聖書の言葉から(天が開く)
旧約聖書に次のような言葉がある。
「もし、あなたがあなたの神、主の戒めを守り、その道に従って歩むならば、主はお誓いになったとおり、あなたを聖なる民とされる。
地上のすべての民は、あなたに主の御名が付けられるのを見て、あなたに畏れを抱く。
主は、あなたに与えると先祖に誓われた土地で、あなたの身から生まれる子、家畜の産むもの、土地の実りを豊かに増し加え、恵みの倉である”天を開いて”、季節ごとにあなたの土地に雨を降らせ、あなたの手の業すべてを祝福される」(申命記28章)。
実はこの”天を開く”箇所には続きがあって、直後には”天が閉じる”とどんなことが起きるかが続く。
「天は青銅のように堅く閉じて雨を降らせず、地は鉄のように堅くしまり、作物を実らせません。 日照りで国土が干上がり、猛烈な砂嵐が荒れ狂って、生き残る者は一人もありません」。
さて、"天が閉じる"ことで思い浮かぶのは、「古事記」で最も有名な天照大神の「天岩戸隠れ」である。
ある日、スサノオウノミコトが暴れ回ったために、怒った天照大神は天岩戸に隠れてしまう。すると、世界中が真っ暗闇になってしまった。
困った神々は、アマテラス(天照大神)の気を引こうと、岩戸の前で詔を唱えたり、踊りを踊ったりと悪戦苦闘する。すると、アマテラスが天の岩戸を空けると天が明るくなったという。
さて、聖書を読むにつれて、その中に古代日本を感じる。あるいは古代日本の中に聖書を感じる。
だからといって、両者に何か繋がりを探すなど、パレスチナと日本との遠い位置関係からしても、あまりに荒唐無稽な話でしかないと思っていた。
ところが大学卒業のころ、古代イスラエルの12部族のうち10部族が離散して行方不明となっていることを知った。ユダヤ人はその残された部族なのだ。
となると俄然、大和盆地にかかる霞の向こう側にはイスラエルのおぼろな影をみた気がした。
ひとの歴史においては最古の船というのが「葦船」である。葦船とは「葦」を縄で束ねただけの原始的な船で、古くは、エジプト文明やティワナコ文明に登場し、ティグリス川、アマゾン川、ナイル河、チチカカ湖、ヴィクトリア湖等に現存している。
実は、「葦船」は日本の「古事記」にも登場する。
イザナギノミコトとイザナミノミコトとの間に生まれた最初の神様である蛭子命(ひるこ)が、「葦舟」に乗せられて海に流されたと記されている。
そればかりか「葦船」は日本各地も今も現存している。秋田市の日吉八幡神社や鹿島神社などでは、「葦船」が神輿となっており、神事に際して「葦船」の姿が見られる。
福岡県うきは市吉井町にある「珍敷塚古墳」の壁画には、エジプトの船と女官の絵が描かれている。
葦茂る川で水あそびをしているような絵である。
「葦船」を使って漁が行われていたという話も伝えられており、屋根を葺いたり、むしろを編んだり、その記憶は生活の中に脈々と受け継がれているのだ。
さて「葦舟」で思い浮かべるのが旧約聖書に登場するモーセである。
イスラエルが飢饉でエジプトに寄寓したさい、エジプトのファラオの命令で奴隷であったイスラエルは子供を殺すことを命じられる。
一人の母親がそれに忍びず、産まれて間も無い子モーセを「葦舟」に乗せてナイル川に流す。
この時、たまたまナイル川の下流ではファラオの王女が水辺で水遊びをしおり、そこに「葦舟」に乗せられたモーセが流れてくる。
哀れむ王女は、幼い赤子であるモーセを拾い上げ、王子として育てることを決意する。
成人した後、モーセは自分の出生の秘密を知り、エジプトの豪奢な生活を去りシナイ山のふもとで静かな牧畜生活を営む。
ところが、80歳にして神より、エジプト王にイスラエルを去らせることを告げるよう命ぜられる。
ここからが「出エジプト」のドラマの始まりである。
新約聖書の中には、日本人の「言霊信仰」を思わせるところが出てくる。
「また船をみるがよい。船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても、ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される。
それと同じく、舌は小さな機関ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。舌は火である」(ヤコブの手紙3章)
また日本人の「和」の心と通じるところは、イエスの次のような言葉にもあらわれている。
「だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。」(マタイ五章)
この部分は「和」の精神というよりも、捧げモノをするときには、身も心も清めるという日本人の心に通じるものがある。
さらには、パウロは「ロ-マ人への手紙」の中で、律法と信仰について次のように語っている。
「しかし、律法によらなければ、私達は罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が貪るなといわなかったならば、私は貪りをしらなかったえあろう。
しかし罪は戒めによって機会をとらえ、わたしの内に働いて、あらゆる貪りを起させた」。
この箇所を読んで思い起こすのは、本居宣長がいうところのコトアゲ、すなわち「言葉にする」ということである。
本居宣長は、中国や仏教の教えが伝わるにつれて、日本人は「直毘の霊」を喪失し堕落したとみている。
仏教道徳や儒教倫理は、物事の良し悪しをコトアゲすることによって、自然で素直な心の様を失わしめサカシラな心を生んだという。
本居宣長は神話の研究を通して、古代日本の人々の素直で明澄であり、自然なままの「直毘の霊」を宿していたことを指摘している。
また、パウロは、律法に従えず罪を犯してしまう自らを「何とミジメな人間なのだろう」と告白している。わかっちゃいるけどやめられない自分。その一方で、「しかし讃むべきは神なり」と語っている。
すなわち、イエスの復活と昇天後に下った聖霊(御霊)によって、その力にあずかることによって、自然に律法にかなうという救いを体験している。
また、聖霊の実として「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制」をあげているが、これはあくまでも聖霊の働きの結実なのであって、聖霊の力なくして自らの力によってなそうとすることは、逆に自己の義をたてようとするという意味で律法の奴隷なのであり、親鸞の言葉を借りれば「自力作善の人」であるともいえる。
「自力作善」はしばしば、自分だけは間違いないというおごりをもたらしやすい。
パウロは、こうした実をもたらす聖霊は同時に、「イエスを主」と告白する信仰の霊であるから、「律法による義」ではなく「信仰による義」を説いたのである。
イエス・キリストは、ありあまるものから充分な捧げモノのをしつつ、あえて顔色を悪くして断食をなして義人だと称して他人を見下げているパリサイ人を「マムシの子ら」と厳しく批判した。
その一方で、天に目をむけることもなく胸をたたいてあわれみを祈った取税人の方がよほど神の思いにかなっているとして、「自分を高くするものは低くせられ、自分を低くする者は高くせられる」(ルカ18:13)と語っている。
パウロは、律法は罪を知らしめるのみで何ら人を救いえないとし、律法の要求する高さからいえば「義人はいない」ということを語っている。
そしてパウロは結局、聖霊に従う信仰の生活こそが「救い」で、それが自ずから律法を全うすると語った(ローマ人3章)。
親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(悪人正機説)と説いた親鸞は、他力本願という点でパウロの聖霊の導きに従うという生き方とも響きあう。
パウロは「律法が入り込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、 罪が増すところに恵みもますます満ち溢れた」(ローマ人5章)と語った。
親鸞はまた「よしあしの文字をもしらぬひとはみなまことのこころなりけるを、善悪の字しりがおはおおそらごとのかたちなり」と語っている。
この言葉に、「エデンの園」で善悪の木の実を食べて追放され、自らが善悪の主人公になった律法的な人間の姿を思い浮かべる。
古代イスラエルの人々は、エルサレムに神殿が造られる前には「幕屋」でヤハウェの神を礼拝をしていた。
イスラエルは紀元前15C頃エジプトで奴隷になり、そこを「出る」にあたって、指導者モーセと祭司アロンがエジプトのパロに求めたことは、「主なる神はおおせられる。イスラエルのの民を行かせ、荒野で神を祭らせよ」ということだった。
するとパロは「主とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのか。私は主を知らない」と拒絶する。
その後、数々の奇跡と不思議を経た後に、イスラエル人はエジプトを「去る」ことを許された。
この神のワザが行われるに際して使われたのが「アロンの杖」であり、イスラエルの「三種の神器」のひとつに数えられている。
イスラエル人は、故郷カナーンの地を目指したが、時に食料がなくなり神が朝露のごとき食料を降らせた。
そしてこの朝露のような食べ物が「マナ」とよばれ、「三種の神器」のひとつとなっている。
さらにモーセがシナイ山で「十戒」を与えられえ、その「十戒」が刻まれた二枚の石板も、「三種の神器」のひとつとなっている。
神がモーセに与えたものは、この「十戒」ばかりではなく、幕屋のいわゆる「設計図」をも示した。
それは「出エジプト」26章に詳しく書いてあるが、そしてヘブライ王国(古代イスラエル王国)のソロモン王の時代に「神殿」がつくられ「幕屋」の時代が終わるが、神殿の構造も基本的に「幕屋」と同一である。
出エジプト後、シナイの荒野をさすらいながらイスラエルは、各宿営地に「幕屋」を設営して神を拝したのである。
幕屋に入ることを許されたのは祭司にかぎられ、本人および民の罪をあがなうための「いけにえ」(子羊など)を携えることを必要としたのである。
ところで、イスラエルは12部族がいたが、「レビ人」だけは祭司職を出す部族として区別された。
そして民が「神を礼拝すること」において、それを仕切る大きな責任は祭司に委ねられ、収穫の「十分の一」を働きの報酬として受けた。
「幕屋の構造」に関して最も注目すべきことは、聖所から至聖所に入るとき「第二の幕」が降りており、「至聖所」は大祭司が年1回だけ入る場所であった。
前述のごとくイスラエルの「三種の神器」は、いずれも「出エジプト」という民族的苦難の中で生まれたものだが、それらは「契約の箱」に入れられて「至聖所」におさめられたのである。
意外なことに、レビ族は司祭でありながらモノを組み立てたり解体することと関わった人々、つまり「宮大工」なのだ。
そして、移動の際に三種の神器の入った「契約の箱」を「担ぎ棒」をつけて運ぶというやりかたは、日本人の神輿担ぎに良く似ており、幕屋を設営する際に、布で器具を覆って見えないようにしている仕方は、伊勢神宮の「式年遷宮」と実によく似ている。
聖書の中に何人かの祭司がみられるが、「大祭司メルキゼデク」の存在が異彩をはなっている。
実は、メルキゼデクは系図もなく、出生の記録もなく、ただ神によって立てられたことが強調されていて、「永遠の大祭司」の型を示しており、その型を成就するのが、キリストにほかならない。
神はアブラハムにその御心を伝えたのは、メルキゼデクという存在を通してである。
新約聖書は「幕屋」とは「天をかたどったものである」と驚くべきことを語り、「大祭司」の役目を次のように語っている。
「大祭司なるものはすべて、人間の中から選ばれて、罪のために供え物といけにえとをささげるように、人々のために神に仕える役に任じられた者である。
彼は自分自身、弱さを見におうているので、無知な迷っている人々を、思いやることができると共に、その弱さゆえに、民のためだけではなく自分自身についてもささげものをしなければならない」(ヘブル4章)。
「キリストは模型で幕屋の中ではなく、本物の天の幕屋にご自身の血を携えて入られ、ただ一度の贖いを成し遂げられた」とある(ヘブル7章)。
英語で「贖罪」のことを、atonementというが、これは at-one-mentで、「ただ一回で」という意味の言葉に ment をつけて、名詞化したもの である。
キリストの贖いは1回のみわざによって完成された永遠の贖いであり、キリスト者が今日、旧約聖書に記されている神殿での動物の「いけにえ」などを要しないのは、そのためである。
日本人が神話の中で自らを「天孫」と呼んだことにも、「天下り」などという政治用語にも、現代の日本人があずかり知らない”記憶”が隠されていされているのかもしれない。
神話に表れた意識や態度が民族の様々の信仰や行動を相当に制していることを思えば、「神話」の世界にこそ民族の最も無意識かつ「根源的」なものが秘められているとみなすことができる。
古事記には、空高くに在る「高天原」を舞台としてた神々の世界が描かれている。
イザナミやイザナギによって日本の国つくりが行われ、アマテラスという女神が地上の争いをただすために派遣したニニギノミコトという神の子孫(天孫)が日本をおざめることになる話などがでてくる。
アマテラス(天照大神)は名前からして太陽神であり、日本人がすべての生命の根源に「太陽」を直感的に感じ取っていた意識の表れなのだと思う。
エネルギーの法則やらエントロピーの法則を学んだ現代人の知識にも「太陽」が地球上のあらゆる生命活動の源であることは、異論のないところであろう。
つまりアマテラスの子孫たる天皇は、日本人が日々の生活を営む上で遍在するあらゆる自然の恵みの「体現者」のようなものとして、時代を超えて受け入れられてきたということである。
さらに血の繋がりというのも自然の流れであり、自然を崇拝する日本人が「血統」を大事におもうこともわからぬこともない。
「高天原」から降ってきた天皇は、超越せる存在というわけでもなくむしろ人間と近しい存在なのだが、その意味では、天皇を「天子様」とよぶ呼び方は日本人一般の感覚をよく表していると思う。
そして「天子様」は日本にもたらされるあらゆる恵みの根源であり、日本の国土や自然そのものが「神殿」のようなものとして受け入れられていたならば、逆に天皇以外のどんな支配者がその存在を超えて君臨できるだろうか。
またどんな新しい「神話」が「天子様」に打ち勝つことができるだろうか。
個人的想像であるが、天子様をないがしろにするようなことをすれば、時々の支配者は天の恵みを失い年貢さえとれなくなるという微かな恐れさえ抱かせるにたる存在であったのかもしれない。
それゆえに支配者自らがどうしても「天皇」を奉る必要性があったのである。
これが政治権力を失っても「天皇」の存在が日本からなくならなかった理由ではなかろうか。
さて、世界で一番長く続いた天皇家は、最も謙遜な姿で現れる。それは、国民を代表して神に仕える祭司だからである。
自ら宮中で稲作をして米を捧げられる日本の天皇、その究極の祈りは「天を開く」ということにあるのではなかろうか。
が、新約聖書には次のようにマトメテ書かれている。
「まず幕屋が設けられ、その前の場所には燭台と机と供えのパンが置かれていた。これが、聖所と呼ばれた。また第二の幕の後ろに、別の場所があり、至聖所と呼ばれた。そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置かれ、その中にはマナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れてあり、箱の上には栄光に輝くケルビムがあって、贖罪所をおおっていた。」(ヘブル9章)
天皇がシンボライズしているものは、「万世一系」つまり他の国にはない同一の血筋が長く続いているということである。
もっといえば、そのルーツにおいて日本国民と繋がっているということである。
ヨーロッパや中国では、血なまぐさい闘争の勝利者が「王権神授」やら「天命」などという名目で国を支配してきた。
日本の場合、相争う権力者の勝者が、そのまま国を支配するのではなく、「天皇」を担ぐことによってハジメテその権力の「正当性」を獲得することができる点もユニークである。
つまり一番上の「天皇」はアラカジメ決まっていて、その下で支配の「代行者」の地位の「争奪戦」を繰り広げるという構図である。
したがって、武人や官僚の中で現役の天皇を打ち倒して自らが「天皇」の位につこうとする者はなかった。
天皇を打倒するにせよ、他の「天皇」候補者を探し出して担ごうとしたにすぎない。
具体的には、天皇という「玉」をつかみえたが故に勤皇の志士達は、成功裡に明治政府を作りえたのである。
反対に226事件の青年将校のように、どんなに天皇への「至情の思い」があったにせよ、「玉」をつかみ損ねたら「反乱軍」として処刑されるほかはないのだ。
このように日本人の精神に覆いかぶさるように存在する「天皇」とは、一体どのような存在なのだろうか。
この点こそが、日本の歴史と文化における「最大の謎」なのだが、この点についてアマリ納得のいく話を聞かない。
多くの学者は、日本の天皇支配の「継続性」は、「豊葦原水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さしたまふ」という、アマテラスの子孫(天孫)が支配者となって日本を治めるという「神勅」、つまり神の意志に基ずくものであり、天皇の地位は神代から続く血統によるという神話に基ずくものと説明する。
確かに「神話」は、古代人が世界をどうみてどう捉えたかを知ることができる「貴重な」資料であり、歴史的事実ではナイからといって軽視することはできない。
だが「神話」による支配者の正統性の根拠など忘れさられてもイイハズで、そんなにも長く時代を超えて受け入れられてきたのはナゼカということに目を向ける必要があるように思う。
なぜなら「王朝」(血統)が変わってしまえば、新しい「正統性」の根拠はいくらでも作り出すことさえ可能だからである。
しかしソウはならなかったことコソ重要である。
さて、神話に表れた意識や態度が民族の様々の信仰や行動を相当に制していることを思えば、「神話」の世界にこそ民族の最も無意識かつ「根源的」なものが秘められているとみなすことができる。
イワバ「三つ子の魂」である。
古事記には、空高くに在る「高天原」を舞台としてた神々の世界が描かれている。
イザナミやイザナギによって日本の国つくりが行われ、アマテラスという女神が地上の争いをただすために派遣したニニギノミコトという神の子孫(天孫)が日本をおざめることになる話などがでてくる。
こうした物語を読んで第一の印象は、けっして高天原の神々は西欧の神のように「超越的」な存在ではなく、かなり人間に近しい存在であるということである。
アマテラス(「天照大神」)は名前からして太陽神であり、日本人がすべての生命の根源に「太陽」を直感的に感じ取っていた意識の表れなのだと思う。
エネルギーの法則やらエントロピーの法則を学んだ現代人の知識にも「太陽」が地球上のあらゆる生命活動の源であることは、異論のないところではなかろうか。
つまりアマテラスの子孫たる天皇は、日本人が日々の生活を営む上で遍在するあらゆる自然の恵みの「体現者」のようなものとして、時代を超えて受け入れられてきたということである。
さらに血の繋がりというのも自然の流れであり、自然を崇拝する日本人が「血統」を大事におもうこともわからぬこともない。
「高天原」から下った天孫たる天皇は、超越せる存在というわけでもなく人間と近しい存在なのだが、その意味では、天皇を「天子様」とよぶ呼び方は日本人一般の感覚をよく表していると思う。
そして「天子様」は日本にもたらされるあらゆる恵みの根源であり、日本の国土や自然そのものが「神殿」のようなものとして受け入れられていたならば、逆に天皇以外のどんな支配者がその存在を超えて君臨できるだろうか。
またどんな新しい「神話」が「天子様」に打ち勝つことができるだろうか。
個人的想像であるが、天子様をナイガシロにするようなことをすれば、時々の支配者は天の恵みを失い年貢さえとれなくなるという微かな恐れさえ抱かせるにタル存在であったのかもしれない。
それゆえに支配者自らがどうしても「天皇」を奉る必要性があったのである。
これが政治権力を失っても「天皇」の存在が日本からなくならなかった理由ではなかろうか。
メルキゼデクとは、「義の王」という意味で、旧約聖書では、創世記14章と詩篇110篇に出てくる。
メルキゼデクはシャレム(あるいは、サレム、平和の意)の王であると同時に、いと高き神の祭司でもあった
アブラハムが東方の王たちとの戦いに勝利し、ロトとその財産と民とを携えて帰還した際に、パンとぶどう酒を持って出迎えました。彼は、「いと高き神」の名によってアブラハムを祝福した。(創世記14章)。
あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である」(詩篇110:4)という預言は、ダビデがメルキゼデクの位を継ぐという約束であると同時に、ダビデの末から出るメシアが永遠の大祭司として立てられることの約束ともなっている。
実はイスラエル十二部族のうちパレスチナに残った二部族のうちの一つ「ユダ族」の名前から、古代イスラエル人はユダヤ人という名前でよばれるようになったのである。
しかし、こういう思いは一部の日本人ぐらいかと思っていたら、けして少なくはないユダヤ人ラビが日本との関連に思いをはせ、遠く実地調査にまで及んでいることは驚きでもあった。
日本を旅行したアインシュタインは講演した折に、日本人の顔がユダヤ人に相似していることに言及している。
ユダヤ人といっても日本人とは外見上まったく遠い「白人系」ユダヤ人もいる。
八世紀にカザ-ル王国が周辺のイスラム国家にのみこまれたないために全国民が丸ごとユダヤ教に改宗したため、こうした白人系のユダヤ人が誕生したのだが、彼らアシュケナジー系ユダヤ人は、アブラハム・イサク・ヤコブの系統とは直接には関係のないものである。
実はイスラエル十二部族のうちパレスチナに残った二部族のうちの一つ「ユダ族」の名前から、古代イスラエル人はユダヤ人という名前でよばれるようになったのである。
しかし、こういう思いは一部の日本人ぐらいかと思っていたら、けして少なくはないユダヤ人ラビが日本との関連に思いをはせ、遠く実地調査にまで及んでいることは驚きでもあった。
日本を旅行したアインシュタインは講演した折に、日本人の顔がユダヤ人に相似していることに言及している。
ユダヤ人といっても日本人とは外見上まったく遠い「白人系」ユダヤ人もいる。
八世紀にカザ-ル王国が周辺のイスラム国家にのみこまれたないために全国民が丸ごとユダヤ教に改宗したため、こうした白人系のユダヤ人が誕生したのだが、彼らアシュケナジー系ユダヤ人は、アブラハム・イサク・ヤコブの系統とは直接には関係のないものである。
天にあるもののひな型は、これらのもので清められる必要があるが、天にあるものは、これよりさらにすぐれたいけにえで、きよめなければならない。ところがキリストは、ほんとうのものの模型に過ぎない手で造った聖所にははいらないで、上なる天にはいり、いまやわたしたちのために神のみまえに出てくださったのである」(ヘブル書9章)
聖書における「幕」は、単に幕屋の中の聖所を区別するものばかりではなく、神と人間との間にある「隔て」を表す「たとえ」として語られる場合が多い。
また神と人との間の「隔て」は「顔覆い」が掛かっているというタトエでも語られることがある。
シナイ山で「十戒」を受けて、下山してきたモーセの輝きが異常で、民はその顔をまともに見ることが出来ず、モーセの顔に「顔覆い」がカケたのである。
そして新約聖書では、イスラエル人の「思いは鈍く」なり、今日に至るまで、同じおおいが取り去られないままで残っているとしている。(Ⅱコリント3章)
しかも聖書によれば、この「顔覆い」が取り除かれる日が来るとしている。
日本でも三種の神器を見たことがないといわれている。
「こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。
われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」(使徒行伝17章)
「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。
しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう」(Ⅰコリント13章)。
そしてイエスの十字架の死の直後に「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」とある(マタイ27章)。
その結果「こういうわけで、わたしたちは、イエスの血によって、はばかることなく聖所に入ることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いてくださった
新しい生きた道を通って、はいっていくことができる」(ヘブル10章)としている。
つまりイエスの十字架によって、天における神と人との「隔ての幕」がなくなり、祭司ばかりではなく、すべての人々に「聖所」への道が開かれたということである。
天にあるもののひな型は、これらのもので清められる必要があるが、天にあるものは、これよりさらにすぐれたいけにえで、きよめなければならない。ところがキリストは、ほんとうのものの模型に過ぎない手で造った聖所にははいらないで、上なる天にはいり、いまやわたしたちのために神のみまえに出てくださったのである」(ヘブル書9章)
聖書における「幕」は、単に幕屋の中の聖所を区別するものばかりではなく、神と人間との間にある「隔て」を表す「たとえ」として語られる場合が多い。
また神と人との間の「隔て」は「顔覆い」が掛かっているというタトエでも語られることがある。
シナイ山で「十戒」を受けて、下山してきたモーセの輝きが異常で、民はその顔をまともに見ることが出来ず、モーセの顔に「顔覆い」がカケたのである。
そして新約聖書では、イスラエル人の「思いは鈍く」なり、今日に至るまで、同じおおいが取り去られないままで残っているとしている。(Ⅱコリント3章)
しかも聖書によれば、この「顔覆い」が取り除かれる日が来るとしている。
日本でも三種の神器を見たことがないといわれている。
「こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。
われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」(使徒行伝17章)
「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。
しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう」(Ⅰコリント13章)。
そしてイエスの十字架の死の直後に「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」とある(マタイ27章)。
その結果「こういうわけで、わたしたちは、イエスの血によって、はばかることなく聖所に入ることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いてくださった
新しい生きた道を通って、はいっていくことができる」(ヘブル10章)としている。
つまりイエスの十字架によって、天における神と人との「隔ての幕」がなくなり、祭司ばかりではなく、すべての人々に「聖所」への道が開かれたということである。
世界でもっとも謙遜なる天皇という存在は、世界でもっとも長く続いた王朝でもある。
弱者によりそう天皇、
それは王というより、国民を代表して神に仕える祭司というかたちをとるからである。
この天皇という存在に、聖書の「永遠なる祭司メルキゼデク」の影を感じるのは、飛躍のしすぎだろうか。
「天にあるもののひな型は、これらのもので清められる必要があるが、天にあるものは、これよりさらにすぐれたいけにえで、きよめなければならない。ところがキリストは、ほんとうのものの模型に過ぎない手で造った聖所にははいらないで、上なる天にはいり、いまやわたしたちのために神のみまえに出てくださったのである」(ヘブル書9章)
聖書における「幕」は、単に幕屋の中の聖所を区別するものばかりではなく、神と人間との間にある「隔て」を表す「たとえ」として語られる場合が多い。
また神と人との間の「隔て」は「顔覆い」が掛かっているというタトエでも語られることがある。
シナイ山で「十戒」を受けて、下山してきたモーセの輝きが異常で、民はその顔をまともに見ることが出来ず、モーセの顔に「顔覆い」がカケたのである。
そして新約聖書では、イスラエル人の「思いは鈍く」なり、今日に至るまで、同じおおいが取り去られないままで残っているとしている。(Ⅱコリント3章)
しかも聖書によれば、この「顔覆い」が取り除かれる日が来るとしている。
日本でも三種の神器を見たことがないといわれている。
「こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。
われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」(使徒行伝17章)
「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。
しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう」(Ⅰコリント13章)。
そしてイエスの十字架の死の直後に「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」とある(マタイ27章)。
その結果「こういうわけで、わたしたちは、イエスの血によって、はばかることなく聖所に入ることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いてくださった
新しい生きた道を通って、はいっていくことができる」(ヘブル10章)としている。
つまりイエスの十字架によって、天における神と人との「隔ての幕」がなくなり、祭司ばかりではなく、すべての人々に「聖所」への道が開かれたということである。
世界でもっとも謙遜なる天皇という存在は、世界でもっとも長く続いた王朝でもある。
弱者によりそう天皇、
それは王というより、国民を代表して神に仕える祭司というかたちをとるからである。
この天皇という存在に、聖書の「永遠なる祭司メルキゼデク」の影を感じるのは、飛躍のしすぎだろうか。
まず祭司アロンの子たちがいって、隔ての垂幕を取りおろし、それをモッテ「契約の箱」をおおい、その上にじゅごんの皮のおおいを施し、またその上に総青色の布をうちかけ、環にサオをさし入れる。
また「供え」のパンの机の上には、青色の布をうちかけ、その上に皿・乳香を盛る杯・鉢および灌祭の瓶を並べる。
また、金の祭壇の上に青色の布をうちかけ、じゅごんの皮でこれをおおい、そのサオをさし入れる。
ちなみに「じゅごん」は人魚伝説のモデルとなった海の哺乳類である。
「宿営の進む時」には、アロンとその子たちとが、聖所と聖所の「すべての器」を覆うことを終ったならば、その後にコハテの子たちはソレを「運ぶ」ために入ってきた。
次にゲルションの子たちは、彼らは幕屋の幕、会見の幕屋およびそのおおいと、その上のじゅごんの皮のおおい、ならびに会見の幕屋の入口のとばりを運び、 また庭のあげばり、および幕屋と祭壇のまわりの庭の門の入口のとばりと、それに用いるすべての器を運んだ。
さらにメラリの子たちは、幕屋の枠、その横木、その柱、その座、 庭のまわりの柱、その座、その釘、そのひも、またそのすべての器、およびそれに用いるすべてのものを運んだ。
この段取りで注目したいことは、コハテ氏族は、聖所に収められた「聖なる物」、聖所の中で使われる「器具」に触れてはならず、触れれば「死ぬ」とされた。
そこで彼らが神に打たれて死ぬことがないように、まず祭司達が聖所に入って器具を「覆う」ことになっており、運搬するための「担ぎ棒」をつけている点である。
その後に、コハテ氏族がそれを運ぶのだが、コハテ氏族の人々は自分が運ぶものが聖所の器具だと知っていたとしても、生涯ソノ器具を見たり、直接に触れたりすることができないということである。
一方、主に「幕関係」を運ぶゲルション氏族や板や主に「材木関係」を運ぶメラリ氏族については、それらを見たり触れたりしても問題なかったという。
まず祭司アロンの子たちがいって、隔ての垂幕を取りおろし、それをモッテ「契約の箱」をおおい、その上にじゅごんの皮のおおいを施し、またその上に総青色の布をうちかけ、環にサオをさし入れる。
また「供え」のパンの机の上には、青色の布をうちかけ、その上に皿・乳香を盛る杯・鉢および灌祭の瓶を並べる。
また、金の祭壇の上に青色の布をうちかけ、じゅごんの皮でこれをおおい、そのサオをさし入れる。
ちなみに「じゅごん」は人魚伝説のモデルとなった海の哺乳類である。
「宿営の進む時」には、アロンとその子たちとが、聖所と聖所の「すべての器」を覆うことを終ったならば、その後にコハテの子たちはソレを「運ぶ」ために入ってきた。
次にゲルションの子たちは、彼らは幕屋の幕、会見の幕屋およびそのおおいと、その上のじゅごんの皮のおおい、ならびに会見の幕屋の入口のとばりを運び、 また庭のあげばり、および幕屋と祭壇のまわりの庭の門の入口のとばりと、それに用いるすべての器を運んだ。
さらにメラリの子たちは、幕屋の枠、その横木、その柱、その座、 庭のまわりの柱、その座、その釘、そのひも、またそのすべての器、およびそれに用いるすべてのものを運んだ。
この段取りで注目したいことは、コハテ氏族は、聖所に収められた「聖なる物」、聖所の中で使われる「器具」に触れてはならず、触れれば「死ぬ」とされた。
そこで彼らが神に打たれて死ぬことがないように、まず祭司達が聖所に入って器具を「覆う」ことになっており、運搬するための「担ぎ棒」をつけている点である。
その後に、コハテ氏族がそれを運ぶのだが、コハテ氏族の人々は自分が運ぶものが聖所の器具だと知っていたとしても、生涯ソノ器具を見たり、直接に触れたりすることができないということである。
一方、主に「幕関係」を運ぶゲルション氏族や板や主に「材木関係」を運ぶメラリ氏族については、それらを見たり触れたりしても問題なかったという。
まず祭司アロンの子たちがいって、隔ての垂幕を取りおろし、それをモッテ「契約の箱」をおおい、その上にじゅごんの皮のおおいを施し、またその上に総青色の布をうちかけ、環にサオをさし入れる。
また「供え」のパンの机の上には、青色の布をうちかけ、その上に皿・乳香を盛る杯・鉢および灌祭の瓶を並べる。
また、金の祭壇の上に青色の布をうちかけ、じゅごんの皮でこれをおおい、そのサオをさし入れる。
ちなみに「じゅごん」は人魚伝説のモデルとなった海の哺乳類である。
「宿営の進む時」には、アロンとその子たちとが、聖所と聖所の「すべての器」を覆うことを終ったならば、その後にコハテの子たちはソレを「運ぶ」ために入ってきた。
次にゲルションの子たちは、彼らは幕屋の幕、会見の幕屋およびそのおおいと、その上のじゅごんの皮のおおい、ならびに会見の幕屋の入口のとばりを運び、 また庭のあげばり、および幕屋と祭壇のまわりの庭の門の入口のとばりと、それに用いるすべての器を運んだ。
さらにメラリの子たちは、幕屋の枠、その横木、その柱、その座、 庭のまわりの柱、その座、その釘、そのひも、またそのすべての器、およびそれに用いるすべてのものを運んだ。
この段取りで注目したいことは、コハテ氏族は、聖所に収められた「聖なる物」、聖所の中で使われる「器具」に触れてはならず、触れれば「死ぬ」とされた。
そこで彼らが神に打たれて死ぬことがないように、まず祭司達が聖所に入って器具を「覆う」ことになっており、運搬するための「担ぎ棒」をつけている点である。
その後に、コハテ氏族がそれを運ぶのだが、コハテ氏族の人々は自分が運ぶものが聖所の器具だと知っていたとしても、生涯ソノ器具を見たり、直接に触れたりすることができないということである。
一方、主に「幕関係」を運ぶゲルション氏族や板や主に「材木関係」を運ぶメラリ氏族については、それらを見たり触れたりしても問題なかったという。
2013年10月5日夜、伊勢神宮で「遷御の儀(せんぎょのぎ)」が行われたが、これこそが「式年遷宮」のクライマックスで、「ご神体」を新しい社殿に移すものである。
「ご神体」を別の場所に移すといっても、ご神体を移す先の建物は、それまでの建物のスグ隣にある建物である。
ただ、器物を移動するに際して、伊勢の場合は白布で覆ったが、イスラエルの場合は「青紫の布」で覆ったという違いがある。
伊勢神宮では、内宮と外宮の建物をはじめ、鳥居などを新しく造り替えることになっていて、その数は65棟に及ぶ。
樹齢およそ200年のヒノキ1万本が必要で、昔は周辺の森から切り出していたが、現在は長野県と岐阜県にまたがる山林で大半を「調達」している。
古い建物は遷宮が終わった後、解体されて更地になる。
解体した建物の柱などは、境内の鳥居に再利用されたり、各地の神社に配られる。
実は、新しくつくるのは、建物だけではなく、内宮や外宮に納める宝物と装束の数よそ「1600点」が前回と寸分違わないものがつくられる。
「三種の神器」などは、木製の器の中に納められている。
「遷御の儀」の際、また、白装束に身を包んだ神官が木製の箱の中に入れて運ぶが、周りを白い布で覆ってしまうため、その様子を見ることはできない。
「遷御の儀」とは別に「お白石持行事」というものがあるが、神々しく光り輝く御正殿の真近に「お白石」を奉献する行事である。
白装束に身を包んだ神職の人々が、「お白石」そのものを白い布で包んで運んで、御正殿の真近に「お白石」
を奉献する。
さて、今回の「遷御の儀」費用の総額は、570億円で、全国からの寄附や神宮の資金でまかなうという。
建物をスベテ新しくするのは、国内では伊勢神宮だけで、世界でもほとんど例がない。
では、ここまでナンのために「新しくするのか」という疑問がおこる。
ひとつには、常に若々しく、すがすがしくありたという神道の「常若(とこわか)」の精神を表したという説がある。
また20年に1度という点では、宮大工などの技術の伝えるのにチョウド適した期間といった説まである。
カナリ突飛な推測だが、いまだ歴史の霧のむこうに行方不明のとなっているイスラエル10部族と日本との間にナンラカの接点があるのなら、イスラエルの幕屋と「式年遷宮」との間に、何らかの「記憶」の繋がりがあったのかもしれないと思うのである。
ヘブル人への手紙7:25にあるとおりです。
ヨーロッパや中国では、血なまぐさい闘争の勝利者が「王権神授」やら「天命」などという名目をつけて国を支配する。
日本の場合、相争う権力者の勝者が、そのまま国を支配するのではなく、「天皇」を担ぐことによってはじめてその権力の「正当性」を獲得することができる。
つまり一番上に乗っかる「天皇」はあらかじめ決まっていて、その下で支配の「代行者」の地位の争奪戦を繰り広げるという構図である。
したがって、武人や官僚の中で現役の天皇を打ち倒して自らが「天皇」の位につこうとする者はなかった。
天皇を打倒するにせよ、他の「天皇」候補者を探し出して担ごうとしたにすぎない。
例えば、天皇という「玉」をつかみえたが故に勤皇の志士達は、成功裡に明治政府を作りえたのである。
一方、226事件の青年将校のように、どんなに天皇への「至情の思い」があったにせよ、「玉」をつかみ損ねたら「反乱軍」として処刑されるほかはないのだ。
このように日本人の精神に覆いかぶさるように存在する「天皇」とは、一体どのような存在なのだろうか。
この点こそが、日本の歴史と文化における「最大の謎」なのだが、この点についての納得のいく説明を聞いたためしがない。
多くの学者は、日本の天皇支配の「継続性」は、「豊葦原水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さしたまふ」という、アマテラスの子孫(天孫)が支配者となって日本を治めるという「神勅」、つまり神の意志に基ずくものであり、天皇の地位は神代から続く血統によるという神話に基ずくものと説明する。
かつて日本は「瑞穂の国」とよばれていた。
「瑞穂(みずほ)」とは、みずみずしい稲穂のことである。
日本は稲が多く取れることから瑞穂の実る国ということで、「瑞穂国」とよばれてきたのである。
もっと正確には、「豊葦原千五百秋瑞穂国」(とよあしはらの ちいおあきのみずほのくに)が日本国の「美称」としても使われていた。
天皇は、今も「田植え」をされる。
といっても皇居内の苗代で種籾を手まきされ、皇居内の水田で稲を手植えになるのだが、 世界中の王室の中で君主自らが「農作業」される国は日本だけといってよい。
確かに「神話」は、古代人が世界をどうみてどう捉えたかを知ることができる「貴重な」資料であり、歴史的事実ではないからといって軽視することはできない。
むしろ、神話に表れた意識や態度が民族の様々の信仰や行動を相当に制していることを思えば、「神話」の世界にこそ民族の最も無意識かつ根源的なものが秘められているとみなすこともできる。
だが日本の場合は、「神話」による支配者の正統性の根拠よりも、そんなにも長く時代を超えて受け入れられてきたという事実ソノモノにこそ目をむけるべきではないだろうか。
つまり王朝が変わってしまえば、新しい「正統性」の根拠を作り出すことさえ可能だからである。
テレビで「草船をこぐ人々」を見ながら、突飛な思いが浮かんだ。
大多数の人にとって、古代イスラエルと日本の間に何らかの「繋が」りがあろうなどとは、その位置関係からしてユメユメ思わないにちがいない。
しかし、古代イスラエルの十二部族のうち「十部族」がシルクロードを移動した痕跡が各地に残っている。つまり「ユダヤ人・コミュニティ」と思わせる地名や遺跡がアジア各地に点在しているのだ。
そのシルクロードの終点こそが「日本」である。その点で、我が地元・福岡県の吉井町の珍塚古墳に「エジプトのファラオが舟で遊ぶ壁画」が存在することは、驚きという他はない。
そしてもしも、「契約の箱」がシルクロードを伝わって日本に移動したのなら、「契約の箱」を運ぶことを許された「部族」に注目するのが自然である。
実は、それが許されたのはイスラエル十二部族中で「レビ族」の人々である。
「レビ族」はユダヤ社会にあって代々「祭司職」を務めた血統であり、世俗の職から離れ神へのささげものを食することが許され、その血統は今も続いている。
彼らが「契約の箱」を運ぶその姿は、日本人が祭りに際して「神輿」を運ぶ姿にソックリである。
イスラエルが紅海を渡ってシナイ山で十戒をうけた時のように、「葦の舟」を漕いで日本海を渡り、どこかの山懐に「契約の箱」を隠した可能性はないか。
ここで注目したいのが、京都府の丹後半島の「元伊勢籠神社」で、大陸からやってきた「海部族」がを作ったというが、レビ族と関係はないのだろうか。何しろ、この神社こそ「伊勢大社」の源流なのだから。
こういう聖書全体を一筋に貫く血統の不思議は、世界の王室の中で唯一古代より今に至るまでも続く日本の天皇の血統の「不思議」を想起させるものがある。
しかし血統のことをいうならば、イエス・キリストの系図よりも「レビ族」の系統との相似性にふれる方が適切であるかもしれない。
実はレビ族はユダヤ社会にあって代々祭司職を務めた血統であり、世俗の職から離れ神へのささげものを食することが許され、「契約の箱」を運ぶことを許された唯一の人々で、その血統は今も続いている。
すなわち彼らは「契約の箱」の最も近くにいた人々であり、契約の箱を運ぶのは、日本の神輿そっくりの乗せ物で運んだのである。