最終列車が近い新幹線のプラットホームでの会話。
客:「のぞみは、ありますか」。
駅員:「のぞみはないけど、ひかりならあります」。
この言葉、当時気持が落ち込みがちだった客の心の奥底に、ずっと"こだま"し続けたという。
このエピソードは、臨床心理家・河合隼雄が残したジョークを元に個人的に創作したもの、実際、絶望的状況で思わぬ"ひかり"が差し込むこともある。
その”ひかり”とは、四面楚歌の中で助けが来たり、敵方に仲間がいたりすることなど(申命記20章)。
絶対的危機の中、予想外の助けで救われたのは、宗教改革におけるマルチン・ルターのケース。
その助けとはなんと"誘拐"。誘拐犯とは悪人と相場が決まっているが、ルターを誘拐したのは、これ以上ない最高の「保護者」であった。
その後の展開をみれば、このルターの誘拐・保護者の出現の歴史的な意義は極めて大きい。
時を遡って、ローマ教皇・ユリウス2世は「これを買えばこの世の罪が帳消しになる」という歌い文句で贖宥状(しょくゆうじょう)を販売した。
一定の財源が集まったので後を継いだのがレオ10世で、当時ローマ教会はサン=ピエトロ大聖堂の改築工事をおこなっていた。
改築には資金が必要になる。莫大な改築費用を捻出するためにはじめたのが免罪符の販売である。
ローマ教会は免罪符販売部隊を作って、これをドイツに送り込む。
なぜ、ドイツかというと、当時のドイツは皇帝がいるものの内部は諸侯の対立が激しくて分裂状態に近かった。ローマ教会にとってはそのほうが免罪符の販売がしやすかったからだ。
一方で教会は各地で世俗化、腐敗化が目立っていた。
そんなとき教会に強く反発し、「95か条の論題」という抗議文を教会の扉に張り付けたのがヴィッテンベルク大学のマルティン・ルターである。
ローマ教会としてはこのままルターを放置できない。
政治的な圧力で屈服させようとした。
当時のドイツ皇帝、正式名称は神聖ローマ皇帝カール5世はローマ教会と協力関係にあった。
だから、カール5世は政治的にルターを何とか改心させようと考えた。
そこで1521年、カール5世は国会を開いてルターを召喚する。
この国会を「ウォルムスの帝国議会」といい、 ここに呼び出されたルターは皇帝から自説の撤回を迫られることになる。
しかしルターは断固としてそれを拒絶、「私はここに立つ。これ以外にどうすることもできない」と応じる。
皇帝は、自説を曲げないルターを法の保護の外に置くことにした。
アハト刑という「いっさいの権利を奪われる刑」で、これは誰かがルターの肉体を傷つけたり殺したりしても罪に問われないということである。
ローマ教会を敵にまわしたルターに恨みを持っている者は少なからずいるはずで、ルターはかなり危険な状態に陥ることになる。
そして、ルターが帝国議会が終わってヴィッテンベルグに帰る途中、さっそく襲われた。
森の中で覆面をつけた騎士が数騎ルター一行を襲って、ルターは彼らに誘拐される。
その誘拐犯とは、ザクセン選帝侯のフリードヒ3世であった。
ルターが教授を務めていたヴィッテンベルグ大学を設立した人物であり、選帝侯としてカール5世を皇帝に選出した一人で周囲の信頼も厚かった。
ルターは匿われたヴァルトブルク城で聖書をドイツ語に翻訳する。
皇帝から国外追放の処分は下されたが、やがてルターの翻訳した聖書は印刷されドイツ国内に広まっていく。
ルターに賛同する勢力はプロテスタント(抗議する者)と呼ばれ、反カトリック、反皇帝勢力としてドイツに広まっていく。
ルター派と皇帝派は2度にわたる戦争の末、ルターの死後1555年、アウクスブルグの和議により公認された。
この宗教改革の動きはドイツを中心にやがてヨーロッパ各地に広まっていく。
イタリア・ナポリ近郊にあるポンペイ遺跡は、古代ローマの都市と人々の生活ぶりをほぼ完全な姿で今に伝える貴重な遺跡である。
西暦79年8月24日、ナポリ湾を見下ろすベスビオス火山が大噴火すると、南東10キロに位置したポンペイの町は火山灰に埋もれてしまった。
その後、およそ1700年の時を経て始まった本格的な発掘によって、古代都市の様子がまるで”時が止まった”かのように出現した。
ローマの街道は溶岩で造られたが、その溶岩がポンペイの人々の日常を一瞬にして固めた。
1万2000人と推定されるポンペイの町には、壁画やモザイク画、市民が記した落書きなどが当時のまま残され、ローマ帝国の市民たちの贅沢で、享楽的な暮らしぶりを鮮やかに物語っている。
そうした平和な日々は、ベスビオス山の大噴火によって、一瞬にして奪われてしまった。
灰は硬く固まり、肉体が朽ちて空洞だけが残った。
爆発のときに発生した火砕流の速度は時速 100 km 以上であり市民は到底逃げることはできず、一瞬のうちに全員が生き埋めになった。
後に発掘されたときには遺体部分だけが腐ってなくなり、火山灰の中に空洞ができていた。
考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げまどうポンペイ市民が亡くなった姿を再現した。
顔までは再現できなかったが、恐怖の表情がはっきり分かるものもある。
母親が子供を覆い隠し、襲い来る火砕流から子供だけでも守ろうとした様子も、飼われていた犬がもだえ苦しむ様子も生々しく再現された。
最後の姿をとどめているのは、火砕流が非常に高温だったからで、ほぼ即死だったことが推測される。
実は、新約聖書「使徒行伝」のパウロは、ローマでの伝道中に牢獄で地震にあっている。
ベスビオスの火山の爆発は79年。ネロの迫害で60年代に殉教しているで、ベスビオス噴火時の地震ではないが、ローマは溶岩で道ができるほど頻繁に地震が起きているようだ。
実はユダヤ人でありながらローマの市民権をもつパウロは、自分が述べ伝えるイエスにつき弁明するためにシラスとともに、ローマに護送されていた。
獄吏はこの厳命を受けたので、ふたりを奥の獄屋に入れ、その足に足かせをしっかとかけておいた。
真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。
ところが突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった。
獄吏は目をさまし、獄の戸が開いてしまっているのを見て、囚人たちが逃げ出したものと思い、つるぎを抜いて自殺しかけた。
そこでパウロは大声をあげて言った、「自害してはいけない。我々は皆ひとり残らず、ここにいる」。
すると、獄吏は、あかりを手に入れた上、獄に駆け込んできて、おののきながらパウロとシラスの前にひれ伏した。 それから、ふたりを外に連れ出して言った、「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。
ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。
それから、彼とその家族一同とに、神の言(ことば)を語って聞かせた。
パウロが逃げなかったのは、ローマ皇帝の前でイエスの復活と救いを証する絶好の機会だったからだ。
ところがパウロは、ローマに護送される途中、船が暴風雨に巻き込まれ再び命の危機に見舞われる。
その時の絶望的状況を「使徒行伝」の記者は、次のように記している。
「わたしたちは、暴風にひどく悩まされ続けたので、次の日には、人々は船荷を捨て始め、三日目には船具までも、手ずから名が捨てた。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、私たちの助かる最後の望みもなくなった」(27章)。
しかし、予めローマ皇帝の前で証言する神の導きうけていたパウロは、嵐の中で大揺れする船中でも意気揚々と振舞っていた。
そしてパウロは船員たちにいった。「元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使(みつかい)が、わたしのそばに立って言った、 『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』。
だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、われわれは、どこかの島に打ちあげられるに相違ない」と。
実際に、パウロがいうとおりに彼らは、マルタ島に打ち上げられ一人も失われなかったものの、ローマの兵卒も船乗りもすっかり怯えきってしまった。
さらにパウロは、マルタ島でヘビにかまれ、原住民から命運つきたか、いつ死ぬのかと見守られたが、「神の導き」の確証を握っていたパウロは、何事もなかったようにヘビを払いのけ、なんら苦しむ様子も見せず、ついには「神だ!」と崇められた。
結局、囚人のパウロが、護送する側を勇気づけたり、家族までも救ったりした末に、島民から「神」とあがめられるのである。
旧約聖書では、ノアの洪水、ソドム・ゴモラの消失、出エジプトの過程で下る様々な災い、エリコの崩落、エルサレム陥落などがあり、そこから救出される一握りの人々、あるいは「家族」が主題となっている。
ノアの家族も、ロトの家族も、ラハブの家族もすべて「神の声」または「御使い」に導かれて、逃れようもないカタストロフィーを生き延びた。
その点、新約のパウロや使徒達が「聖霊」に導かれていることが、違う点である。
さて、日本にも世界にも、お家存亡の危機や民族抹殺の瀬戸際に立つことを余儀なくされた女性達がいる。
日本の幕末、薩摩より第13代将軍徳川家定の正室になった篤姫、朝廷より第14代将軍徳川家茂の正室となった和宮も、そんな女性達である。
新政府(薩摩・長州)は、徳川幕府と闘うが、武家出身と公家出身の二人は相容れない仲であったが、1000人を超す大奥最強のふたりは、「徳川家の存続」の為に共に戦う同志という関係に変わっていく。
また、旧約聖書「エステル記」の主人公・エステルは、一家存続どころかユダヤ人ホロコーストに危機に直面した女性である。
BC8C頃、ユダヤ人は大国アッシリアやバビロニアによって攻められ多くの民が捕虜として強制連行された。そして、ペルシア王国の領土内にコミュニティーをつくっていた。
ペルシア・クセルクセス一世は、ペルシアの首都スサで王位に就き、その3年後に180日に及ぶ「酒宴」を開き、家臣、大臣、メディアの軍人・貴族、諸州高官などを招いた。
その後、王妃ワシュティも宮殿内で女性のためだけの酒宴を開いていて、最終日に王はワシュティの美しさを高官・市民に見せようとした。
しかし、なぜかワシュティは王の命令を拒んで、宴席にさえ出ようとはせず、王はすっかり腹を立ててしまった。
王は側近から、こうした噂が広まると女性達は夫を蔑ろにするという助言をうけ、王妃ワシュティを追放した。
そして王は大臣の助言により「新たな王妃」を求めて全国各州の美しい乙女を一人残らず首都スサの後宮に集めさせた。
スサは紀元前500年頃から大きなユダヤ人コミュニティーがあり、そこに美貌のエステルがいた。
義父モルデカイはエステルを応募させ、エステルは後宮の宦官ヘガイに目を留められて王妃となり、誰にもまして王から愛された。
しかしエステルは、自分の出自と自分の民族つまり「ユダヤ人」であることは誰にも語ってはいなかった。
彼女の本名は「ハダサ」であり、エステルは実はペルシア名であった。
エステルはバビロン捕囚時のユダヤ人の子孫だったため、二つの名を使い分けて生きてきたのである。
ペルシア帝国が台頭し、バビロン帝国が滅ぼされると、強制連行されたユダヤ人達も解放され、国を再建することが許されたものの、異国の地に留まり続けなければならなかったユダヤ人も大勢いた。
モルデガイがエステルの養父になったのも、そんなユダヤ人コミュニティーの特殊な事情があったためであろう。
一方、王の下での最高権力者ハマンは、宗教的な儀式の場面などで自分に従おうとしないモルデカイに対する恨みを抱くようになった。
そしてハマンは、ユダヤ人全員の殲滅計画をめぐらせ、王にユダヤ人への中傷を繰り返し述べて、その計画を着々と進めていった。
そしてクジで選ばれた日に、すべてのユダヤ人を抹殺することが決定したのである。
これを聞いたエステルとモルデカイは悲嘆にくれ、そしてほとんどのユダヤ人は、自分達にやがて降ってくる災難を嘆くほかはなかった。
そこで義父モルデカイは養女エステルに言った。「この時のためこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」。
エステルはスサの全てのユダヤ人を集め、三日三晩断食するように命じ、その後、意を決して王に直接会いに行った。
その時代、王妃といえども「召し」なくして近づくことは許されなかったが、王は上機嫌でエステルとの面会を許し、エステルは王に最高権力者ハマンと共に、酒宴に開きたいという旨を伝えた。
そして当日の宴席で、エステルは王に自分がユダヤ人であること、およびユダヤ人殲滅計画が信仰していること、さらにはその首謀者がハマンであることを伝えた。
実は、その宴会の前日、なぜか眠れない王は、宮廷日誌を持ってこさせて家臣に読ませた。
するとモルデガイがかつて王の暗殺計画を察知し、王の暗殺を未然に防いだ記録をはじめて知り、さらにはその「恩賞」さえ与えていないことを知った。
このこともあってモルデガイと養女エステルへの信用度をあげていた王は、ハマンの計画を追及し、ハマンを柱にかけて処刑した。
実はこの柱、ハマン自らがモルデカイ殺害用に立てたものであった。
そして、首謀者ハマンの死とともに、「ユダヤ人ホロコースト計画」は寸でのところで阻止された。
その後、王妃エステルの義父モルデカイは、処刑されたハマンの空席を埋めるかのようにハマンの財産と地位を譲り受け、宰相となる。
「エステル記」には、神もその言葉もでてこないが、神に訴えるものサタン(つまりハマン)との間に立つ仲介者、イエス・キリストの「雛形」(つまりエステル)としての物語である。
また、シュワティの座にエステルが座り、ハマンの座にモルデガイがすわった。そしてモルデガイが架けられるハズの十字架に、ハマンが架けられることになった。まさに、「のろいを祝福に変える神」(申命記23章)である。
さて、世界にユダヤ人が散っていることは、対立する国家の中にもユダヤ人同胞がいることになる。
とすると、ユダヤ人の「ディアスポラ」は、結果からみると”生き残り戦術”。それは意図されたものではないので、”隠れた叡智”のようでもある。
聖書は、アブラハムの子孫につき次のように語っている。
「わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。 あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる」(創世記22章)。