ダーク・マーター

科学が「常識」を覆す点において、歴史的には「天動説」に対する「地動説」、「天地創造説」に対する「進化論」などの衝撃度は大きかったと思う。
常識と信仰がホボ一致していた時代であった分だけ、そういえるだろう。
しかし常識が信仰ではなく科学に裏づけられるようになると、常識は宗教的(信仰)世界観に挑戦し、科学に道を譲らざるをえなくなるが、ソレデモ信仰を捨てたくない人々は、科学と信仰とを内的に「棲み分け」たり「使い分け」したりしてきた。
ところが最近の科学が教える事実の「奇想天外さ」は逆に、「宗教的世界観」を色アセタものにするほどカゲキであり、あえていえば「超宗教的」でサエあるのだ。
一般に常識とは、ある考えが長く固定しないと常識とはならないが、科学が次々に明らかにする真実は、常識を覆しマクッテおり、それを受け入れるにはプチ「信仰」的態度を要する。
特にそのことは、ビッグバンに基づく「宇宙観」やiPS細胞の発見などに基づく「生命観」の大転換などにあてはまる。
ここでいう信仰とは、「家内安全 五穀豊穣」ナドのことではなく、「霊的直感」によって真実に迫ろうとするものである。
科学と信仰はアプローチの方法はマッタク違っても、結構カサナリあう「真実」を明らかにしていくのではなかろうか。
例えば聖書に、この世の終わりにつき「大空は巻き去られる」(イザヤ34章/黙示録6章)という言葉があるが、この世が「巻物」のように閉じられるナンテ「文学的表現」にすぎないと思っていたら、「ブラック・ホール」の存在等を知ると、「文字どうり」にアリエルことなのだ。

ところで1919年南半球で「皆既日食」が起きた時のこと、ある天文学者が太陽の近くに見える星の位置を観測したところ、それが夜に見える位置より少しズレていることを報告した。
このニュースは、翌日大々的に報道されたが、讃えられたのはこの観測者ではなく、かつてソレが起きることを予測したアインシュタインであった。
アインシュタインは、光は波の性格をもった「粒子」であるから「重力」によって「曲がって」進むと考えたからである。
したがって、大きな重力を持つ太陽の下で、光も曲がるとヨンダため、昼夜の星の位置が違うことを予測したのである。
ではなぜ「皆既日食」の日なのか。
太陽があるのに「真っ暗」になる瞬間だから、この瞬間に太陽付近の星の位置を調べることができるからである。
それによって、昼の星の位置と夜の星の位置と異なることが観測でき、「光が重力による曲がる」ことが証明できたのである。
この予測が見事にあたり、アインシュタインの名前は一夜にして世に知られたのである。
しかも、その「ズレ」は、アインシュタインが予測した「ズレ」と完全に一致していたのである。
光が天体などの重力によって曲げられ、観測者からの見え方が変わることを「重力レンズ効果」というが、これによって我々が「見ている世界」は、真実の世界から「曲がった」世界であることが判明したのである。
また最近の科学の進歩は、重力レンズ効果どころはなく、「宗教的世界観」が平凡に思えるくらい「奇想天外」な宇宙空間の中に生きていることを明らかにした。
だいたい太陽の周りを秒速「30キロメートル」の猛スピードで「公転」する地球上に、人間が普通に立っていられるのも奇妙な話である。
一体どんなチカラが働いているのだろうか。
地球が太陽の周りを猛スピードで回っているのに、アラヌ方向に飛び去ってイカナイのは、太陽の重力に引っ張られて「落ちている」からである。
ニュートンはリンゴが地球に重力によって「落ちる」ことを説明したけれども、リンゴにその重力がナゼ・ドノヨウに物質に働くかまでは説明しなかった。
アインシュタインは、「重力によって空間が曲がるために生じた引力による」と説明した。
わかり易くいうと、座布団の上にリンゴを二つおいてドコカを押して窪ませると、その「窪み」に向かってリンゴは動き出しドコカでくっつく。
この座布団を「空間」と見立て、窪みを「空間の曲がり」とすれば、二つのリンゴがひとりでに「引き寄せられた」ように見える。
我々がアタリマエに高速で走る地球上に「時々浮くこともなく」立っていられるのも、そういうチカラの作用が起きているカラコソなのだ。

ところで、聖書の冒頭に次ぎのような言葉がある。
「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は光あれといわれた。すると光があった。
神はその光を見て良しとされた。神はその光と闇とをわけられた。」
ここで、「天地創造」のハジメが書かれているが、神による創造のハジマリが「光あれ」であることがわかる。
ところで、周知のとうりすべての物質は「原子の集まり」である。
原子が最小限の単位つまり「素粒子」かと思われていたが、「原子核」の発見で原子はさらに「分割」することができることがわかった。
さらに「原子核」の周りを、電子がクルクルと回っていることがわかった。
原子の大きさを野球場とすれば、原子核は「ボール1個」分ぐらいの大きさである。
だから原子の大きとは、電子が回る軌道の直径であるが、原子核からすれば、電子はハルカ遠くを飛んでいることになる。
ところがコレで「行き止まり」ではなく、原子核にも「陽子」や「中間子」といった内部構造があり、その陽子や中間子もいくつかの粒子によって形づくられていることがわかった。
「素粒子」つまりこの世で一番小さいものは、10のマイナス35乗メートルという大きさである。
以上は「極小」世界の話であるが、「極大」の方の「宇宙の広がり」は、10の27乗メートルという大きさである。
この「極大」と「極小」の途方もない「広がり」故に、両者は何の関係もないと思いがちだが、最近の科学はこの間に「兄弟」のようなキズナがあることを明らかにした。
そして「素粒子」を探ることが、「宇宙の成り立ち」ばかりではなく「生命の起源」を知る上でも、重大なヒントを「隠している」ことが判った。
さて、こういう宇宙と素粒子との「結びつき」が生まれた背景には、「ビッグバン」の発見がある。
ビッグバンとは、この宇宙には始まりがあって、爆発のように「膨張」して現在のようになったとする説だが 、ビッグバン直後には、宇宙は「極小」の「素粒子」だったという「奇想天外さ」なのである。
はナンデ宇宙が「加速的に」膨張しているのが判るかというと、「明るさ」の決まっている超新星の光を観測することで、判明したという。
宇宙はビッグバンにより始まり、宇宙は徐々に拡大し、その拡大する勢いは衰えるどころか、マスマス「加速」ているということである。
そしてこの事実は、「アインシュタインの理論」に反する事実でもある。
アインシュタインの方程式に従うならば、宇宙の「膨張速度」は宇宙空間のエネルギーできまる。
エネルギーがたくさんあれば早く広がるが、空間が広がればエネルギーも薄まるので、膨張速度も衰えるハズだから。
加えて、ビッグバンの理論に基づく「宇宙観」によれば、宇宙空間とは我々が住んでいる世界と「別次元」ではなく、「同質の世界」であるということである。
ということは、この「地上の法則」(物質の内容やその運動法則)を、宇宙に適用してもチットモかまわないということだ。
もっとも「ビッグバン」理論以前から、アイザック・ニュートンは地上で木から落ちるリンゴと、天上にある惑星がまったく「同じ法則」で動いているとしたのである。

ところで宇宙から届くのは光だけではない。
最近は、人工衛星モ落下するが、モチロンそればかりではない。
宇宙から降り注ぐ粒子の一つである「ニュートリノ」を、小柴昌俊教授を中心として作られた「カミオカンデ」という観測装置が、世界で始めて捉えることに成功したことは記憶に新しい。
実はこのニュートリノは宇宙から大量に降り注いでいるが、我々の体は一秒間に何十兆個もあびながら、ナカナカ捕らえることができないシロモノなのだ。
そして岐阜県の神岡鉱山の地下に、1987年2月に、地下1000メートルに3000トンも水を湛えたタンクを用意して、11個「ニュートリノ」をつかまえたのである。
そんな宇宙のチリをソンナ莫大な費用をかけて捕まえることに、ドンナ意義があるかと思うが、実はそこに「宇宙の成り立ち」のヒントがあるからである。
それは、ハヤブサが惑星イトカワまで行って、8年かけてゴミを集めてきたことと、似たような意味があるのだ。
カミオカンデも含めて様々な観測結果が、「宇宙は何で出来ているか」について、次々と新事実を明らかにしているが、中には実に「気味の悪い」話もある。
カミオカンデが捉えたニュートリノは、大マゼラン星雲で起きた「超新星」爆発によって生じたもので、それが発生した事実は、その星が地球や太陽と同じ「原子」で出来ていることを物語っている。
我々の目に見える星々の質量は、すべて足し合わせても宇宙の全エネルギーの0.5パーセントにしかならず、ニュートリノを加えてもたった1パーセントにしかならない。
さらに星やガスや粒子をすべて集めても、全エネルギーの4.4パーセントにしかならない。
そして2003年に、全宇宙の96パーセントが「原子」以外のものでできていることが判って、科学界に衝撃を与えた。
では原子ではない96パーセントとは何なのか。
正体はわかっていないものの、ソコニ「在る」事だけはハッキリしていて、名前もシッカリとついている。
それは、「暗黒」と名のついた物質およびエネルギーである。
普通、空間が広がっていけば物質の密度は薄くなるのだが、この暗黒物質の密度はどんなに空間が広がっても薄くはならないのである。
しかも暗黒物質は太陽系を天の川銀河に引き止めるほどの重力をもっていて、当然先述の「重力レンズ効果」が生まれる。
そのために、その向こうにある星や銀河の光がグニャグニャに曲げられ、望遠鏡に映る像は、「真の相」からすれば様々な形に歪んでいるのだ。
逆に、その「ユガミ具合」を分析すると、「暗黒物質」がどのように分布しているかが、推測できるのである。
ところで、質量をもつ物質はエネルギーに転換できるというアインシュタインの有名な方程式がE=mc2がある。
エネルギー=質量×光速の二乗という式だが、実は太陽は、質量をエネルギーに変ることで燃えていて、その質量欠損は一秒に50億キログラムという。
太陽は徐々に軽くなっているわけだが、太陽から飛んでくるニュートリノは、そこで核融合反応つまり質量がエネルギーに転換されていることを如実に物語っているのである。
そして、宇宙はスデニわかっている原子4.4パーセントに、この「暗黒物質」を加えても23パーセントでしかない。ではそれ以外の73パーセントは何なのか。
それは、もっと得体の知れない「暗黒エネルギー」というもので、宇宙の膨張をどんどん「加速化」させているものの正体である。

ところで望遠鏡で宇宙の「遠く」を見るとはどういうことなのだろうか。
「光」が地球に届く時間のことを考えれば、宇宙で「遠くを見る」ということは「昔発せられた光」によって見ているのだから、「昔の宇宙」を見ていることになる。
だから望遠鏡で遠くを覗くことは、「宇宙の起源」を知ることに繋がる。
人類の故里は「遠くにありて覗くもの」なのだ。
だから、望遠鏡の性能を宇宙膨張に負けないくらいにドンドン上げていけば良さそうだが、どうしても超えられない「壁」というものが存在する。
なぜなら「見る」ということは光をキャッチすることであり、光さえ発していなかった「暗黒時代の宇宙」を見ることはできないのだ。
ところが先週のNHK「クローズアップ現代」で史上最大の電波望遠鏡「アルマ望遠鏡」が本格的な観測を開始したことを伝えていた。
国立天文台の石黒正人元教授らが30年前から取り組んできた「日本発」の国際共同プロジェクトで、南米・チリの標高5000メートルの高原に巨大望遠鏡を66基建設し、宇宙からのミリ波やサブミリ波と呼ばれる電波を観測した。
その電波の波長によってソレが当った物質を分析することができるために、宇宙空間に漂う微小な物質の量や成分、さらに物質の動きがわかり、どのように惑星が誕生するのかが、明らかになるという。
電波望遠鏡は、光の存在を必ずしも必要としないので、こうした暗黒物質の正体を明らかにする可能性がある。
さらに期待されているのが、惑星誕生の現場でアミノ酸など「生命を形作る物質」を発見することである。
隕石同士のブツカリあうなどして、こうした「命の元」が地球上に撒き散らされた可能性がある。
しかし、ドンナに高性能な望遠鏡であても、光を発しておらずしかも熱が高くて電波も届かない宇宙誕生後38万年あたりに「分厚い壁」があるという。
そこで探求の矛先を「宇宙」とは真反対の「極小」の世界に向けると、ここでは「電波顕微鏡」なるものがチカラを発揮する。
電波で「何かを見る」というのは、対象物に電波をブツケて跳ね返ったものを「イメージ化」するのであるが、ソノ解像度はブツケタ電波の「波長」できまるという。
そこで光学顕微鏡の可視光線の波長では気づかずに回り込んでしまうものでも、電子の波ならば気づいてくれるワケである。

ところで暗黒物質は、宇宙全体の原子の約5倍もあり、その重力なくして太陽系は天の川銀河にとどまれないほどの存在なのだという。
さらにもし暗黒物質が存在しなかったしたら、ソモソモ太陽系自体が存在せず、従って人間もも存在しえなかったはずのものである。
星が光るしくみは、星が生まれてくる経過を調べるとわかる。
星(恒星)は、宇宙にタダヨウ濃いガス雲から生まれるが、このガスはおもに水素からできていて、たくさんの水素ガスをドンドン取り込んで重くなる。
すると、中心の温度が高くなり、水素がヘリウムに変わるはたらきで熱核融合反応が始まり、星が光りだす。
コンピューター上の宇宙で、暗黒物質が溜まっているところに、さしあたり15光年くらいの大きさにまで絞ってみると、ソノ重力に引かれてたくさんの原子が集まってくるのがわかる。
集まった原子たちは衝突してお互いに反応して、光を出してエネルギーを失いながらドンドン固まっていく。
そのプロセスを最後の原子一個まで追って行くと、最後は「星」になって燦燦と輝き始めたという。
この「シュミレーション」はナゼカ金融業界に注目され、ウールストリート・ジャーナルの記事となった。
初期の宇宙はドコをとっても均一なノッペラボーであった。
しかし暗黒物質がお互いの重力であちこちに集まるようになり、徐々に濃淡ができていく。
そのコントラストが強くになるに従って「構造」が固まっていく。
それが銀河系となり、我々が住む太陽系となったのである。
新しい宇宙観の下で今、未知なる「ダーク・マーター」(暗黒物質)が、ナゾのように人間存在に立ちはだかっている。