「新薬認可」の闇

数年前、広津崇亮(たかあき)九大准教授が、線虫を使ってがんが見つかることを発見をしたというニュースがあった。
この線虫は嗅覚が鋭く、健康な人の尿に対しては逃げていくのに対して、がん患者の尿には寄ってくるのだという。
この性質を使えば、尿一滴でがんが発見できることになるのだが、あまりの簡便さゆえに、逆にこの「検査法」がいつ実用化されるのかと訝った。
ところが、その日は思ったより早くやってきた。
広津氏が大学を辞めて立ち上げたベンチャービジネスが開発を進めてきた検査サービス「NーNOSE」は、実用化に向けたいくつかのハードルを乗り越え、2020年1月についに実用化が実現した。
そこには、福岡県が過去4年間にわたり「革新的がん超早期診断技術実用化事業」として、この技術の開発を後押ししたことも大きかった。
さて、「がん検査サービス」と「がんの治療薬」とでは、医学的な意味合いは全然違うのだが、かつて"特効薬"といわれながらボツとなったがん治療薬のことが脳裏をよぎった。
当時、日本医科大学の丸山千里教授は、結核患者にがんが少ないことに注目し、そのことが癌治療薬の研究開発のきっかけとなった。
1964年に投与が始まって以来、35万人もの患者が投与をうけ、それによる驚きの治癒体験は数多くあった。
そして丸山を「命の恩人」と見る人も数多くいた。
丸山ワクチンの長所は、抗ガン剤による髪を抜けることも、寝たきりになることもなかった。
丸山自身は幼い頃より、長くは生きられないといわれるほど病弱であった。
長野県の生まれで向学心に燃えて上京し、日本医科大学の前身となる専門学校に入学した。
卒業後は大学に残って研究一筋の生活で、毎日患者のところに一人で行き、患者達にとても感謝されていた。
丸山は、早稲田大学野球部を創設した社会主義者・安部磯雄の娘と結婚し、岳夫である安倍を非常に尊敬していたという。
1976年、丸山は自分が開発した癌治療薬・丸山ワクチンを製造認可を申請した。
丸山ワクチンはがん治療に効果があるという体験談が数多く寄せられ、免疫療法剤として認可された抗癌剤の第1号のピシバニールで、第2号のクレスチンに続いて、第3号になるはずだった。
しかし5年後の1981年、厚生大臣の諮問機関である中央薬事審議会は、丸山ワクチンは"有効性"を確認できないと不認可にした。
その一方、「有償治療薬」という名称で例外的に投与が認められ、治験薬として「全額自己負担」なら購入することを可とした。
わらにもすがろうという人は日本全国、海外からも直接日本医大に出向いて、複雑な手続きが必要なうえ、長蛇の列を並ばねばならなかった。
それにしても、他の抗癌治療剤はやすやすと認められたのに、ここまで有名になった「丸山ワクチン」はなぜ認めらなかったのか。
この丸山ワクチンを”不認可”とさせたのは、日本のがん研究の第一人者といわれている。
元大阪大学学長Y氏は免疫学の第一人者で、牛型結核菌のワクチンでガン治療をやっていた。しかし副作用をとる技術がなかなか確立できない。
そこで丸山に人型結核菌から副作用を取り除いた技術をどうして開発したのかと高圧的に迫ったことがあったという。
丸山はワクチンの開発をドイツのロベルト・コッホが1890年に発明したヒト型結核菌製剤ツベルクリンにヒントを得ている。
親族によれば、丸山は本来コッホを崇拝し、そのコッホでさえ結核菌を使ったワクチンで副作用を取り除けなかったのを、自分は成功したという自負をもっており、そう簡単には教えられる技術ではなかった。
Y氏は、丸山とは対照的にエリートコースを歩んできた。
大阪大学医学部を卒業し軍医となり、戦後九州大学医学部教授となり、母校大阪大学にもどり、医学部長から1979年には大学総長の地位までのぼりつめた。
日本免疫学会会長、日本癌学会会長、学士院賞、文化功労者と数々の栄光に彩られた人生であった。
ある医事評論家は、「がん研究の主流は東大で、私大の日本医大はいわばその植民地である。その大学のマイナーな皮膚科の無名な医師である丸山千里氏が、自分の名を冠したワクチンなんてとんでもないという意識があった」と語る。
厚生省の諮問機関の中央薬事審議会なるものは、1961年の薬事法施行により発足して以来、すべての申請に”可”のハンコを押してきた。
ところが中央薬事審議会は、丸山ワクチンを目の敵として、わざわざ”否”の印鑑をつくり、承認をしなかったといわれている。
さて、大学病院医学部教授といえばTV「白い巨塔」に見る如く大名行列を引き連れて歩くイメージだが、 こういう「白い巨頭」のドンともいうべき人物に人事や研究費で世話になった者も多く、そういう人は皆「丸山潰し」になびいていったのかもしれない。
丸山側にも問題がなかったわけではない。データ不足は解消されず、投与法も丸山の経験の域を出るものではなかった。
ただし、丸山以外の医者や研究者がこのワクチンで様々な実験や臨床試験を行い、確実な実験の効果が出ていたにもかかわらず、ことごとく無視されたという。
製薬会社はひとつ製品がヒットすれば株価は急上昇するしビルがたつわけだから、新薬を認可してもらうためにはカネに糸目をつけない。
その為の接待攻勢は一般の常識を超える。
丸山ワクチンの認可が拒否された頃にでた二つの抗癌剤(ビニハール、クレチン)は何の問題もなく認可され、その一つは薬品史上最大のヒット商品となっている。
実は、中央薬事審議会にはこの薬品に関わったといわれる人物が入っていたのである。
1981年、衆議院社会労働委員会で、菅直人は、薬剤の開発者が自分が作った薬を自ら承認しているという「一人二役」問題を取り上げ、質問追及した。
実はこの二つの薬品がでたあと、中央薬事審議会は、急遽「認可基準」を上げたというから、この人物が「丸山潰し」のために「新基準」作りに関わったとなると、「一人三役」ぐらいの役目を果たしたことになる。
そんな不信に応え、1989年に厚生省は、クレスチンとピシバニールについて「効能限定」の答申を出した。その結果は、単独使用による効果は認められないというものだった。
これは、「効果なし」を遠まわしに言ったにすぎない。
この結果に対して、2330もの病院が加盟する最有力の病院団体は激しく抗議した。
結果的に1兆円もの医療費が、医者と医薬品メーカーの懐に消えて行ったに過ぎないことになる。
さて、丸山ワクチンの製造元は、丸山の性格を映したかのような社長が経営する弱小メーカーであった。
このメーカーは「良いものは必ず売れる」という職人気質の社長が経営していた。
従って、大手企業が通常やるような役人や審議会の委員に対する根回しをすることもなかった。
大手企業ならば、「新薬試験中間発表会」と銘打って、一流ホテルで200~300人を集めてパーティを開いてそうした「根回し」をする。
丸山ワクチンに「宝」の匂いを嗅ぎつけて接近しようとする会社もなかったわけではないが、それらも結局は大きな力に阻まれて丸山にまで行きつかなかった。
丸山は、利権と野望渦巻く医学・製薬会社・官僚の壁を打破するにはあまりにナイーブでありすぎたということだ。
丸山ワクチンは、癌患者やその家族の団体による嘆願署名運動などが行われ、国会でも医薬品として扱うよう要請されたが、今日においてもその薬効の証明の目処は立っておらず、医薬品として承認されるには至っていない。
なお、放射線療法による白血球減少症の治療薬として、1991年認可された「アンサー20」という薬は、丸山ワクチンと同成分であるという。
ワクチンの支持者たちは、「抗がん剤」として認可されることを切望していたが、"放射線療法時の白血球減少抑制剤としての認可に留まるという、屈折した道を歩んだ。
丸山ワクチンの患者家族の会の代表者であった東京大学名誉教授の政治学者・篠原一(はじめ)もその一人で、篠原は癌発病以来、30年以上ワクチンを打ち続けて再発しないまま延命している。
氏は特定非営利活動法人「丸山ワクチンとがんを考える会」理事長をつとめる。
認可をみるまでは死ねないと常日頃からいっていた丸山も、1992年に90歳で亡くなっている。
「丸山ワクチン患者・家族の会」代表を務め、がん患者の精神的支柱となってきた篠原一も、2015年10月31日に老衰により死去している。

10数年ほど前、使用者の不自然行動や自殺などで、インフルエンザ治療薬「タミフル」が有名になった。
その時、タミフルの輸入販売元の製薬会社に、新薬担当の厚労省元課長が天下っていたことがわかった。
この元課長は1997年から薬の「副作用」を担当する安全対策課長、さらに「新薬」を審査・承認する審査管理課長を歴任し、2003年8月に退職して公益法人に約2年間勤務した後に、同社の執行役員になっている。
天下り前に「公益法人」を挟んでいるのが、いかにもあやしげである。
さらに、異常行動との因果関係について否定的な調査結果をまとめた厚生省研究班の主任研究者が、同社からこの研究者の大学講座に寄付を受けていたことも、判明している。
さて、製薬会社にとって「新薬の認可」はなにより大切だが、天下り役人を受け入れない会社の「新薬の認可」を故意に遅らせる傾向があるという。
例えば天下りを受けない外資系の会社に対して、競争する国内メーカーの認可がでるまで、認可を遅らせるなどの妨害をするのだが、「タミフル」の製造販売元のこの会社だけは、天下り役を積極的に受け入れていた。
今はどうかはよくわからないが、当時は製薬会社の新薬認可と、役人の天下り確保がかくも結びついていたわけである。
また最近、タミフルとは別の形で話題になった「キムリア」という薬がある。
スイスの製薬大手「ノバルティスファーマ」が開発した「キムリア」は、白血病などの血液のがんを治療するクスリである。
まず、患者の血液から免疫細胞を取り出し、その免疫細胞の遺伝子を組み替えて、がんを攻撃する力を強め、 それを点滴でまた患者の体に戻して、がんと闘ってもらう。
臨床試験では、対象となっている一部の白血病で子どもを含む患者の8割で症状が改善し、大きな効果が認められた。
ただ、問題はその価格であった。「キムリア」は、1回投与するだけでいいが、その1回の値段が3349万円と値づけされていた。
アメリカではおよそ5000万円するので、それに比べると抑えられてはいるが、この価格は日本で保険が適用されているクスリとしては過去最高額で、それが話題となった。
価格が高いのは、患者一人一人の免疫細胞から作りだす、究極のオーダーメイドというのが理由だという。
とはいっても、この価格を患者がそのまま負担するわけではない。
日本の公的保険には、高額療養費制度という仕組みがあるので、この仕組みを使えば年収500万円の会社員が「キムリア」を使っても負担は40万円程度ですむ。
問題は、薬の本来の価格3349万円と個人負担40万円の差、このおよそ3300万円はすべて、公的保険が負担するということである。
今後、こうした高額な薬が今後も相次いで出てくることが予想され、医療保険制度の破綻が懸念される。

製薬企業や医師などが、「新薬承認申請」の際に自分たちの都合のよいように、治験や臨床試験における症例データを書き換えたりすることは、前々から起こっている。
製薬会社の側からすれば、基礎研究からスタートした薬の候補のうち、認可の段階まで行き着くことのできるのはおおよそ1万分の1程度にすぎず、10~15年の歳月がかかるといわれている。
新薬開発にかかる費用は最終的な段階で100億円規模になり新薬研究は製薬メーカーにとっても大変な負担になっており、「不認可」ということなどありえないことなのだ。
医学会にも一般にも衝撃的だったのは、2013年の「ディオバン事件」である。
この事件をきっかけに、「臨床試験法」という法律ができた。
さて、ディオバンは前述の「ノバルティスファーマ」が、日本では2000年に発売し、累積1兆円以上を売り上げた薬である。
巨額の売り上げの背景にあったのが、東京慈恵医大や京都府立医大などが行った臨床研究の論文で「ディオバンは血圧を下げるだけでなく、脳卒中や心臓病を防ぐ特別な効果もある」とされたことであった。
ところが京都府立医大が、論文に載ったデータはディオバンが有利になるよう不正な操作が行われた可能性があると発表した。
厚生労働省が調べたところ、5つの大学は同社から合わせて11億円を超える寄付金を受けており、本来医師が行うはずの研究に同社の社員が関与し、データ解析を担当していたケースもあったと判明した。
高血圧の薬の中で比較的値段が高いディオバンが1兆円以上を売り上げたことは、国民の医療費から必要以上の出費がなされた可能性もある。
こうした研究不正自体を裁く法律はなく、国は同社と社員が薬事法の「虚偽の広告の禁止」に違反する疑いがあるとして異例の刑事告発を行った。
2018年12月、東京地裁の一審判決では、京都府立医大の研究で元社員が意図的にディオバンに有利になるようなデータの改ざんを行い、これに基づいて論文が発表されたという事実を認定した。
しかし、判決は無罪。論文の発表だけでは薬事法の虚偽広告違反にはあたらないという判断であった。
検察側は判決を不服として控訴し係争は今も、続いている。
さて、厚生省は「厚く生きる」という名の役所である。それが、製薬会社と医学界の権威者に向けた名前であるとするならばとてもよくわかる話だ。
製薬会社にとってがん治療薬が「認可」されたら獏大なカネが転がりこむことになる。
会社にとって、クスリががんに効く効かない以上に、「認可」されるかされないかが死活問題となる。
製薬会社と医師と官僚が結びつく図は、なによりもその過剰な接待攻勢にもあらわれる。
唐突に中国の文学者魯迅のことが脳裏に浮かんだ。
魯迅は医学を志して日本にやってきた。
中国人留学生が多く住む東京をはなれて一人仙台に向かい、現在の東北大学医学部に学んだ。
ところが、魯迅はこの大学で彼自身の人生を転換せしめるような決定的な体験をする。
ある日のこと大学の階段教室で幻灯の上映が行われ、中国人が日本人に銃殺されているシーンを見たのだが、周囲の日本人学生の喚声があがる中、その銃殺現場の周囲にいる中国人民衆の無表情さ・無関心さに大きなショックをうけた。
そしてこの時、彼自身の内部で憤怒と恥辱が入り混じった感情をおさえることができなくなり、"医学を学んで人間の体を直すよりも、中国人の精神を正す"文学を志すという劇的な転回をする。
リモート医療や対面受診などの面で、医療をめぐる規制は緩和される傾向にあるが、医療の最大の課題は、”心を正す”ということにつきるか。