聖書の言葉から(わたしは世の光である)

旧約聖書は、神の裁きや怒り、凄惨な話が多く、ほっこりする話はすくない。
信仰とは律法を守ることであり、イスラエルの祭司達は毎日、きわめて厳格に定められた手続きにのっとって、子牛や羊などの「いけにえ」を捧げ、それによって祭司職の者は日々、民の罪の許しをえた。
あの栄華を極めたソロモンでさえも、満腔の喜びを得た感じではなく、その知恵を求める人さえが多かった人生の結論はなんと、すべては空の空。
神に愛されたダビデも、身からでたさびとはいえ、息子に命を狙われなど、幾たび見が切られるほどの思いをしたことであろう。
そもそも古代イスラエルを蹂躙するバビロニア、アッシリア、ローマに支配され、民は預言者が預言する「メシア」(救済者)の到来に期待を寄せながらも、たびたび偶像崇拝に陥り、神の怒りをかっている。
そんな暗黒の時代、イスラエルの小さな街ベツレヘムにひとつの光が生まれる。
「すべての人を照らすまことの光があって、世に来た。彼は世にいた。そして世は彼によって出来たのであるが、世は彼を知らずにいた」(ヨハネ1章)。
成人したイエス・キリストは、自らを待望されたメシアと語り、「わたしは、世の光である。わたしに従ってくる者は、やみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つであろう」(ヨハネ8章)と語る。
実は、旧約の暗黒の深さこそが、「メシア」の光を際立たせているともいえる。
その暗黒と光の”際立ち”具合を知るには、イエス・キリストの系図を辿ってみるのもよい。
新約聖書の「マタイによる福音書」の冒頭にイエス・キリストの系図が書いてある。
そこに登場する人々の中には、もしも王家の系図なら、絶対に削除されたに違いない人が少なくない。
逆に、そんな血筋から「メシア」が生まれるなど、創作ならば絶対に描かれないだろう。
しかし闇に「光」が差すとはそういうことなのかもしれない。ちょうど、泥土に蓮の花が咲くように。

イエス・キリストの系図はアブラハムにはじまる。「アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、 ユダはタマルによるパレスとザラとの父」。
この系図の中で、ヤコブは「イスラエル」と名前をかえるが、イスラエルには12人の子がいた。
そしてこの12部族が「イスラエル民族」であり、その多くは歴史のかなたに雲散霧消した。
12人の子のうち長男の「ユダ族」は比較的まとまって残存しており、イスラエルの民を「ユダヤ人」と称するようになったのである。
イエス・キリストの系図は、このユダ族の中に位置づけられる。
その始めのユダはカナン人の娘を気に入ってめとり、エル、オナン、シェラという男の子を生んだ。
そしてユダは長子エルに系図の「タマル」という妻を与えたが、エルは神の怒りをかって死んでしまう。
そこでユダは、次男のオナにンに兄嫁タマルのところにはいって子孫を残すようにいったが、オナンは生まれる子が自分のものにならないことを知って、その務めを果たす気はなく、自らの精を処理した。(そこでオナンに派生するアノ言葉が生まれた)。
このことは神を怒らせ、次男のオナンもまた死んでしまう。
そこでユダは、兄嫁のタマルに三男シェラが成人するまで寡婦(やもめ)のままでいよと命じた。
しかし、タマルはシェラが成人してその子供を生んだとしても、シェラの妻になることはないことを知って、ある信じられない策にでる。
舅(しゅうと)であるユダが羊の群れの毛を切るためにティムナという町に出かけたという噂をききつけ、先回りしてその沿道で「遊女」の姿をして待っていたのだ。
ユダは、その遊女が自分の嫁だと知ることもなく、彼女のもとにはいったのである。
そして遊女に扮したタマルが、ユダに何をくれるかと尋ねると、ユダは群れのなかから子ヤギを送ろうといった。
そこでタマルは、その「しるし」を求めたので、ユダは印形の紐と杖を与えた。
そしてタマルは舅ユダによって身ごもり、また寡婦の服を身にまとって何ごともなかったように元の生活に戻ったのである。
その後ユダは「遊女」に約束どうりに子ヤギを送ろうとしたが、ユダが訪れたティナムの町に遊女などはいないことを知って不思議に思った。
さて約3ヶ月の時が過ぎ、寡婦の嫁タマルが売春によって身ごもっていると告げるものがあった。
ユダは彼女を引きだして焼き殺せと命じたが、タマルは「これらの品々の持ち主によって身ごもった」といって印形の紐をとりだして見せた。
舅ユダはそれを見定めて言葉を失ったが、彼女をそれ以上責めることはなかった。
そしてタマルの胎内には舅ユダによって双子(パレスとザラ)が宿っていたのである。

イエス・キリストの系図には、上述のように”遊女に扮して”舅の子を宿したタマルが登場するが、次に登場するは”本当の遊女”ラハブである。
イエス・キリストの系図を続けよう。「ナアソンはサルモンの父、 サルモンはラハブによるボアズの父」。
イスラエルは紀元前17C頃、飢饉をさけてパレスチナからエジプトに移住するが、そこで400年の時を過ごし後、モーセによって出エジプトを果たし、その後継者ヨシュアによってめざすカナーンの地に入ろうとする。
その時、ヨシュアはその状況をさぐろうと二人の斥候(スパイ)を遣わせた。
彼らはエリコに住んでいたラハブという遊女の家にはいり、そこに宿泊した。
ところが通報するものがあり、エリコの王はその斥候を連れ出すようにと、使者を遣わせた。
ラハブは二人を屋上の亜麻の茎の中に隠しておいたのだが、使者に二人がどこから来たのかさえ知らず、朝早くでかけていったと誤魔化して彼らを匿った。
その後ラハブは二人の斥候に、エジプトをでたイスラエルの民が紅海の中を通って逃れ、エジプトの兵士が溺れ死んだことなどを聞いて、イスラエルの神を恐れていることを語った。
そしてラハブは、イスラエルの民がカナーンに攻め入る際には、自分が二人に真実をつくしたように、彼らも自分の家族を救ってくれるように頼んだ。
そして二人は、ラハブとその家族を救うことを約束したのである。
ラハブは、彼らを綱で窓からつりおろして逃し、自分の住まいの目印として窓に「赤いひも」を結んでおいた。
この「赤いひも」は、イスラエルがエジプトを脱出するに至るまで様々な災いがエジプトを襲うが、疫病がイスラエルの家には襲わない(つまり過ぎ越す)ように、鴨居に羊の血をぬった出来事と符合する。

さらにイエスの系図を下るとルツという名の女性がみえる。この女性はイエスキリストの系図の中では異色である。
彼女はアブラハムの子孫ではなく、当時イスラエルが嫌うモアブの女性であった。
さて、イスラエルの地に飢饉があったが、ベツレヘムからモアブの地に移り住んだエリメレクの家族がいた。
モアブといえば、アブラハムの甥のロトの子孫であり、イスラエルからすると異邦の民である。
モアブに移住したエリメレクは亡くなり寡婦となったナオミは、モアブ人の女性を二人の息子に嫁として迎えた。
こうして彼らは10年の歳月を過ごしたが、ナオミは二人の息子にも先立たれてしまう。
夫にも先立たれ、二人の息子をも失う不幸に見舞われたナオミは、涙も涸れ果ててしまったようだ。
そんな折り、故郷ベツレヘムから豊作の知らせが届き、ナオミは故郷に戻れば、食べることだけには困らないかもしれないと帰郷を決意した。
しかしナオミは、イスラエル人が異邦人(モアブ人)を嫌っており、モアブ人である嫁までも連れて行くことに気がひけた。
それは、聖書の次の言葉によくあらわれている。
「アモン人とモアブ人は主の集会に加わってはならない。その10代の子孫でさえけして主の集会にはいることはできない」(申命記23章)
そこでナオミは、二人の嫁の幸せを願ってれぞれの実家に帰り、再婚して新たなスタートをきるようにすすめた。
息子(弟)の嫁のオルパは、この勧めに従って故郷に戻ったが、もう一人の息子(兄)の嫁のルツはナオミの勧めを受け入れず、あくまでも姑ナオミについて行くことを願った。
その時ルツは「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」(ルツ1章16節)と訴えた。
つまりルツは、姑ナオミの信じる「イスラエルの神」を信じ、ナオミと共に生涯を送ろうという意思を表明したのである。
姑ナオミは、堅く離れようとしないルツを受け入れ、二人はナオミの故郷ベツレヘムへとむかった。
二人がベツレヘムに到着したのは、大麦の刈り入れの始まった頃であった。
ナオミの旧知の人々は声をかけたが、ナオミは「楽しむもの」を意味する自分の名で呼ばれるのさえつらく、いっそ「苦しみ」を意味するマラと呼んでくれと語っている。
ところで亡くなった夫エリメレクは土地を所有していたが、後継ぎがいないままであり、その土地は売られて他人の手に渡ろうとしていた。
ユダヤ法では、夫がなくなるとその兄弟が優先的に土地を買い取る権利を有する。
また結婚した男性が子どものいないまま死んだ場合、死んだ男性の兄弟が寡婦を自分の妻としてめとる権利があった。
ベツレヘムには、エリメレクの遠縁にボアズという金持ちがいた。そしてボアズもその土地を買い戻す権利を持つ一人だった。
さらに、ユダヤでは、寡婦となった貧しい者や寄留者には、収穫後の「落ち穂拾い」の権利が与えられていた。
そして何の導きによるのものか、ルツははからずもボアズの畑へと導かれていたのである。
ボアズは、働き者のルツに好意を寄せ、落ち穂を拾いやすいようにするようにと畑の若い者たちに命じた。
ボアズのルツに対する好意を知った姑ナオミは、みずからの寡婦の権利(レビート婚)に訴えて、ボアズがルツを妻として迎えるように取り計らい、モアブの貧しい女ルツは、はからずもベツレヘの有力者ボアズの妻として迎えられるのである。

イエス・キリストの系図を下って行こう。
「ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、 ソロモンはレハベアムの父、レハベアムはアビヤの父」。
イスラエル二代目の王となったダビデはある夕暮れ時、王室の屋上を歩いていると一人の女性ベテシバが体を洗っているのが見えた。
その女性は非常に美しく人をやってその女性について調べたところ、ウリヤの妻であるとの報告を受けた。
ダビデは使いのものを送ってその召しいれてその女性と寝た。
そしてダビデは女が身ごもったことを知るや、夫であるウリヤをよびつけ戦いの恩賞を与えた上、隊長であるヨアブに手紙を持たせた。
その手紙にはなんと「ウリヤを激戦の真正面に出し、彼を残してあなた方はしりぞき、彼が打たれて死ぬようにせよ」と書いてあった。
そしてウリヤはダビデの狙いどおり激戦で戦死する。
そして妻は夫ウリヤの死を聞いていたみ悲しんだ。
喪が明けると、ダビデはベテシバを自分の家に迎えいれて彼女を妻とした。
しかしダビデのこうした行いは、神を大いに怒らせダビデはこのとにより大きな試練を経験する。
ベテシバとの間にできた幼子を失い、息子の一人アビガイルがダビデの王位を奪おうと反乱をおこす。
ダビデは窮地に陥るが、自分を追いつめたアビガイルが事故で死ぬと誰も慰めるものがいないほどに号泣するのである。
ところでダビデ王とウリヤのバテシバとの間にできた二番目の子供こそがソロモン王である。
ソロモンは智恵に溢れた王で、その智恵は周辺諸国に聞こえ、有名なシバの女王もソロモンの智恵を伺いにユダヤ王国を訪問している。
ソロモンは、人が求め得る最高の知恵と、あり余る富とを手にしたが、そんなソロモン王が綴った「伝道の書」には、次のようなことが書かれている。
「私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである」(3章)。
ソロモン王が信仰にあふれ栄華を享受しようと、所詮は「本当のもの」の影しか手にすることができなかったのだ。
こうしたソロモンが到達した心境は、新しい契約の下で、聖霊に導かれて生きる恵みを際立たせる陰画のように思える。
イエスキリストの系図は、バビロン捕囚以降さらに続くが、まとめるとアブラハムからダビデ王までが14代、ダビデ王からバビロン移住までが14代、バビロン移住からキリストまでが14代となる。
そして預言に従って、ヨセフと聖霊によって身ごもったマリアとの間にイエスキリストが誕生する。

パウロが「律法は来たるべき良いことの影を宿すにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではない」(へブル10章)と語る様に、旧約聖書の時代に生きた人々は、いわば来たるべきメシア(真のかたち)の影を慕いながら生きた人々といってよい。
そのことは、イエス・キリストの十字架の死と復活の後に、パウロを突然襲った「光」と、その後の回心がよく示している。
厳格な律法学者の家系に生まれたパウロは、主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。
彼が、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるであろう」。
さて、パウロはそれまでの自分を次のように紹介している。
「わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族出身、ヘブライ人の中のヘブライ人。律法の上ではパリサイ人、熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である」(ピリピ人3章)。
そんな非のうちどころのないパウロが、別の手紙で次のような告白をしているのである。
「あなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった」(エペソ人2章)。
そのパウロが、「光」(イエス・キリスト)と遭遇して、次のような信仰を表明している。
「律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされるされる望みを強く抱いている。キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは愛によって働く信仰のみである」(ガラテヤ人5章)。