見ゆるところ

人は「見ゆるところ」に欺かれやすく、真実に近づくのに、目隠しをした方がいい場合さえある。
、 古今東西の物語の中には、数多くの「視力喪失者」の話が登場するのも、作者の中にそんなハカライがあるからではなかろうか。
「視力喪失者」の話のなかでも、個人的には、溝口健二監督の映画「山椒大夫」のラストにおける母と子の再会の場面には、胸をつかれた。
この映画は、人さらいの罠にかかり豪族山椒大夫の許に売られて、母親と離れ離れとなった「安寿と厨子王」の物語として知られている。
奴隷となった二人は過酷な労働を課せられながらも、母親との再会を望む日々を送る。
それから十年、大きくなった二人は依然として奴隷の境遇のままであったが、ある日、新しく買われた奴隷が口ずさむ唄に、自分たちの名前が呼ばれているのを耳にしてハットする。
その歌をどこで知ったのかと聞くと、それが自分達の母親の子供を奪われた「叫び」であることを知り、二人は脱走を決意する。
妹は途中で領主につかまり命を失うが、兄は長い旅の末に浜辺の廃屋に横たわる自分の母親をみつける。
そして、母親に近づくが母親は息子だと気がつかない。母親は、視力を失っていたからだ。
そして、弟は「あの歌」を口づさむ。
母親が視力を失っていただけに、純粋に心が心を確かめ合うような場面だった。
ちなみに、映画「山椒大夫」とは荘園領主をさしており、日本史の「荘園」の実情を知る上で最高の視聴覚教材であることを付言しておこう。
さて、谷崎潤一郎「春琴抄」はタイトルの穏やかさとは裏腹に、準主人公が自ら両目を潰すという異常な物語である。
幼い頃から盲目の三味線師匠春琴に付添い、彼女にとってなくてはならぬ人間になっていた奉公人の佐助だが、後年春琴がその美貌を何者かによって、自分の姿を見せられない程に酷く傷つけられる。
それに対して佐助は、彼女に永遠に仕えるため、あるいはその美貌を永遠に焼き付けてるために、自ら目を突き盲目の世界に入るという物語である。
すすんで両目を潰すなどという恐ろしい話は「春琴抄」ばかりかと思っていたが、ギリシア悲劇の中にもあった。

「オイディプス王」物語の舞台となるのは、古代ギリシャの都市テーバイで、同じギリシャのアテネとはライバル関係にあった。
そして物語は、テーバイ王ライオスが「アポロンの神託」を得るところから始まる。
もし、ライオスが妃イオカステとの間に男子をもうけたなら、ライオスはその子によって殺されるだろう、またその妃イオカステはその子に犯されるだろうという恐ろしい予言だった。
ところが、ライオスは情欲に負けて、妃イオカステとの間に男子をもうける。
「アポロンの神託」を恐れたライオスは、生まれたばかりの赤子の両方のくるぶしにピンを刺しとおし、牧人に命じ、山中に捨てさせた。
その後も、くるぶしの腫れがひかなかったので、「腫れた足」を意味する「オイディプス」と名づけられた。
ところが、牧人はその赤子を哀れに思い、コリントスにいた羊飼いにあずけることにした。
その羊飼いは、コリントスの王ポリュポスに仕えていたので、このことを王に話した。
こうして、赤子はコリントス王のもとで育てられた。子に恵まれなかったコリントス王ポリュポスと妃メロペは、その子を実の子のように慈しみ育てた。
オイディプスは、コリントス王の王子としてすくすく育つが、それを妬んだ友人に「偽りの子」とののしられる。
自らの出生を怪しんだオイディプスは、「アポロンの神託」にその真偽を問おうとするが、その答は得られない。
その代わり、彼が故郷に帰れば、父を殺し、母と交わるだろうと告げられた。オイディプスは親と信じるコリントス王とその妃を心から敬愛していたので、予言が成就されぬよう、コリントスに帰らず、テーバイに向かった。
旅の途中、狭い道で、オイディプスは戦車にのった老人の一行に出くわす。双方が道を譲らず争いになり、オイディプスはこの老人を殺してしまう。
そしてこの老人こそ、オイディプスの実父テーバイ王ライオスであった。
こうして、「第1の予言」は成就されたのである。
オイディプスがテーバイに着くと、町はスフィンクスの災難に悩まされていた。
スフィンクスは、女の顔に、ライオンの身体、鷲の翼をもつ怪物で、テーバイの国境に居座り、市民に謎かけ歌を歌い、解けないとそれを喰らうのであった。その謎かけとは、「声は1つながら、4本足、3本足、3本足となるものは何か?」
オイディプスはその謎をみごとに解いた。「それは人間である。生まれたときは4本足で、成人して2本足になり、老いると杖をついて3本足となる」驚いたスフィンクスは、崖から転落して命をおとす。
テーバイを災難から救ったオイディプスは、新しい王として迎えられ、死んだライオス王の妃イオカステを娶り、2男2女をもうけた。
つまり、実の母を妻とし、交わったのである。こうして「第2の予言」も成就された。
しかし、その事実に誰も気づくこともなく、テーバイの町は平穏に過ぎていく。
ところがある時、テーバイで疫病が発生した。大勢の人が死に、大地も家畜も人も、何も産まなくなった。
オイディプス王は、「アポロンの神託」を得るため、妃の弟であるクレオンをデルフォイにつかわした。
そしてクレオンはそこで驚くべき神託を得る。
「テーバイで、ライオス王殺しの犯人がまだ罰せられずにいるから、災難がおきるのだ。地の汚れを払うため、ライオス王殺しの犯人を罰せよ」
やがて、盲目の予言者ティレシアスが呼ばれ、彼はオイディプス王こそがその犯人であると告げる。オイディプス王は、これは王位を狙うクレオンの謀略だと考え、予言者ティレシアスを追い返す。
そのとき、コリントスから使者が到着した。この使者は、昔、テーバイの牧人から受け取ったオイディプスをコリントス王に預けた羊飼いだった。
使者は、コリントス王が死んだので、帰国して王位に就くよう、オイディプス王に願い出る。
しかし、オイディプス王は、先のアポロンの神託が気がかりだった。
コリントス王は死に、父王を殺すことはないが、母と交わるという予言はまだ生きている。そのことを告げた上で、オイディプス王は帰国を断った。
それを聞いた羊飼いは、「自分がテーバイの牧人からオイディプス王を渡され、コリントス王に預けたのだから、コリントス王妃はオイディプス王の実の母であるはずがない」とうち明ける。
やがて、殺されたライオス王の一行で逃げのびた男が帰ってきた。彼はライオス王にオイディプスを捨てるよう命じられた牧人であった。
牧人は、オイディプス王こそ紛れもなくライオスの子であると告げる。期せずして次々と明らかになっていくオイディプス王の秘密。
悲嘆した母であり妻であるイオカステは寝室で首を吊って死んだ。
すべてを知ったオイディプス王は、自らの手で両目を突き刺して潰し、王位を退く。
オイディプスはテーバイを追われ、娘のアンティゴネに手を引かれ、諸所をさまよい、アテネ郊外のコロノスで死ぬ。
ギリシア悲劇「オイディプス王」では、人間がどんなにアガイテもはまりこんでしまうような「運命」というものを感させるが、最後にオイディプスはどうして自ら両目を潰したのだろうか。
「見ゆるところ」に欺かれる続け、何も真実を知ることの出来なかった自分を呪ったのだろうか。

真実にとって「見ゆるところ」はかえって障害となる。もっと深い次元でいえば「肉」は「霊性」にとって妨げになる。
そんなメッセージが込められているのが「サムソンとデリラ」の物語である。
この物語は、旧約聖書からとられた題材でビクターマチュア主演で1950年に映画化されている。
サムソンは、約束の地カナンに入ったイスラエル民族をヨシュア亡き後指導した士師(軍事的リーダー)達のひとりである。
このサムソンが、新約聖書の「へブル人への手紙11章」の「信仰者列伝」の中に、アブラハムやヨセフやモーセ、ダビデなどと並んで登場する。
そのことに少し違和感があるのは、サムソンの人生は過ちに満ちたものだったからだ。
確かにサムソンは一人で千人を倒すほどの怪力だったが、逆に美しい女性には滅法弱く、マンマとその甘言に乗せられてしまうような人物である。
またたくさんの遊女と交わるような「不良」といっていいかもしれない。
ところで、サムソンが生きた「士師の時代」は、イスラエルが強大な異教国ペリシテにその精神をも抜き取られ、神への信仰を失ってしまい「各自が、自分の目に正しいと見るところを行う」(士師記21:25)というような時代であった。
その中で、「小さな太陽」を意味づる名前のサムソンは、ナジル人(神への献身者)として生まれ、最大の使命は「イスラエルをペリシテ(パレスチナの語源)から救うことであった。
そしてサムソンは武器として手にしたロバの顎の骨で、多くのペリシテ人と勇敢に戦った点で、同時代のイスラエル人の中でぬきんでた存在であったことは間違いない。
しかしそのサムソンも女性には弱かった。ペリシテ人の女デリラとの愛に溺れ、それを伝え聞いたペリシテの指導者たちはデリラをそそのかして、サムソンの「怪力の秘密」を探らせるように仕向けた。
デリラは、執拗な泣き落とし戦術でサムソンを悩ませ、女性に弱いサムソンはついに自分の怪力の秘密を明かし、「ナジル人の印である長髪を剃り落されたなら、怪力は失われ、並みの人とおなじになる」と打ち明けてしまう。
その結果、彼はペリシテの手に落ち、両目をえぐられ、奴隷の仕事を強制されるまでに貶められる。
その後ペリシテ人の指導者たちは、彼らの神ダゴンを祭る祭りを開催し、会場となる大会堂に国中のペリシテ指導者を集め、「我らの神ダゴンは、敵サムソンを我らの手に渡された」と言って偶像ダゴンをたたえた。
その時、サムソンはペリシテの指導者たちの前で「戯れ」ごとをさせられ、笑いものにされる。
そして、目をくりぬいたことで油断したのか、ペリシテ人はサムソンの髪が伸び始めていることに気づいていなかった。
そして、サムソンは、大会堂の二本の大黒柱に寄りかかって、「主よ、私をもう一度強くして、私の目の一つのためにもペリシテに報いさせてください」と祈った。
そして「ペリシテ人と一緒に死のう」と柱に寄りかかると、その会堂はペリシテ人たちの上に倒れかかって多くのペリシテ人とともに死んだ。
そして最後に彼が倒したペリシテ人の数は、彼がそれ以前に倒した敵の数より多かったとある。
サムソンはそれまで、自分の能力を誇示し、自分の才能を己のために使ってきたといえそうだ。
ペリシテ人との戦いにあっても、他人に優る力を周囲に誇示するような面もあったに違いない。
両目をくりぬかれ奴隷に落され、しかも衆人注目の中で物笑いになるという体験をするなかで自暴自棄にならず、最後の最後まで、神からの使命を忘れてはいなかった。
そしてある意味で肉から解き放たれた人生の終結において、神に祈りその使命に自分の全エネルギーを集中して「神の栄光」を表したといえよう。
屈辱と嘲笑の中にあっても、アブラハムの「望み得ないのに、なおも信じた」(ローマ人4章)という信仰を受け継いだ1人といえる。
そのことによって、聖書の「信仰者列伝」(ヘブル人11章)のひとりに加えられたのである。

キリスト教初期の最大の伝道者・パウロも一時的に「盲目」になった体験をもっている。
それは、パウロが律法(戒律)に生きる人間から、聖霊の自由に生きる人間へと「再生」する上で、とても意味のある時間ではなかったろうか。
パウロは厳格なユダヤ教徒の家庭で育てられ名をサウルといった。後にキリスト教徒にとっておそるべき迫害者となり弾圧のためにダマスカスの街に向う途中のことだった。
街に近づいたとき、突然天からの光に照らされて彼は落馬する。
続いて「サウル、なぜ私を迫害するのか」という声が聞こえた。
イエスはすでに十字架で刑死していたが、それがキリストの声であることを悟り、パウロは空を裂く不思議な光の方を仰いでいるうちに、何も見えなくなった。
その後彼はダマスカスに連れていかれ、サウロを助けるようにと導かれたキリスト教徒のアナニヤがサウロの上に手を置くと、サウロは目が見えるようになり、このときサウロは「目から鱗のようなものが落ちた」と記されている。
そして、キリスト教徒となり名を「パウロ」と改め、イエスが聖書に預言された「救い主」であるということを悟った。
ちなみに、「目から鱗」という言葉は、この出来事からうまれたものである。
さて、パウロはそれまで律法を守ることが神への信仰と思っていたのだが、「聖霊」を体験することによって、ものの見方をさえ大きく転換していく。
例えば「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(コリント人への第二の手紙4章)。
  また自分の体験について次のように語っている。
「わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、 熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である。
しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった」(ピリピ3:1-9)。
さて生前のイエスは当時の民衆に対して「あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない」「笛をふいても踊らない」(マタイ11、13章)と痛烈な批判を浴びせている。
その一方で、聖書は神が人の「見ゆるところ」を遮ったり、開いたりすることがあることを教えている。
それは、十字架にかかったイエスのことで心を痛めた二人の弟子が、エルサレムからエマオという村へ向かって歩きながら、一切の出来事について話し合っていた場面のことである。
話し合い論じ合っていると、(復活した)イエスが近づいて来て、 一緒に歩き始めた。
しかし、二人の目は[遮られ」ていて、イエスだと は分からなかった。
そのうちイエスは「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信 じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはず だったのではないか」と語った。
そして、モーセとすべての預言者から始めて、 聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明した。
しかしそれでも一行は、同伴者が「誰か」を認識することができず、もう日も傾いているからとイエスを自宅に招いた。
「そして一緒に食事の席に着いた時、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」(ルカ24章)。