海賊と資本主義

個人的に、映画「女王陛下の007」の音楽の中で最もインパクトがあったものは、「ゴールドフィンガー」(1964)と「ダイヤモンドは永遠に」(1971)である。
歌手シャーリー・バッシーの声量にはド迫力があり、歌詞がよく聞き取れるもいい。
♪♪あなたが恐れるものは黄金の女が知っていること/ 彼が女にキスをした時はそれは死の口づけ/ ミスター・ゴールドフィンガー 可愛い娘よ、気をつけて/ この黄金のハートにそのハートは冷たいのだから/ 彼は黄金のみを愛する 黄金のみを。♪♪
♪♪ダイヤモンドは 嘘をつかない/ 愛が去ってしまった時の為に 彼等は 光り輝く/ダイヤモンドは 永遠のもの 永遠のもの。♪♪
さて、007映画の「悪役」に必ずといっていいほど「海賊の残滓」を感じるのは自分だけだろうか。
ちなみに、映画のタイトル中の「女王陛下」とはエリザベス女王のことである。
007ことジェームズ・ボンドは、女王陛下直属の秘密諜報部員という意味で「女王陛下の007」というタイトルとなっている。
ところで現在のエリザベス女王は、「エリザベス2世」だが、1600年代初頭のエリザベス1世の時代にイギリスは絶対王権の全盛期に至り、イギリスの海賊達がもっとも勢いを得た時代だった。
つまりエリザベス1世は海賊を取り締まるどころか、それを手なずけて戦いの主力としたのである。
イギリスは、この「海賊の機動力」をもって、スペインの「無敵艦隊」を破って世界の覇権を握るきっかけを作ったといってよい。
したがってイギリスの繁栄を築いたのは、「女王陛下の海賊達」(パイレーツ オブ マジェスティ)であり、それはイギリスがどんなに「紳士の国」を標榜しようが、疑いようもない歴史的事実なのだ。
さて教科書的にいうと、国家の繁栄は、技術革新、農業革命、産業革命、自由貿易等によって富の増大がはかられる。
しかし、特に西洋の繁栄は、世界各地からの「富の略奪」による物であるのは明らかである。
それは11世紀から13世紀に亘る十字軍によるイスラム世界から、15世紀から17世紀の大航海時代の南米大陸から、そして19世紀から21世紀の帝国・資本主義時代の全世界からの略奪である。
そして現在、犯罪スレスレの経済行為で高収益を上げている世界的金融会社の存在がある。
そこにはかつての海賊達の気風を彷彿とさせるものでさえあるが、その海賊行為によって「富の蓄積」をはかったのがイギリスであった。
イギリスでは5世紀頃から北方のアングル族、サクソン族が進出し土着化していく。
そして11世紀に海洋民族のノルマン人の侵略をうけて征服され、アングル・サクソン・ノルマンの三者が融合して、現在のイギリスを構成する主要人種が形成された。
17世紀にピューリタンがアメリカ大陸に渡り、東部を中心にWASP(白人・アングロ=サクソン・ピューリタン)とよばれる「支配階級」(エスタブリッシュメント)を形成するが、そのWASPの一部がクゥオンツとよばれる「金融工学」のツカイテを雇って富を収奪しているというのが、現在の「貪欲資本主義」の構図ではないか。

16世紀から17世紀のイギリス(エリザベス1世時代)は、二流国であって、王室は借金財政であった。
そこでエリザベス女王が取った方法は、第一に海賊に盗ませた略奪品を転売する事。
第二に、大物の海賊とタイアップした黒人奴隷の密輸。そして第三に貿易会社(東インド会社等)の設立と海外貿易であった。
東インド会社の執行役員7人を調べたところ全員が海賊であり、その海賊達が、「女王陛下の○○」というお墨付きをもらって貿易商といて活躍したのである。
つまるところイギリスが世界に冠たる大英帝国となる元手となる資金は、海賊がもたらした略奪品だったといってよい。
ヨーロッパ大陸の国々が貿易に主眼をおいたのに対してイギリス人は、「海賊行為」に主眼において、「海賊」を「英雄」にまつりあげて海賊行為を正当化してきたのである。
たとえば、16世紀にイギリス人として初の世界一週航海に成功したフランシス・ドレークをイギリスが誇る「最高の海洋冒険家」として現在も賞賛している。
しかしこの「フランシス・ドレーク」こそスペインやポルトガルを含む世界中から略奪の限りを尽くした「超大物」海賊に他ならない。
ドレークによって、イギリスにもたらされた資金は、文献より算出すると約60万ポンドで、その内エリザベス女王が少なく半分を懐に入れた事になる。
これは当時の国家予算の3年分に相当する額だそうだ。
そしてドレークが略奪した金銀財宝は、テムズ川北側の「ザ・シティ」で換金されていた。
現在世界金融の中心地「ザ・シティ」は、当時地中海レバノン(かつてのフェニキア)地方の貿易商達の巣窟であった。
貿易商達とはいってもその内は実海賊船団で、その出資者リストの中心メンバーは、女王・宮廷側近及び海賊出身の貿易商・金融業者である。
ドレークは、英国女王エリザベス1世に「わたしの海賊」とまで言われて、ナイトの称号も与えられた国家の英雄だが、イギリス海軍提督でもある。
またマゼランに次いで、イギリス人として最初に世界一周した人物としても知られている。
またドレークの親戚に「奴隷貿易」で莫大な利益をあげたジョン・ホーキンスという人物がいる。
1567年ドレイクは、親戚のホーキンスに同行し10隻の船で奴隷貿易の旅に出発した。
ところが航海の途中、海上で味方を装ったスペイン船の奇襲を受け、命からがら逃げ出せたのはたったの2隻で残りの船は沈められてしまったが、その2隻のうちの1隻がドレイクの船だった。
20歳代の半ばでのこの時の体験がスペインへの激しい敵対心を生み、スペイン船に対する残虐な掠奪行為をさせたのではないかと推測される。
そして西インド諸島でスペインの船やスペイン人の住む村を次々と襲い始め、カリブ海で海賊行為を繰り返し海賊として名前を上げていく。
そんな彼に転機が訪れる。
当時イギリスは新興国で、海の王者スペインに対抗意識をもっていたが、エリザベス女王はスペイン船を襲って蓄えた大量の財宝を持って帰還した彼をおおいに気にいって「女王陛下の海賊」となったわけである。
出発当初は船員達には世界一周の事を伝えておらず、海賊行為のための出航と思っていた船員達も南米マゼラン海峡のあたりまで来るとさすがに船員たちにも不安をおぼえ始め不満も募ってくる。
やがて反逆を企てる部下も出はじめるが、ドレイクは毅然とした態度でその部下を処刑し、先に進む強い意志を見せつけた。
1577年11月エリザベス女王の許可を得て5隻の船団を組んで世界一周の旅に出た。
ドレイクは南米西海岸の村々を襲撃しつつ北上し、ペルー付近ではスペインの大型帆船を襲って大量の宝石と金銀を手に入れる。
その後ドレイクは太平洋を横断し、フィリピン沖を通過しアフリカ喜望峰を廻って北上しイギリスのプリマスへと寄港し、1580年9月26日、ドレイクによる世界一周は達成された。
ドレイクは海賊行為を繰り返しながらの航海で莫大な財宝を手にしていたが、それに加えて東南アジアでは丁字という香料を大量に仕入れて来たので、ドレイクの船に投資した人達への配当は、一説には当時のイギリスの国庫金額を上回る額だったといわれている。
とくに一番の出資者だったエリザベス女王に膨大な配当金がはいり、女王はドレイクに「ナイト」の称号を与え「私の海賊」と言ってドレイクをねぎらった。
そしてイギリスの主力としてカリブ海を舞台に次々にスペイン船を襲撃し、スペインの「無敵艦隊」をも撃破し、イギリスに多大なる利益をもたらした彼はついにイギリス海軍のトップにまでのぼりつめた。
そしてドレイクがスペインから奪った金銀は、かの有名な「東インド会社」の資金に繋がっていく。

キリスト教・カルヴァン派が、「資本主義の精神」を生み出したことはよく知られるが、イギリスが収奪した富は資本主義の具体的なカタチを与えたといって過言ではない。
その代表が東インド会社という「株式会社」という形態だが、それ以外にも様々な仕組みを生み出していく。
1640年頃まで、金持ちの商人は余剰現金(金や銀)をロンドン塔に保管していた。
しかし、チャールス1世は(彼が王でもある)スコットランドに対抗するために召集した軍人たちへ支払う給料のために、その金塊をさしおさえた。
そのために商人たちは、ロンドン塔に代わる安全な資産の保管庫を求めたのである。
それを提供したのがロンバート・ストリートの当時頑丈な金庫をもっていた金細工師たちだった。
金細工師は金を預かると「預かり証」を手渡した。
それが「ゴールドスミスノート」と呼ばれるものであり、銀行券の前身である。
しかし、イングランド王ウイリアム3世(オレンジ公ウイリアム)の戦争(1688年~97年)で金や銀を使い果たしたイギリスには借金が残りマネーサプライは減り、経済をなんとか動かす必要があった。
そのジレンマを解決するためにつくられたのが、現在の中央銀行の原型といわれている「イングランド銀行」である。
イングランド銀行は当初は株式会社であり、完全に民間の金融機関であった。つまり、民間の金融機関が政府から紙幣発行と物価・為替の安定業務が委託されたわけである。
ちなみに1946年に労働党政権によってイングランド銀行は「国有化」されている。
実は、イングランド銀行はシティという金融街に位置するが、もともとはイタリアのロンバルディアから移民してきた商人達がつくった商人の為の銀行であった。
この商人たちが、オレンジ公ウイリアムに巨額の融資をもちかけ、その見返りに「貨幣発行権」をえたのだが、 その商人たちのいわば「足かせ」として金本位制が始まったといってよい。
ロンバルディアからきた移民達が集まったことから、イギリスのシティの中心をロンバートス・トリートが走っている。
実はサンフランシスコにも「ロンバート・ストリート」が走っている。
それはまさに西部最大の金融街のど真ん中であり、ゴールドラッシュでサンフランシスコにやってきた移民達がそう名づけたに違いない。
夕暮時、誰それが演奏するジャズの音色が響く街である。
ところで出資者達は海賊の貿易船への保険として「ロイズ保険会社」(現在の世界的保険会社)を設立した。それは、コーヒー・ハウスと結びついて生まれたものである。
17世紀後半ロンドンでロイドなる人物が経営するコーヒーハウスには、貿易商や船員の客がよく集まっていた。
そこで彼は店内で海事ニュースを提供するようになり、店は保険引受業者の取引場所になる。
ロイドの死後もロイズ・コーヒーハウスとして取引場所は存続し、その後コーヒーハウスではなくなったもののロイズの名は引き継がれた。
これが世界有数の保険組合ロイズの起源であり、一軒のコーヒー店から始まった保険取引市場は、20世紀後半、ロンドンの金融街シティの中心にそびえ立つハイテク・ビルディングに発展した。
この何本もの配管が露出した建物をオフィスビルだと説明するより、廃墟となった「海賊船」といえばまだ信じてもらえるかもしれない。

昨年末、アメリカに住み着いた「海賊達」を髣髴とさせる新聞記事を昨年末に見つけた。アメリカでオバマ大統領の「金融強化規正法」に、金融界の「海賊達」が怒っているらしいという記事だった。
オバマの「金融改革」の目的のひとつは、銀行が預金者のオカネを使って大きなリスクを取ることができないようにすることだった。
なぜなら銀行預金には保険制度がある。もしも銀行が自由にばくちを打てるなら、「どっちに転んでも必ず銀行が勝ち、納税者が負け」という土俵で勝負することができることになって、「モラルハザード」を引き起こす。
「金融規制強化法」は、このようなモラルハザードを様々な形で制限しようとしたものであった。
例えばサブプライムなど金融危機をもたらしたといえる複雑な金融商品を、預金保険の対象となっている金融機関が扱うのを禁じる規定である。
しかし、2008年の金融危機は主にリーマンブラザースや米AIGといった「保険対象外」の金融機関がもたらしたものだった。
さらに記事は、かつて経済を破綻させた人々が、またもや同じことをするチャンスを探している。そして予算案に盛り込まれた規制緩和の文言は、米シティグループがそっくそのまま執筆したものであり、これは自由市場経済の話なんかではなく、「縁故資本主義」の話になっていると伝えている。

映画の中の多くの海賊はなぜか好感をもって描かれている。
自分が中学生の頃見た抱腹絶倒の映画「黒ひげ大旋風」が忘れられないし、「パイレーツ・オブ・カリビアン」でジョニー・デップが演じるとぼけた海賊や日本のアニメ「ワンピース」の人情味あふれる海賊も世界的な共感をえている。
特に驚異的な累計発行部数を誇る「ワンピース」は、欧米やアジアなど世界のファンに読まれて、クール・ジャパンの代表格であるといってよい。
そして、その世界観や人間観は「金融海賊達」とは対極にあるといってよい。
「ワンピース」の中の海賊は、貿易船を強奪するわけではなく宝探しの物語である。
ルフィは冒険に必要な航海士やコック、医師を集めたのだが、今日の人事制度と異なり、自分に出来ないことが出来る人が現われるとうれしくて仲間にする点である。
ぶらりとやってきた人の能力を見て採用を決める点にある。
船の操縦が出来れば、料理が出来れば、音楽ができればそれで採用。
人は集団に帰属しないと能力は開花できず、自分に何ができるのかもわからない。
「ワンピース」は、どうしたら1人1人の能力を発揮できるか、組織論としても読めるという。
「ワンピース」の中に登場する「麦わらの一味」では、仲間のために命をかける。ルフィにとって航海士ナミの死は船がしずむこと。つまり自分の死に繋がることなのだから仲間を守る。
主人公であるルフィは、「おれは剣術を使えねぇんだコノヤロー 航海術ももってねぇし ウソもつけねぇ おれは助けてもらわねぇと生きていけねぇ自信がある」といっている。
このルフィの言葉は心底から出た言葉で、リーダーに頼られることで仲間は達は自分の力を発揮する個性派集団なのである。
少々の欠点には目をつぶって、自分のスキルを伸ばす生き方は、他人への依存度が高くなるけれど、仲間への貢献度も高くなる。仲間がいなければ死んでしまうことを実感できる船。
仲間が集まる場でありそれぞれが得意分野をはっきできる場であるところが引きつけるのではなかろうか。
グローバル化の進展で、親族の共同体も、地域の共同体も壊れている。多くの人は企業に帰属しているが、そこでは多様な才能が求められているわけではなく、自分の才能や個性を発揮できないというフラストレーションがたまりやすい。
グローバル化した現在で一番渇望されているのは「麦わらの一味」のような共同体ではなかろうか。
一方、「ワンピース」中の敵は単なる強い敵ではなく、様々な権力をもってるのが特徴的である。
ある暴君はお抱え医師団をつくって他の医師団を追放して、国民は君主に忠誠を誓わなければ診療を受けられない。
君主は医者を独占することで権力を得るす。オバマ大統領の国民皆保険制度(オバマ・ケア)に対する反対を彷彿とさせる。
また世界中の地図を掌握しようとする海賊団も登場し、情報を独占して世界を支配しようとするのはかつてスノーデン氏がいたNSAを連想させる。
実は「ワンピース」の魅力は、敵が単なる強いヤツなのではなく「政治権力」をもつ人間であり、リーダーを含めてメンバーが「横並び」の小さな集団でありながら、敵を打ち破っていく「爽快さ」にあるのだろう。
最後にウンチク話をひとつ。
007シリーズの第5作「007は二度死ぬ」(1966年)は日本が舞台となった。
当時最先端のホテルだった紀尾井町のホテル・ニューオータニや地下鉄・丸の内線が登場した。
この映画でいわゆる「ボンドガール」を演じた浜美枝さんは、制作陣へのこだわりを肌で知ることになったった。
1日の撮影が終わっても、自分の部屋以外ではボンドガールのイメージを保つつように求められ、ソレにふさわしい洋服が5~6着届いていたという。
この浜三枝さんがショーンコネリー 丹波哲郎と共に撮影されたロケ地はとても意外な場所であった。
鹿児島県南さつま市・坊津町、そこには「鑑真和上の上陸記念碑」と並んで、「007は二度死ぬ ロケ記念碑」が立っている。