他事使用の危険

この世の中、何かを本来の目的とは異なるコトに使うことはよくあることで、これを「他事使用」とよぶことにしよう。
今話題になっている集団的自衛権にせよ、マイナンバー制導入にせよ、共通していることは「他事使用」が起きた場合の甚大な「被害」である。
さて「他事使用」の例はいくらでも思いあたるが、歴史上、以下の二例は特に悲劇的なものであった。
1945年に米軍に撃沈された阿波丸は、安全が保障された「緑十字船」であったにもかかわらず、本来乗るはずがない民間人が多数「便乗」していたことが大きな悲劇を生んだ。
まだ記憶に新しい1983年ソ連の戦闘機による大韓航空機「撃墜」事件は、大韓航空機が民間航空機でありながら「軍事偵察」の目的をかねていたのか、警告を無視しての「領空侵犯」が悲劇の引き金になった。
これらは、国と国の力がセメギあう地域での「他事使用」が、いかに危険な事態を引き起こすかを教えている。
さて「他事使用」を予算や金銭面にあてはめるならば、はるかに一般的な「流用」という言葉がある。
そして最近、またもや発覚した問題が「復興予算」の他事使用つまり「流用」である。
会計検査院によって、復興予算15兆円のうち1,4兆円が流用されていることが明らかになった。ただこのニュース、会計検査院もチャント仕事をしていること示すよい機会となった。
予算流用の中に、復興予算のうち実に1兆1570億円が 天下り法人や自治体が管理する「基金」に配られ、被災地以外で野放図に使われていたということが発覚している。
また原発停止による負担増の穴埋め策として、約100億円 の復興予算を「基金」にプールし、電力会社が火力発電所を稼働させる際、基金が新たな借り入れの利子分を肩代わりなどをしていたという。
本来、被災者を救うはずの税金だから納得できるものの、それが加害者側の電力会社のための優遇策として「流用」されているとは、一体アノ出来事をどうとらえているのか。
そもそも「基金」と名のつくものに税金をプールされると、毎年の決算を免れ、チェックが届きにくい。基金は流用されるためのいわば「隠れ蓑」になっているのだ。
実は、復興予算の大半は「臨時増税」で賄われる。今年1月から25年間もの長い間、所得税に税額の2.1%分が上乗せされ、さらに来年6月から10年間は住民税にも年1000円 が加えられる。
自民党が野党時代(民主党政権)には、沖縄の国道整備や反捕鯨団体の対策費などへの流用を批判していたし、現政府は昨年秋に復興予算を「被災地以外では使わない」としていた。
だがそうはならず、特にヒドイのは被災地以外の38都道府県の基金に渡った「震災等緊急雇用対応事業」で、被災地向けの「緊急雇用」のはずが、雇われた被災者は全体の3%だという。
その仕事の中身もゆるキャラやご当地アイドルのPR活動に、ウミガメを数える監視など、復興とは「無縁」のものばかりだった。
こんなことのために1000億円を超える復興予算が使われているとは、「増税」なんてとんでもない。
安倍政権はこの問題で5月に参院決算委から「警告決議」を突きつけられいて、慌てて基金を運営する自治体や公益法人に、予算の執行停止と国庫への返還を指示したが、大半はすっかり使い切られ、わずかに残った金も「業者と契約済み」などと返還を渋られたという。
さて、こうした流用で役人が使う常套手段が、公の文書には「○○の復興などの予算」と”など”一文字入れておくことで、これで予算を様々な事態に柔軟に使うことができる。
また、震災復興基本法の第1条に「活力ある日本の再生を図る」とあれば、お金は被災地復興以外にも使えるといった具合である。
こうした手法が、仮に「安保法制」などに使われるとなると、どのような結果が生まれるかは、冒頭にあげた二例をみても想像できるであろう。

裁判司法でよく使われる「他事考慮」という言葉がある。裁量判断において、本来考慮しなければならないことを考慮せず、逆に本来考慮すべきでないものを過重に考慮することを指している。
わかりやすくいえば、「本末転倒」ということで、国民を守るために戦争に参加することを「積極的平和主義」ナンテいう言い方の中にもそれを感じる。
また軍人をコントロールするはずのシビリアンが、逆に戦争をあおったりすることもある。
例えば、イラク戦争当時、軍人のパウエル国務長官が最後まで「抑制的」だったのに対して、ブッシュ大統領は父親のやり残したフセイン政権打倒に拘泥するし、ラムズフェルド国防長官らネオコンで凝り固まったシビリアンたちが、何かにとりつかれたように好戦的だった。
その結果、大量殺戮兵器の存在につき証拠が出ていないのにもかかわらず、イラク進撃に踏み切り泥沼に入り込んでいった。
つまりこの時アメリカは、対テロ戦争とは無関係な何らかの「他事考慮」によってシャニムに開戦へと突き進んだといえそうだ。
安保法制の本来の目的は、国民の生命や財産を守ることにあることにつきる。
安部首相を含めて、何が国民とって安全でよいことなのか本当のことよくはわからないはずで、だからこそ粘り強く国民の「合意形成」が必要となる。
だが安部首相はそういう粘りの必要な「条文改憲」ではなく「解釈改憲」という方法で「集団的自衛権」容認をすすめてきた。
これに対して、憲法審査会に出席した3人の学者が、そろって現憲法下での集団的自衛権容認を「憲法違反」としているのだが、それでも突き進もうとする安倍首相に何か「情念」のようなものを感じる。
安部首相の政治スタイルにつき、巷でしばしば語られていることは、祖父・岸信介の影響である。
岸信介は若き日、官僚としてアメリカを視察したさい、その圧倒的なスケールの大きさに感動するとともに、反感さえ抱いたようだ。
そして首相になると、それまでの旧日米安保がアメリカは日本を守るが、日本はアメリカを守る義務はないという「片務的」な条約を対等なものにすることを政治使命とした。
つまり、旧安保条約を日米の「双務的」な防衛条約に改め、それによってアメリカに日本を「対等の協力者」とし認めさせようとしたのである。
一方岸首相は就任後まもなく東南アジアを歴訪している。それは、「アジアの盟主」として反共ブロックをアジアに形成し、アメリカにそうした日本の位置づけを了解させようとしたのである。
そこで岸は国防会議を招集し「国防の基本方針」を決定し、第一次防衛力整備三ヵ年計画をたてる。
そして岸は、戦前のように国家体制強化のための「愛国心」を教育の柱に据えようとした。
そのためはる日教組を弱体化させるために、文部省の監督統制の強化をはかる必要から、校長などの管理職による「勤務評定」の制度化を行い、警察官の権限の強化なども行った。
というわけで安部首相が推し進める「集団的自衛権」容認は、前述のごとく祖父・岸信介が旧安保条約を改定してアメリカと「対等」の立場に立とうとしたことと「重なる」ものがある。
そして、安倍首相の「集団的自衛権容認」を後押した勢力があった。それは外務省旧条約局(現国際法局)出身者で、彼らは唐突に「集団安全保障」という概念をうちだして、侵略した国を国連決議に基づいて武力で制裁する集団安全保障にも、自衛隊参加の余地を広げようと動いているという。
集団的自衛権は、他国であれ「守る」 ことを基本とするが、「集団安保」では侵略など問題のある国をタタク行為でありヨリ攻撃性が高いものである。
彼らはいわば「外務省条約局マフィア」とも評される存在なのだが、何がソコマデの主張を生んだのだろうか。そこに或るトラウマが浮かんでくる。
イラクのクウェート侵攻を受けた1991年 の湾岸戦争時、国連安保理決議により多国籍軍が組まれた集団安保だった。
この時、外務省旧条約局の関係者は、次のような経験をしている。
内閣法制局に「自衛隊に多国籍軍の負傷兵の治療をさせたい」と伝えたが、「憲法9条が禁じる武力行使の一体化にあたる」と否定された。
その結果、日本は130億ドルを拠出したが、「カネしか出さないのか」と米国を中心とした国際社会から強い批判を浴びた。
その時に、湾岸戦争時に条約局長は何とかしなければという強い思いを抱くに至った。
そこで外務省は、今年発足した国家安全保障局に、旧条約局出身の精鋭部隊を送り込み、閣議決定の文案作成を主導したのだという。
安倍首相が こうした「外務省条約局マフィア」を首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の 再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を事務方の責任者として仕切らさせたのである。
また安保法制懇の座長や、報告書を受け取る国家安全保障局のトップにも元条約局長を据えた。
さらに「解釈変更」を了承する立場の内閣法制局長官には人事の慣例を破り元国際法局長を起用するなどして、「外務省旧条約局」一色にして「解釈改憲」による集団的自衛権容認をはかったのである。
国民の生命と財産が、首相の個人的情念やら外務省のトラウマで左右されるならば、それこそ「他事考慮」の悪弊に陥っているといわざるをえない。
自衛隊の海外派兵の「国の存立が根底からくつがえさせられる明白な危機」という要件も、時々の政権の裁量で、アメリカが世界戦略の遂行のために自衛隊を「他事使用」する、つまり自衛隊が日本国を守るという目的からの逸脱するナンテことは、いかにも起きそうなことである。

最近、「他事使用」が一番懸念されるのは、なんといっても「マイナンバー制」の導入ではなかろうか。
さて、マイナンバー制度は国民ひとりひとりに「12桁の番号」を割り振る共通番号制度で、この秋から国民一人一人に番号が知らされる。
つまり、住所が変わっても、結婚して名前が変わっても、一生同じ番号がついてまわる番号である。
今年10月から始まる番号通知で、各市町村が、番号が書かれた紙のカードを世帯単位で、簡易書留を使って送る。
この紙のカードは「通知カード」と呼ばれるイワバ仮のカードで、正規のカードを希望する人は、市町村に申し込めば、来年1月以降、顔写真入りのICカードと無料で交換してもらえる。
このICカードを、「個人番号カード」と呼び、免許証やパスポートと同じ、公的な身元証明として使うことができる。
これにより、社会保障の手続きやサービスを効率化したり、脱税や税金逃れ年金の不正受給を防いだりすることができるのは確かであろう。
また様々な行政サービスの申請の為に、本人がその窓口に行く前に、それぞれの役所や別の課をまわって、住民票や納税証明書などを事前に用意しておく必要があるが、マイナンバーがあれば、こうした書類は必要なくなり、手続きが簡単になるのも頷ける。
しかしそれは本当に、役所の手続きをスムースに迅速におこなうという国民サイドの利益のために導入されようとしているのだろうか。
国民の情報を全体的に把握することは、国民を統制する上で有利にに働く面がある。
こ政府は今の国会にまだ実施されてもいないマイナンバーの利用範囲をさらに「拡大」する改正法案が提出されている。
銀行の預金口座にもマイナンバーを登録するよう呼びかけるというもので、実現すれば、国が個人の所得だけでなく、資産についても把握しやすくなり、国家による監視が強まるとして根強い反対意見がある。
さらに政府の検討会では、将来、マイナンバーの利用範囲を、戸籍、パスポート、自動車登録などにも拡大する方針が打ち出されている。
当面、登録は任意で強制力はないが、将来的には義務化も検討するとされている。
政府は、脱税などの防止のためとしているが、政府が国民ひとりひとりの預金口座の存在や残高を把握できるようになり、極端に言えば政府が預金封鎖をしたり、預金残高に応じて課税することもできるようになる。
さて元・日銀マンが10年ほど前に書いた本「預金封鎖」(PHP研究所)の内容は、債券・株券のペーパレス化、不動産登記の電子化、住基ネット、ペイオフなどが「預金封鎖」へと繋がっているという衝撃的な内容であった。
その内容によると、仮に「預金封鎖→財産税」を実施するとして、最大のハードルは国民の資産の把握ということである。
かつての預金封鎖の本当のネライは、財産税徴収のために個人資産を調査するために行われた措置であった。
今日においても、どれを実施するには、個人の資産を把握するために、個人が債権のカタチでどれだけ持っているかを調査する必要がある。
実際に、日本政府が財産税で国民の財産のカナリを奪ったことがある。
もちろん、それだけのことをするにはそれなりの名目が必要で、それは戦後まもなく生じた超インフレを抑えるという名目だった。
当時、国家が債権を販売していたのは日本国民で、債権を買っていた国民は当然国にその返還を要求する。
しかし、敗戦によって甚大な被害を負った日本にそれらの債権に対する支払い能力も無く、当時の日本政府は困惑していた。
そこで、政府は国民の預貯金を使って、それらの財政赤字もしくは不良債権を補填するという強硬手段に出た。
1946年2月17日、政府高官、日銀上層部、GHQは預金支払い制限を中心とする「金融緊急特例措置」の実施を決定し、インフレを鎮静化することを目指したのである。
この金融緊急措置には、「新円切り替え」というアイデアがこらされており、旧紙幣を新紙幣に換えるために、銀行にすべての旧紙幣をもって来ざるをえない、つまり強制的に預金するように仕向けたのである。
その上で旧紙幣の流通を差し止めて、それと同時に一世帯当たりの月々の預金(新円)引き出し額を制限するという方法をとった。
つまり、預金が逃げられなくした上で実施したのが、財産税の導入である。
しかし、現在の租税をするには国会の承認が必要なので平時にはホボ起こりえないとみてよいが、何が起こるかわからないのがこの世の中。
臨時とか非常時には「特別措置」や「臨時措置」などと名目で全くありえないわけではない。
さて、財産税実施のためには、その前提となる口座の存在の確認できないことは確かである。
その為には、その口座そのものが「誰のものか」ひとつひとつ確認する「名寄せ」という作業が必要になる。
実は財産税実施が不可能といわれる理由は、この「名寄せ」に手間がかかるためだといわれる。
ある人が銀行に口座を持っていたとする。その人は給与振込み、公共料金支払いのための普通預金口座と定期預金、積立預金の口座を持っているほか、外貨預金口座も保有している。
こうした場合、その人の財産を正確に把握するためには、すべての口座を合計する必要がある。これが「名寄せ」と呼ばれる作業である。
しかしマイナンバー制度だと金融機関をマタイダ「名寄せ」も容易に可能になる。
さて、個人情報を特定するマイナンバー制度は、ユダヤ人を隔離した政策であるナチス・ドイツの政策を思わせる。最初に登録だけをさせておいて、後から資産を没収するなど別の用途で個人情報を利用した。
また、ユダヤ人は収容所で入れ墨で個人識別番号が刻まれた。
これは聖書の「ヨハネ黙示録14章」にある「額に神の刻印をうつ」という預言を連想させるが、個人の識別番号が体内のチップに埋め込まれたりすると、ウェアラブル端末で「犯罪歴のある人物接近」を知らせるなどの超監視社会が思い浮かぶ。
今我々はレンタルビデオなどで店員が顔写真や住所をコピーするのを簡単に許すが、仮に「マイナンバー」が記載されている裏面をコピーしたりすれば、それは「他事使用」になろう。
というわけで、マイナンバーの「他事使用」の危険性は、いろんな場面に潜んでいるといえそうだ。