「共的領域」の拡大

世界の先進国がいずれも符節を合したように「財政危機」に見舞われている。社会保障費の増大や公共事業の拡大の上に、重なった「何か」による。
その「何か」とは、「金融危機」を「財政危機」に転換したものである。
サブプライムローン危機からからリーマンショク、ソブリン危機と続く金融市場の混乱を、政府が「公的資金」でもって金融機関を救おうとしたためである。
そして、「ユーロ危機」というもっと大掛かりな「金融危機」をマネク結果になったのである。
今の財政危機から立ち直るためには、飛躍的な成長がほとんど望めない以上、歳出削減か増税による歳入増しかない。
「増税」はサービス拡大の為ではなく「借金返済」の為にすぎず、ギリシア暴動やウォール街占拠にみられるとうり、極端な貧富の差を許容または放置して、国民生活に直接ヒビク増税や歳出削減は受け入れがたいものであろう。
いずれにせよ、政府の果たす「公的領域」は相当縮小に向かわざるをえない。
では「公的領域」に頼らず、どれだけの人々が「私的領域」ダケで踏ん張れるか、特に社会的な弱者が振り落とされてしまう心配が大きい。
しかし、誰しもが「社会的弱者」に陥る可能性があり、その存在または可能性を抱えて生きている以上は、「私的領域」のタヨリナサを、「共的領域」の拡大でカバーしていく動きが出ていくハズである。
簡単にいうと、人々の間で様々な生活部面で「助け合おう」マインドが広がるということだ。
今、一台の自動車を何人かのシェアしようという「カー・シャアリング」の動きもソウシタ動きの一つである。
アメリカでは今から30年前にもシェア・ハウスなんてアタリマエに行われていて、自分もその「恩恵」にあずかって1年間を過ごした経験がある。
またアメリカでは、使い古しのものを持ち寄ったりする「フリ-マ-ケット」がいたる所で行われていて、低所得者には非常に有難いものである。
こうした「フリーマーケット」で、本棚を買って背中にかついで4キロの道のり持ち帰ったこともあった。
また、サンフランシスコの街では、坂の上のお金持ちが庭に売るために中古品や骨董品を並べて置いている「ガレージセール」もよくお目にかかった。
世間体を気にしたり、アニミズム的意識のセイか人の使ったモノは使いたがらない日本社会では、こういうフリ-マ-ケットはあまり育たないのかと思っていたが、近年日本の都心でもフリ-マ-ケットなどを見かけるようになった。
ところで「共的領域」へ拡大が意味することは、誰かエライさんが「設計」したのでも「推進」したのでもない、自然に起こった人々の「連帯」への動きを示している。
「地方の時代」と謳われた1970年代、政治の世界には「住民参加」という言葉が盛んに使われた時代があった。
しかしソレは「行政」が敷いたレールの上に住民が「乗っかって」走るということだ。
「住民参加」については、タウン・ミーテイングや原発の説明会における「ヤラセ」問題でわかるとうり、その欺瞞性が「一気」にフキだした感じがする。
アレをみると「民主主義」とは、官僚が用意した施策を、あたかも国民が自ら「選択」したものと思わせる仕組みなのか、と思いたくなる。
そして誰かがシイタのではない、「道なき」ところに自発的・自律的に住民自らが道をつくる動きこそが、「共的領域」の拡大の意味するところである。
原発を誘致すれば交付金がでて「誘致」しようという中央から地方にひかれたヨウナ道は「はじめに道ありき」の話であり、「公的領域」に属する。
それにしても、東京電力が自らの電力供給「管轄外」の福島や新潟に原子力発電所を設置しているのは「違和感」を禁じえない。
地域をマルデ植民地かなんかのように思っている「中央主義」が根強くあるようにも思える。
10月4日の朝日夕刊に作家の池澤夏樹さんの次のような論評が掲載されていた。
「子犬が室内で粗相をしたら、その場へ連れて行って、鼻面を押し付け、自分が出したものの臭いを嗅がせて頭を叩く。お仕置きをして、それはしてはいけないことだと教える。
そういやって躾けないかぎり室内で犬を飼うことはできない。我々は、この国の電力業界と経済産業省、ならびに少なからぬ数の政界人から成る原発グループの首根っこを捕まえてフクシマに連れて行き、壊れた原子炉に鼻面を押し付けて頭を叩かねばならない」
と書いている。
ところで、日本はこれまで「無縁社会」といわれてきたが、逆に言い方をすれば「個」でもナントカ生きていける「利便性」が備わった社会であったともいえる。
もし「個」に不足があれば、ソレが求める要求に対して、「公」が比較的に応える余裕があったからだったともいえる。
しかし最近、地方における「物流」の停滞などに典型的に見るとうり、そうした「利便性」はカナリ失われつつある。
多くの地方都市や農村部では徒歩圏内の小規模商店が次々に廃業し、車がなければ利用不可能な郊外型の大規模ショッピングセンターがハバをきかすようになった。
その結果、高齢者を中心とした「買物難民」が大量に発生したのである。
このたびの東北の地震災害における道路寸断の結果「日用品」の入手が困難になったことも、ソノコトと無関係ではないだろう。
人々は今、「国の政策」によって、地方の盛衰が著しく左右されるというのではなく、ソレホド豊かではなくても、安定した小都市やコミュニティのあり方を求めるようになったのではないだろうか。
今、国の戦略として「参加/不参加」決定のタイムリミットが迫っているTPPであるが、TPP参加によって失われる雇用は、「長期」に生み出される雇用によってカバーされるという言い方がされる。
しかし、一端失われたものが、例えば「農地」であった場合には、ソレを再生させるには多大な時間と労力を要するのである。
韓国はFTAに引きずられて唐辛子とニンニク以外の農産物関税を撤廃ししたが、その結果、中山間地域にほとんど人が住まなくなってしまったという。
経済の繁栄が、別の産業(地域)を犠牲(衰退)にして全体(国家)として豊かになるというのではなく、人々が望んでいるのは、むしろ地域の「永続的な安定」ではなかろうか。
モウ「国策」によって翻弄されるのはゴメンだという気持ちが芽生えているのではないだろうか。
それで思い浮かぶのが北海道夕張市である。
炭鉱がスタレ、農家の努力によって「夕張メロン」に活路を見出すも、今度はリゾート法制定に基ずくブームに「乗っかり」地域の活性化をはかったが失敗し、ついに2006年「財政再建団体」となってしまった。
さらに「ヤミ起債」や「粉飾まがい」の決算が発覚し、国から夕張市に対してほとんどの行政サービスをやめるよう方針がだされた。
小学校や保育園もほとんど閉鎖すると通告された。除雪をしなくなり、雪の日は学校に通えなくなる。
選挙でソンナ市長を選んだ市民にも責任もあるが、義務教育を受ける権利を受けることができなければ、市民はそこから出て行かざるをえない。
こういう自治体はホカにも結構あって、その中で大震災であったから、人々の意識は大きく「共的領域」へと向かい始めたのではないか。

日本の選挙民が民主党のマニフェストに期待をよせたのも、人々の「生活」に即した部分、子供手当てと授業料無償とか高速道路無料化などの「社会民主的」な政策であったのだろう。
しかしながら、あいかわらず企業が儲けた金を内部留保に回したり、日本の財務省からして格付けの低下した米国債を大量に買ったりして、政策として「生活」というものを「公的」に保護するような政策は雀の涙ほどしか表れてはこなかった。
沖縄の基地の問題にしろ従来の「日米同盟」の枠から離れて、日本が独自にアジア的秩序を構築する中で、「自己決定権」をもつということを考えていたのだろう。
しかし、こういう基地の存在やその働きというのは、もっと大きな世界ビジョンとリンクされていなければ、またソレを説得力をもって語れる「リーダー」なくしてはできないということを教えてくれた。
しかも自前の軍事力にヨリカカルことなくソレ打ち出すということは、現状のルーレットのように変わる日本の政治家にはホトンド無理な話であったことが、むしろ判明したということである。
国も地方も「公」つまり税金を集めてそこから官僚を中心とした企画立案によって「画一的」に提供するサービスのカタチでは、「個」の要求に応えることにはモハヤ「限界」にきツキアタリつつあるということである。
単なる「ばら撒き」では、カユイところイタイところに手が届かず、生きていく為にはヨコの連帯をさぐる他はないということである。

経済学的には「国家対市場」という関係が長くテーマにされてきたきた感じがある。
それが「大きな政府」対「小さな政府」論であり、「新自由主義」対「社会民主主義」であり、さらにはケインズ対マネタリズムという議論だったわけである。
市場は、国(公)との関係ではなく「共」つまりコミュニテイとの関係でその可能性と限界を考察すべきである。
「私的領域」も「公的領域」も「経済人」を想定してその活動を描写してきた。
ノーベル章をとったJMブキャナンの「公共選択」の理論は、マサニ「公」すなわち人間の政治的選択を「経済学的」ツールで解明しようとしたもので、「公共経済学」という分野を切り開いた。
しかしながら、「利他的活動」を多く基盤とする「共」領域はある意味で「資本主義的」ではない。
だからナカナカ経済学の対象とはならなかった領域なのである。
ただ「営利」を目的としないNPOの活動は、「共的領域」の拡大を意味している。
ボランティア活動をその主体としながら、市場(私)と連携しながら行われている活動というものもある。
近年、横浜の日雇い労働者の町で「300円」でオイシイ定食をだしている食堂を紹介している番組をみた。
コンビニエンスの店では、賞味期限切れ3時間までにオニギリなどを回収廃棄することになるらしいのだが、かろうじて「賞味期限内」という約束のもとでそうした食材をその町の食堂に「無料」で届けるわけである。
こういう食材を「届ける」役割を果たしているNPO法人によるボランティアである。
印象的だったのは、その食堂の料理長を街の人々が「シェフ」と尊敬をもってよんでいることだ。
実際「シェフ」はもともと一流ホテルの料理人をめざす専門学校で学んだが、周りとの競争に違和感をおぼえたという。
「シェフ」はこの食堂で、高級ホテルの実際に残った食材を届けてもらい調理もしているので、値段の割りにトンデモナイ高級食材にアリツクこともできる。
「シェフ」は厨房にいるので客と話すことはないが、一人一人の客のことをよく知っており、老齢の人には細かく切って料理を出すなど出来うる限りの気持ちを料理の中にコメル。
300円という「制約」のもとで、アクマデモ最高の料理をメザスのだという。
そこには、残った食材や賞味期限ギリギリの食材を提供してくれるホテルやコンビニとの「共同」があり、それを運搬するというボランティア活動の人々の好意があり、そして何よりも「地位」や「名誉」や「金銭」とは離れたところで働きたいという「シェフ」の生き方があった。
もちろん、300円の安値でこの食堂の営業が続けうるかという「経済的」インセンティブも働いているわけだから、ボランティアの活動とか食材の無償提供などの「共的領域」と市場という「私的領域」が連携されながら運営がなされているということがいえよう。
こういう「共的領域」は、それに参加する人々にある種の「明日は我が身か」といった「運命共同体」的な意識が芽生えている度合い大きいほど、スミヤカナな活動がなされうるということである。
そうでもなければ、見ず知らずの「アカの他人」の間で、気持ちの繋がりが生まれようハズがないからである。
問題意識や危機意識こそが人々を「地域を超えて」結びつけて広がり「共的領域」を広げる。
例えば、地域を超えて犯罪被害者(拉致被害者)や不登校児をもつ親なりフリ-タ-全般労働組合がネットにより結びつき支え合うばかりではなく、政治的な提言を行い、「政治力」ともなっいく。
様々な課題意識や危機感は人々は結びつけつつ、そこから市場を媒介としない「連帯」に基ずく「共的領域」を育てているのだ。
ところで「ボランティア」は、1647年にイギリスで自警団の意味で使われたのがはじめである。
その後軍隊の「志願兵」の意味で使われるようになった。
1937年のスペイン内乱のときにア-ネスト・ヘミングウェイをはじめとする多くの文化人がボランティアとして武器をとったのは有名である。
セツルメントでの福祉活動にボランティアという言葉が使われるようになったのも、社会的正義を実現するための「志願兵」の意味が含まれていたからだ。
一方でムラ社会にみるように、日本のは伝統的にヨコに連帯する智恵に溢れていた。
ユイやモヤイなどの労働交換、講などの共同組織、青年団、自警団、寺小屋などにも、そうしたアラワレである。
そうして注目すべきことは、通貨の形態にも「新種」が登場しており、こうした「通貨」の広がりは、「共」領域の拡大に一役買う可能性があるのではないかと思う。
江戸時代には、藩内だけで通用する「藩札」というのがあったが、それが中央集権が確立されるにつれて円に切り替えられていったが、最近では様々な形で貨幣の「代替物」が登場している。
例えば「企業通貨」とよばれるもので、SUICAは日本国内でそれをもっていれば、JRや私鉄にのることができ、コンビニでも使えるようになっている。
地産地消推進用の「地域通貨」が登場しても面白いかもしれない。

ところで、日本人は様々な差別意識もあり、社会的弱者を充分抱え込むほどの「共的領域」を創りうるのか、それができはしないからこそ「公」によって「社会権的基本権」を求める方向をつくったのではないかということもあろう。
たしかにソコに「公」の存在する意義がある。
しかし財政難や官僚的ユガミの為に「公」にそれほどの機能を期待できないことも事実である。
ところで今、我々は「大きい政府」とか「小さい政府」とかという問題以前に、なぜ「政府」が出来たのかたのかという問題に溯ろう。
それに対する最も有力な説は、「社会契約説」である。
それによると政府ができる以前の状態の「自然状態」では、人々は争いバカリしているとか、そこまではいかなくともフアンテイを抱えている状態にある。
こういう状態から離脱して、各個人はそれぞれと「契約」を結んできまったルールのもとで運営される政府をつくり、財産や生命や自由の一部をそれに「信託」し、それに服することにしたのである。(Jロック)
だから誰かから傷つけられても、自ら報復することは許されない。
したがって、個人の生命や財産や自由を保護しない政府は、倒してかまわないという権利(抵抗権)もある。
この考えを背景として、ピューリタン革命やフランス革命などの「市民革命」が起こったのであるが、 今、日本人は、自国の政府に対してどんな気持ち抱いているだろうか。
政府が震災などの場合に充分機能しない以上、我々は「部分的」に政府成立状態から「自然状態」に戻りつつあるのだ。
しかしその自然状態に近づいた日本人は世界の人々が賞賛するほど整然として落ち着いた国民であったことが判明した。
そして西洋で生まれた「社会契約説」はあくまでも「個人」を単位とした生命・自由・財産の保護であり、ソノ個人が「契約」を結ぶというように、「私」(個人)から「公」(政府)へと飛躍するが、日本人にとっての「自然状態」つまり政府が存立する以前の状態を考えるのならば、「個人」の集合ではなくオニギリを分け合って生きる「共同体」なのである。
だから日本人が国家や政府を信用せず、税金も保険料もおさめず「兜町」を占拠するほどの「抵抗」をするのだとしたら、行き着く自然状態とは「共的領域」の広がりの外はない、と思えるのである。