他人の靴を履く

日本人の幸せの在り処は、“世間”と"社会"との比重のかけ方にあるように思うことがある。
そこで、世間と社会のニュアンスの違いは、言葉を入れ替えるとよくわかる気がする。
「世間貢献」や「世間的地位」という言葉がないのと同じように、「社会知らず」や「社会に申し訳が立たない」とかいう言い方はしない。
「世間」とは学校 職場などの知り合い近所の人など自分と関わりがある人々の範囲で、その一方「社会」はその繋がりまではトレイスできないものの、自分が含まれると想像できる範囲のことである。
さて、会社の入社式でよくいわれる「社会人としての自覚をもて」という言葉は、日本では「いち企業人としての自覚をもって働け」ということなのか。
どこか、その会社独自のルールや慣習によく馴染むようにという響きさえもある。
カルロス・ゴーンの犯罪は、日産という大会社にしか通用しないインナーサークル的な部分にツケコンダといえようか。
ところが、そんな外国人経営者ばかりではない。
さて、オリンパスといえば、デジタルカメラや医療用の内視鏡が主力商品で、 最新のカプセル型内視鏡も開発。 世界シェアの7割を占めている。
菊川社長は、2001年に社長に就任して以来、オリンパスの改革を目指してきた。というのもバブルの時期に財テクに力を入れすぎて、巨額の損失を抱えていたからだ。
2000年ごろには、国際会計基準の導入により会計のルールが変わることになり、会社はこれまで表に出さずに済んだ損失を決算で公表しなければならなくなった。
オリンパスは、値下がりした株などをいったん海外のファンドに買い取らせ社外に移すという「飛ばし」という手法で、損失隠しを行った。
ごく一部の幹部しか知らず、実際の対応にあたった菊川氏はその後、社長に就任。 事業の拡大路線を大きく打ち出した。目標として掲げたのは1兆円企業で、10年以内に売り上げ2倍を目指すというもの。
ベンチャー企業の買収を積極的に行い 子会社は100社を超えた。しかし、事業拡大のための企業買収というのは一面で、巨額の損失を隠蔽することにも利用されていた。
菊川の社長在任期間は10年に及び、「負の遺産」だった損失を消し去る一方で、売り上げ1兆円も達成する。そして代表権のある会長職に就任。ヨーロッパの子会社のトップだったウッドフォードを後任の社長に抜擢した。
菊川社長は、ウッドフォードに"国際企業の顔"としての役割と、30年間働いてきたオリンパスへの忠誠心に期待した。しかし、このことが思わぬ展開をよぶ。
過去の企業買収の問題に気付いたウッドフォードは、菊川社長と森副社長に、買収は相当額に上る株主の損失を招いている、この事実に直面することが必要であると詰め寄ったのである。
これに対して菊川社長はウッドフォードを解任し、彼を激しく非難するメールを全社員に送った。自分や森副社長を悪人に仕立て上げオリンパスの社会的な信用をおとしめる常軌を逸した行動をとっているといった内容であった。
ところが、この解任劇がかえって、オリンパスの一連の不正な損失隠しが発覚するきっかけとなる。
ウッドフォードが企業買収の異常について尋ねると、社長は迷惑そうな表情を浮かべるだけ。
また副社長に対して、何のために働いているのかと尋ねると、驚いたことに菊川社長のためだと答えた。
ウッドフォードは、その解任劇に至る経過を書物にしているが、オリンパスの海外拠点に勤務して、社長として初めて見た本社の体質、"内向きの歪んだ仲間意識"にカルチャーショックを受けたという。
世界メディアは、菊川社長らの言葉をとらえ、日本企業に共通する問題として、「自己防衛の姿勢や仲間意識の経営体質が企業の価値を落としている」とか、「オリンパスが日本の負の側面をあらわにした」などといった論調で伝えた。

2014年に、60周年を迎えたバービー人形であるが、当人は1歳たりとも歳をとっていない。つまりアメリカの女性実業家ルース・ハンドラーが1959年に発表したときと変わらぬ、ブロンドヘアと青い目のスレンダーすぎる女の子だ。
バービー人形は当初の予想を超え、世代を超えた大ヒットとなったが、その反面、様々な批判をあびた。
その一番大きなものが、バービー人形は長年にわたって、若い女の子の”自尊心”に悪影響を与えるのではないか、ということ。
実際、バービー人形で遊ぶ女の子は、痩せたい願望が強くなる可能性が高いことも明らかになった。
またバービー人形に「性的特徴が与えられ過ぎている」ことが、女性は賢くないとか女子が大志を抱く妨げになっている可能性があるという批判に答え、宇宙飛行士から消防士までがラインアップされているバービー人形の職業シリーズで応えたばかりか、大統領と副大統領バービーまでも販売した。
さらにバービー人形は、”民族多様性”を表現していないと糾弾されてもきた。そこで販売元であるマテル社は、7種類の肌の色、24種類のヘアスタイル、22種類の目の色、3種類の体形(カーヴィー、長身、小柄)をした新たなバービー人形を「ファッショニスタ」シリーズの一部として発売した。
「ブロンドで青い目をした美しい容姿の女性」というステレオタイプから黒人や障害者まで、超えて愛され続ける文化的アイコンであるバービー人形であり続けることに務めるとしている。
最近、「多様性」という言葉で思い浮かべるのは、昨年夏の日本ラグビーの躍進だが、その少し前のイギリスのロックバンド・クイーンのフェレディ・マーキュリーを描いた「ボヘミアン・ラプソディ」が思い浮かぶ。
フレディはゲイであり、その出自は当時イギリス領であったアフリカのタンザニアの東のザンシバル島からの移民であり、両親はペルシャ系インド人であった。
つまりフレディは、様々なマイノリティ的要素を重層的に塗り固めたような存在であった。
だが、たとえフレディの派手なパーティ、女装の話は物議をかもしたとしても、音楽とパフォーマンスの素晴らしさがそれを超えて人々の心をつかんだ。
ところで最近、「多様性の教科書」ということで注目を集めている本がある。2014年にノンフィクション大賞の候補作となった「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」である。
多様化するイギリスに暮らす親子の成長物語を描いた本の主人公は母プレディみかことアイルランド人の夫との間に生まれた男の子。
公立中学に通う息子が人種差別 貧富の格差などによる子ども同士の分断を乗り越え、成長していく姿を母親の視線で描いている。
この本は これから 日本が迎える多様性社会に対応するための教科書であると幅広い層の読者から多くの反響を呼んだ。
著者のブレディみかこは、1965年福岡市生まれ。イギリスのロックバンドに影響を受け、福岡県立修猷館高校を卒業後は、アルバイトで金をためてはイギリス旅行を繰り返す日々を送っていた。
1996年から英国南部のブライトン在住し、アイルランド人男性と結婚し、長男が生まれたのを機に保育士の資格を取得。貧困世帯の利用が多い「底辺託児所」で働きながらライター活動を始める。
そんなブレディは、有名進学校に進んだせいもあってか、息苦しかった高校時代の心の支えとなったのがイギリスのパンクロックであった。
バイトで授業はさぼりがちであった、嫌いな科目の試験は「わかるところだけ埋めるのはしみったれててイヤ」と白紙で提出。試験終了までの余った時間は、答案用紙の裏に歌詞や文章を書いて過ごした。
あるとき、ミニ評論みたいなものを書いたら、現国の先生が「君は僕が引き受ける」と2年、3年の担任になってくれて、グレてるプレディを心配して「とにかく学校には来い。嫌いな教科があったら、図書館で本でも読んでろ。本をたくさん読んで、大学に行って、君はものを書きなさい」といってくれた。
そんな奇特な先生と立派な図書館に出会えたのが救いであった。
さてプレディは、イギリスで結婚して、出産を機に保健士の資格を取ったが、パンク好きだが、こどもは嫌いだったという。
しかし、 貧困地域にあってソーシャルワーカーといった福祉が介入してくる環境にあって保育士になってよかったと思うことがある。
それは人間がいかに環境の産物であるかということを、自分の成育歴とも重ねつつよく理解できるからだ。
ブレイディは託児所にあって、ダイバーシティ(多様性)とコミュニケーションの問題と日々ぶつかる。
例えば 子どもが遊ぶときに遊ぶ場所をセッティングする。そうしたら小さなドールハウスとかに家族を座らせるとすると キッチンに入れておくのはお父さんとお母さんじゃいけない。
なぜなら、そうじゃない家庭もあるからだ。
お父さんとお父さんにエプロンをさせて立たせとくとか、あるいは お父さんが2人エプロンをしてるような人形もありうるが 日本の保育園でそれをやったら物議を醸しそうだ。
託児所に勤めていて 虐待とか育児放棄とかされている家庭の子ども小さな子どもって なかなかね感情を伝える回路が遅れてるて感じかあった。
そこで、イギリスでは幼児教育の段階で演劇的な要素ロールプレイや 壁に笑ってる顔とか 泣いてる顔とか怒ってる顔の写真を貼ってこれはどういうときにする顔かな?。
じゃあ みんなでこの顔 やってみようか!などということをやる。
ある日プレディの息子は家が貧しく 裾がギザギザになっている制服を着た友人 ティムを家に招いた。
リサイクルして作ったきれいな制服を渡そうとする息子。自尊心を傷つけずにどうやって渡すかを考える。
プレディは、 紙袋に入れるが、どうしようと悩む。
なんで、この子にこの服をあげようとしてるか、つまりは自分の息子の友達にあげようとしていることは、すごい 身内意識なんじゃないかと息子に問う。
その子以外にも たくさん学校にはそういう子がいるからだ。br>すると 息子は「だって友達だから」と応じた時、プレディにとって何か基本を忘れてるんじゃないかって教えられた瞬間だったという。
実はこうした問題の背景に 「シンパシー」と「エンパシー」の違いがある。
ある日の授業中プレディの息子は教師から「エンパシーとは何か?」と問われ、「自分で誰かの靴を履いてみること」と応えた。
シンパシーは同情や共感をもって何かをすることだが、エンパシーは、 自分と同じ意見を持ってない人、同情するような関係性もない人でも、その人の立場になったらどうかと想像することである。
これは、”世間”と”社会”の違いとも関わる。
日本の教育も「多様性」に対応するために相手の立場で考える能力エンパシーをどうしたら伸ばせられるかが問題である。
日本ではコミュニケーションとは、すぐ仲良くなれることと捉えがちだが、”揉めた”時になんとかする力が問われるということである。
日本は、揉めないように責任を曖昧なままにして過ぎ行くが、その点でイギリス社会の方が信頼がもてる。
プレディによれば、23年ぶりに日本に帰国しても変わった感じがしない。
日本は、どこにどう変わっていいかわからないから、とりあえずそのままにしているという感じがする。
2016年イギリスの緊縮財政のあおりを受けプレディが勤めていた託児所が閉鎖する。
当時 日本へ向けたニュース記事や書籍も執筆していたブレイディは保育士だった日々を本にまとめた。それが「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」である。

1990年代半ば、プレディがイギリスの託児所で働き始めた頃、アメリカの貧困地域にある1つのヴァイオリン教室が、世に知られることとなった。
アメリカ人のロベルタ・ガスパーリという女性、夫と離婚し、2人の子どもとともに生まれ故郷へ戻ってきた。
生活のため、彼女はギリシャで買った50挺のヴァイオリンとともに、ニューヨークでも最も物騒な地域、イースト・ハーレムにある小学校にやってきた。
校長の理解を得て「臨時教員」として50人の音楽クラスを受け持つことになる。
しかし、管理主義的な学校のシステム、人種差別の壁、暴力に巻き込まれ家族を失う生徒、複雑な家庭環境に育った一筋縄にはいかない小学生ばかりであった。夢を語るにも、夢を抱くにはあまりに過酷な運命に巻き込まれる者もいた。
しかしロベルタは、「あなたたちは何でもできる」と子どもたちの無限の可能性を信じ、ヴァイオリンを通して自分に誇りを持つことを、教えつづける。
しかしヴァイオリンを手にした子供たちは、音楽を奏でる喜びと誇りを抱くに至ってみるみる上達し、保護者を前に開いた「演奏会」も大盛況に終わった。
そして、50人の子どもたちから始まったこの“イースト・ハーレム・ヴァイオリン・クラス”は、毎年150人以上の生徒を抱える人気クラスとなったものの、ロベルタ先生の実生活はなかなか大変であったようだ。離婚以来荒れて手のつけられなくなった息子との関係に悩み、交際していたパートナーとも別れることになる。
それでもロベルタの音楽とふれあう喜びを教えようとする彼女のひたむきな姿はやがて子どもたちに希望の灯となり、彼らに自分の力を信じることを伝えてく。
しかし苦難の時を経て10年後には、ロベルタのヴァイオリン教室は3校に150人の生徒を擁し、受講者を抽選で決めねばならないほどの人気クラスとなっていった。
しかしクラスが始まってちょうど10年目、それだけの成果にも関わらず、ニューヨーク市の教育委員会は経費削減のため芸術科目への資金打ち切りを決定した。
つまり、ロベルタが育てたクラスは存続の危機に立たされることになる。
そこでロベルタはクラス存続のため、みんなの力を借りてチャリティ・コンサートを開こうと決意する。
幸い、ロベルタの友人の夫がヴァイオリニストだったことも手伝って、一流のヴァイオリニストがこのコンサートの趣旨に賛同した。
しかし、コンサート会場がトラブルのため使用不能になり、開催さえもが危ぶまれる羽目に陥る。
ところが、ここからが”奇跡(ワンダー)”のはじまりであった。
事情を知った有名ヴァイオリニストの運動で、なんと会場が「カーネギーホール」に決定したのである。
大勢の観客が見守る中、ロベルタと50人の子供たちは、世界の"音楽の殿堂"で、世界的なユダヤ系のヴァイオリニストのアイザック・スターンや他の有名ヴァイオリニストとを交えたセッションが、カーネギーホールで行われた。
観客は、子供達のヴァイオリン演奏にスタンデイング・オベーションで応えた。
さらに、ロベルタがカーネギーホールでのコンサートを成功させるまでの活動を記録したノンフィクション「スモール・ワンダーズ」が、1996年アカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされ、多くの人々により知られることとなった。
そしてこの作品を観て感激した映画会社社長と監督により、メリル・ストリープ主演で映画「ミュージック・オブ・ハート」が1999年に公開された。
さらには非営利財団ができて、ロベルタのヴァイオリン・クラスは存続することが出来た。
さて、プレデイがその著書で指摘したように、シンパシーの対象は限定されるが、エンパシーは他人の立場を理解することで、対象は限定されない。
この映画が公開されて約20年が経過、 アメリカは格差と分断が進んで、押し寄せる難民に対して"壁"を築くなど、「他人の靴を履く」なんていう余裕は、もはやなくなりつつあるのかもしれない。

この財団は小学校カリキュラムの中心に音楽と芸術を戻すために活動し続けた。

ロベルタはかつてヴァイオリンに情熱を燃やしていた主婦。軍人の夫と結婚して子供を2人もうけるが、夫は不倫をして出て行ってしまった。就職口を探していたところ、奇遇にも昔の知り合いのブライアンに出会い、彼の紹介によりニューヨークのハーレムの荒れた学校にヴァイオリンの臨時教師として就職する。 当初は荒れた子供達に悪戦苦闘するものの、徐々に子供達もヴァイオリンを楽しむようになる。 演奏会を開き、結果は大成功、校長や親達から絶賛される。教育を通じロベルタも自立した強い女性へと成長する。 それから10年間、ロベルタの授業は続いていたが、市の予算の都合でロベルタは解雇勧告され、ロベルタのクラスが閉鎖されることになった。ロベルタはクラスを存続させるためチャリティーコンサートを開くことを決意。一流のヴァイオリニストなど様々な賛同者の協力を得てカーネギー・ホールでのコンサートを成功させる。