タワーマンションの運命

見知らぬ多くの家族が一つの建物の中で生活する「集合住宅」の歴史は、江戸時代の長屋生活から、今日のタワーマンションまでが思い浮かぶ。
さらには、前回の東京五輪が開催された1964(昭和39)年頃から東京や大阪、名古屋などで多くのマンションが集積した「ニュータウン」が造成された。
そして、「ニューファミリー」と呼ばれる核家族を基準とした”新しいライフスタイル”が広まった。
ちなみに、国土交通省は、次の3条件を満たした地域を「ニュータウン」と呼んでいる。
(1)55(昭和30)年度以降に着手された事業。(2)計画戸数1千戸以上または計画人口3千人以上の増加を計画した事業で、地区面積16ヘクタール以上のもの。(3)郊外での開発事業(事業開始時に人口集中地区外であった事業)。
「ニュータウン」のために新たに鉄道が敷かれ、学校やショッピングセンターも新設した。何もかもが新しい“一億総中流時代の象徴”のような街だった。
東京都の西北では、高島秋帆の砲撃実験で有名な”高島平”に巨大団地ができるなど、「ニュータウン」の総数は全国約2千カ所にのぼった。
しかし、建設のピークは70年代。50年近くを経たいま、高齢化とスラム化が喫緊の課題となっている。
子どもたちは巣立っていき、老夫婦が取り残され、やがて配偶者が亡くなると、孤独な高齢者が残される。住む人がいなくなり、空き家が増加していく。
実は、ニュータウンの間取りは、現代のニーズからすると狭く、アクセスが悪い場所が多い。
共働きが当たり前の世代には好まれず、揚げ句が修繕積立金不足で十分なメンテナンスが行われず、建物が劣化している。
住人が減って、もはや「再起不能」というべき「ニュータウン」が年々増えている。
我が地元・福岡市南部の"若久団地"は、作家の夏樹静子も住んだ「ニュータウン」に相応しい街であったが、 2018年頃には、全域が取り壊され新たなマンションや一戸建てが建ち始めた。
この団地の取り壊しに先だつ5年ほど前、大手スーパーが閉鎖されたのが、この町の衰退を物語っているようだった。
最近、ある新聞記事に目が留まった。今「ニュータウン」で起きている問題は、タワーマンションがいずれ辿る道かもしれないというのだ。寄稿者は、「限界マンション」の著者で住宅アナリストの米山秀隆氏。
タワーマンション(タワマン)は、一般的に20階建て以上の鉄筋コンクリートの集合住宅を指す。
2002年の改正建築基準法で"容積率(土地の広さと建物の高さの比率)"が緩和されて、その建設ラッシュを後押しした。
その代表が六本木ヒルズだが、全国で約1400棟約36万戸が建設され、今なお、建設計画は進行中である。ステータスシンボル化して高収入の共働き夫婦に高い人気を誇る。
ただその内情は問題を孕んでいて、マンションの管理組合が機能していないケースが多く、将来ニュータウンのような"スラム化"すらおきかねないという。
タワマンを選ぶ動機は千差万別で、大勢の住人が共通認識を持ち、共生していくのは難しく、最大のリスクは修繕積立金の不足だという。
タワマンの場合、一棟で積立金の総額は10億円以上にも達する。
タワマンの大規模修繕では、低層マンション以上に費用がかかる。絶対に補修が必要なのは、シーリング材というゴム状の接着素材だ。
耐久年数は約15年で、劣化するとそこから雨水が室内に浸入し、雨漏りの原因になる。
超高層のため、足場が組めないことも多く、手間と技術が必要で、築30年前後には、エレベーターや給排水システムの交換も必要になり、費用がかさむ。
住人が修繕費を一括で支払うと負担が大きいため、積み立てるものの、負担を嫌う人は一定数いるという。
都心部のタワマンは資産価値が高いので、"投資目的"での購入者が約3割を占めていて、彼らの多くは初回の修繕の前に売却する場合が多く、積立金の値上げに反対することも多い。
しっかりと修繕積立金を集めないと、資産価値も暴落する。タワマンはステータスなんだから、メインテナンスよりも高級感のあるコンシェルジュや管理サービスの方の充実を求める住人もいる。
というわけで、管理組合の理事会は紛糾し、意見がまとまらないケースも多い。
それでもゼネコンは買い手がいる以上、先を競って都心部の交通至便の場所にタワマンを建て続ける。
今の我々にとって、高層住宅がスラム化するなどのイメージはわきにくいが、かつて香港には「九龍城砦(きゅうりゅうじょうさい)」というものがあった。
もちろん、「城砦」という言葉からもわかるとおり、タワーマンションとは全く違う経緯で形成されてきた。
1950年代から1990年代半ばにかけて、香港に流入した大量の移民は、0.03平方キロメートルの土地に12階建てビルを造り上げ、スラム街を形成した。
小さな区画に3万3000人の人々がひしめき合って暮らし、最も人口が多かった時期は、現在のニューヨークの119倍もの人口密度だったという。
犯罪がはびこり、ひどい衛生状態ではあったものの、1993年に建物の取り壊しが始まるまで、九龍城砦は驚くほど"自律性"を保っていた。
言い方をかえれば"治外法権"の世界ともいえる。
香港は長年英国の統治下にあったが、九龍城砦の領有権は中国側が保持したままだった。
このような法的位置づけの曖昧さから、九龍城砦は"無法地帯"となってしまった。
犯罪が横行し、この地域を知っている者は決してここに近寄ろうとしなかったし、警察が介入したのは、深刻な犯罪のときだけだった。
九龍城砦の中を映したTVカメラはまるで"鳥小屋"を思わせる居住空間をとらえていた。
それでもここで"魚肉団子"が製造され、近くのレストランに販売されたというのだから驚きである。

最近のコロナ禍で、人通りのない街を「今までみたことのない風景」という人々の言葉をよく聞く。
だが、この言葉かつてよく聞いた場面があった。
それは2001年、911同時多発テロで世界貿易センターが崩落した時の人々の声で、「映画を見ているようだ」という声もあった。
この「世界貿易センタービル」の設計者ミノル・ヤマサキという日系移民であった。
ミノル・ヤマサキは1912年12月、富山県出身の日本人移民の子としてシアトルに生まれた。
母方のおじが建築家であった影響で建築を志した。家が貧しかったのでサケの缶詰工場で働きながら、学費を稼ぎ苦学して建築学を学んだ。
その後、一流設計事務所に務めながら修業を積み次第に頭角をあらわしていった。
29歳で結婚したその2日後に真珠湾攻撃があり太平洋戦争が勃発する。
戦前からその能力を認められていたヤマサキ、日系人への迫害が激しかった太平洋戦争中も、収容所に強制収容されることもなくいくつかの事務所を渡り歩いて終戦の年1945年には所員600人を擁する大手設計事務所事務所のチーフデザイナーに迎えられている。
その後4度にわたってアメリカ建築家協会の一等栄誉賞(ファースト・ホーナー・アワード)を受賞するなど日系人の一流建築家としてニューヨークに、当時世界最高の高さを誇るビル(世界貿易センタービル)を設計する栄誉を手にした。
その後もトップクラスの一流建築家として活躍し、数多くの作品を残したヤマサキは、1986年2月、73歳で亡くなっている。日本では都ホテル東京に彼のデザインの一端を見ることが出来る。
そんなミノルヤマサキの名声とは裏腹に、彼が設計した建物は、世界貿易センターのみならず”悲劇的な運命”をたどっている。
そのひとつが1951年にミノル・ヤマサキによって設計された「プルーイット・アイゴー」である。
第二次世界大戦後の住宅団地計画の一つとして、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスに建築された。
「プルーイット・アイゴー」という団地名は、第二次世界大戦で活躍した”アフリカ系”アメリカ人パイロット、ウェンデル・プルーイットと元下院議員のウィリアム・L・アイゴー」という2名のセントルイス出身者から取られたものであるう。
当初、市はこの団地計画を黒人用の「プルーイット、白人用のアイゴーと2つに分けていた。しかし、こうした人種隔離は建設的でないと判断し、「プルーイット・アイゴー」はひとつの団地として建設されることになったという経緯がある。
この団地の立地はセントルイスの極貧地区のスラムを取り壊し、約20万平方メートルの敷地に11階建ての高層住宅33棟が建設されたものであった。
総戸数は2870戸を数え、完成には5年の歳月を要した。
しかし、元々周辺の環境が悪かった上、住環境を考慮しない設計から、完成から数年も経たない内に荒廃が始まった。団地の多くは空き家のままで、住民の多くは低所得者層であった。
数々の再生計画も失敗に終わり、1972年3月16日、ついにセントルイス住宅局は団地を解体することになった。
というわけで、プルーイット・アイゴーの失敗はヤマサキの設計にばかり帰することはできず、失敗の要因は多岐にわたっており、「都市計画の失敗例」として挙げられることが多い。
その一つには予算縮小による要因が挙げられる。
例えば、当初の計画にあった庭園や児童遊園といった各種公園は費用を抑えるために建設が見送りとなった。
また、エレベーターに採用されたスキップ・ストップと呼ばれる停止階システムは不便さを増長する結果になった。
こうしたコストを追求し、「住みやすさ」を考慮しなかった設計に問題があったのは確かだが、時代背景が大きくものをいったことも否めない。
1950年代以降、産業と人口の郊外流出によってセントルイスは凋落の一途をたどっていた。
そこにベトナム戦争によるアメリカ経済の疲弊が追い討ちをかけた。
こうした状況下において、ニューヨークで成功した住宅計画をそのままこの時代のセントルイスに持ちこもうとしたことが、失敗の要因であったといえそうだ。
というわけで、「プルーイット・アイゴー」の失敗を設計にばかり帰することはできない。実は、ヤマサキは、911テロでビルが一機に崩落したことに関しても、その設計のあり方が問われた。
しかし、設計当時にテロを想定したり、航空機技術の違いもあり、そこまでの事態を予測しての設計を求めるのは”酷”な気がする。

日本の都市問題といえば、かつて「ドーナツ化現象」というものがあった。郊外の人口が増えて都市が空洞化し、都市では昼間と夜間の人口密度が”反転する”というものであった。
ところが、近年タワーマンションが林立するようになって”ドーナツ化”は解消されたものの、都心部に全てが集中し、それと反比例して、郊外が過疎化するという逆転が起きたである。
そこで当然心配されるのは、災害へのリスクである。
そんな日本にとって、2017年7月のロンドンの高層住宅の火災で多くの死者を出したのは、衝撃的なニュースであった。
ロンドンの火災で判明した課題は、省エネルギーのために燃えやすい断熱材が使われ、それがかえって防火技術にほころびが生じた点である。
つまり、燃えやすい断熱材が外壁に使われたことで、”窓からの延焼”を防ぐことができず、上の階や隣の住戸に燃え広がったのである。
原因は前年の改修工事で、寒いロンドンで暖房費を下げるために断熱材をたっぷり入れた壁に代えたことにあった。
プラスチック系の断熱材が良く燃えることは、建設業者も知っていたはずだが、コスト優先がアダになってしまった。
もうひとつの課題は、この建物では避難経路としての階段が一つしかなかったことがある。
この点は、火災が起こる前から指摘されていたが、消防局としては信頼性の高い階段なので、煙で使えなくなることはナイと判断していた。
だが、火災を閉じ込めるはずの、各住戸間の区画も延焼を止められていなかった。
一方、日本の共同住宅で特に5階建以上の規模のものには、法律で階段は2つ設置しなければならないことになっている。
基本的な考え方として、どの個別の住戸からも避難経路が2つある、もしくは避難経路である廊下が外気に開放されていて、煙に汚染されないことが求められる。
その結果、日本の高層集合住宅は、この条件を満たすバルコニー付きのタイプと、11階以上にスプリンクラーを設置してバルコニーを設けないタイプの2種に大別されるという。
だが、外壁からの延焼については、新しい材料に対して規制が後追いになる点と、窓にはガラスが使われることが前提で、規制がないため、ガラスに代えて”燃える材料”を使うことができるという問題があるという。
また、バルコニーは一時的な退避場所になるので、安全性が増すものの、バルコニーがあっても無くても高層住宅では、地上まで避難する階段が火災の煙から守られる信頼性が高さが求められる。
そこで、住居部分と廊下の間の階段室に必ずある”扉”が問題になる。
壁や床が鉄筋コンクリートのように耐火性を有するものであれば、階段室の信頼性は、この扉が火災の時にしっかり閉まってくれるかどうかで決まる。
ロンドンでは移民が多く「階段室の扉は必ず閉める」が実行されていたか、2013年の福岡市博多区住吉の病院火災では、築40年超の建物にはスプリンクラーも、自動で閉まる防火扉もなく、10人もの死者を出した。
さて、今日の都内のタワマンブームは「行政主導」という面も強い。かつて東京大空襲で多くの被害を受けた江東区や中央区は、人口減少の解消策として、住宅用建物の”容積率”を大幅に緩和して超高層マンションの建設を可能にし、タワマンが林立するようになった。
また、自治体が人口減を解消するためにタワマンを“誘致”するケースも少なくない。
そこだけは人口増となる一方で、他の多くの自治体が人口減となる。
よくよく考えてみれば、郊外で自然に囲まれ、広い一戸建てに住む方がはるかに快適なのに、人間というものはよほど”高いところ”が好きなのだろうか。
かつて、時代の象徴であったニュータウンの規模を、今ではタワーマンション数棟でのみ込んでしまう。
大地震の可能性を考えると、東京一極集中の解消は国家としての重要な課題なのだが、それと逆行するように都内には次々とタワマンが建設されている。
それがよく売れるのは、"群れる"ことが好きな日本人の特性によるものだろうか。
新型コロナの感染予防には、密閉、密集、密接の”三密”を避けることが有効とされているが、タワマンのエレベーター内は、皮肉にもこの"三密"を作り出す格好の場となっている。
大きな災害は、人間のライフスタイルを根本的に変える。そもそも、狭い敷地に1千人以上が暮らすのは、不自然そのもの。人口爆発が止まらず、住む場所がないというのならイザしらず、人口減少の一途をたどっているというのに。
日本人心理に”群れる”ことが好きで、”高い処”がステータスという部分があるかもしれないが、”新しい生活様式”では忌避される可能性もある。
また住民の突然の所得減は、メインテナンスの軽視にもつながるかもしれない。
聖書の「生めよ、増えよ、"地に満てよ"」(「創世記」)という言葉も浮かぶが、近い未来、「高層のスラム化」という"見たことのない風景"が広がっていくかもしれない。