傲慢と怠慢

映画「カサブランカ」(1942年)は、数々の名せりふに彩られている。その中でも、リック(ハンフリーボガード)と酒場の女とのヤリトリは、あまりにも有名である。
酒場の女 「昨夜はどこにいたの?」
ボガード 「そんな昔のことはおぼえてない。」
酒場の女 「今夜はどこにいるの?」
ボガード 「そんな先のことはわからない。」
さて、今時のヨーロッパの各国首脳達はEUの生い立ちと行く末について、二人の男女のやりとりと似たような感慨を抱いているのではないか。
そんな突飛な連想をするのも、この映画に登場するひとりの人物が「欧州統合」の思想的啓発を行ったリヒャルト・クデーンホーフ・カレルギ伯爵をモデルとしたからである。
リヒャルトは、1920年代に「パン・ヨーロッパ」という本を、弱冠29歳にして著している。
その中で「ヨーロッパの28の民主主義国家がアメリカを手本にしてひとつの連邦に統一されるのは不可能だろうか」と問いかけ、「ヨーロッパ人は国境をなくすことに全力を傾けなければならない。ヨーロッパの国々が連邦的な結合をすれば、失うものよりも得るもののほうが大きいだろう」と結論づけている。
実はこのリヒャルト・クーデンホーフ、意外にも日本人の血が流れている。
クーデンホーフ家は、ハプスブルク王家に仕える名門旧家で、カルレギの父・オーストリア・ハンガリー帝国代理公使でハインリッヒ・クーデンホーフ伯爵が日本を訪問れ東京牛込の油商の娘・青山光子を見初め1892年に結婚する。
このクーデンホーフ伯爵と青山光子の間にうまれたのが、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギで、日本名を「栄ニ郎」といった。
リヒャルトは母・光子の反対をおしきって14歳年上の女優と結婚し、映画「カサブランカ」でイングリッドバーグマン扮するイルザの恋人で反ナチスのリーダー・「ラズロ」のモデルになったのである。
さて、第一次世界大戦後に、国際連盟を唱えたウイルソンは「民族自決の原則」を唱えたが、実際「民族自決の原則」が何を生んだかと言うと、民族対立によるヨーロッパの分裂とあまたの弱小独立国家だった。
リヒャルトはこうした「民族自決の原則」に、ある種の「きな臭さ」を感じたのかもしれない。
そこでリヒャルトが唱えた「パン(汎)ヨーロッパ」思想は、国家同士が「連邦」を形づくることで国の乱立に統一を与え、生産や販売をその連邦内で調整するといった構想だった。
リヒャルトはパン・ヨーロッパ思想を普及させる為に、雑誌を創刊したり、パン・ヨーロッパ連合会議を開催したりして、このビジョンは着実に拡がっていくかに思えた。
しかし、突然にヨーロッパに「暗雲」が立ち込め始める。ヒットラー率いるナチスが台頭し、1938年には強力な軍事力を背景にオーストリアを併合した。
この時期、ヒットラーは「ウイルソン大統領の宣言から20年近く経て、やっとゲルマン民族の自決権を行使すべきときがやってきた」と豪語したのだ。
つまりウイルソンの「民族自決の原則」は悪用され、その脆さを露呈させてしまう。
結局、ナチスの思想とパン(汎)ヨーロッパ思想はまったく正反対のものだから、リヒャルトにナチスの魔手が及ぶのは必定で、身の危険を感じたリヒャルトはすんでのところでスイスに亡命する。
その際、恋人の女優も一緒だったのだが、このシチュエーションが映画「カサブランカ」のラストシーンに生かされている。

戦後の復興過程でリヒャルト・クーデンホーフ・カルレギの「汎ヨーロッパ」の思想は息を吹き返す。
そして、EUの実質上の始まりは、1958年のヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)からである。
つまり欧州がひとつになろうという動きの端緒が石炭と鉄鋼を「共同管理」しようというものだった。
さらにEEC(発足時:6カ国)がECSC、欧州原子力共同体が合同してEC(発足時:9カ国)→EU(発足時:12カ国/現在24カ国)というように拡大していく。
では、石炭や鉄鉱を共同で管理しようという「発想」はドコカラ生まれたのだろうか。
まずこれを提唱したのが、フランスのロベール・シューマン外相で「シューマン・プラン」とも呼ばれていることに注目したい。
それは、フランスとドイツがアルザス・ロレーヌという鉄・石炭地帯の領有をめぐる対立が、普仏戦争・第一次、第二次世界大戦のキッカケになったためであり、これを「共同管理」にしてしまえば、戦争を起す重要な「火種」のひとつを消去できるということにあった。
フランスが音頭をとって、(西)ドイツががかつてのように強大になりすぎないように、経済的なシバリをつくっておこうというネライがあったわけだ。
またドイツとしても、隣人の「脅威」にならない努力をしようと、コレを受け入れたのだといえる。
さて、ECからEUへと飛躍するのは、1993年のマーストリヒト条約以降で、欧州中央銀行の設立(1998年実現)、共通通貨ユーロの導入さらには共通外交など、かつてリヒャルト・クーデンホーフが主張した「ヨーロッパ合衆国」構想が前面に出てきた。
しかし近年に至って、ギリシア・スペイン・イタリアなどの経済不振により、もし一国でも離脱すればEUは破綻してしまう公算が強くなっている。
ある経済評論家は、ユーロという通貨は、冷戦下の核抑止理論における「MAD」を連想させると指摘している。
「MAD」なわち「相互確証破壊」とは、米国が核の第一撃で首都機能を破壊されても、米国の原子力潜水艦から発射する第二撃によって、敵を破壊できることを意味する。
核は、このような「相互破壊」が確証的であることから実際には使えない兵器となったのである。
実は今のヨーロッパは経済的に「MAD」状態に近似した体験をしているといってよい。
それは、ユーロを採用した国に「出口」が用意されていないということである。
もし一国でも離脱すれば、一気にユーロが投売りされ、各国の資産は膨大な損傷を被るからだ。
今、ギリシアのEU離脱後にどんなことが起きるかにつき、ヨーロッパ首脳は、「そんな先のことはわからない」と答える他ないであろう。
それではなぜヨーロッパは分裂の危機を迎えているのか。その一番の理由はユーロという「共通通貨」にある。
そして、その多くの利点にもかかわらず、共通通貨がナゼうまくいかないかは、比較的初歩の経済知識でも理解できる。
ヨーロッパでは、資源・お金・技術・情報などの移動を自由とする市場統合が行われてきた。
そのうえ「共通通貨」を使うようになれば、これらをすべて集めてしまうような国ができてしまう一方で、過疎化して疲弊してしまう国ができる。
それに、資本の移動が国内で制限がかかっていれば、国同士の格差はそれほど生じないが、資本が国境なく移動すれば、ヨーロッパ全体で一番儲かるところに投入されることは理の当然である。
また従来のように各国の通貨が異り交換が行われば、実質的な競争率の格差を通貨の「変動調整」によって、ある程度吸収することができるので、それほどの国どうしの格差は生まれない。
さらに、景気低迷や成長力に劣る国が金融政策をしようにも、金融政策はもはや一国だけの問題ではなく、自由に行うことはできない。
それでもギリシアが、政権維持のために国民へのサービスを減らさないならば、富裕な国(例えばドイツやフランス)から借金をしていくほかはない。
つまり共通通貨の下では、国民が勤勉か否かに関わりなく、借金を抱え込む国が生じるのはむしろ自然であって、EU域内で「経済的余剰」が生まれる国は、「寛容の精神」をもって借金の棒引きにするとか肩代わりすることぐらい当たり前だと認識すべきで、少なくとも貧国の支援に消極的であってはならないのである。
それは政府が国内の過疎化した地域に「公共事業」を行ったり、所得の「再分配政策」を行って格差是正をしていることを想起すれば充分であろう。
しかし最近、週刊誌の「ドイツの傲慢」という太文字がめにつく。
最大の債権国のドイツの人々は欧州から二度の金融支援を受けながら再度、「財政破綻」の危機に陥ったギリシアの人々を「怠け者」と批判する。
そして勤勉ゆえに成功しているドイツ人が、なぜ「怠け者」のギリシア人を助けなければならないか。
さらに、中長期の予算計画を出さないなら、ギリシア支援を打ち切ると宣言した。
一見もっともな姿勢にも見えるが、実はドイツの成功とギリシアの低迷は「裏表」の関係にあり、そもそもギリシア人はドイツ人と比べて「怠け者」というのは本当のことなのだろうか。
2014年OECDの統計は「予想外の結果」をだしていた。
労働者1人あたりの年間労働時間は、ギリシアが2042時間で、ドイツ1371時間の約1.5倍。 統計のある34カ国のうちでギリシアは日本の1729時間を上回り3番目に長く、ドイツは一番短いのだ。
ギリシアは労働時間が長くなりがちな個人事業者が多いので、このデータが勤勉さの指標とはなり得ないが、少なくともドイツ人がギリシア人より勤勉とはいえないようだ。
それでも2014年の世界銀行の調査によると、1人あたりのGDPはドイツの半分以下なのである。
ということは両国の違いは労働生産性にあり、企業の投資資金が不十分なことや公務員の非効率な働き方に原因がある。
しかしギリシア人に公務員志望が多いのも、怠け者だからではなく、産業が乏しいということに起因している。
そうしたギリシアに対して、ドイツは設備投資がものをいう自動車や電機などが経済を支える。
それにしても「怠け者ギリシア人」のイメージはどこから来たのか。
まさか古代ギリシアで奴隷を使って哲学と芸術に浸っていた点に求めるわけにはいかないだろう。
だとすると主要な要因は、英仏などが産業革命で生産性向上に成功したのに対して、南欧諸国はその道を辿れず、「怠け者」のイメージがついてしまったと推測される。

現在ヨーロッパの政治的リーダーといえば、なんといってもメンケル首相で、人気の理由のひとつは「ドイツ統合」のシンボルだからだ。
メンケルはハンブルク生まれで、父親はプロテスタントの牧師である。将来は教師になる予定だったが、ドイツ統一の1年半前から政治活動を始めている。
東ドイツの国家的組織「自由ドイツ青少年団体」にも加盟していた。
メンケルは、その柔軟性ゆえに旧西ドイツの人々にも人気があるが、「ヨーロッパ統合」のシンボルとまではなりそうもない。
もうひとりドイツには、「ヨーロッパ統合」のシンボルになりかけた女性リーダーがいた。
それは、ヨーロッパで「環境」というワンポイント・イッシューで一躍踊りでた「緑の党」を創ったペトラ・ケリーである。
ヨーロッパは国が国境を接しているので、「環境問題」は一国の問題とすることはできない。
逆にいうと環境への意識の高まりとともに、「環境」はヨーロッパをひとつにするキーワードにもなったのである。
「現代のジャンヌダルク」とまで称されたペトラ・ケリー女史の「緑の党」には、ドイツ国防軍の戦車部隊の指揮官・ゲルト・バスティアン将軍という異色の人物も、党創設に加わっている。
そして1983年の総選挙で大躍進を果たし、1987年の総選挙では、ナント42議席、全議席の8.3パーセントま党勢を伸ばした。
ところがドイツ統一後には、一気に暗転し、党首のケリー自身も落選した。
惨敗した原因は、選挙の争点が統一後の国内問題だけになってしまったことのほか、与党のキリスト教民主同盟や最大野党の社会民主党が80年代に環境政策を積極的にとりあげ、緑の党の影が薄くなったことがあげられる。
そんな党勢が衰退する中、1992年10月に衝撃的な事件が起こった。
44歳のケリーと69歳のバスティアン元将軍が市内のアパートで命を絶ったのである。司法解剖の結果、心中(無理心中か?)であることが判明している。

「ローマ研究」で著名な塩野七生女史が、リーダーの条件にふれた雑誌掲載の一文は興味深いものだった。
リーダーが「指導力」を発揮するのは、勝つだけでは充分ではなく、勝って譲る心構えが必要になってくる。
勝って譲るとは、敗者の立場に立って考えるということで、徹底的に相手を打ちのめすのでは、勝ちはしても、その相手まで巻き込んでの「新秩序」づくりはできない。
ローマ帝国が200年間も続いたのは、勝者であるローマが勝っただけではなく、その後では譲ったからである。
今、EUの中の唯一の勝者ともいうべきドイツにはそうした寛容の精神がなく、複数の民族からなる共同体のリーダーになる資質を欠いているという。
ヤヤ特殊なケースだが、ナチスドイツの徹底的な「ユダヤ人排斥」にもそれが表れている。
またドイツ人は生真面目な一方で「騙され」やすく、そうした「猜疑心」が他民族に対する融和の感情を抱くことを阻んでいると指摘している。
ドイツ人が「騙されやすい」というのは、今から500年も前のルネサンス時代に、芸術大好きなローマ法王レオ10世が、金属製の小箱をたくさん作ってちゃリンとなると「天国行き」は保障されたとする免罪符キャンペーンを展開することにした。
だがイタリア人に対しては、成功の見込みはないとみて、キャンペーンの地はドイツにしたのだ。
マルチン・ルターの宗教改革も、ローマ法王による詐欺に怒ったものとみることもできる。
現代においても、ドイツ人はイタリア人に騙された事件があった。
イタリア人は「偽札作り」で世界一の技量を誇り、ユーロ紙幣にはない300ユーロ紙幣を作ってドイツにもっていって使用回路に乗せることを行った。するとこれが成功して、数百ユーロがさばけたという。
この事実は、ドイツのメディアはほとんど報道していない。
さて柔軟と評されるメンケル首相だが、ことギリシア支援については、ドイツ議会の意をうけてか、ギリシアが返済計画を作らない限り支援を打ち切るという「強硬さ」を見せている。
一方、フランスはギリシアに比較的同情的で、フランス人経済学者ピケティ氏は新聞に、歴史を踏まえて「柔軟な対応」を訴えている。
まずピケティ氏は、借金というものは返さなければならないものなのか、という問いを発している。
そんなの当たり前じゃないかと思うかもしれないが、国家間の場合あるいは政府と国民との関係を、歴史の実態からみれば、それほど絶対的なものではないことがわかる。
フランスもドイツも終戦後に膨大な借金をかかえてそれを超インフレという手段や特別措置で、実質的に借金を「踏み倒した」のである。
それにもかかわらず、共通通貨下ではインフレもおこせないギリシアに対して、最後の1ユーロまで返済することを求めている。
ピケティ氏によれば、ヨーロッパの国々はその借金を複雑に絡み合いながらヨーロッパ圏内で抱えており、少なくともEUは圏外よりもはるかに大きいのだという。
それなら、いっそのこと今後数十年にわたって債務を返済しあうより「別の方法」を考える方が賢明で、それを考えるのが我々の責務だと書いている。
ヨーロッパを崩すのは、傲慢なのか怠慢なのか、それとも両方なのか。