危険なダム

アラブ世界において、民衆の動きはダムの「決壊」を思わせるものがある。 長年「貯め」こまれていたものが一気に力を得て流れ出した感じである。
ところでこの日本にも「危険」なダムがいくつもある。
国は昨年末、深刻な漁業被害をうけ諫早湾を締め切った潮受け堤防の開門調査を命じる高裁判決を受け入れた。
堤防とはいっても、川と海のつながりをを断つ巨大な「河口ダム」とみることもできる。なぜこんなダム(堤防)をつくったかというと、諫早湾開拓にともなう農業用水の確保のためだ。
農民達を中心に、開門調査に対して塩害の被害がおきるとい理由で激しい反対が起きているが、調査中に「劇的な」環境改善が進むと、二度と堤防(ギロチン)を閉めることができなくなるという「恐れ」の裏返しもあるのかもしれない。
というのも、熊本県球磨川の荒瀬ダムで、水門を全開して10ヶ月もすると、巨大な「水たまり」が消えて流れが戻ったことで、川が注ぐ八代海にまで目覚しい環境の変化が現れ始めたという。
ダムで遮断されていた砂が供給され、砂地を好む生物も戻ってきた。また大雨後に発生していた「赤潮」も起きなくなったという。
今回当選した愛知県知事・名古屋市長の二人は、著しい環境劣化と漁業衰退を招いた長良川河口堰の開門を公約している。
鵜飼で有名な長柄川の河口堰の閉門については、全国的な反対を押し切って建設された経緯もあり、ここでもまた激しいもモメゴトがおきそうである。

ところで本当に恐ろしい「危険なダム」は、川を堰きとめるダム以外にもいくつかある。
それは情報をせき止めるダムであったり、オカネを堰きとめるダムであったり、人の流れをとめるダムであったりする。
国家がいわばダムの役割を果たしたとみてもいいが、今世界で起きていることは、「貯め」こんだ不満や怒りが、激流のように流れ出しダムの決壊を引き起こしているということだ。
アラブ世界で今起きている民衆の蜂起も、人々の民主化のウネリが国家のダム決壊を起こし、次々とあふれ出している感じがする。
そしてそのウネリは中国にまで波及する勢いである。
つまり、国家がもはや根本的機能を失いつつあることを象徴するような出来事が連鎖的に起きているということである。
つまり「情報化の進展」は、民衆の不満の「貯まり」を「点」に留めおかず、点と点の繋がりを生み面と成り「激流」のような力であふれ出そうとしていることだ。

さて、今一番気になる日本の「ダム」とは何かというと、諫早湾でも長良川でもなく「国債残高」のダムである。
この「ダム」は国民の国民の恐れや不満をトジコメながら何とか保たれているので、かなりデリケートで危険なダムといえる。
日本の国と地方の借金の長期短期合わせた額は1100兆円で世界最大で、借金がGDPの2倍を超える例は主要国では戦争時以外にあったことがない。
欧米の国々が歳出カットを中心にその比率を下げて行ったのに比べると、これから少子高齢化が一段と進む日本が、戦時下でもないのにこれだけの借金を抱えてしまっている事実には、さすがに不安を覚えざるをえない。
ところが日本の貯蓄残高は圧倒的に世界一、国債の95パーセントは日本人が買っているため、先日のギリシアでおきたように、ギリシアの財政不安から外国人が国債の「投売り」をするようなことはホボ起きないという楽観論もある。
何より国債の入札に対してその2倍までの申し入れがあるし、国債への「不安」へのバロメーターの「長期金利」が安定しているから、市場は国債がいまだ安全資産であるという「シグナル」を出し続けているということになる。
何しろ、最近アメリカの国債格付機関が「日本国債」の評価をワンランク下げ、日本国債は中国やサウジアラビアなどのそれと同じレベルの4番手に転落した。
それにもかかわらず、国債の価格(金利)の変動幅はそれほど大きく出ず、比較的に落ち着いていたという。
これまでの日本国債の安定感は一体何なのだろう。
日本国債が世界一の高い残高で、しかも圧倒的に高い「対GDP債務比」にもかかわらず、また格付機関が評価をワンランク落としても、国債価格が低落しない(金利が上がらない)のは、政府と圧倒的に高い保有比率が高い機関投資家との間に「支え 支えあう」運命共同体的な意識があるからである。
ギリシャの場合国債の外国人保有比率が70%近くと極めて高いため、格付けを下げられてしまうと、外国人投資家に国債を買って貰うために利回りを上げなければならず、財政がたちまち深刻化してしまった。
日本の機関投資家とは、金融機関と保険会社のことであるが、日本の国債残高のうち、44.4%にあたる323兆円分を「ゆうちょ銀行」を含む国内の銀行が保有している。
さらに国内生損保を合わせると、実に保有比率が65%におよぶのである。
そして、日本国債が今ナオ安全と思われていることの理由は、政府と機関投資家の「一蓮托生的」なキズナといっていいかもしれない。
そのキズナを土台に日本国債は今ナオ安全資産だからこそスムーズに消化され、ダム内に「貯め」こまれている。
つまりダム内の「水位」がますます上がっているというこどた。

ところで財務省(旧大蔵省)といえば、主計局や主税局を思い浮かべる。
財務省のトップの事務次官は、女優の司葉子旦那の相沢英之氏を含めほとんどが、予算配分に大きな力をもつ「主計局」から輩出してきた。
(ちなみに主税局長から事務次官になったのが池田勇人であり、例外的に銀行局から事務次官になった人もいる)。
ところで最近の朝日新聞によると、財務省の中でも「理財局」というのが比重を増しているらしい。
しかし「理財局」という名前を今までほとんど聞いたことがなかった。
「理財」とは、「財産を有利に運用する」という意味であり、理財局の業務の基本は、国家の活動に欠くことのできない、資産と負債を両方含んだ意味での「国家財産のマネジメント」と言える。
国庫、国債、財政投融資、国有財産、そしてたばこ・塩などに関連する多岐にわたる業務に従事している。
理財局の業務内容を見れば、国の歳入の半分が税金で、もう半分が国債発行による「借り入れ」だから、その働きがウエイトを増すのは当然といえるかもしれない。
現在、「理財局」の国債業務については50数名の担当職員でやっているらしい。
そのうち「理財局」からの事務次官誕生も有りうるかもしれない。
実は「理財局」という局名を知ったのは、高橋洋一という元財務官僚が「さらば財務省」という本を書き「山本七平賞」を受賞したのであるが、氏が「理財局」出身であったからである。
この本の副題は「官僚すべてを敵にした男の告白」とあり、内容は財務官僚が国家財政と年金全体の整合性をさえつかんでおらず、資産・負債の総合管理すらなく、著者がたった一人でシステム構築に奮闘したという暴露モノだそうだ。
一番高橋氏がいいたいことは、財務官僚は文系出身がほとんどで数学が全くできないということみたいです。
高橋氏は、竹中平蔵経済担当大臣の下で、東大理学部(数学科)出身の特性を生かして財政、年金数理、金融工学などを中心として手腕を発揮した異色の官僚である。
ところで今、財務省理財局が脚光を浴びるもうひとつの理由は、日本政府の中でも「マーケット」に直接向かい合う仕事だからであり、どこの局よりも「ナマ経済」に敏感でなければできない業務となったからである。
かつて、「大蔵省資金運用部」というところを通じて特殊法人等は郵便貯金や年金積立金からキャッシュ・ボックスから引き出すように「資金調達」が出来た。
しかし特殊法人は「市場の評価」を受けることもなく経営が不透明であること、またそれの肥大化を招くといった批判もあり、2001年4月に「大蔵省資金運用部」が廃止となった。
よって、それ以降は独自に資金調達をする必要が生じたため、現在は債券の発行を行い、資金調達を行っている。
いわゆる財投債の発行であるが、この財投債の発行こそが一番主要な「マーケットと向かい合う」仕事である。
ところで、「財投債」は国債の一種で、「表面的」には通常の国債と全く同じである。
ただし、「建設国債」「赤字国債」は主に税収から償還・利払いがなされるのに対し、「財投債」は特殊法人等になされた融資資金の「回収」によって賄われている点で異なる。
つまり「財投債」の融資を受けた特殊法人は「利益」を出さなければならないわけだ。
具体的にいうと、財投債は、住宅金融支援機構、日本高速道路保有・債務返済機構、日本政策投資銀行、日本政策金融公庫などの特殊法人等が、発行する公募債券のことで、政府による元本や利払いの保証がないため、「市場の評価」にサラサレルことになる。
その結果、特殊法人とえいども業績が悪ければ思うように資金調達ができないために、経営の透明化、効率化をはからなければならない。
つまり、特殊法人等は「財投機関債」の発行に向けた最大限の努力を行うといういう効果が期待できるわけである。
長期計画で社会資本の整備を進めるなら、国債を発行して事業を行う方が公正である。
というのは、ダムや道路のような社会資本は、一度建設されれば数十年にわたって社会に良い影響を与え続ける為、その恩恵は工事開始時点の納税者以外にもハルカに長くに及ぶ事になる。
それにもかかわらず建設費の重い負担を、工事開始時点や工事中の納税者にだけ押しつけるのであれば、ソレコそ不公正だと考えられる。
だから、課税で一気に工事費用を徴収するよりも、国債を発行してその償還までの長い期間、様々な世代で負担を分かち合った方が良い。
つまり「世代間の公平な負担」という観点からみて税金よりも国債(財投債)で調達することが望ましい。
しかし現在のように国債の残高が積み重なっていけば、その利払いは税金として大きくのしかかていき、比較的裕福な人が買った国債の利払いを貧しい人も含む全体から「税金」で取るという「不公正」がおきていく。
また使いすぎた「前世代」の負担(借金)を、どうして「現世代」が負担しなければならないか、という「世代間」の不満も増していこう。
国債残高が蓄積して機関投資家の「運命共同体的」ダムで何とか「暴落」から守って行けば行くほど、そういう意味での不満の「ダム」の水位が増して行っているということも忘れてはならない。
ちなみに、財投債の償還は道路(高速料金)や住宅(家賃)などの「収益」によってなされるタテマエなので、上記のような「不満」の蓄積は緩和されるかもしれないが、政府公表の数値には財投債は一般政府の債務には分類されない。
つまり「国及び地方の長期債務残高」に「財投債」の数値は「含まれない」ということを断っておこう。

先週の朝日新聞に「意外な話」がのっていた。
サウジアラビアの首都リアド近くの砂漠で国債を売り歩く財務省・理財局の男達のことが紹介されていた。
これは、つまり国債残高ダムの一部「開門」をしようとする動きである。
日本の場合は外国人の比率が低く、格付けに左右されにくい日本の機関投資家(金融機関・保険会社)が国債の三分の二を持っているので、少々の動揺がおきても「長期金利」が跳ね上がらないという仕組みになっている。
しかし、こういう「強み」は情勢の変化によっては、「弱み」に転じるのかもいれない、と思った。
格付け機関の「ランクの引き下げ」に市場があまり反応しないことも、別の意味でやはり「危険」なことのように思える。
砂漠にいた理財局の職員達は、「国債が一斉に売られる」という危険を排除しようということなのだろう。
1990年代のバブル期に土地を買っていた銀行が、今や不動産の代わりに日本国債を買っている構図と思えばよい。
実はバブルの崩壊の経過をみれば、日本の金融機関は「何か」があると(土地や株への)同じ反応をする傾向が著しく強いことを忘れてはならない。
理財局からすれば機関投資家は大事な顧客であるわけだが、国債保有が「金融機関に集中」しているのを「安心」と考えるよりも、むしろ「危険」とさえ考えて顧客(保有先)の多様化を図っているということだろう。
ところで民主党は発足当初、予算の組み換えや仕分けによって財源を捻出するので、国債の発行はしなというようなことを いっていたが、結局40兆円つまり税金と同じ額程度の国債を発行せんとする予算を実現せんと悪戦苦戦している。
不況の長期化により、税収が思うように集まらないということもあるが、それにしても「国債の発行」はとどまることをしらない。
民主党による「税と社会保障」の一体改革の実現(少なくとも道スジをつけること)に対して、いまだにほとんど見通しがヒラケない状況である。
となると、不安と不満をダムに押し込めて、また国債残高の水位が上昇していく可能性がある。
実は、日本のと機関投資家や財務省は米国の国債も買っている。
日本は中国経済の活況による「外需」によってささえられてるが、アジアの活況はアメリカ市場への輸出に支えられている面が強く、究極的にはアメリカ経済が、日本やその他の経済を引っ張っているといえる。
以上は物資の流れつまり貿易面からみたものであるが、資金の流れからすれば、アメリカの貯蓄不足と財政赤字は、海外からの資金流入(借り入れや証券投資)でまかなわれているわけだ。
特にヨーロッパや日本から年間200兆円も流れているそうだ。
世界経済の構図をまとめると、日欧からの資金でアメリカ経済が支えられ、アメリカ経済の活況によって日本経済の回復も支えられるという構図になる。
そして日本国債は、米国債の「値動き」に連動するために、インフレや国債価格の下落が顕著になった時、「売りの連鎖」が起きないという保証はないともいわれている。
先進国の長期金利が上昇傾向を見せている。
債券市場で国債を売却する動きが強まったということは、投資家が積極的なリスクをとる行動をとり始めたという意味では景気回復のキザシが見え始めたということだ。
では今の日本で「長期金利」(10年もの国債の金利で代表される)が上がるとは、むしろ「財政健全化」のオクレに対する市場の警鐘の意味合いの方がはるかに大きい。
変な言い方だが、企業に資金ニーズがない上に、少子高齢化社会のもと、国内に成長が期待できる有望な投資先がないとうことから、これほど低金利でも国債が消化されているのである。
デフレと景気低迷が長引く中で、運用先に悩む銀行や保険会社は「国債の買い増し」を続けてきた。
しかし、もし景気が上向けば政府は税収がふえ、国債をこれ以上発行する必要もないし、国債の償還をどんどん進めることができる、と考えるのは少し違うのカモしれない。
確かに、よぽど長期の景気回復がおきれは上記のようなことは可能かもしれないが、少々の景気回復ぐらいでは新規投資サキが見つかり、国債離れがすすみ国債価格は値下がりし、機関投資家は保有する国債の「減価」で大損することになる。
機関投資家が国債を保有するのが損というのならば、少々値段は下がっても「売れ」ばいいではないか、というかもしれない。
しかし、機関投資家がこれほど大量の国債を「一斉に」売りに転じれば、国債価格の暴落(長期金利上昇)となり、日本経済は完全に麻痺してしまう。
つまり日本経済の「ダム決壊」が起きるわけだ。
となると、今のところ「ダムの決壊」をカロウジテ免れてさせているものは、皮肉なことにデフレ(不況)ソノモノということになる。