「からくり」の行方

「からくり」という言葉、最近では「不正」のニュアンスを含んで使われるケースが多い気がする。
しかし、江戸時代の終わりごろ、「からくり」はブームになるくらい公明正大な意味で使われた。
というのも、福岡県・久留米に田中久重という「モノ作りの天才が現われ、「からくり儀右衛門」とも呼ばれたからだ。
田中久重といえば、今どき世を騒がせている「東芝」の創業者とも言われるが、実質的には東京に近代的な工場を作ったのは「二代目の田中久重」であり、彼コソ東芝の創業者とするのが適切であろう。
二代目の田中久重が1875年に東京新橋につくった電信機の工場「田中製造所」がマツダ・ランプの白熱舎を前身とする「東京電気」と合併して、「東京芝浦電気」となり、1884年、名前を短縮し「東芝」という会社になった。
とはいえ、初代の田中久重の創案した「仕掛け」が、所詮殿様の娯楽のための「からくり人形」でしかなかったナドと侮ってはならない。
こうした「からくり」の能力コソ日本の近代的産業を飛躍的に成長させた「跳躍台」となったに違いないと思うからだ。
例えば、トヨタのカンバン方式にせよ優秀なQCサークル(品質管理)にせよ、今日のアニメなどのクールジ・コンテンツや美しくみせる商品の陳列方法に至るまで、「からくり」工夫の精神があったればコソ、世界に冠たるモノを生み出すことができたに違いない。
「からくり」精神を古きに遡って探せば、木造建築に見られる耐震的な「木組み」や超絶技巧の工芸、古代には正倉院の「校倉造」の仕掛けにまで行きつく。
というわけで、田中儀右衛門の「からくり人形」は、殿様の玩具だったとしても、近代直前の日本人が到達しえたモノつくりの「真髄」を表わしているといえるのではないか。
しかも田中久重は、何らかの「科学的原理」や動力を使って人形を動かしたのではなく、ひとつひとつの歯車の動きに工夫に工夫を重ねたうえで、たった「一押し」で弓を射るなどの一連の動作をする人形を作ったのだ。
この「からくり」はとても複雑な連立方程式で動いているかのようで、この人形の製作を、現代の「匠」と工学士が組んで挑戦しても、そう簡単にできそうなシロモノには見えない。

東芝という会社を見ると、他人事ながら「思えば遠くへ来たものだ」という感慨を抱く。
「からくり」精神を受け継いだ東芝が家庭電器製品の時代を経て、近年では日本で原子炉を開発する国内最大手の企業になっていく過程は一体どのようなものだったであろうか。
なにしろ原子炉は、科学技術の粋を結集したる存在で、ある意味「からくり」精神を寄せ付けない「ヤマタノオロチ」のような存在にも思える。
そして「からくり」の行方は、モノ作りの方向ではなく、会計処理の方向に向かった。それは東芝ばかりか、モノ作り資本主義から金融資本主義へと移行する日本経済の中で、或る部分まで多くの日本企業が共有する部分だからだ。
1990年代の「日本版ビッグバン」は、日本の金融界を本格的にグローバル化させる一連の「金融自由化」をさしている。
アメリカ発の「BIS規制」は国際業務を行う金融機関は、自己資産の総資産に占める割合を「8パーセント」以内に収めるというルールで、日本で適用される1992年は、バブルがハジけて日本が不良債権の蓄積に喘いでいた時期にあたる。
そこで日本の銀行は、自己資本の「8パーセント」ルールを守るために、重い負荷をかけられることになった。
BIS規制は本来、銀行が野放図に「貸し出し」を行うと、銀行にモシモのことがあった時に、預金が返ってこない可能性があるので、イザという時に国民を守るためのルールなのだ。
さらにこのルールを「金融庁」までもうけて徹底させたのは、アメリカの「圧力」だったといわれている。
そして、この資産基準を守るために「貸しはがし」「貸し渋り」が流行語になるほどで、ソレガすでに青色吐息の中小企業を倒産させ、不況を長引かせる要因ともなった。
では、アメリカがこのルールを作った背景には何があったのだろう。
それは年代に、エンロンやワールドコムといった会社が破綻した際に、「粉飾決算」が明らかになり、他国から文句がつけられようもないように「ルール」を徹底的に厳しくした。
そればかりか、アメリカと取引のある企業は、すべからくルールを守るべしという「域外適用」を行ったのである。
そして以前は、株の持ちあいで株価の安定をはかっていたが、持ち合いの株式の資産価値が下がったために、それが重荷となって持ち合いの解消がすすんだ。
そしてグループ会社への不良債権の「飛ばし」をはじめとする「粉飾会計」が相次いで発覚した。
それ故に、海外からの日本の金融システムの「抜本的改革」への圧力が高まったといってよい。
そして2001年に導入された「会計制度」もまた、日本的な企業風土をきく変えたといって過言ではない。
つまり「原価会計」(簿価会計)がら「時価会計」への転換を指すが、「原価会計」では資産を取得したときの原価で評価する一方、「時価会計」では、資産と負債を各期末の「時価」で評価して、「財務諸表」に反映させる。
日本株を保有する外国人投資家にとっては、「時価」を表さない「原価会計」への不公正さを是正する要求が異常に高まったとうことである。
M&Aを視野にいれいてる企業にとっては、「時価」で評価された方がやりやすい。
日本の会計は「原価会計」が多くて、売った時にハジメテ利益を計上したり、損を計上したりする。
つまり「時価会計」では、利益を確定するためにわざわざ株を売る必要はないということである。
原価会計ならば、「購入当時」の低い価格が資産評価の基準となり、実際に「売却」する時に原価と売却した時の「差額」が計上されるだけである。
ところが、時価会計では原価と現在の価格の「差」を決済のたびに組み入れていく。
確かに「時価会計」のほうが現時点での資産の価値を反映しているのでわかりやすい。
例えば「含み益」の大きな株式を売却して利益を捻出する操作のような会計操作が不可能となる。
つまり「時々の」企業の損益が明確になるので「経営の透明性」をもたらすという点で「公明性」を確保できる利点がある、
タダシ日本がバブル崩壊によって企業の「市場価値」が下がる一方である時、「原価会計」から「時価会計」への転換はホトンド「自殺行為」のようなものだった。
「時価会計」の導入により、各期の評価損益を逐次「損益計算書」に計上しなくてはならなくなった。
具体的にいうと、バブルの異常な値上がりが帳簿上に表れない代わりに、バブル崩壊で「含み益」が消えたとしても「損失」として計上されない。
ところが「時価会計」では資産価値が著しく低下し続けるのが「逐一」オモテに出てしまうのだ。
わずかばりの「評価益」を確保する為に、あるいは「評価損」を膨らませないために、企業も金融機関も株を売り続けて、全体として「含み損」が拡大するといった「悪循環」に陥ったのである。
また「経営の透明性」の高まりによりコーポレー・ガバナンスが強化され外国人株主が増えることにより、従来の「従業員主体」の経営から「株主主体」への経営へ移行することになった。
その結果、企業の長期的な成長や従業員の福祉ヨリモ、短期的な利益や配当の最大化に大きな「インセンティブ」を与えることになった。
「短期的な利益」をモタラさない設備や雇用はコストカットの対象となる。
ツマリ従来の日本型経営は息の根をとめられ、「雇用」はコストとしかみなされなくなったことを意味する。
企業は正規雇用を非正規雇用に置き換えることで、利益を確保するようになった。
さて以上のような「日本版ビッグバン」の流れと、東芝の不正会計のカラクリは当然ながら無縁ではない。
2006年、東芝(西田厚聰社長当時)は、アメリカの原子力発電の巨人・ウェルチング・ハウス(WH)社の株の77パーセントを54億ドル(当時の為替レートで約6600億円)で買収した。
この会社が売りに出された時、他の原発大手も名乗りを上げたが、果敢な東芝の攻めに恐れをなして早々と入札から降りた。
その大手他社幹部によれば、WHの価値は、普通には2000億円で、積んでも3000億円だという。
つまり、東芝は相場の3倍を提示してライバルを振り落としたということだ。
東北大震災・福島第一原発事故前には、原発は温暖化を招かない「クリーンなエネルギー」として見直されつつあったために、西田社長のこの買収劇は、「快挙」として讃えられていた。
そして重電系のアナリストは、2030年までに世界で150基が新設され、市場規模は30兆円に達するというバラ色の「原発市場予測」さえ出していた。
こうした予測に、経済産業省は、電機大手のデジタル分野での競争力低下に頭を悩ませ、「原発輸出」の旗振りをし始めた。
それに呼応するかのように、西田社長は、2015年までに39基の原発の受注計画をしていると発表した。
原発一基あたり、1千億円として4兆円のビジネスになる。だから6600億円の買収価格などたいしたものではないと 考えたのかもしれない。
西田社長は、2008年に、半導体事業で、3年間で1兆円を投資するとぶち上げて世間をあっといわせた。
この半導体でも不正会計があっている。半導体の在庫評価は極めて難しく、どんな優秀な会計士でも、様々な種類のチップの価格を正しく言い当てられるものではない。
逆にいうと、在庫の評価額はメーカーの胸先三寸でいくらでも変えられるということだ。
したがって、半導体や液晶パネルの分野の業界では、この種の「会計操作」が行われやすく、会計基準のタガがはずれていた東芝で、どのような処理がおこなわれていたかも調査がまたれる。
さて、西田氏によれば、日本は原発アレルギーがあるので新規建設は無理だが、電力不足解消のために新興国には原発を欲しがる国があるにちがいない。テレビやスマホの替わりに原発を輸出して一気に不振を取り戻すことを訴え、世間一般は概ね賛意を示していた。
そして6600億円という相場の三倍にもあたる高い金額は問題にされることはなかった。
そしてこのWH買収で獅子奮迅の働きをしたのが、電力システム部門トップの佐々木則夫氏で、次期社長に就任し、西田氏は会長となる。
2008年にはリーマンショックが襲い、多くの会社は業績は大幅に悪化させるが、東芝は赤字となったものの、それほど深手をおっていないように見えた。
これも次期経団連会長をめざす西田氏の功績ともされたが、この段階で東芝は不正会計によって「軽症」を装っていたにすぎなかったことが判明している。
さて西田氏は経団連「副会長」の地位ににあり、次期・経団連会長が有力視されていたが、強引なやり方を不安視するむきもあり、それは実現するところとはならなかった。
そして次第に、東芝には過ぎ去りし栄光しかないいWHという企業に6600億円を価値があったのかという疑問が渦巻いていった。
つまり、明らかに過大評価したWHの買収で、東芝のバランスシートは悼んでいたからだ。 2007年の報告書では、「買った会社の正味価値」と「買収金額」の差額であるいわゆる「のれん代」は、約3500億円ともなっていた。
それでも、西田氏が思い描いたように39基の原子炉が受注できていたら、20年かけて3500億円の「のれん代」を償却できていたかもしれない。
もっとも6600億円という高値買を糊塗するための39基受注という数字があがったのかもしれないが。
ところが2011年3月の東日本大震災によって、世界の原発建設計画のほとんどあ中止または凍結されることになった。
普通一般の会社ならば、3500億円の「のれん代」を回収できる見込みのなくなったこの時点で、「減損処理」をするはずである。
ところが西田氏の後任の佐々木社長は、現実には新規の受注は止まってしまったというのにWHは原子炉のメンテナンスと燃料供給が主な供給源だから、新規の原子炉建設が少しぐらい遅延しても減損にはならない」と強気の姿勢をくずなかった。
この不自然なバランスシートは、誰の目にも届かなかった。
理由は不気味に白煙をあげる第一福島原発を終息させるのに、東芝は多くの原発技術者をかかえていたために、絶体絶命の危機を救う「救世主」のように期待されていたからである。
西田・佐々木時代に、WHを含めた積極的なM&Aを展開した結果、現在のバランスシートには1兆円を越すのれん代が計上されている。
仮にすべてが減損対象とされると、株主資本1兆4千億円があやうくなり、破綻の可能性もでてくるという。

1980年代、日本経済は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされ、「日本的経営」が注目された。
一方で、「エコノミック・アニマル」や「ウサギ小屋の住人」と揶揄されることもあった。
そしてヨーロッパでは日本車の「集中豪雨的輸出」、アジアでは「大東亜共栄圏」の復活とまでいわれていたこともあった。
つまり日本は、世界で「敬意」を表されつつも好かれていなかったし、欧米では「黄禍論」まで渦巻いていた。
海外におけるあの時代の日本のイメージと今の日本のイメージには、かなりのヒラキがあるように思う。
あの時代頃まで、日本は「製品の輸出国」であり、「文化の輸入国」にとどまっていた。
しかし今や、日本は「文化の輸出国」に転じており、そうであるが故に、日本に対するイメージが予想以上に変わっていったのではないか。
つまり本当の日本人は、「エコノミックアニマル」などとは違う側面を持っていることが、世界でようやく認知されるようになったのだ。
ところで日本文化の「輸出」は、オタクやマンガといった「サブカルチャー」分野がキッカケであったが、その領域をはるかに超えてえ、広がりつつあるように思う。
我々は誤認しがちだが今や、日本はモノ作りの優位性よりむしろ、文化的スマートさをもつ国民として浸透しつつあるのでないか。
さて、「からくりの精神」とは、大袈裟な原理や動力を使わずとも、ものごとを改善しワンランク上を行くための工夫の精神と言い換えてもよい。
そして、海外で1人成功している日本人には、「商品の並べ方」ひとつをとっても、この精神を発揮している人が多いのに気がつく。
そしてグローバル化は、日本人が生活の隅々に至るところに仕掛けた「からくり」の素晴らしさを我々自身に気付かせ、世界に発信する契機ともなっているように思う。
それはブラジルに輸出されたソロバンであり、出張する「レントゲン車」や汚染水処理方式などもアジアで積極的に採用されている。
また、日本独自の派出所のシステムは治安悪化に悩む海外の国々に広がろうとしている。
その一方でグローバル化の進展は、「カジノ法案」や「司法取引」の導入など、日本の精神風土に馴染まない「からくり」が導入されようとしている。
家電大手から原発大手という東芝という会社の変貌と、それにともなう三代の社長に受け継がれた「粉飾会計」など、西鉄久留米駅近くの五穀神社境内にある田中久重の胸像の表情も、「からくりの行方」にサゾヤ曇りがちなのではなかろうか。