聖書の言葉から(イエスは涙を流された)

西洋絵画でよく描かれた聖書の場面のひとつが、「ラザロの復活」である。
新約聖書「ヨハネの福音書11章」にあるが、「死人が蘇る場面」として、また「イエスが涙を流された場面」としても知られる。
ただ、この時のイエスの涙の意味は、この時立ち会った人々と同様に、”誤解”されているようだ。
イエスはエルサレムの街から離れたベタニアの村で愛するラザロの死を聞き、ラザロの姉妹であるマルタとマリアの家にむかう。
イエスは家に着いてマルタに、「自分がここに居なかったことはよかった。それは、あなた方が神の栄光をみるためだ」と語り、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」とつげる。
それに対して、マルタは「終りの日のよみがえりの時よみがえることは知っています」と答えている。
そしてイエスは妹のマリヤをよぶと、マリアは「もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」とつげる。
そしてイエスは、彼女が泣き、また一緒にきたユダヤ人たちが泣いているのをみて、激しく心を動かして、ラザロをどこに置いたのかと尋ねた。
彼らはイエスに「主よごらん下さい」と語った。するとその時に、イエスは涙を流された。
イエスの涙を見たユダヤ人たちは「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」と語りあった。
またある者は、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようにはできなかったのか」と言った。
イエスはまた激しく心を動かして墓にはいり、「石を取りのけなさい」と語った。
するとマルタは、「主よ、もう臭くなっております。4日もたっていますから」答えた。
その時イエスは彼女に「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」と語っている。
人々は石を取りのけ、これは神ががわたしをつかわされたことを、信じさせるためであると言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわった。
すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。そしてイエスはラザロをほどいてやって、帰らせなさい」と語った。
イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは驚嘆し、イエスを信じた。
以上が「ラザロ復活」のアウトラインだが、全体としての印象は、イエスと人々の言動とが、チグハグでかみ合わないということ。
さて問題の「イエスが涙を流した」場面であるが、イエス自身は「ラザロの死」を悲しむ理由はなにひとつないのである。
イエスは最初からラザロを復活させる意図をもって、ラザロの姉妹の家に向かい、実際にその通りになったのであるから。
実は「激しく心を動かし」(ヨハネ11章33)というの部分を原語に即して訳すと、「霊の憤りをおぼえ」となっている。
イエスの涙の理由は、悲しみよりも”憤り”なのだ。それはマルタに対する、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」という少々キツイ言葉からも推測できる。
ただ、この場面でのマルタの「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」という言葉と、「ラザロよでてきなさい」とあるように、「名ざし」であることには注目したい。
結局、イエスの涙とは「復活」を信じられない人々の不信仰に対するもので、それは現代人にも向かっているやもしれない。

旧約聖書時代のBC11C頃、サムエルという預言者が現れ、民衆がもしも王を立てることを求めるならば、息子や娘を兵役や使役にとられたり、税金をとられたち、奴隷となることもあり得ると警告したが、民衆は聞き入れなかった。
さらに預言者サムエルは、王政について「あなたがたの羊の10分の1を取り、あなたがたは、その奴隷となるであろう」と預言している。
それでも民衆はサムエルの声に聞き従うことを拒んで「われわれも他の国々のようになり、王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである」(サムエル記上8章)」と応じて、結局は民衆の声によって王政がはじまるのである。
この時から約10Cを経たイエスの時代、イエスと弟子達がカペナウムに来たとき、宮の納入金を集める人たちが、ペテロのところに来て言った。
「あなたがたの先生は、宮の納入金を納めないのですか」。
ペテロは「納めます」と言って、家にはいると、先にイエスの方からこう切り出した。
「シモン。どう思いますか。世の王たちはだれから税や貢を取り立てますか。自分の子どもたちからですか、それともほかの人たちからですか」。
ペテロが「ほかの人たちからです」と言うと、イエスは「では、子どもたちにはその義務がないのです」と答えた。
「しかし、彼らにつまずきを与えないために、湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとシケル1枚が見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい」と命じられた。
当時の「宮の納入金」つまり「神殿税」は、「2ドラクマ」で支払うことになっていた。
1ドラクマが、労働者1日の賃金に相当し、イエスとペテロあわせて「計4トラクマ」支払うことになるが、これが「銀貨1シケル」にあたる。
旧約の預言からイエスの昇天までの経緯を知るならば、取立人がイエスに神殿税を求めることが、いかに滑稽なことであるかはすぐに理解できる。
それは、宴会の主賓から入場料をとるようなこととは次元が違う。神の御座の権威と、地上の王の権力に関わる話である。
パウロは「エペソ人への手紙」で次のように書いている。
「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自身の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました」(1章)。
ここで「神の右の座」というのは、左右の方向を表すものではなく。権威や主権そのものを表す言葉なのである。
それにしても奇妙に思えるのは、イエスがペテロに最初に釣った魚の中にある銀貨を宮に納めなさいといったことである。
現代人は、こんな荒唐無稽な話は論ずるに価しないと思うかもしれないが、実はガリラヤ湖では、魚がコインをくわえて釣れるケースは珍しいことではなかったのだ。
ガリラヤ湖には、「ティラピア」という魚が沢山いた。この魚は、自分の子供の魚を自分の口の中で育てるが、子供の魚がある程度大きくなると、口の外へ追い出すために、親魚はわざと小石を飲み込む。
そして、子供の魚は親魚の口の中にある石が邪魔で戻れなくなり、外の世界で成長することへと導かれる。
したがって時々、子供の魚を追い出すための小石と一緒に、湖に落としたコインを親魚が飲み込んでしまうことがあるのだという。
ペテロは漁師であるから、当然魚がコインを飲み込む習性のことも知っていた。
「空の鳥、野の花を見よ。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから明日のことは思い煩うな」(マルコの福音書1章)。
このたとえから、イエスも、自然界の営みに精通していたことがうかがえる。
さて、イエスがペテロをわざわざ湖で釣りをするように仕向けたことは、ペテロにむけて何等かのメッセージがあったからではなかろうか。
聖書の解釈が暴走しない為には「聖書のことは聖書に聞け」が原則だが、実は「1シケル銀貨」が登場するイエスのたとえ話が他にあるだ。
「ある女が銀貨10枚を持っていて、もしその1枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたからと」(ルカ15)。
また別の譬え話が続く。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう」。
この2つのたとえ話から「失われた銀貨」と「見失った羊」が、同等なものとして譬えられている。
つまり、「1シケルの銀貨」は、「救われるべき人間」を意味している。
もうひとつ、「最初に釣れた魚」という言葉に注目したい。イエスが公やけに活動をはじめ、最初に弟子にしたのがシモンであった。
つまり、イエスの観点からすれば、シモンこそが「最初に釣れた魚」であった。
この時、イエスは出会ったばかりのシモンに「これから人間をとる漁師になるのだ。ついてきなさい」(マタイ5章)と促し、シモンがそれに従うと、シモンに「岩」を意味する「ペテロ」の名を与えた。
実は、幼魚を口で育てる習性をもつ魚は「セント・ピーターズ・フィッシュ」と命名され、現在もガリラヤ湖でよく獲れるという。ピ-ターは英語読みだが、日本語聖書では「ペテロ」になる。
また、セント・ピーターズ・フィッシュは口の中にしばしばコインを含むが、これは旧約聖書の「ヨナ記」を想起させる。
ヨナが敵国の都ニネベへの伝道を拒否したが故に海に投げ出され、3日間魚の腹の中にいて吐き出され命拾いする話である。
これは十字架の死後、3日目に蘇るイエスの「復活」の型である。
実は、イエスは「宮への納入金問題」がもちあがる以前に、人々と神殿についての議論を行っている。
ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた(ヨハネの福音書2章)。
そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちをみて、羊や牛をすべて境内から追い出し「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない」といわれた。
すると、ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。
それに対して、イエスは「この神殿を壊してみよ。3日で建て直してみせる」と語った。
するとユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに46年もかかったのに、あなたは3日で建て直すのか」と言った。 聖書には、イエスの言われる神殿とは、「自身の体」のことだったと書いてある。
イエスの昇天後、聖霊が下り「教会」が誕生するが、教会とは建物のことではなく「信徒たちの共同体(エクレシア)」を指すものであり、「キリストの体」(エペソ人5章)になぞらえられている。
そこで、宮の納入金として1シケル銀貨をイエスの分とまとめて納めるとは、どういうことか。
イエス(聖霊)とペテロとが共に働いて「救われる魂」を教会に加えることを表しているのではないか。
ペテロの生涯をみると、イエスの十字架の直前にイエスを否定し逃げ出すものの、イエスの十字架の死以後は、聖霊に導かれながら福音を伝え、殉教に至るまで忠実に従った。
以上から、イエスがペテロに命じた「最初に釣れた魚から出てきた銀を宮の納入金を納める」という内容は、ペテロがこれから、イエスと共に歩まんとする使命が預言されているように思える。
イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じたと記してある。
ペテロも、イエスの復活と昇天後に、イエスが語った「魚の中の銀1シケル」の話を思い返し、自らが教会のいしずえ(岩)となる使命をかみしめたのかもしれない。

新約聖書において、イエスと人々の問答は、チグハグだらけといってよい。
チグハグの理由は、誰も本当のイエスを正しく理解していなかったからだが、チグハグの裏側にこそ、神の本質が隠されている。
イエスは、「あなた方は地上のことでさえわからないのに、どうして天のことを語ってわかろうか」(マタイ8章)ともいっている。
イエスは、ユダヤ人の最高指導者ともいうべきニコデモに対して「新しく生れなければ、神の国に入ることはできない」と語った。
すると、ニコデモは「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」と応えている。
ユダヤの指導者のニコデモといえども、こんな即物的な応えしかできずに、イエスから「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか」と叱られている。
そもそも、旧約聖書には、イエスの名は一行もでてこない。神の名は暫定的に「ヤハゥエ」(エホバ)の名しかない。
万一「イエス」という名前が預言されていたとしても、「イエス」という名前は、ユダヤ人たちの中で一般的な名前だったため、それだけで「キリスト」と確信するのは難しい。
したがって、ナザレ育ちの大工のせがれが、突然に自らがキリストであるといい出したりしたら、たとえ奇跡や不思議が顕れたとしても、それは「神への冒涜」としか映らなかったのだ。
とはいえ、旧約聖書を紐解いて、救世主(メシア)、油注がれたもの(キリスト)が誰なのかを知ろうとしていた人々が、イエスの十字架以前にも以後にも、少なからずいたのである。
実は新約聖書は4人の記者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)がイエスの生涯を記しているが、なかでもマタイは、イエスの誕生から死と復活に至るまでの行跡を旧約聖書の預言とつなげて、イエスが聖書に預言されたキリストであることを示す意図をもって記録している。
例えば、イエスがおとめより生まれることは「イザヤ書53章」で、イエスのベツレヘムでの誕生は「ミカ書5章」で、イエスがナザレ人とよばれることは「エゼキエル書2章」に、いずれも旧約の時代に具体的に預言されている。
イエス自身が「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」(ヨハネ5章)と証言している。
その一方で、「ああ、物分かりが惡く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」(ルカ24章)と批難している。
さらに、イエスの復活後も、熱心に聖書を調べている人々の群れについて「使徒行伝」は次のように書いている。
「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた」(17章)。
パウロは、「ギリシア人は知恵を求め、ユダヤ人は徴(しるし)を請う」と記しているが、彼らはパウロのいうことが本当かどうか、聖書を調べていたのだ。
そしてパウロは、自分の言うことを鵜のみにしないそんな人々を「良い人たち」といっている。
こうした、聖書に立脚した信仰をもとうとした人々こそが、エルサレムを中心とした初代教会の基礎を固めた人々であったに違いない。