「長期金利」が生命線

日本の近現代史の中で「生命線」という言葉が頻繁に使われた時期がある。例えば、当時の広告コピーの中には、「喉は体の生命線 龍角散」とか「お肌の生命線を守るレートクリーム」などがあった。
その発信源は1931年、松岡洋右が衆議院でアジった「満蒙は生命線」という言葉である。
敵が満州や蒙古線を破って南下したら、すぐに日本の統治下にあった朝鮮半島も破られ、日本本土さえも危ないと危機意識を煽った。
この言葉を裏付けるかのように、まもなく日本軍によって満州事変が起こり、日中戦争へと戦火は果てしなく拡大していった。
現在の日本は「軍事の時代」ではなく、保守と革新とが死力をつくした安保闘争のような「政治の季節」でもない。
あえていえば「アベノミクス」に代表されるように、下り気味の経済を何とか支えんとする「経済の時代」といえるだろう。
しかし日本経済にあって、政治的・経済的営為がコレホドに収斂されるかという「生命線」がある。
それこそが長期金利水準であり、これさえ抑えられるのなら、リフレでも金融緩和でも何でもござれという雰囲気さえ漂っている。
実は、日本銀行が世界に先駆けて実施した「ゼロ金利政策」の引き金となったのが、1998年の長期金利の急上昇であった。
当時の宮沢大蔵大臣が、「資金運用部による国債の引き受けをやめる」と発言したのをきっかけに、国債が売られ長期金利は0.7%から一気に2%台にまで跳ね上がった。
経済が低迷している状況での長期金利上昇は、景気回復の重大な障害になることから、これを抑えることが求められ、日銀は翌年の99年初頭に政策金利「翌日物コール市場レート」の誘導目標を0.15%にした。
これが「ゼロ金利政策」の始まりである。
ちなみに「翌日物コール市場レート」というのは、銀行同士がお金を貸し借りする時の金利で、日銀はこの金利をほぼゼロにすることで、お金の流通量を活発にすることを意図するものであった。
他の銀行から資金を借りるときの金利がゼロになれば、銀行の負担は軽くなり、それだけ企業への貸し出しもやり安くなるからである。
一方で、預金金利に頼る年金生活者のような人々の生活を圧迫することになる。
ところで今なんとか1パーセント程度に抑え込んだ長期金利だが、これがハネアガルようなことになれば、設備投資・住宅ローンが途絶し、銀行から生命保険会社が保有する国債の評価損により一気に経営危機に陥り、日本経済全体は完全に壊滅してしまう。
実は先日、ソノ「長期金利が急上昇」との小さな新聞記事が目に留まった。
「急上昇」といっても昨年12月18日以来の水準だという。
2013年4月以来、株価と金利は乱高下を続けているので、ナニカが起これば、株式市場から債券市場に資金がもどっていく、その一局面に過ぎないようだ。
最近では、イスラム国の動向も株価や金利に微妙に影響しているに違いない。
さて、こうした金利上昇にも「良い金利上昇」と「悪い金利上昇」とがある。
長期金利の指標となるのが「10年物日本国債の利回り」で、1990年の9月に8.35%の最高金利をつけてから一貫して低下し続け、2003年6月に0.34%と流通利回りの最低値を記録している。
一般的に、おカネが欲しい人が増えるのは景気が良くなった時で、こういう時に金利が上がるのは自然で、いわば「いい金利上昇」である。
一方「悪い金利上昇」は、どんんどん国が借金していって、皆がこれはもう返さないんじゃないかと思うようになると、金利の指標である国債はよほど高い利回りでないと誰も買ってくれなくなり、その結果金利が上がるケースである。
「悪い金利上昇」は税収が予想以上に伸びず、国債の発行額が予想を上回って増え続ける場合などにおきる。
先述の「長期金利上昇」の理由について、新聞記事は、財務省が実施した国債入札に「応札」がなく、不安心理から国債を手放す投資家が多かったためとあった。
したがってこのケースは「悪い金利上昇」を意味している。
それでは「応札」とは何だろうか。その前に「国債募集引受けシンジケート団」について説明したい。
国債の発行は、国家予算が決まり、その年度の発行計画が決定した後に毎月行われる。
市場で国債の買手を募ることを「募集」するというが、もし国債が売れ残ってしまえば、予算は不足し行政活動に重大な支障をきたすことになる。
したがって、発行したすべての国債は絶対に売り切らなくてはならない。
国債を発行する際に、応募が募集に満たないことを「末達」または「札割れ」というが、財務省はこうした事態をまねかないために、募集の際にはその時点での市場の状況や投資家の購入意欲などを細かく把握しようとつとめる。
その上に、確実に国債を消化(売却)するために「国債募集引き受け団」(シンジケート団)というものが形成された。
これは、銀行や生損保、証券会社などの金融機関が、「国債募集引き受け団」すなわちシ団という組織を形成して、新たに発行された国債を引き受ける。
その時、シンジケート団向けに発行された分は、固定されたシェアにしたがってシ団メンバーすべてが引き受ける。
これは一番多い時で、2000を超える機関で構成されていたという。
ただ、シンジケート団引き受けが適用されているのは10年物国債のみで、超長期国債、中期国債、短期国債などはすべて「公募」による競争入札となっている。
入札による応募額が発行額に満たない場合には、シンジケート団メンバーが固定シェアに従ってすべてを引き受けることになっていたので、基本的には未達(札割れ)は起こらない仕組みになっていた。
しかし80年代の「日米構造協議」の中でとりあげられた日本経済の「閉鎖性」のひとつが、このシンジケート団による国債発行市場の独占であった。
そのため89年からは「10年物国債」についてはシンジケート団引き受けの割合を段階的に落とし、残りはシンジケート団メンバーによる「公募入札」という方式に変わった。
さらに後述する「国債発行年限の短縮化」の流れの中で、10年物国債が全体に占める割合が低下していると同時に、国債配分シェアが硬直的で時代にそぐわないという意見があり、シンジケート団は実質上廃止されることになった。
「公募入札方式」への移行は、引き受けの際の金融機関同士の競争が生じ、活性化されるなどのメリットもあげられる。

さて、長期金利の水準には、どのような要素が絡んでいるかだが、まずは国債価格と金利の関係という基本知識からはじめたい。
国債には、毎年いくら払うかがあらかじめ決まっていて、それは満期までかわることはない。そして国債には額面があって、満期が来ると必ずその額面の金額が払い戻される。
例えば世の中で、金利が2%だった時に、額面に対して毎年2%の利息を払うA債券が発行されたとする。
その後、世の中の金利が3%に上昇したらどうなるか。
国債は毎月その時々の金利をを反映する利息で新しいものが発行し続けられる仕組みになっているため、金利が3%になった時、額面に対して3%の利息を払う国債が発行される。
今仮に、2%の利息がつくA国債と、3%の利息がつくB国債が同じ価格ならば、当然利息が多いB国債を選ぶだろう。
すると、A国債は人気がなくなって、ここまで安いならば利息が低くてもイイヤと思うようになる水準まで売られ価格が下落する。
その結果A国債の額面に対する利回りはB国債の3%と並ぶことになる。
つまり金利が上がると、国債の価格は下がる。
逆に、世の中で金利が1%に下がると、その時新たな額面に対して1%の利息を払うC国債が発行されるとする。
この時は2%利息がつくA国債の方が得だから、A国債を買いたいと思う人が増えて、いくら利息が高くてもこんなに価格が高いんじゃ損だなと思う水準まで価格があがる。
その結果C国債の額面の利回りはA国債の2%と並ぶ。
つまり、金利が下がると、国債の価格は上がる。
以上まとめると、国債価格と金利とは反対に動くということである。
さて長期金利の動向に影響を与える一因が「経常収支」である。
今、日本は経常黒字でしかも世界最大の債権国である。つまり、借金があっても、返済ずるお金のアテは色々あることを意味する。
日本で国債残高が大きいのも、別の見方をすれば個人金融資産のおかげで消化したといえる。他の国では、GDPの2倍もの大量国債を発行したり、それを国内市場で消化(売却)するなど、とてもできることではない。
こういう「基本構造」が維持出来ている間は、単に借金が大きいというだけではなかなか国債の暴落や極端な円安は起き様もない。
しかし、ここ2~3年で経常収支が赤字に転じており「基本構造」に翳りが見え、心配だから今のうちに日本国債を売っておこうという動きも起きうる。
ただし、日本国債が借金にもかかわらす相変わらず強い最大の理由は「円建て=自国通貨建て」であることである。
日本国債は、円という自国通貨で発行し、円という自国通貨で返済する。返せない時の究極の保証は、日本政府が「通貨発行権」と「徴税権」とをもっているということである。
今、ヨーロッパでギリシャの経済危機が起きているが、ギリシャに比べてもはるかに借金残高が多い日本国債が安全なのは、ギリシャ国債は「ユーロ建て」という根本的な違いがあることを忘れてはならない。
ギリシア人はユーロという通貨を使えるけれども、ユーロを勝手に印刷したり、発行する権限など与えられていない。
ギリシアは他のユーロ加盟国同様に、金融政策をすべてFCB(ヨーロッパ中央銀行)に委譲してしまったから、独立国でありながら独自には何もできない。
ただし徴税権はあるものの、ソクラテス・プラトンの時代より労働を軽蔑し「観想」を重んじる国民性のせいか、徴税拒否するケースが多い。
ギリシアは10年物国債を世界中の投資家に買ってもらおうとしたが、金利はなんと30パーセントに達した。それくらいの利率をつけなければ売れないということなのである。
日本経済をさらに長期的にみると、「長期金利上昇」の最大の不安因子は、やはり「高齢化/少子化」ということになろう。
基本的に経済の成長を左右する要因は人口で、特に年齢が15歳から64歳の「生産年齢人口」の動向が生産・消費の両面で重要である。
高齢化で「貯蓄を取り崩す」人が増えていけば、国内だけでは国債購入の資金が足りなくなり、外国人にもっとたくさん国債を買ってもらう必要がでてくる。
その際には、外国人はもっと高い金利を要求するだろうから、長期金利は将来上昇する可能性が高まるのである。
さて前述のように、「国債募集引き受け団」の廃止の理由のひとつとして、「国債発行年限の短縮化」の流れということをあげた。
しかしこれも長期的には歪をもたらす可能性がある。なぜなら無理に押さえ込んだものは必ずや反転するからだ。
国債といっても長期金利の基準となる10年物国債ばかりではない。
期間が6ヶ月のものから、1年債、2年債と様々で最長は40年債である。
この中で中心なのが長期金利の指標である10年債で発行量も一番多い。
「違う満期」の国債があるということは、投資家のニーズばかりではなく、政府側(発行側)にも一定の目論見があると見た方がよい。
10年物国債を多く出すと供給が増えて人気がなくなり、金利をより高くしないと売れなくなる。
つまり、長期金利の上昇につながるわけだが、それを防ぐためには、政府は今後国債を増やす時は、期間の短い半年から5年物までなど短中期満期の国債の比率を増やすことをしている。
それでは、短期の国債の比率を増やせば、今度は短期金利が上昇して長期金利に影響してしまわないかという疑問がわくが、そうはならないようにすることができる。
なぜなら長期金利は資金の「需給」を反映するものの、どこの国でも短期金利は政府のほぼ完全なコントロール下にあるからである。
具体的にいうと、コール市場という短期市場への資金の出し入れを通じて、短期の金利をおさえこむことが充分に可能だからだ。
言い換えると、短期国債を主体に増やすということであれば、金利水準にほぼ影響を与えないで済むということだ。
しかしこうして短期債を増やすことが果たして本当に「財政の健全化」につながるか、疑問符がつく。
短期債の場合は期間が短いからすぐに償還期限がきて、そこでまた「借り替え」なければならない。
その時、金利が低い水準を保っているかどうかはわからない。
仮に上昇していたら高い金利での借り換えが必要となり、財政の負担が増すことになる。
それよりセッカク低い金利なのだから、これを利用して10年債や20年債を増やしておくことがスジといえる。
もちろん長期国債を増やす場合には金利を高くしないと売れないかもしれないが、今頃の金融機関の異常な金余り状態からすれば、その上げ幅も小幅で済むといわれている。

日本の成長と金利という長期的な側面を振り返ると、高度経済期には、資金がいくらあってもたりないほど多くの投資対象があり、金利が高くなりすぎる傾向さえあった。
ところが今、人口構成は世界で例がないほどの速度で高齢化している。かつての熟練労働者が歳をとって、一方で若年の労働力が不足している。
しかも若手の労働力は、3K(きたない/きつい/危険な)仕事を避けているために、肉体労働をともなう職業分野の老齢化はきわめて深刻な事態となっている。
そこで様々な規制緩和や自由化を行って刺激をしているが、なかなかアベノミクス第三の矢である「成長戦略」はうまくいかないようだ。
日本で最後の頼りとなるのが豊富な資金力で、労働力や技術の面で成長力が抑止されている一方で、資金だけが豊富ならば金利水準が著しく低くなるのは自然といえば自然である。
豊富な資金を使って「投資する対象」が限られているため、金利をよほど低くしないと誰も使ってくれないからである。
人口が大きく減少しようというとき、経済水準を維持しようとするならば、皆が効率的に働かねばならないことはいうまでもない。
国民の資金を効率のいい方向に流さなければならない。
しかし現実は、銀行預金や郵便預金の運用先として、間接的に投資される部分を含めると、国民の金融資産の6割以上が国債とかだ財政投融資に回っている。
つまり、本来の効率的なお金の使い道であるところの企業へとお金は流れてはいない。
その資金は効率の低い「土建国家的な仕事」で消えている。つまり官のブラックホールに吸い込まれていっているわけだ。
最後に、この稿で「国債(=長期金利)」をとりあげたのは、「青い約束」(ポプラ文庫)という本を読んだのがきっかけである。
刊行から2年後に書店さんの応援努力でブレイクしたという稀有な小説である。
本の「帯文」には、「ビジネスマンが泣いています」「号泣必死」、書評には現代版「こころ」などとあってツイ買った。確かにいい小説だが、作家が現役の経済記者だけあって「国債問題」について要領よくまとめてあったため、本稿でも一部参考にさせて頂いた。