公共とパブリック

日本版金融ビッグバンの理念は、「グローバル、フェア、フリー」である。
これは1990年代の「金融自由化」の話だが、それ以前に日本は「市場開放」を求められた。
1980年代頃から、日本とアメリカやヨーロッパとの間に起きた貿易摩擦の際に、日本はしばしば「フェアーではない」という批判を受けた。
現在進行中のTPPの交渉にせよアメリカは「全面自由化」を求めているのに対して、日本はどうしても5分野だけは「例外」にしてくれと要求し、日本とはそもそも「フェアー」という言葉の意味が通じないと評されているのかもしれない。
さらに、大企業の粉飾決済などの不正経理は、日本の一流企業でさえもフェアネスを欠いており、日本社会に対する信用を著しく損ねたこことは間違いない。
また記憶に新しいのは、オリンパスという企業にイギリス人社長が就任し、過去3代の「不正経理」を暴いたら、取締役を解任させられた出来事である。
正直言って、オリンパスに社長に「大抜擢」されて、恩も義理もある会社に対してソコマデヤルカという気がした。
そういう自分の意識を含めて、日本人の意識の中の「公正さ」への感覚が外国とは随分違う気がする。
それでは、ソノ「違い」は、ドコカラ生まれたのだろうか。
その前に、このイギリス人社長・マイケル・ウッドフォード氏はどういう人なのか。
経営のプロとして出資先や提携先から招かれたのでなく、オリンパス一筋の「生え抜き」の社長だ。
20歳で英子会社の医療機器の営業マンとして入社して以降、勤続年数は30年に及び、社長就任時は50歳という若さである。
オリンパスでは、初の外国人社長であった。
ソニーや日産自動車のように、海外収益の増加に伴い、世界規模で拡大する組織を掌握できる日本人幹部が少ないことから、日本の大企業でも外国人のトップは珍しくなくなった。
つまり、経営のグローバル化に日本人社長では対応できないというわけである。
さて、日本と欧米との「公正さ」への意識の違いだが、まずは欧米が競争社会だからこそ「公正さ」を重視し、日本のように競争をさける文化土壌からは、そこまで必要のないものといえる。
日本は「公正さ」よりも「調和/融和」に優先順位がおかれ、多少の「不公正」には目をつぶろうとする。
例えば、欧米の文化は、体重が異なるのに同じ土俵に立つのは「不公正」なのか、レスリングやボクシングはてはJYUDOまでか体重別に分けている。
こういう「厳密さ」にも、「公正さ」を徹底追求しようという姿勢が表れている。
さて、次期(平成34年度から)の「高等学校新指導要領」中教審答申において、改正が一番目立つのが「地歴・公民科」である。
今、地歴科では世界史が必修であるが、日本史と世界史を共に学べる「歴史総合」をもうける。
そして「公民科」では、18歳へと選挙権を下げる問題に対応するために「公共」という科目をもうけるという。
この新教科が、現在の「公民」とどう違うのかは定かではないが、「公共」という名をつけたところをみると、個人の権利ばかりではなく、ソレを超えた「公共」に価値を見出すことを学ばせヨウというものにちがいない。
ただし日本人にとっての「公共」という言葉は、欧米の「パブリック」とは異なって、「公教育」「公共事業」「公共放送」「公共建築」「公共企業体」などのように「お上」のニュアンスがつきまとっていることは、しばしば指摘されるところである。
つまり「公共」を言い換えると、あんまりワガママいわないで「お上」のいうことに従いなさいということになってしまう。
しかし、こういう観念コソが、オリンパス不正経理や東芝不正経理を生んだ「心理的背景」のひとつではないだろうか。
一方、欧米で育まれた「パブリック」には「お上」の意味を含んでいない。
「パブリック」には、「公表」するとか、「公開」する意味を含んでいて、不特定多数への「参加」の呼びかけみたいなニュアンスがある。
参加してもらうためには、何より「公正」であることが重要である。
ヨーロッパでは、中世から近世へと向かうなかで、市民たちが封建領主から独立したコミュニティーである「自由都市」を築き、皆の合意で運営していく体験をもってる。
市民たちが誰それの命令に服従して動くのではなく、自分達がどうすれば自由で活力ある社会を作れるかを、話し合いながらルールを決めて運営した。
その中で生まれたのが「パブリック」の精神であり、ルールは「パブリック」のためにあり、そこから「制約」をともなうフェアネスの観念も生まれたのだ。
制約(犠牲)をともなわない「パブリック」は存在せず、そのルールが守られてコソ「公正」なのだ。
さらには、英仏は市民革命後に、前進と後退を繰り返しながら本格的な市民社会を実現した。
ところで、日本の民衆は、江戸時代から明治時代へと変わり「四民平等」をうたいつつ、憲法制定にむけて自由民権運動を展開したにもかかわらず、日清・日露戦争を経る中で、結局は徳川から薩長へと支配者を変えたにすぎない状況となった。
つまり自分達のことを自分で決め運営していく市民社会の経験はほとんどなく、そこにあるのは旧時代から引き継いだ「藩閥ムラ意識」であり、欧米的な「パブリック」な意識が醸成される余裕がなかった。
つまりたえず「お上」(公儀)へお伺いを立てながら、ものごとをきめた。江戸時代の農村にも村役人がいてそれが浸透していた。
戦後はアメリカ主導で「民主化」が行われたが、市民ガ自発的にやったのではなく、マッカーサーにお伺いをたてつつ、結局は「上から」の民主化であった。
高度経済成長期には「幕府・藩・ムラ」への忠義は、「会社」への忠義へと姿を変えたにすぎず、それを超える意味での「公共観念」は不在である。
つまり、欧米でいうような「市民社会」を体験をしたことがなく、「パブリック」な意識は育たなかったといってよい。
そのため、会社に忠誠心を抱く度合いが強い者ほど、企業犯罪や不正経理に手を染めたりする。
おそらくオリンパスの外国人社長が会社内の「不正」を表沙汰にしたのは、日本人にはない「パブリック」なものに対する意識が優先したからではなかろうか。
日本には「パブリック」に近い言葉として「世間」という言葉がある。
しかし「世間」という言葉は、同郷意識、同窓意識、同族意識、社内意識などと「相性」がよく、その意味で「パブリック」とは対立するものではなかろうか。
結局、日本の財政赤字も、「パブリック」感覚に欠けた国民がオラガ利益のために要求(陳情)するばかりで、政治家もそれに応えることで、人気を得ようとするために起きたことに違いない。
現状の教師が「パブリック」観念を生徒に教えることがイカニ困難かは、多くの進学校が、必修科目であるにもかかわらず、受験科目ではない科目の「裏番組」として、受験科目の授業をして、少しでも合格者の数を伸ばそうといていたことなどにも表れている。
こういう問題は、組織の「外部」から指摘されてはじめて「問題化」されるところに、日本人の「パブリック」精神の欠如を見る。

最近起きたもうひとつの不正経理事件が、東芝の不正経理事件である。
東芝事件とは、まずトップが利益至上主義に立脚して、無理な利益確保を要求し、東芝では「カンパニー」と呼ばれる多くの事業本部で赤字決算を認めなかったことにある。
一方、適正な会計原則を守るべき経理部はトップの経営判断に盲従し、正当な経費の算出や引当金の計上を怠った。
こうしたトップの暴走を抑止し、「会計原則」を遵守させる規律付けの体制であるガバナンスや内部統制システムは、一見、整っているように見えたが、実際には「機能」しなかった。
経営トップは時として、手段や方法の公正さや適正な会計処理などを無視して、ひたすら利益のみを追究しようとする。
利益が上がれば、企業価値が高まったとして、株価があがり、名経営者として本人の評判も高まるからである。
しかし、一方、オリンパスでも10年以上隠し続けた挙げ句に発覚し、株価は低落し、会社の信用も地に落ちた。
そもそも、日本独自の監査役型ガバナンス・システムは世界でも孤立している「変則的」なモデルと言われている。
その第一は、株主に代わって経営者をコントロールするべき「取締役会」が社長の「部下」とも言える業務執行者で固められている。
それでは取締役会がトップを監視し、牽制するのは困難である。
第二に、監査役には取締役会での議決権がなく、また社長の「選任/解任権」がないのでトップが暴走しても、どうしようもない。
そこで東芝は、「指名委員会等設置会社」として、監査役を廃止し、「社外取締役」も多数入れていた。
しかし東芝では監査委員会の委員長が社内の「元財務担当役員」であり、法務担当の監査委員からの粉飾決算を疑う質問を無視し続け、企業会計についての十分な知識や理解力を持つ社外取締役もいなかったらしい。
オリンパス事件は、財テクと言われる本業以外における証券,先物,株式,デリバティブ等の金融商品の評価による損失が発生したのに、資産の財産評価の目減りしたことを会社の決算書において隠していた事件である。
この財テクによる損失隠しは、当初、債権・証券等の財産を「取得価格」による資産計上すればよいとの会計処理により、決算帳簿上に明記されなかった。
損失の評価は、各金融商品の価値回復により、「時価の回復」を期待してきた。
ところが、1999年に、国際会計基準に変わり、「時価評価」による会計処理をすることになった。
そこで、オリンパスは、1990年代に、隠していた金融商品の損失を「会社のM&A」を利用しての解消つまり「「飛ばし」によって、虚偽の有価証券報告書を提出していた。
2011年4月、マイケル・ウッドフォード氏が社長に就任した後、疑問を抱いて「中間報告書」により疑問を提示したところ、菊川剛会長が取締役会において、マイケル・ウッドフォードを代表取締役社長から「解任決議」をしたのである。
外国メディアは、「疑惑」を究明しようとした外国人社長を満場一致で「解任」したことへの一斉批判に、オリンパス側はついに「粉飾」を自白するに至ったのである。
その結果、当然にオリンパスの株価が下落した。こうした経緯から、虚偽の有価証券報告書に基づいて、株式を取得した株主は、オリンパスの会社及び役員等の関係者に対し、合計36億円での損害賠償請求訴訟を提起した。
ともあれ、こうした不正経理事件の「本質」は、個人が自立せず、事の是非を判断せず、空気に流され、組織内の軋轢を避けて、もたれあいを是とする日本企業や日本人の在り方にあるといってよい。
つまり、お家のオキテや決まりごとが、市民社会のルールに優先するということに、「パブリック」感覚の欠如がはっきりと表れている。
ちなみに、オリンパス経営陣は「守秘義務」違反を理由に、ウッドフォード元社長に対する法的措置を検討しているとの話もあるが、ウッドフード氏は、「虚偽の決算を曝露したことを訴えてくれるのは大歓迎だ。東京と言わず、ロンドン、ニューヨークでもかまわない。私は受けて立つ」と言っている。

歴史上、日本に「パブリック」が育たなかったかというと、その契機をいくつか見出すことができる。
最近、東大の東島誠教授が、こうした契機を歴史のに掘り起こし、それを「江湖の精神」と呼んでいる。
「江湖」とは聞きなれぬが、坂本龍馬が理想を求めて土佐を「脱藩」したときの出港地といわれている伊予国長浜(現在の愛媛県大洲市)の「江湖(えご)」の港である。
本来の読みは「ごうこ」、もしくは「こうこ」で、唐代の禅僧たちが「江西」と「湖南」に住む2人の師匠の間を行き来しながら修行した故事に由来する。
つまり、特定の権力に縛られてひとつの場所に安住することを良しとせず、外の世界へと飛び出す生き方といってよい。
これは、日本人の「公共」よりも「パブリック」に近いのかもしれない。
そして東島教授の視点のユニークさは、「江湖概念」の源流を中世「禅林」の世界や、中世末期に見られる「勧進」に見出している点である。
さらには、商人が渡し船の修理費用を不特定多数から徴収するにいたる過程に注目し、それを可能にした「間隙」という商業交通圏があったことも明らかにしている。
また、江戸時代に活躍した行商の貸本屋も重い本を何十冊も背負い、読者を訪ね歩く大変な重労働をした。
彼、彼女らは書物だけでなく、様々な情報を直接人と会うことで媒介して、人々と直接顔を合わせて交流するその様子は、現代よりもはるかに「開かれた社会」を感じさせるという。
また時代を下って、明治の言論界には、龍馬の遺志を継ぐかのように「江湖」の看板を掲げたのが、「江湖」を名に冠する新聞・雑誌が多数生まれたことはアマリ知られていない。
当時は「官」に対する「民」、または「国家」に対する「市民社会」が「江湖」であった。
自由民権思想のリーダーだった中江兆民は、東洋自由新聞で読者を「江湖君子」と呼んで社説を書き、晩年は兆民自身が「江湖放浪人」などと呼ばれたのである。
現代では「江湖」は全くの死語となり、ネット空間においても、「江湖」とは正反対の嫌韓・反中やヘイトスピーチなど、排外的な主張があふれている。
異論を述べると激しく攻撃され、排除される。ネットは人々を開くどころか、閉じる方向へと進める役割を果たしている。
ところが明治期を振り返ると、そこには「江湖」の精神にあふれていて、夏目漱石をはじめとする名だたる文豪が寄稿した「江湖文学」は、無名の読者に投稿を呼びかけて参加の場を開いている。
同誌の仕掛け人、田岡嶺雲(れいうん)は、窮乏していた韓国(植民地支配以前の大韓帝国)からの留学生を援助するため、幸田露伴の妹、幸(こう)らの出演するチャリティーコンサートを企画し、「江湖」に対して義援金を呼びかけたりしている。
しかし「江湖」の精神は、日露戦争を境に退潮していく。
代わって政府の弱腰外交をたたき、外国への強硬姿勢を掲げる「対外硬(たいがいこう)」が力を増し、「下からの運動」が台頭した。
その頂点が1905年の「日比谷焼き打ち事件」で、ロシアに譲歩したポーツマス条約に不満を持つ数万人の群衆が日比谷公園に詰めかけ、暴徒化して内相官邸や警察署、政府擁護の新聞社を襲撃した。
かくして「江湖」は「対外硬」に負け、日本は戦争の時代に突入していく。
ネットの言論空間やデモで「排外主義」が吹き荒れる昨今の状況は、百年前の「対外硬」を思い起こさせる。
東島教授は、今日の日本社会の閉塞と混迷を抜け出すためには、「公共」という日本語の概念の再定義が必要とし、「公共」という言葉を「お上」や「官」から「解放」することを主張している。
となると、新しく登場する教科「公共科」で、「公共/パブリック」をドウとらえるかで、まったく違う教育の方向性を生む可能性がある。
むろん、その方向性は文科省の「新学習指導要領」に示されることになろうが、それを「公教育」という。