人は、自分がイメージする自分と他人から見える自分との齟齬で結構悩んだりする存在なのであろう。
しかし、最近ではデータが蓄積した「第三の自分」とつきあわざるをえなくなったようだ。
それも、生涯にわたってつきまとう「データとしての自分」という存在。
コンピューターによるネット利用は、「Cookie(クッキー)」の中にすべてその痕跡が残る。そんな、情報の断片を継ぎたしていけば、人物が「特定」され、人物像が構成できるようになる。
そしてその存在が、ネット空間で「拡張」されたり、「矮小化」されたりして、様々なイタズラを仕掛ける。
そんな「第三の自分」を消そうとしても、有効な手段がなく、仮想空間で一人歩きしているような状況が起きている。
それは、自分のカケラかもしれないし、自分でも把握しきれない「自分の全体像」かもしれない。
例えば、自分の遺伝子情報が誰かに完璧に読み取られ、そのAI分析が自分が気づかぬままに利用されていたりしたらどうであろう。
そうして構成された「第三の自分」が結婚や就職という重大局面から、デートの約束からホテルの予約にまで影響を与えるかもしれない。
現実にひょんなことから「第三の自分」のイタズラに気がついた時、それが自分なのかと妙に納得したり、唖然としたり、「鼻につく」存在となったりするのかもしれない。
ちょうどロシアのゴーゴリが小説「鼻」で描いたように、突然に自分の分身「鼻」が出現して、リアルな自分を苦しめることになる。
ゴーゴリが生きたのは、19世紀のはじめニコライ1世統治下のロシアであるが、2019年そんな「第三の自分=データとしての自分」の出現を象徴するような事件が起きた。
就職情報サイト「リクナビ」は、「リクルートキャリア」が運営している学生向けの就職支援サイトである。
個人情報を入力して登録すると、3万社以上の企業の採用情報を見ることができ、面接を申し込む「エントリー」という手続きを行うこともできる。
そのリクナビが去年の3月からはじめたのが、「リクナビDMPフォロー」という企業向けサービス。
学生Aは、リクナビを通じて、さまざまな企業の採用情報を見て、ある企業の面接を受けた。
しかし採用担当者が、Aが「別の業種にも関心がある」などと話していたことが気になった。
内定を出したとしても、最終的に辞退してしまうかもしれないと心配している。
実は、リクナビDMPフォローを使って、学生Aに関するデータをAI・人工知能で分析すると、「内定を辞退する可能性が高い」などとスコアを付けて答える。
では、このAIは、何を根拠にしているのか。
Aが、リクナビのどの企業ページを閲覧していたかという履歴なのだ。
そのデータと、過去の学生の履歴データなどとつき合わせる。
そして同じような傾向がある学生は内定辞退をする傾向が高いと分析したのだ。
このサービスを購入していた企業は38社にのぼるが、このサービスは、法律上、問題があると指摘されている。
「個人情報保護法」では、ネットの閲覧履歴を含む個人データは、本人から集める際に、利用目的を示さなければならない。
ところが、リクナビは「採用活動補助のため利用企業などに情報提供」すると示して同意を得ていると説明していたが、約8000人からは同意を得ていなかった。
同意を得ていたとしても、それが「内定辞退率」つまり自分にとって不利な評価に繋がりかねないデータに使われるなど、思いもよらなかったに違いない。
リクナビに登録しないとエントリーできない企業もあることから、学生の中には、大学からリクナビの登録を勧められたという人もいる。
個人情報を提供しなければ利用できないという有利な立場を利用したもので、学生に対する”裏切り行為”といわれても仕方がない。
各社は「合否の判断には使わない」といいつつも、学生側から見ると自分の将来が知らないところでAIによってきめられているという不安は除去できない。
さてAIが学生の採用を決めるというのは、ヒューマン・リソースの頭文字を使って「HRテクノロジー」とよばれている。
AIは、膨大な数の応募者をさばくことができることや、面接官ごとの評価のばらつきをなくせるという利点もあるが、それは欠点にもなりうる。
またAIは、過去のデータに基づいて将来を確率で予測するため、これまでの人材にはないユニークな特性は無視される傾向があるからだ。
AIの答えを信用しすぎると、個性的な人材は就職が難しくなるおそれがある。
最近、東京大学の準教授が、自ら関わっている企業でAIの分析を根拠に「中国人は採用しません」と書いたところ、批判が殺到し、辞職に追い込まれている。
なんとそれはAIの分析した「傾向」を根拠に、「中国人、お断り」としたのだ。
かつて血液型を根拠に採否を決めることは、合理的根拠にかけ就職差別に繋がるということになったが、これは新しいカタチの就職差別にほかならない。
人を国籍や人種によって包括的に見て判断していいるため、憲法でいう「個人の尊重」という理念にも反する。
また、「就職ナビ」におけるネットの閲覧履歴など、「本人の能力とは関係ない情報」とみなすこともできるからだ。
ともあれ、2019年のリクナビの不適切な方法で行われたAIサービスは、学生に不信感を与えたことは間違いない。
AIの信頼性が話題となる今、政府の個人情報保護委員会は、ウェブの閲覧履歴がたまる「Cookie(クッキー)」と呼ばれるデータについて、第三者に提供すると利用者個人が特定される場合には、利用者の同意を取ることを提供者に義務づける方針を明らかにした。
人は、自分の記憶の断片を自分なりに編集しながら「自分」というイメージを創りあげている。
言い換えると、自分自身のアルゴリズム(手順)に従って処理しているということがいえる。
ところが他人は、それぞれの観点と評価、つまり他人なりのアルゴリズムに従って"私"という存在のイメージを創り上げている。
ということは人は、日々”私”に関する、様々なデータの編集者と対峙しているということだ。
ただ、この場合のデータはアナログ的(感覚的)に構成される「第二の自分」で、AIによって構成される「第三の自分」とは異なる。
そこで、人間にとって「適職」というものを考えると、かならずしも本人がやりたいと思っていることとは違うのかもしれない。
逆に、AIの分析が警察官に向いているという結論を出しても、本人が警察官になりたいと思うかは別問題である。
実際、仕事の能力は本人の「内部評価」よりも、他人から見た「外部評価」の方が正しいことが多い。
哲学者の内田樹は、「適職は幻想である」とまでいっている。
そして「キャリアのドアにはドアノブがついていない」というのが持論なのだそうだ。
つまり、キャリアのドアは自分で開けるものではなく、向こうから開くのを待つ姿勢が正しい姿である。
自分が「何を」持っているかは、自分で見つけるものではなく、周りの状況がそれとなく「教え」てくれるものということである。
その具体例として思いつくのが、警察で「指紋の神様」といわれた人物のことである。
警察官になれば「警視庁特捜部一課」というのが、誰しもが憧れるところらしい。
ところが、主人公は、念願かなわず「指紋照合課」に配属になった。
しかし、そこで仕事に打ち込んでいく中で、「捜査一課」にいては、絶対に解決の糸口さえ見つけられなかったであろう「重要犯罪」の糸口を見出すことになる。
具体的にいうと、1986年有楽町で、3億円の現金強奪事件が起こり、鑑識課所属の塚本宇平は、「指紋の照合」という非常に地味で単調な仕事を通して、「外国人窃盗団」の存在を明らかにする。
この「指紋の鬼」とまで呼ばれた塚本宇平の生涯を見ると、「仕事に呼ばれた人」というのがピッタリの感じがする。
「仕事によばれた人」といえば、ジミー大西もあてはまるかもしれない。きっかけはテレビ番組で遊びで描いた絵が妙に人々をひきつけてしまったこと。
ジミー大西こと大西秀明は大阪生まれの大西は小学校時代より野球に熱中し、後に巨人の桑田も所属した少年野球チ-ム「八尾フレンド」で活躍した。
中学校時代でも野球部で頭角を表し、スポーツ推薦で強豪の大阪商大堺高校に進学した。
なみいる部員のなかで大西は特に目立つ存在ではなく、しかも「ベンチのサイン」が覚えられずにレギュラーにはなれなかった。
ヒットで出塁すると監督の身振り一つ一つを計算してサインを読み取るのだが、大西が計算するとなぜかマイナスになってしまったりした。
やむを得ずベースの横の地面に数字を書いて計算していると、ベンチに戻るヤ監督から「やめてしまえ」と怒鳴られた。
野球ではこれ以上だめだと諦め、高校在学中から吉本へ入りなんば花月の舞台進行役を経て、「ぼんちおさむ」に弟子入りした。
その後漫才コンビを結成するが、いつも相方との「呼吸」が合わず、漫才コンビは長続きすることなかったという。
しかし心根の優しいジミーを明石家さんまが「運転手」として雇い、面倒を見てくれることになった。
そして「一発ギャグ」を武器に、テレビの出演機会が次第に増えていった。
そして、あるバラエティ-番組で、芸能人の書いた絵を出して誰の絵かを当てようという企画がもちあがった。
その中でいわば、「お笑いネタ」の意味で大西にも声がかかったのである。
司会者が軽く紹介した大西の絵が、幾人もの芸能人の絵のなかで一番インパクトがあり、会場はある種の"驚き"につつまれたのである。
少しゾットする感じの絵で、ジミーの絵は意外とハデだった。
1993年に初めて個展を開催し動物などをテーマとしたシュールな画風と鮮やかな色彩感覚で画家として注目脚光を浴び「平成の山下清」とも称された。
またジミー大西の作品は岡本太郎、横尾忠則ら、日本を代表する美術家に絶賛されている。
岡本太郎は、大西に君の絵はすばらしい、枠にとらわれず、ハミダスように描きなさいといわれ絵の具をプレゼントされた。
そして大西の描く絵は巨大タンカーのタンクなどにハミ出すほどのスケールで描かれている。
”ピーターパン”を生みだしたイギリスのジェームズ・バリは、「幸福の秘訣は、好きなことをやるというのではなく、やらなければならないことを好きになること」という名言を残している。
今から7年ほど前に、「データとしての自分」つまり「第三の自分」に出会って大きく人生をかえた女子高生がいる。
当時、文部科学省は、2020年東京オリンピックで25個から30個の金メダルを目指していることを早い段階から表明してきた。
そこで課題となるのが、才能ある選手の発掘であり育成である。
実は日本オリンピック委員会(JOC)は、若手選手を英才教育する「エリート・アカデミー」を競技団体と共に5年前から始めていた。
その対象は、卓球、レスリング、そしてフェンシングの3つである。
中学1年から高校3年までの44人が実家を離れて競技に専念し、トップアスリートと同じ場所で、一貫した指導を受けている。
そして、福岡県が行った「ある取り組み」が注目を集めた。
その名も「タレント発掘事業」で2009年から、県を挙げて実施している。
最初に、およそ20種類の運動能力テストを行い、瞬発力や持久力、反射神経などを測定し、県全域から成績が上位だった子どもを選抜する。
そして、小学5年から中学3年までの間に、個人種目からチーム種目まで、最大で28の競技を体験させる。
こうした過程から、その選手が「世界を目指せる競技は何か」につき、「適性」を徹底的に見極める。
このプログラムに参加し、その才能を開花させたのが、太宰府市にある県立高校3年の女子生徒である。
10メートル離れた的を正確に狙い撃つ「ライフル射撃」の適性を見いだされた。
わずか数回の練習で「高得点」をマークし、福岡県ライフル射撃協会の理事が、”ぜひとも”とライフル射撃に誘ったほどだった。
そして女子生徒は、国際大会で、抜群の集中力を見せて「銅メダル」を獲得し、その「才能」を実証してみせたのである。
この女子生徒は、意外なことに、小さいころから「集中力がない子」といわれたという。
したがって、この女子高生の場合、「第三の自分」に出会わなければ、射撃の世界に入ることはなかったであろう。
IT企業が、サービス利用歴を元に個人に点数をつける「信用スコア」が、じわじわと広がっている。
クレジットカードの「信用スコア」によって、車の同乗者として安心できるか、民泊するうえで安心か、宅配をちゃんとやってくれるか、シェアリングにも影響がでるという。
実際には、ソコア化はそれ自体が大きな意味を持っている。
スコアは、点数が低いと恥ずかしいという感覚を、個人の内部にも植えつけるからだ。
ただ信用度はどんなアルゴリズムでなりたっているのだろうか。グーグルとヤフーの検索は、表示するアルゴリズムが違う。前者はリンク数でソートし、後者はアクセス数でソートして表示する。
かつてブータンが「世界一幸せな国」という評価がでたか、どんな指標を使っているかで、結論は真反対にでる可能性さえある。
そして重大なことは、誰が、AIのアルゴリズム(数式)を支配しているかが問題なのだ。
つまり観点別評価の基準と数式を支配する”ルーラー”とでもいうべき存在のことである。
いま、母親が夕食に何をつくる例に考えてみると、母親にとっての”成功”は、息子が野菜をたくさん食べることだが、息子にとって成功は、甘いチョコクリームをたくさん食べることである。
何が”成功か"は、立場によっても異なるのだ。
前述の射撃を選んだ女子高生に話を戻すと、中学のバスケットボール部に所属していたが、それは好きだったからにちがいない。
だが、バスケットボールではオリンピックを目指せるほどではないのは明らかだった。
「バスケしたいのに」とか、「走りたいのに」と思いつつも、本格的にライフル射撃に打ち込み、出場した大会でつつ結果を出すにつれて、気持ちも固まっていったという。
実際、7年後の2020年東京オリンピックでのメダル獲得が期待されていたが、彼女の名はオリンピックの代表にはなかった。
果たして「第三の自分」に出会ってしまったことが、彼女にとって”成功”だったかは定かではない。