幽霊飛行の不気味

日本で幽霊といえば、ドローンと現われるのが定番だが、文字どうり「幽霊飛行」が行われた場面があった。
2005年8月14日、ギリシアで発生したヘリオス航空522便墜落事故。それは、世界の航空機史上、最も「ミステリアス」な事故といってよい。
ヘリオス522便は、地中海に浮かぶ小さな島・キプロスを離陸後、まもなく「交信」を絶った。
約2時間後、機体はマルデ目的を失った鳥のように空を旋回していた。
眼下には人口300万人を超す大都市ギリシャの首都・アテネがあった。市街地に墜落すれば大惨事は免れない。
当時のギリシャ首相から、最悪の場合「撃墜」もヤムナシの命を受け、戦闘機二機が飛び立った。
そして戦闘機が522便に接近してパイロットが見た光景は、あまりにも「不可解」なものだった。
窓から見える乗客は全員、身動き1つせず眠っている。
コックピットに機長の姿はなく、副操縦士は操縦器に頭をウツ伏せにしたままで全く動く気配がなかった。
それはマルデ空中を漂う「幽霊飛行機」というほかはなかった。
だが次の瞬間、戦闘機のパイロットはコックピットに侵入する「人影」を発見した。
「人影」は操縦席に座った。戦闘機のパイロットは、その男に「空港まで」誘導する合図を出した。
男はそれを受け入れ戦闘機に追順するかに見えたが、数十分後に「急に」旋廻して山岳地帯へと消えていった。
ロンドンの地下鉄テロからあまり月日が経過しておらず、有毒ガスによるテロの可能性も考えられた。
しかし、しばらくして発見されたボイスレコーダーと飛行記録の解析により、真相が解明されるに至った。
事故原因として機体の与圧システムに異常が発生して、運航乗務員が「低酸素症」に陥り意識を喪失していたのである。
つまり、戦闘機のパイロットが見た「異様な情景」は、乗客たちが低酸素症になって眠るように身動きできない状況に陥っていた姿だった。
しかし、それでも大きなナゾが残った。
ナゼ一人の男が動いてコックピットにはいり、操縦桿を突然に山岳地帯に向けたのだろうか。
乗客名簿に、アンドレアス・プロドロモという男性が乗っていたことがわかった。
彼はまだ客室乗務員であったが、パイロットになることを目指しており、本来「非番」であったが搭乗していたのだ。
低酸素の中で彼だけが動けたのは、潜水の訓練をしたことや以前キプロスの「特殊部隊」に所属していたことが考えらている。
プロドモロは、戦闘機が接近したと頃、「眠る乗客」の中でたった一人目をさまして操縦席があるコックピットをめざしていた。
ようやく「暗証番号」を探しあてコックピットを開いたが、そこで機長は床に倒れこみ、副操縦士は座席で前屈みにウツ伏しているのを発見した。
何とか操縦桿を握りしめ、戦闘機パイロットの誘導に従って空港に向かおうとしたが、522便はすでに「燃料切れ」のランプが点滅していた。
そこで、プロドロモは市街地への墜落をサケルために操縦桿を必死で山岳地帯にむけたのである。
なお事故機がアト5分間飛行を続けていた場合には、戦闘機はアテネ市街地への墜落の危険を回避するために「撃墜命令」を出す態勢にあったという。
522便はマラトン山中で発見され121名全員の死亡が確認された。

2015年1月早朝、ホワイトハウスの警備にあたっていたシークレットサービスの一員が、幅およそ60センチの小型機が敷地内を浮遊しているところを発見した。
事態を受けてホワイトハウスはただちに警備体制に入った。
後にこの機体が墜落しこの機体に危害を及ぼす危険性がないことが確認できるまで建物は完全封鎖されることになった。
しばらくして、その機体が一般に市販されて誰でも入手できるクアッドコプターであったことがわかった。
それにしても、大統領の身を守る警備の網をすり抜けて「ドローン」が侵入したあげくに墜落するという事態に関係者は騒然とする。
厳戒な警備体制が敷かれて調査が行われたが、後にこのドローンを近くのマンションで操縦していた人物が酒に酔ったシークレット・エージェントの1人だったことが判明している。
ただし、セキュリティ上の理由か、事件を起こした職員の氏名や役職、そして処罰の有無やその内容は一切明らかになっていない。
この時、オバマ大統領夫妻はインド外遊中のために不在で、2人の娘も祖母の家に出かけていたために騒動に巻き込まれることはなかった。
今更ながらに、この事件の日本での扱いはとても小さく、日本にもこうしたことが近いうちに起き得ることを想定して、もう少し「大袈裟」に報道すべきであった。
ところで、日本の安全防衛体制のセイキュリティの脆弱さを教えてくれた事件として、1976年に起きた旧ソ連のミグ戦闘機の青森三沢空港「強行着陸事件」を思い起こす。
若い世代は、1976年9月のソ連ミグ戦闘機の日本侵入を知らないが、その「直後」の緊迫した雰囲気は、北朝鮮の人工衛星打ち上げと銘打った実質遠距離ミサイル発射「直前」のソレと少し似ている気がする。
ミグ戦闘機強行着陸とドローン事件との共通点は、いとも容易に日本の国家安全体制が破られたという意味においてである。
ただ決定的に違うのは、ミグ戦闘機の操縦者が外国人で決死の行動であったのに対し、ドローン首相官邸事件の場合、操縦者が身を隠してのいわば「幽霊飛行」で、国家中枢の首相官邸にまで迫った点である。
行政府の中枢に迫った事件としては、2005年におきたセスナ機のホワイトハウス飛来事件がある。
これは、ある航空学校の教官と、操縦を訓練している訓練生が乗ったセスナ機が首都ワシントンDCの北東部からゆっくりホワイトハウスへ向けて飛んできた。
たまたま無線機が壊れており「応答せよ。応答せよ」の呼びかけが認識できなかったため、アメリカ政府関係者は着の身着のままみな緊急避難する羽目になった事件である。
攻撃用空軍ヘリが出動、照明弾と発射。最後には現状の最新鋭機、F16ファントムまで緊急スクランブル発進する事態にまで至った。
そしてなんとか封鎖した幹線道路に着陸させ、2人の身柄を拘束し取り調べたところ、単なるちょっとした手違いと機器の故障が生んだアクシデントフライトだったことがわかった。
ちなみにこの時の大統領、ブッシュ(ジュニア)は郊外メリーランドでマウンテンバイクにのってエクササイズ中だった。
さて、今から振り返ってみても「ミグ戦闘機侵入時」の日本政府の対応は、原発事故への対応にも生かせる様々な教訓を今に残しているように思われる。
ソ連防空軍所属のミグ25戦闘機数機が、ソ連極東のウラジオストク近くにあるチェグエフカ空軍基地から「訓練目的」で離陸した。
そのうちの「一機」が演習空域に向かう途中、突如コースを外れた。
これを日本のレーダーが13時10分頃にとらえ、「領空侵犯」の恐れがありとして、急遽航空自衛隊千歳基地のF4EJ機が「スクランブル」発進した。
北海道の函館空港に接近し、市街上空を3度旋回したあと13時50分頃に滑走路に「強行着陸」したのだ。
パイロットは「抵抗の意思」のないことを示すため、空にむけて空砲を一発うった。
そして警察が到着するや、共に函館空港周辺は、北海道警察によって「完全封鎖」された。
北海道警察の取り調べで、ミグ25戦闘機の乗員は、ヴィクトル・ベレンコ空軍中尉であり、この時点で、残りの燃料はほとんどなくなっていたことが判明した。
べレンコ中尉の目的はアメリカへの亡命であり、その後、希望通りアメリカに亡命した。
この事件はソ連サイドにも大きな波紋をなげかけた。
当事件の調査のためチュグエフカ空軍基地を訪れたソ連政府の委員会は、現地の「生活条件」の劣悪さに驚愕し、直ちに五階階建ての官舎、学校、幼稚園などを建設することが決定された。
この事件は、極東地域を始めとする国境部の空軍基地に駐屯しているパイロットの「待遇改善」の契機ともなったのである。
亡命を希望した理由には様々な憶測が飛んだが、そんなことよりハルかに重大なのは、いうまでもなく、日本の「防空網」の脆弱さである。
航空自衛隊は地上のレーダーと空中のF4EJ機の双方で日本へ向かってくるミグ25機を捜索した。
しかし、地上のレーダーサイトのレーダーはミグ25機が低空飛行に移ると探知することができず、またF4EJ機のレーダーは「ルックダウン能力」つまり「上空から低空目標を探す能力」が低いことが判明したのである。
そのため、ミグ25戦闘機は航空自衛隊から「発見されない」まま、ヤスヤスと侵入できたのである。
この事件ではパイロットが「亡命目的」での侵入であったことが幸いしたが、「攻撃目的」であったらならば重大な事態を引きおこす危険性が露呈した。
このため、日本のレーダー網や防衛能力が「必要最低限」にすら達していないという批判がなされ、これを契機に、それまで予算が認められなかった「早期警戒機」E2C機の購入がなされたという。
第二の問題は、日本の自衛隊と警察の間で「管轄権」の違い問題をも表面化させた。
つまり「縦割り行政」の弊害である。
ミグ戦闘機の侵入事件の段階では、「領空侵犯」は軍事に関わる事項なのだそうだが、空港に着陸した段階では警察の管轄に移行することになっているという。
警察によって空港が封鎖された以上、空港現場から、その「管轄権」をタテに陸上自衛隊員は締め出される結果になったのある。
しかし「非常事態」に「管轄権」なんて持ち出して争っている場合か。むしろ両者の「協力体制」の構築の方が急務ではないのか。
また、この事件の「情報隠し」があり、役所の「隠蔽体質」を明らかにしたことである。
事件終結後、日本政府は対処に当たった陸上自衛隊に対して、同事件に関する記録を全て破棄するよう指示し、当時の陸上幕僚長三好秀男は自らの「辞意」をもってこれに抗議したという。
第三の問題は、情報や風評への対応の問題がある。
ミグ25戦闘機が函館空港に強行着陸した直後、ソ連軍が特殊部隊などを使って機体を「取り返し」に来るとか、機密保全のため「破壊し」に来るとかいうウワサや憶測が広がった。
この当時、米ソは「デタント(緊張緩和)の時代」とはいえ、いまだ予断を許す状況ではなかったのある。
というわけで、函館周辺は緊迫した。
実際に、函館駐屯地で開催予定の「駐屯地祭り」の展示用として準備されていた61式戦車、高射機関砲が基地内に搬入され、「ソ連軍来襲時」には、戦車を先頭に完全武装の陸上自衛隊員200人が函館空港に突入を行う準備さえなされていた。
海上自衛隊は三隻を日本海側、二隻を太平洋側に配置して警戒に当たり、掃海艇は函館港一帯の警戒し、魚雷艇は函館空港付近の警備にあたった。
同時にヘリコプターが常時津軽海峡上空で警戒飛行にあたり、上空にはF4EJ機が24時間体制で「哨戒飛行」を実施したのである。
また、ソ連からは機体の「即時返還要求」があったが、当時「親ソ」の日本社会党はこれに同調したが、日本(及びアメリカ)は、国際「慣例上」認められている機体検査のためにミグ25戦闘機を「分解」することにした。
そのために、アメリカ空軍大型輸送機にミグ戦闘機を搭載して百里基地(茨城県)に移送した。
機体には「函館の皆さんさようなら、大変ご迷惑をかけました」と書かれた横断幕が掲げてあった。
アメリカは、これまでミグ25戦闘機を「超高速戦闘機」として恐れており、それを意識する形もあってかF15機を開発していた。
しかし、実際にはミグ25はソレホドの「脅威」とするに値するモノではないことが明らかになった。
特に機体が耐熱用のチタニウム合金製と考えられていたが実はステンレス鋼板にすぎなかったことや、旧式の電子機器を多用しており、当時の水準としては著しく「時代遅れ」なことに、驚愕したくらいであった。
というわけで「ベレンコ旋風」は、アメリカの「対ソ連軍事戦略」にも大きな影響を及ぼしたのである。
ちなみに、ミグ戦闘機は、機体検査の後の11月15日にソ連に返還されたという。

小型のドローンに限らず、「無人飛行機」というものは実に不気味なものだと感じる。
それがもともと軍事的な「偵察」を目的としたものだからかもしれない。それが今やミサイルを発射する「攻撃用」のまのまでも登場している。
そしてそのドローンが、今や我々の日常生活に浸透しつつある。
アメリカのネット通販大手のアマゾンは昨年、商品の配達を無人機で行うという計画を発表した。
顧客がネット上で商品を注文すると、すぐさま配達が開始される。空を飛べば渋滞はなく、最短距離を飛べるから、注文からわずかの時間で商品が自宅の軒先まで届くという仕組みである。
アマゾンは、数年後の実用化を目指しているという。
またイギリスでは、「宅配ピザ」を無人飛行機に配達させようという計画も発表されている。
日本の場合、最も普及しているのが農業用の無人ヘリコプターで、この他にも、上空からの撮影などにも使われる無人機がある。
また原子力発電所事故の被害状況や立ち入り禁止区域の調査などに最も有効に活用できるはずだ。
これらに共通して言えるのは、危険で過酷な作業が得意だということである。
今後、スマートフォンで操作して上空から動画と静止画の撮影することが見込まれるし、学園祭や運動会の写真なども多様な形で撮る事ができ、また観光用に使っても楽しむことが出来るに違いない。
逆に、ドローンが野外における式典やオリンピック会場に出現し、テロに使われる事態も想定しなければならない。
また宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、大規模災害などの状況を空から情報収集するための無人飛行機を開発した。
この無人機は離陸したあと、あらかじめプログラムされたルートを低空で飛行し、地上の様子をカメラで記録し続ける。
人が倒れていないかや樹木などが倒れて道路をふさいだりしていないかといった情報収集ができる。
そして、着陸する際は非常に急な角度で降下する。
着地したあとは10メートル程度ですぐ止まるようになっている。
被災地での活動を想定して、学校の校庭ほどのスペースがあれば着陸できるようにするための工夫である。
しかし、やはり気になるのが安全面である。
飛行中に何らかのトラブルで機体がコントロールを失って墜落しそうになった場合、どう安全に落下できるかも大きな問題である。
また、もうひとつ問題は、日本には「無人飛行機」を規制する法律がない。
通常の飛行機は、必ず高度150メートル以上を飛ぶことになっていて、「航空法」という法律の規制を受ける。
ところが、無人飛行機は通常高度150メートル以下を飛ぶので規制の対象にはならない。
統一した国際基準も必要になるかもしれない。
ドローンは機体として数千円で市販されているものもあり、あらかじめプログラムしておけば遠隔操作も可能で、その鳥のような視野を手元で見ながら操作することができる。
マンションのカーテンをあけたら「幽霊のように」こちらに目線を向けているドローンが浮かんでいたら、そして次の瞬間ドロンと消えたなら、相当不気味に違いない。
さらに究極的な恐れは、ヒッチコックが1963年に描いた映画「鳥」の世界。
あたかも、ドローンが「鳥の群れ」となって飛来し、人間を襲う図である。