命がけで「笑わせよ」

最近トムクルーズ主演「ミッション・インポッシブル」は、むかし「スパイ大作戦」というテレビ番組で放映されていた。
毎回メンバーに与えられるミッションは、スリリングなものばかりで、さすがに「誰かを笑わせよ」なんていうミッションはない。
しかし、古今東西「笑わせよ/楽しませよ」に、命がけでのぞんだ人々がいた。
例えば、ナポレオン失脚後に開かれたウィーン会議では、敗戦で不利な立場に追い込まれたフランス外相タレーランは、少しでも会議を有利に運ぼうと1人の料理人に命じてとびきりのフランス料理をふるまわせた。
実はこのウイーン会議は「会議は踊るされど進まず」といわれるくらいで、9ヶ月もの長期におよんだ。
会議でタレーランがフランスを守るためにもちだしたのは、「正統主義」という理屈。
フランス革命以前のヨーロッパの姿が「正統」つまり正しい状態である。だから、すべてを革命前の状態に戻そう。
だから、フランスの領土は減らさないし、賠償金も支払わない、というわけである。
それではおかしいといわれれば、タレーランはフランスも被害者で、悪いのはフランスではなくて、革命である。革命によって、国王ルイ16世一家は殺されたし、自分達フランス貴族も特権を奪われ、多くの土地や財産を奪われた。
悪いのはあくまでも革命であり、市民階級の連中なのだ、と返す。
このウイーン会議は美食家・タレーランの「料理外交」の見せ所であり、タレーランが会議を意のままに操ったのには、「料理」のチカラがあったればこそ。
このタレーランに料理人として「白羽の矢」があてられたのが、アントナン・カレームである。
パリで子沢山の貧しい家庭に生まれたカレームは、10歳になるかならないかのうちに、貧困にあえぐ両親によって、フランス革命の余波に揺れていたパリの路上に放り出された。
生きていくため安食堂に住み込んで見習いとして働き始める。
1798年、後にパトロンになるタレーラン邸にも出入りしていたパテシエのシルヴァン・バイイに弟子入りし、頭角を表わす。
カレームは、バイイによって「アミアンの和約成立記念祝宴」のデザートを任される大抜擢を受け、また「ピエスモンテ」によってパリで名声を得る。
タレーランはカレームをたびたび激励し、タレーランのもとでカレームは料理の考案に没頭した。
つまりカレームにとってタレーランは、単にパトロンにとどまらず、課題を課され結果を吟味する「審判者」としての役割も兼ねていたのだ。
カレームは、重複した料理のない、かつ季節物の食材のみを使用した1年間のメニューを作る事をタレーランに命じられ、台所で試行錯誤をさせられる。
そしてウイーン会議で出された料理は出席者の評判をさらい、カレームの名は一躍有名になった。
そして各国代表者たちは、タレーランの「正統主義」を受け入れる。
そしてウィーン会議が終わった時、ヨーロッパの地図と上流階級の食べる料理は「刷新」されることになった。
さて、カレームは料理の考案や作成のみならず著作にも情熱を燃やし、フランス料理レシピの百科事典的な書籍をいくつかモノしている。
カレームは、ウイーン会議に参加した各国に招かれ料理長を歴任するなどして、1833年パリにおいて48歳で没した。
フランス革命以後、貴族が没落したことによって「お抱え」の料理人が職を失い、その結果、彼らは街でレストランを開くようになった。
こうして、フランス宮廷料理は一般へと門戸を広げていくのだが、カレームの書いたレシピこそ彼らのバイブルとなった。

世界的に知られた「千夜一夜物語」(アラビアンナイト)には、ひとりの女性が千夜にわたって語った物語ということなっている。
舞台は、遠い昔のアラビアの国で、女性の名は「シェーラザード」。
シェーラザードは、国王を面白がらせることに「命がけ」で臨んだ。
王妃の浮気に女性不信になったシャリアール王は、女性に「嫌悪感」を抱き、女性たちに一夜夜伽(よとぎ)をさせたあと、彼女らを殺していた。
その状況下で、みずから進んで王の夜伽を志願した女性がシェーラザードである。
毎晩、興味深い話をして王を楽しませ、話が佳境に入った所で「続きはまた明日」とシェーラザードが打ち切る為、王は次の話が聞きたくて別の女性に夜伽をさせるのを思い留まったのである。
そしソノ話は1001夜では終わるが、王はすでに「女性不信」から脱却していて、シェーラザードは王妃となる。
ロシアの作曲家リムスキー・コルサコフはコノ物語を題材にして「シェーラザード」を作曲した。
フィギュア・スケートの浅田真央のショート・プログラムで使われた曲である。
さて、西洋には一度も笑わぬ美貌のお姫様を喜ばせるために、国王が国中の芸人を招き寄せる話があったが、日本神話にも、女神様をみんなで「笑わせよう/楽しませよう」という話がある。
童話作家の鈴木三重吉が書いた「古事記物語」の冒頭は次のとうり。
「天も地もまだしっかり固まりきらないで、両方とも、まだとろとろになって、くらげのように、ふわりふわりと浮かんでおりました。その中へ、ちょうどあしの芽がはえ出るように、二人の神さまがお生まれになりました」。
そして、空高くに在る「高天原」(たかまがはら)を舞台としてた神々の世界が描かれている。
天御中主神(アマノミナカノヌシノカミ)はこの二人の神イザナミ・イザナギに矛を授けて、天の浮橋という雲の中に浮かんでいる橋の上から矛で、下のとろとろの部分をかきまぜて、サット引き揚げて、矛先の潮水がポタポタおちて、日本列島ができる。
イザナギが禊(みそぎ)をして生まれた女神のアマテラスは弟スサノウの乱暴を恐れて、姿を岩屋に隠してしまい、高天原も下界も一度にみんな真っ暗になり世界中にありとあらゆる禍(わざわい)が一度にわき起こってきた。
岩戸が閉ざされて「暗闇」が訪れた際、岩屋から出ることを拒むアマテラスに困り果てた八百万の神々は、協議した結果、宝物を作って木に掲げ、アマテラスを誘い出すことにした。
天照大神を岩屋から誘い出すため高天原において数々の宝物が作られ、それが三種の神器のふたつ「八咫鏡」(やたのかがみ)と「八尺瓊曲玉」(やたのまがたま)は、そのためにわざわざ作られた。
そして岩戸の前で一同が「祝詞」をあげ、神事を執り行う最中、アメノウズメが楽しげに踊った。
その騒ぎが気になり、また、美しい祝詞の言葉にも心を留めアマテラス、岩戸を少し開けて外をうかがった。
ちょうどその時、岩戸の陰に隠れていた手力雄神(タジカラヲ)はアマテラスの手をとり、岩屋から誘い出すことに成功したのである。
その後、アマテラスという女神が地上の争いをただすために派遣したニニギノミコトという神の子孫(天孫)が日本をおざめることになる。

ごく平易な文章を書いているのに、不思議に行間から哀感がただよってくる人がいる。
作家の「吉本ばなな」などがそうだが、このたび芥川賞を受賞した芸人の又吉直樹氏もそういう「資質」をもった作家の一人であろう。
その「火花」という作品は、ストーリー展開はそれほどではないものの、その意味で芸術性の高い作品であるように思う。
「火花」の芸人達は、笑いをつくろうと、観客とも「火花」を散らす姿が描かれている。
しかしそれは背後に打ちあがる熱海の花火のようなつかのまの芸にすぎない。
そして主人公の漫才のコンビ名は、そのものズバリの「スパークス」意味は「火花」である。
芥川賞選考委員の山田詠美さんの会見によると、又吉直樹さんの作品が芥川賞に選ばれた理由として「最初の投票の時点で、又吉さんが最も高い得票だった。読むと、どうしても書かざるを得ない切実なものが迫ってくる。主人公と先輩の間の、まさに火花が散るような関係が良く書けている」と講評している。
近く「火花」は映画化されるそうだが、同じように「芸の世界」に生きる人々の哀歓を描いた作品は他にもある。
東京大田区の蒲田の町が知られるようになったのは、1980年代にコノ町を舞台とした映画「蒲田行進曲」がヒットしたからだが、最近では、「SEKAI NO OWARI」の幼なじみ4人の出身地としても、若者を中心に知られている。
つかこうへい原作の「蒲田行進曲」は、1983年に深作欣二・監督が映像化した。
この作品は、「火花」のように先輩と後輩の関係が、花形と脇役の関係と重なり少し似ているかと思う。
舞台は、「時代劇」が映画全盛期の東映京都撮影所で、「新撰組」の映画の撮影が行われていた。
この映画の土方歳三役の衣装を着て役を演じるのは、「銀ちゃん」と呼ばれる役者・倉岡銀四郎である。
銀ちゃんには華があり、舞台やスクリーンでも映える役者なのだが、時々尊大な態度を取ることがあるのが欠点。
銀ちゃんには、「大部屋役者」のヤスが常にくっついていた。脇役やチョイ役のヤスにとっての銀ちゃんは、完璧な人間で人一倍役者や人生に対して美学を持っているふうに見えるのだった。
さてある日、銀ちゃんがヤスのアパートの部屋に女優・小夏を連れてきた。
小夏は銀ちゃんの子どもを妊娠していたのだが、スキャンダルになると困る銀ちゃんは、ヤスに「お前が小夏と一緒になって、自分の子として育てろ」と命令する。とんでもない要求だが、銀ちゃんを尊敬するヤスは承諾する。
小夏とヤスは一緒に暮らし始めるが、ヤスはあくまで小夏を「銀ちゃんの恋人」とあがめ、小夏に対しても奉仕するという奇妙な生活となる。
ところが、小夏が妊娠中毒症で入院し、ヤスは毎日看病に通う。退院した小夏は、部屋に新品の家具と電化製品が揃っているのを見て驚く。
実は、ヤスは撮影所で危険な役(スタント)を引き受けていたのだが、小夏はヤスと接するうち徐々に心が傾ていく。
小夏はヤスと本当に結婚する決意をし、ヤスの実家に挨拶をして挙式もすませ、新居としてマンションを購入する。ヤスも小夏の気持ちを知り喜ぶ。
一方、銀ちゃんの人気も翳りが見え始め、新しい恋人とも破局し、仕事でも行きづまっていた。
銀ちゃんは小夏とヨリを戻せたらと思うが、小夏の心はすっかりヤスに向いていた。
ヤスは銀ちゃんに、「新撰組」のクライマックスで、高さ数十メートルの階段を斬られた役者が転げ落ちる「階段落ち」をすると告げる。
要するに、主役の銀ちゃんに花を持たせるシーンだが、落ちる役者は無傷ではすまない。
階段落ちの役者がヤスに決まり、撮影日も近づくにしたがい不安になり、死に怯える。
撮影当日、小夏は心配で撮影所に行くが、門の前で産気づき病院に運ばれる。
ヤスは自分の死への意識からか投げやりな態度をとる。それを見た銀ちゃんがヤスを殴りつけ、ヤスは我に返り、立派に階段落ちの演技をする。
病院に運ばれた小夏が意識を取り戻すと、そこに満身創痍でも元気なヤスが居て、女の赤ちゃんを抱き微笑む。

1980年公開の映画「翔べイカロス」は、サーカスに登場するピエロの哀歓を描いた映画で、主役はさだまさしが演じ、主題歌である「道化師のソネット」はさだの代表曲のひとつとなる。
さらに、この映画が感動的なのは、草鹿宏氏が書いた「事実」を元にしたものだからである。
実はこの草鹿宏という人は、平林敏彦という今や90歳をすぎた、知る人ぞ知る「詩人」なのだという。
草鹿宏氏は、少年向けの本を多くかいておられるが、「翔べイカロス」は「キグレサーカス」(現在は倒産し、事業停止)で「ピエロ」をしていた青年(栗原徹さん)の短い生涯を描かれたものを元に制作された。
ちなみにピエロとクラウンの違いは、同じくサーカスや大道芸に登場するトリックスターだが、目に涙のマークがあるのが「ピエロ」、ないのが「クラウン」なのだという。
主人公は写真家をめざして被写体になる素材を求め、サーカスに写真を撮りにきたのだが、サーカスを見て、そこで生き生きと働く人々に魅せられ、頼み込んで働かせてもらうことにした。
そして、当時日本のサーカスではまだ幕間のツナギでしかなかった「ピエロ」という役柄に興味をもち、サーカスでお客さんを呼べる主役にピエロはなり得るのではないかと思った。
そして先輩のピエロ役教えを請うて練習をし、綱渡りや曲芸など、コミカルなだけではないピエロ像を創作し、日本のサーカスを画期的に変えた「功労者」とも言われている。
しかし栗原さんはそれほど大それたことを考えていたわけではなく、サーカス団員の誰かの子供が、いつもぐじぐじ泣いているのを見て、「キミが笑ってくれたら、ボクも楽しくなって笑える。だから泣いてないで、ボクのピエロを見て笑ってよ」という気持ちで、若い青春をサーカスに賭けているだけの青年であったようだ。
「クリちゃん」を演じたさだまさしは、実際のサーカス団員と食事を共にし、体中にアザを作って芸の練習に励んだという。
綱渡りなどの演技もみな、本当に危険な箇所以外は、さだ本人が行って文字通り「体当たり」で演じているのだから、トムクルーズもびっくりするにちがいない。
結局、さだは栗原に同化し、栗原が目指したピエロになろうとしのだ。
そしてクリちゃんは、サーカス暮らしの中で次第に芸の魅力にとりつかれ、自分が関わり動いていく過程の中で、彼はピエロという「生き方」を愛するようになる。
また、厳しい訓練を重ね、高綱渡りの曲芸に観客の拍手と歓声が贈られたとき、彼は生きていることを実感した。
そして「キグレのピエロ・クリちゃん」はいつしか大人気となり、彼はますます難しい(危険な)演技に挑戦するようになっていく。
サーカスのテントにはいつもクリちゃん見たさの子供たちがたくさん訪れ、子供たちのニコニコ顔がテント一杯にあふれる日々であった。
しかしある日、彼は非常に難度の高い綱渡りの最中に落下。テントに響き渡る観客の悲鳴。凄惨な現場を子供たちに見せないために、照明が消され暗転する。
あと数メートルでゴールだったので、下でネットを用意していた係員は直前でネットを片付けてしまっていたため、それが事故につながった。
裏に運ばれたクリちゃんは、途絶え途絶えに、こう言う。「子供に知らせるな・・・」。
クリちゃんの心を理解した同僚の団員が、急いでクリちゃんの扮装に着替え、メイキャップして舞台に踊りながら飛び出していく。
落ちてしまったはずのピエロが元気に出てきたので、観客は大喜び。「な~んだ演出だったのか」と。
その夜、病院で、クリちゃんは亡くなる。
翌日、子供達の間では「くりちゃん死んだの」「いや生きてるよ ちゃんと立ちあがったんだから」といった会話がかわされた。
さだが歌う「道化師のソネット」は、映画のラストシーンで流れ、この物語(実話)の感動を盛り上げる上でこのうえなく大きな役割を果たした。
♪笑ってよ 君のために 笑ってよ 僕のために♪。