長にひとつのアイデアがひらめいた。それはヒロコではどうかというものだった。
プロレスド素人のヒロコが笑って断ろうとしたところ、ケンゾウが生涯で”最大級の奥さん振り回し”を敢行する。
なんとオーケーをだして、社長と抱き合っているではないか。
そればかりか、「東スポ」に電話して"日本人初"と銘うって自分で写真撮って送ってしまった。
元ニュースキャスターだったヒロコは、全然乗り気ではないのに、白粉を塗って着物を着て「ゲイシャガール・ヒロコ」として夫と共ににアメリカでプロレスデビューをすることになる。
WWEのディーヴァはけしてお飾り的存在ではなく、相手選手やディーヴァを襲ったり襲われたり、マット上で取っ組み合ったりもする。
しかしヒロコは、デビュー戦を迎えある気持ちの変化に気付く。相手選手からラリアットを食らって観客が「ウオォ~!」と盛り上がった瞬間、自分でも気がつかない感情がメラメラと沸き起こった。
そして、何を言ったら相手もしくは観客に嫌われるかとか、どんどん湧いてきて口からでてくる。
リングの袖に帰ると、「天性の悪役だ」と、エージェントに褒められる。
大人気になったヒロコに、目つぶしの必殺技が生まれた。人よんで"ニンジャパウダー"。
白い粉で目つぶしを食らった相手がひるんだ隙に、蹴りを入れたりする。
ところが人気も絶頂で夫のために頑張っていたヒロコに、ケンゾウが再び破天荒発言を繰り出す。
子どもが3歳になった時、「地方議員をやりたいって言っていただろ?」というのだ。
ヒロコが長年温めていた夢を、夫はよくぞ覚えていてくれた。
ケンゾウにしてみれば、ずっと振り回してきたヒロコへの恩返しのつもりだったという。
そして、「ゲイシャガール」ヒロコは、船橋の市議会議員選挙に出馬を決意し、ケンゾウも選挙を全力でサポートした。そしてヒロコは、見事に当選する。
現在は千葉県議だが、”天性の悪役”のヒロコが地方議員で留まっていてはもったいない気がする。
国政の舞台で、意表をつくニンジャ・パウダー的センスは政敵を煙に巻くにはもってこいだ。

Kage(中西影仁)は、小学校時代に重度のぜんそくで入退院を繰り返し、左手には点滴をしていた。
点滴が入っている状態でできることといえば読書と絵を描くことぐらいであった。
読書していて出会ったのが、プロレスラーの前田日明の本で、何を食べてどんなトレーニングをして今の体を作ったかが書いてあり衝撃を受ける。
そして6歳にしてプロレスラーになることを夢見るようになり、前田式トレーニングをみにつけようと、なかでもヒンズースクワットを数多くこなして、病弱な体を克服していく。
Kageにとって武器といえば”気合”以外にないと考え、そこで”気合の伝道師”アニマル浜口の道場に弟子入りする。
過酷なトレーニングの中、娘の京子さんとスパーリングをして時に組み合った。
うわー 女の子だと思った瞬間、とんでもない力で振り回され投げ飛ばされた。
アニマル浜口の教えの中で、大自然や先人に導かれて愛されて 助けられて 許されて人は生きてるから常に人に感謝する気持ちを忘れちゃいけない。
今という一瞬に一生をかける思いでやらなければならないことなどを学んだ。
そんな肉体の強化の中でも、Kageはいつも何か描いていた。絵をかくと気持ちが落ち着くので、勝手に動き出すという感じだった。
高校を卒業して、アメリカへプロレスの気合の武者修行に行くが、気合だけではどうにもならない挫折に見舞われる。
カリフォルニアの高校でレスリング部のコーチとして働いて、鬼コーチとしてギャンギャンに吠えて怯えた生徒を倒しては起こし起こしては倒していた。
しかしそんな威勢の良さとは裏腹に、出場したアメリカの大会でなかなか勝つ事ができなかった。 追い打ちをかけるように、深刻な怪我を負って万事休すの事態に陥った。
そんな中、スゴク元気な日本人がいるという噂が立っていたのが須藤元気であった。
プロレスラーの夢を諦めざるをえなくなった時、バスケット選手のデニス・ロッドマンの「ワルがままに」という本を読んで影響を受けた。
髪を緑色にそめるなど、気合の入った”グレ方”をするが、それが思わぬ出会いを生むことになる。
ある日のこと、ラスベガスのショッピングセンターに行くと、人だかりを発見する。気になって群衆を割って入るとその中心に、ベレー帽をかぶったおじさんがいた。
話が面白くて皆を笑わせながら素早く似顔絵を書いている。 その絵は特徴が誇張されていて面白いと見入っていると、"緑髪"のKageが目についたのか、店にこないかと誘ってきた。
このおじさんデーブの店で働くことになり、めきめきカリカチュア(誇張された絵)の腕を磨いていく。
そしてカリカチュアを描いて、人々を感動させたいという思いを抱くようになる。
ここでKageは、今までの人生はカリカチュアに必要な事が全て詰まっているということに気がつく。
幼少時に病室で絵を描いていた時に、ひとの特徴や面白い表情を無意識に観察するようになったこと。
カリカチュアというのは人の特徴を誇張する絵。それを豪快に誇張するというのが肝なのだ。
Kageは、アニマル浜口の道場に弟子入り、アニマル会長が燃えてるかー! 気合だー!!っていうのをキャッチフレーズにリングに上がっていた場面。
会長が、「おい! お前朝日を昇る太陽を見てあんなふうに燃えてみたいって思った事あるか?」なんてことを聞いて、答に窮していた道場生の姿など。
プロレスというのは個性を豪快に魅せるもので、"一筆入魂"の集中力はアニマル浜口の教え「一瞬は一生」から学んでいた。
Kageは自分の絵の才能に気がつかず、プロレスラーを目指すなどの遠回りをしたが、ようやく才能とマッチした仕事に出会えた。
さらにKageは現状に満足することなく、カリカチュアの世界大会に参加する。
そこで、これこそが自分が目指していた絵だと思えるものに出会う。
その作者が、当時Kageが住んでいたサンディエゴに拠点があることを知り、さっさく弟子入りする。
このコート氏の下で、気合で行を重ねること5年、描いた数はなんと2万人にも及んだ。
そしてKageは、頂点をめざして世界大会に出場する。参加者は300人以上で、出場者どうして似顔絵を描きまくって自分のブースに貼り出し、投票で優勝者を決めるというもの。
そこでKageは、世界チャンピオンになってしまう。
Kageは現在42歳、カリカチュア・ジャパンの代表取締役社長で、日本におけるパイオニア的存在である。
本社以外にも28店舗を運営し、100名を超えるアーティストが在籍する最大手の会社である。
Kageを初め過去3名の 世界チャンピオンを輩出するなど、その功績が認められてNewsweek誌の「世界が尊敬する日本人100人」の一人に選出された。

映画「スラムドッグ・ミリオネア」(2002年)で、大金のかかったクイズの答えのすべてが、主人公の人生の途上にあったストーリーを思い浮かべる。