スマートさと泥臭さ

人間は仕事を機械に代替させてきたが、様々な技術をどう組み合わせ全体として制御するかは人間に残された仕事だと思ってきた。
しかし最近、コンピュータの発達によりそうした全体の「制御系」の仕事でさえ機械がするようになった。
特に、ドイツにおいて進行している「第四次産業革命」は、工場経営それ自体を制御する。
また住環境では、「スマートハウス」や「スマートシティ」という言葉をよく聞くようになった。
「スマート工場」ではロボットと人が共存する。
例えば、生産、調達、販売、物流といった各部門間のデータが1ヵ所に蓄積されるため、工作機械など産業システムと物流システムなどのネットワーク化が進み、両システム間で情報がスムーズにやり取りされて、生産調整の自動化なども対応しやすくなる。
さらに、センサー技術をふんだんに活用することで、製造工程で流れている個別の製品ごとに、現在の状況や完成・出荷までのプロセスを瞬時に一元管理できるようになる。
また、これまでは、ロボットと人が同じエリア内で作業することは安全性の問題から難しかった。たとえば自動車の溶接ラインでは、ロボット専用のラインがあり、そこには金網が置かれて人は立ち入り禁止だった。
しかし、高度なセンサー技術を用いることでロボットと人が同じエリア内で作業ができるようになる。
「スマートハウス」とは、1980年代にアメリカで提唱された住宅の概念で、家電や設備機器を情報化配線等で接続し最適制御を行うことで、生活者のニーズに応じた様々なサービスを提供しようとするものである。
2010年代にはアメリカの「スマートグリッド」の取り組みをきっかけとした、地域や家庭内のエネルギーを最適制御する住宅として再注目されている。
世界で環境問題に取り組む今日、エネルギー消費を抑えるスマートハウスは注目を浴びており、さまざまな企業が参入をしているが、「スマート・グリッド」はこれからのキーワードのひとつといってよい。
最近バスに乗ると、電気とガソリンを効率よく「切り替え」ながら、シカモそれを客にわかるように表示しながら走っている「ハイブリット・バス」に乗ることがある。
あのバスに乗ると、まるで「説明責任」(?)でも果たしているかのように走行中の「エネルギー切り替え」が表示されているので、「スマート・グリッド」の仕組みがよくわかる。
その「表示」は単純な図だが、「発進/加速時」にはバッテリーに蓄えられた電気エネルギーを利用してモーターでエンジンをアシストする。
「定常走行時」にはエンジンとモーターの最も効率のよい走りを自動制御し、比較的低負荷の定常走行時は、エンジンのみで走行する。
「減速/制動時」には、電動機を発電機として作用させ、減速エネルギーを電気エネルギーに変換してバッテリーに貯えるなどをする、といった表示である。
ところでスマートグリッドは、「電力の自由化」が進展したために、そのフラツキを制御するためにアメリカの電力事業者が考案したものである。
「スマート」という語が表すように、従来型の中央制御式コントロール手法だけでは達成できない「自律分散的な」制御方式も取り入れながら、電力網内での需給バランスの最適化調整を行っている。
こうしたシステムは、省資源などの目的に対して「最適解」を提供するため、「スマート○○」ともてはやされるが、それが本当に「社会全体」の安定に寄与するのか、何か大きな「盲点」があるのではないのかと思うことがある。
というのも、最近の人々を驚かせたニュースのひとつが「線虫による癌発見」だが、ビッグデータの解析などデジタル分析を主体とする研究とは違った、ある種の「アナログ感」があったからだ。
それは、今日の技術の方向性の盲点をついた「泥臭さ」といいかえてもよい。
九州大理学部の広津助教授と伊万里有田共立病院の園田外科部長らの研究グループは、わずかな「匂い」をかぎ分けることのできる「線虫」の性質を利用し、患者の尿で「癌の有無」を調べる方法を開発した、と発表した。
「線虫」は実験材料としてよく用いられる体長1ミリ程度の生物で、特定の匂いに集まったり、匂いから逃げたりする性質がある。
そして、がん患者には「特有」の匂いがあることが知られていたが、研究グループは、「線虫」ががん患者の尿に集まることを発見した。
がん患者24人の尿を用いた実験では23人(95・8%)の尿に集まり、逆に、健康な218人では207人(95%)の尿で避ける反応を示したという。
この技術が導入されれば、「線虫」の培養装置などがあればよく、従来のがんの血液検査などに比べ、1件数百円程度の安価で済むという。
課題は、何のがんか分からないことだが、大腸がんなど、いくつかの「がん」について特定できる線虫を作製できているという。
つまり、癌研究の「盲点」を衝いたように感じる快挙だったが、実際に癌検診に使用されるまでには様々なハードルを越えなければならないことはいうまでもない。

さて、「第四次産業革命」の中核になりそうな「人工頭脳」の発達だが、常に一定の条件を最適に満たすようなシステムの「効率的」に運用を実現する上で、それはスマートに違いない。
しかし、そのスマートさとは、所詮人間の世界観で考えられたものでしかないのではないか。
そんなことを痛感させられるひとつ例は、人間が住みやすい環境を作ればつくるほど、様々なアレルギーに悩まされるようになった点である。
ぜんそく(喘息)や花粉症、食物アレルギーなどアレルギーはありふれた病気だが、そもそもアレルギーとは、本来ならば体を守るための免疫が過剰になり、自分自身を攻撃することで起こる病気である。
近年のアレルギーを含めた免疫の研究が進んでおり、予防や治療の常識に変化が起きようとしている。
例えば、最近ほかの分野でも注目されている「腸内細菌」との関係が指摘されるようになっている。
最近の「NHKスペシャル」で、アメリカの「アーミッシュ」とよばれる人々には、アレルギーのがいないことを伝えていた。
個人的にペンシルバニア州に住む「アーミッシュ」の存在は、ハリソンフォード主演の名作「刑事ジョンブッフ 目撃者」(1985年)で知った。
彼らがアレルギーが少ない理由は、小さなときから、家畜に触れ合う機会が多いことにあるらしい。
さてアレルギーに関して、注目される報告の一つは、赤ちゃんと微生物の関係についての研究報告だ。
赤ちゃんは誕生後、微生物にさらすと良い、母乳も含め免疫を強める要因にを参照。
誕生後に、微生物に触れる機会が増えるとアレルギーになりにくいというものだ。
その背景にある要因として、体内で免疫を担う細胞の一つである「制御性T細胞、Tレグ」の役割が指摘されている。
それは、アレルギーで起こっている問題である免疫系の攻撃力に働きかけて、「過剰」にならないようにするというもの。
つまり自然に備わった「制御系」の働きなのだが、幼少期から微生物に触れるとこのTレグが増えて、アレルギーになりにくくなるということがはっきりしてきた。
またそれは、腸内フローラとアレルギーとの関係につながる発見である。
微生物に触れるとアレルギーが抑制されるという関係はアレルギーと生活習慣の関係を調べた研究からも分かった。
例えば、毎日「皿洗い」をする子どもは、アレルギーが半減するという報告は興味深い。
皿洗いをしている子どもは、食器洗い機で皿を洗っている家庭よりもアレルギーが少なくなるというものだ。
さらに、発酵食品を食べる量が増えるほどアレルギーが減るほか、農場で直接買ったものを食べる量が増えるほどアレルギーが減ると発見された。
となると、アレルギーを避けるためには、アレルギーを起こす食品を控えるよりも、調整しながら食べたほうがよいということになる。
2015年2月、世界的な有力医学誌に発表されたピーナッツ・アレルギーの研究結果は世界に衝撃を与えた。
「5歳までにピーナッツを食べさせるべし」、アレルギーが激減するという。
幼少期にピーナッツを食べている方がピーナッツ・アレルギーの可能性が減るというものだ。
ピーナッツ・アレルギーの有無によらず、ピーナッツ・アレルギーに対する過敏反応は、ピーナッツを食べていた子どもの方が減ったのだ。
その程度は「半減」をさらに下回るような結果も驚きを与えた。
5歳までにピーナッツをできるだけ食べさせるようにすべきだと研究グループは指摘している。
つまり、これまで子供に良かれと思ってアレルギーを起こす物質を遠ざけていたら、むしろそれがアダになっていた可能性がある。
そして今や、アレルギーを起こす物質を遠ざけようとするのではなく、あえて触れる機会を増やすというアプローチが今や注目されている。
アレルギーを起こす物質になれると、アレルギーの症状がなくなるという発想である。
また花粉症の治療でも同様な発想の転換が行われつつある。それは国内でも浸透しつつある「舌下免疫療法」で、スギの花粉のエキスを口の中に含ませて、体を花粉にならしていく治療だ。
また、食物アレルギーの分野でも「特異的経口耐性誘導(SOTI)」と呼ばれる方法が静かに広がっている。
「食物アレルギー」の分野では、かつてはアレルギーの原因になる食品を除いていく「除去食」が一般的だった。
しかし、「特異的経口耐性誘導」は逆にアレルギーの原因になる食品を少量から食べさせていく治療になる。
食物アレルギーでは、時として「呼吸困難」までにもつながる症状が起こり得るため、慎重な観察の下で進めていく必要がある。
食べさせる量を少しずつ増やして、最終的に食物アレルギーの克服までつなげていく。

すべてをITでコントロールするシステムには、予想もできない「可能性」と同時に予想もできない「陥穽」もあるのではないだろうか。
例えば、ITを駆使して農作物を理想の環境で育てられたらどうだろう。
最近NHKの「クローズアップ現代」で紹介されたのは、農業を体験したことのない若者達が、環境をコンピュータで完全に制御しつつ、高い品質の作物を作り出しているというニュースだった。
宮城県山元町にある農業法人GRAで、3億円の補助金を活用したハウスでは、温度や湿度など、品質を高めるための環境を管理している。
この法人を立ち上げたのは、農業の経験さえない岩佐大輝氏37才で 、岩佐氏がマズ頼ったのは、地元の農家が蓄積してきたノウハウで、練の技を分析し数値化し、それをもとに生産に乗り出した。
実際の熟練の農家を訪ね、理想のイチゴを作る条件を聞き出し、それをデータとして理想の環境を作り出した点にある。
例えば、先端の糖度が12度を超えると甘いといわれるイチゴ。測ってみると、15.2度で、全国トップレベルの甘さを安定的に生み出せるようになった。
岩佐氏はもともと高校卒業したあと、東京でITコンサルティング会社を経営しいて、地元が被災をして戻ってきた。
一番最初に岩佐氏がボランティアとして取り組んだのは、半径5メートルくらいの所での「泥かき」だった。
そんなことをやる中で、町の人から、社長なんだから「泥かき」をずっとやっているのではなく、ビジネスを持ってきてほしいとと言われた。
東北を代表するイチゴの産地・山元町が津波による塩害で、これまでの露地栽培を続けることは難しくなっていた。
そこで、岩佐氏は雇用が生まれるビジネスを山元町に持って帰ってこなければ、自分の価値はないと思い、そして自分が得意だったITの分野と、イチゴの栽培を掛け合わせたITによるフルコントロールの、「先端農業」に取り組んできた。
実をいうと、何か既存のルールに縛られてる余裕はなく、自分たちでモデルを1回示してみようぐらいのつもりで始めたという。
そして、国からの補助金を取るのも、かなりの企画書みたいなものを書かなければならないが、岩佐氏は銀行員の友達がいたり、弁護士の友達がいたりして、そういう人々のボランティアのパワーを集結させて、事業を軌道にのせた。
そして岩佐氏が重視したのは、イチゴの研究開発やマーケティングであった。
そのモデルは、一般の農家が重視する人件費や施設の維持管理など生産に関わる部分に資金をかけるのとは、ヒト味もフタ味も違っていた。
そのうち、岩佐氏の中で消費者に明確にわかる形のブランディングをすることで、明らかに農産物もいい価格がつくという確信が生まれた。
さらに、イチゴ1粒1粒をパッケージングするなど、高級感を演出。
独自のブランド名も付けて売り出し、特別なイチゴだと消費者に訴えることで、「1粒最高1000円」のイチゴが生み出されたのである。
こんな高級イチゴだれが食べるのかという疑問はおいておくとして、岩佐氏のビジネスには、スマートさと土の温かさや人の温かさが共存している感じがした。

さて、「制御系」の研究や応用について、日本が世界に先駆けた誇るべき技術といえば、新幹線の「ACT」という技術が思い浮かぶ。
「新幹線」プロジェクトは1956年、戦時中の特攻機「桜花」開発の中心であった三木忠直を中心に進められ、開催が決まった1964年の東京オリンピック開催にその実用化を目指した。
三木は、「桜花」は帰ってくるための補助車輪も燃料も積んでいない飛行機であり、技術者としては絶対に作りたくないモノであった。
しかし時は「戦時」であり、それを作ることを強いられるだけの「逼迫感」が漂っていたのだ。
終戦後しばらく、三木には自分が作った飛行機で多くの兵士達を死なせてしまったことに自らを責めるところがあり、その上「戦争責任問題」でなかなか就職できない状況にあった。
今度こそは、本当に日本人の役に立つ「技術開発」に携わる決意を持ったが、自動車関係にいけば戦車になるし、船舶関係にいけば軍艦になる。
そこえ、「平和利用」しかできない鉄道の世界に入ることにし、ようやく国鉄の外郭団体「国鉄鉄道技術研究所」に職を得ることができた。
さて新幹線の技術で、世界最高水準の250キロの「超高速」での走行には、車体の「揺れ」を防ぐ技術開発が必要であった。その当時多かった車両の脱線事故は台車の「蛇行」動(揺れの共振動)であるというのが持論であった。
つまり、ある速度を超えれば、振動と振動が「共鳴」運動をおこし「制御不能」となってしまう。
そのため、最高の運動性能を持つと言われた「ゼロ戦」の機体の揺れを制御技術を確立した松平精というひとりの技術者が招かれた。
この技術者によって、画期的な油圧式バネを考案し、「蛇行」道を吸収する車輪の台車を完成することができた。
また、安全面を重視する時、電車が近づいた時や地震があった時など、安全装置が働いて、新幹線が「自動で停止する」ような仕組みが必要とされた。
それが「自動列車制御装置」(ATC)であるが、やはり軍で「信号技術」を研究していた河邊一という技術者がこの実験に取りかかり、この問題も解決していった。
その定義は、「先行列車との間隔及び進路の条件に応じて、車内に列車の許容運転速度を示す信号を現示し、その信号の現示に従って、列車の速度を自動作用により低下する機能を持った装置」となっている。
かつてステーブン・スピルバーグ制作「未知との遭遇」(1977年)映画があった。
人類が出会ったのは、無菌室の人工機器の中に生存しているかに思えるとてもヒ弱に見える生き物、目がギョロリとして頭は大きい。
これは、異星人との出会いというよりも、人間の未来との出会いを暗示しているかのようにも思えた。
このままの勢いで技術が異様な進展をみせ、グローバル化に歯止めがかからないと、何かが「暴走」しそうな不安感がある。
つまり、パーツ・パーツの異常な発展により、全体の調和や制御をますます困難にさせるということだ。
人間と人工頭脳との共存も大きなテーマになるだろう。
ところで、動物は力の優劣がはっきりした段階で傷つけ合うだけの無用な戦いを避ける「制御本能」が備わっているかのようだ。
しかし人間だけは、滅ぼしつくし焼き尽くすまで、または自ら滅びるまで戦いをやめない生き物である。
その点人間は、「スマートさ」から程遠い存在で、人類に残された大きな課題は「精神の制御法」といえるかもしれない。