ブライト企業

最近の世の中の意識の変化は様々だが、そのひとつが、グローバル化の進展の中で労働力がコストとしてしか意識されなくなった点である。
こういう意識の変化が「ブラック企業」が跋扈する背景にある。
つまり、人間は「人的資源」としてではなく、ロボットまたは奴隷として扱われるということだ。
最近、新聞に「へんなホテル」という記事に目がとまった。「へんなホテル」はハウステンボスの敷地内にこの夏オープンするらしい。
「へんなホテル」では、かなりのことをロボット・スタッフにやらせる。
それも一興であろう。そこにはパワハラ、セクハラなど人権侵害の余地は生まれない。
問題は、ロボットにどれくらい対人サービスが出来るかだが、少々不備があったとしてもロボットのことだからという寛容度も生まれ、何よりロボットにサービスされるという新鮮な体験を得ることができる。
それにロボットの方が人間より優れた面があり、それを最大限に活用できる。
例えば、「顔認識技術」を使った入室システムなど で、最新の顔認識技術による“キーレス滞在”も特徴で、自分の顔をシステムに登録すれば、キーを使わずともシステムが自動的に部屋に通してくれる。
鍵の持ち運びのわずらわしさや紛失の不安もない。
フロント、ポーター、清掃などの各業務には、ロボットスタッフを利用している。
それに、どこか「温かみ」を感じさせる会話もできるという。
ちなみに、日本発のCGキャラクター「初音ミク」は世界中でライブが開かれ、人気が急上昇している。
人気の秘密は、その自然な歌声で、ある声優の声を録音し、その声の素材から合成しているが、人間の脳の認知の仕組みに基づく最新技術が組み込まれているのだという。
「へんなホテル」では、ホテルのチェックインやチェックアウトはセルフサービスで、勝手が分かっていればロボットに頼らなくてもいい。
部屋は過剰なアメニティなどを省くことでロープライスを追求し、空調は従来型の送風による冷暖房ではなく、先進技術の輻射(ふくしゃ)パネルで部屋の快適性を保つ。
また、こうした部屋の設備は、タブレット端末で一括操作できる。
驚くのは料金システムで、宿泊料金はなんとオークション方式(入札方式)で、同じレベルの部屋に入札が複数あれば、最も高い金額で入札した者が利用できる。
シングル・朝食無しの場合で7000円からと低めに設定してあるため、ホウステンボス直営のホテルの3分の1程度の料金で宿泊できるという。

さて、日本型雇用は長時間労働と終身雇用が特徴だったから、お金を人的資源に投資して、長い目で回収できればよいという考えだった。
しかし今や人員はコストだから、それこそ「社員教育」などに無駄なコストをかける必要はない。
少しでもコストを低くするという目的で非正規雇用が増えている。
そこで若者は何とか正社員の座をめざすが、正社員になっても安心できない。
社員教育は、前段階の教育機関におしつけ、その「選別」のみを企業がする。
その選別法も、社員が辞めるのを前提に荒っぽく「選別」する。
異常な長時間労働で「使える者」を選別し、残りはパワハラなどで人格を破壊して退職に追い込んでいく。
人間の尊厳を奪っていく職場環境への不満が「異物混入」などの事件を引き起こす。
しかし、これは経営者が悪徳かどうかの問題ではなく、世界全体がそういう方向に押し流されているということである。
今日、そういう流れに抗うためには、或る意味「レジスタンス」の気概が必要である。
そんな人間性を否定して成り立つような歯車のなかで、人間の誇りを大切にする企業を「ブライト」企業とよぼう。
ブライトとは「明るい」という意味だが、言葉の響きが「プライド」にも似通っている。
最近の新聞記事で群馬の中小企業、中里スプリング製作所のことが紹介されていた。
この会社は、一番業績の良かった社員に「嫌な取引先は切ってよい」という権利を与えるという制度がある。
顧客対応で苦労している営業マンからすれば夢のような話だが、「それで会社は成り立つのか?」という疑問も湧く。
しかし、そこには社長自らの体験に基づく哲学があった。
受注額が売り上げの半分以上を占めた大口取引先から大量注文すると商談をもちかけられ、多額の借り入れをして専用機を導入し、量産体制を整えた。
しかし数ヶ月もしないうちに「設計変更が生じた」と通告してきた。
変更通りに仕様を変えた部品を作るためには、追加の設備投資が必要である。借金を重ねれれば、ただでさえ厳しい経営がさらに悪化してしまう。
一方で受注を断れば、借金返済は難しくなってしまう。
それは、その大口取引先のいいなりに納入価格を下げていかざるをえない状況に、ますます追い込まれることを意味した。
取引先の担当者は、ただ「悪いねえ」の一言だけだった。
この時社長は、町工場が「儲かる儲からない」だけで仕事を選んでいると、親事業者にいいように利用され、使い捨てにされるという教訓を得た。
それまでも「うちのおかげで食べていられるんだから、もっということを聞かないとだめだ」と見下されていることに、「屈辱」を感じていた。
そんな取引先と握手し続けていると、理不尽に引きずりまわされ、あげくのはてに捨てられてしまう。
そこで決意した。「嫌な取引先は切ってしまえばいい」。
損得にこだわり、「卑屈」な気持ちで仕事をもうらうより、尊敬できる取引先を新規開拓した方が楽しく、後悔もしないだろう。
長いものには、巻かれた方が安全という業界の常識へのレジスタンスだから、周りは反対した。
気持ちが貧しい取引先との関係を絶たないと何も代わらないとおしきった。
我々がプライドを取り戻すためには、少ない取引先にいぞんするのではなく、取引先を増やし、いいなりにならない必要があると考えた。
そこでライトバンに寝袋を乗せて、全国各地で飛び込み営業をして、取引先を探す日々が続いた。
最初は売り上げ減で給料が下がり下着も買えなくなるほどだったが、1年ほどたつと、新規の取引先が増えてきたのです。
33歳で社長に就任してからは、1年間で最も頑張った社員い、ご褒美として嫌な取引先を打ち切る権限を与えた。
社員に卑屈になって欲しくなかったからだという。
権利を行使するかは、自由だが、もし権利が行使されれば、社長が3ヶ月以内に新規開拓先を10件以上開拓するノルマを負う。
変わった「社風」が評判をよび、講演に呼ばれるようになった今も、講演先で飛び込み営業をしているという。
結局、取引先は47都道府県の1735社に拡大し、企業規模も業種も様々になって、取引シェアが高い企業でも5パーセント程度である。
しかし取引先は増やしても、会社の規模は大きくはしない。
小さいからこそ自由に動き回って、特徴のある経営ができる。
図体が大きくなりすぎると、経営者は社員の能力や資質の違いを正確に把握できなくなる。会社の危機に対し、社員の当事者意識が弱くなるという欠点がある。
小さくとも、町工場には気心の知れた社員と楽しく仕事をして、プライドと幸せを掴み取る道がある。
そのためには、厳しい環境の中で中小企業が生き残るには、「尊敬できて、相手のためなら頑張ろうと思えるような会社」と取引することが重要だと、社長はいう。

「日本理化学工業」は、1937年に設立されたチョークを生産する会社である。
当時白墨を使用している教師に肺結核が多いという報告があり、「ダストレス・チョーク」の国産化に初めて 成功した。
この会社が生産する「ダストレス・チョーク」は1953年にわが国唯一の文部省斡旋チョークとし て指定されている。
「ダストレス」つまり「ホコリなし」のチョークとは、いかにもインクルーシブな製品である。
実はこの会社の社員のうち70パーセントが「知的障害者」であり、シカモ業界トップを走る会社である。
この会社は1960年に大きな転期をむかえていた。会社の近くの養護施設から二人の若い知的障害の女性 が体験的に働きに来たのが、キッカケである。
彼女等は、チョークのはいった箱にシールを貼る仕事がとても楽しげで、昼休みの食事の時間も早々に切り 上げてシールを貼り続け、その手ギワもミルミル上達した。
そして、二人が明日も会社に来れたらいいのにと語りあうのが、周りの社員にも聞こえた。
その働く姿を見た従業員の全員が、大山泰弘社長に彼女達も一緒に働かせてもらえないかと頼み込んだ。
大山社長はその真摯な気持ちを受けとめ、彼女達を正社員として採用した。
喜びをもって一心に働く彼女らの姿が、逆に従業員の働く「誇り」を目覚めさせたのだという。
会社は知的障害者の採用を増やし10人を超えたころ、彼らをヤヤ知的能力が必要な作業に振り向けざるをえ なくなった。
ところがそうした作業のなかで、彼らが数をかぞえらない、重さをはかれない、目盛りを合わせられない、 などの問題が次々と露呈し、作業が停滞していった。
作業効率が悪くなって、生産量も落ちていった。
先輩従業員が丁寧に仕事を教えていったが、なかなか仕事を覚えることができず、集中力がキレて持ち場を ハナレる者まで出はじめた。
先輩従業員にとって、彼らの仕事を手助けしながら、自らの仕事をコナサなければならなくなり、日に日に 負担は大きくなり、疲労度が増していった。
また先輩従業員と知的障害者との給料が同じであることにも不満が高まった。
社長は知的障害者の採用をとりやめるべきか決断をせまられた。
だが社長は知的障害者達を見ていて、どうしても分からないことがあった。
おこられても、おこられても、彼等はメゲズに出社してくる。高熱がでても彼らは休もうとはしない。
毎日のように怒られながら、誰一人不満をいわず「黙々」と働こうとする。
大山社長は、このことを知り合いの僧侶に聞いてみた。
すると僧侶は、意外なことを言った。
その僧侶によれば、人間には「究極の幸せ」が四つあるという。
「人に愛されること」、「人にほめられること」、「人の役にたつこと」、「人から必要とされること」の四つである。
そして働くことによって、「愛される」こと以外の三つの幸せが得られるという。
大山社長は僧侶の話を聞いた時、世間からどんなに不可能といわれようと、知的障害者を今後も雇用しくことを決断した。
社員達は生産性が落ちているのにサラニ知的障害者を雇って、会社は一体ドウナッテしまうのかという反対の声があがった。
大山社長の夢はツイエタかに思えたが、社長は「誰も」が働き安い職場を皆で作っていこうと訴えかけた。
そして知的障害者達が仕事をどれほど粘り強く「一心」にコナスかを思い起こさせた。
作業工程や道具を変えていけば、知的障害者でもやヤレないことはないのではないか、みんなで「職場」を改良し ていこうと呼びかけ、自らも頭をヒネリつづけた。
そしてある日、知的障害者が信号を渡る情景が思い浮かんだ。作業工程を「色」で表わせばナントカやれるのではないかと思いついた。
原料の量をおぼえられないなら、赤い色の粉は赤いおもりと同じ重さだけ秤に加えるようにし、青い色の粉 は別の重さの青いおもりと「対応」させた。
品質管理のために計測機器が使えないなら、あらかじめチョークの大きさと同じぐらいの枠を三段つくり、 真ん中の段にとどまったチョークは大きすぎず小さすぎず「適正な」大きさということになるようにした。
数がカゾエラレナイなら、必要な数の溝をそなえた箱にチョークを並べるようにすれば「数える」必要がなくなる。
知的障害者ではデキナイと思われていたことは、「実は」仕事の与え方が適切ではなかった、ということが日に 日に明らかとなっていった。
つまり、工程に人を合わせるのではなく、人に工程そのものを合わせるのだ。
職場を変えていこうと、「大量のアイデア」が社員自身から提案されていくようになり、驚くべきことにそのアイデアが先輩従業員の「作業能率」をも上げていったのである。
また知的障害者がガラスにチョークで文字を書いている行動から、ガラスに自由に書けるチョークのアイデアが浮かび、「大ヒット商品」となった。
この商品は、その年の「文具大賞」を受賞している。
ホワイトボードやパソコンの普及でチョークの使用量が減っているが、クレヨンとチョークとマーカーの利点を組み合わせた新しいチョーク「キットパス」を開発することにも繋がった。
そして、会社が「インクルーシブ」な生産のあり方を追求する中で、多くの知的障害者が人が喜ぶのを自分のことのように喜べる「才能」を持った人々であることがわかった。
そして、かつて僧侶が社長に語った「四つ幸せ」の最初にある「愛される喜び」をも知っていったのである。

子育てゆえにできる仕事はないのか。格差が広がるゆえに生じるビジネスチャンスはないか。
今、赤ちゃんを見ると思わずほほ笑み、心が和む。そんな力を持つ赤ちゃんを高齢者施設や教育現場などに「派遣」する取り組みが進んでいる。
赤ちゃんと触れ合った認知症の高齢者の表情が和らぐなどの効果も表れ始め、赤ちゃんを連れていった母親たちにも「育児への喜びや誇りを感じる」と好評だという。
主催は神戸市のNPO法人「ママの働き方応援隊」で、子育て中の母親が働きやすい社会を目指してきた。
高齢者施設の訪問では、赤ちゃんが登場すると、ほとんど表情のなかった高齢者が笑顔を見せる。
記憶力が著しく低下している認知症患者が「赤ちゃんがかわいかった」としばらく覚えていて、話題にするなどの効果があったという。
母親に抱っこされた0歳児3人を前に、80、90代の入居者6人が顔をほころばせた。
「赤ちゃんの小さな手や足は、ほんまにかわいい」「寝顔を見ているだけでも幸せ」。
「ばあー」と赤ちゃんに話しかけたり、そっと手を握ったり。
赤ちゃんを抱っこしながら「50年以上前の子育てをしていた頃を思い出す」と涙ぐむ女性もいる。
赤ちゃんもご機嫌な様子で、あっという間に1時間が過ぎる。
また同法人は、教育機関にも赤ちゃんを派遣している。
1990年代頃からカナダで「ルーツ・オブ・エンパシー(共感の根)」という、赤ちゃんが学校を訪問する学習プログラムが盛んになっていることを知り、子供と一緒に社会参画できる取り組みとして始めた。
通信制高校のサポート校には、同じ母親と赤ちゃんが訪問する。
普段、消極的な学生が自分から身を乗り出して赤ちゃんに話しかけるなどの変化が見られるという。
同法人の理事長は、今後はボランティア活動にとどまらず、「子育て中のお母さんたちの仕事の場としても事業展開していきたい」と 語っている。