仕掛ける人々

日本人の震災後の秩序だった態度が海外で賞賛されている。
昨今の日本人の風潮として、自分さえよければの「利己主義」や、今さえよければの「刹那主義」、が蔓延していたのがウソみたいだ。
日本人は基本的に農耕民族で仲良く「育てる」文化、あるいは育つを「待つ」を大事とする国民性なのである。
大震災という「試練」を前に、そうした「利己刹那」傾向が影を潜め、少しでも苦難の中にある人の手助けになりたいという気持ちのフクラミを知ることになった。
また災難ならば、忍耐しつつ通り過ぎるのを持つ日本人の「伝統的」な資質も、見える感じがする。
「官」(*注1)はダメだが「民」は素晴らしいと思った。(*注1菅ではありません)
しかし災害の終息に数年かかる耐乏生活にも、いつか「限界」があることも確かであろう。
しかし、日本人の辛抱強さは外国人から言われてみて気付くことで、海外が日本人のそうした態度をそれほど「評価」してくれること自体が、むしろ「想定外」であった。
日本人が「共に育てる」文化に対して、狩猟民族である欧米は我先に「仕掛ける」文化といえないだろうか。
「私待つわ」、ではなく、「私仕掛けるわ」、なのだ。
欧米は基本的にはゲルマン民族の血がながれている。ゲルマン民族はもともとは極寒の北ヨーロッパにいた民族で、4世紀に突然南下し先住のケルト民族等を滅ぼして国をつくっていった。
彼らが「文化」をまとったのは、キリスト教を受け入れたということが大きいと思う。
その中でも今も勢いがあるのはフランク族とアングロサクソン族の系統であろう。
現在、フランク族はフランス、イタリア、スペイン、ポルトガルなどにいて、言語はラテン語が祖語で宗教はカトリックが多く、一方のアングロサクソン族は、アメリカ、イギリス、ドイツなどに多く、言語はゲルマン語派で、宗教はプロテスタントが多い。
しかしもうひとつ、今のイギリスのウイリアム王子のルーツを探る時にゲルマン一派の「ノルマン人」の侵入をハズスことはできない。
フランスのノルマンジー地方にいた人々がイギリスに侵入を「仕掛け」、そこにいたアングロサクソン系の王に代わってこの地方を支配するようになった。
この新しい王がノルマンジー公であり、即位してウイリアム王となる。
ウイリアム王はフランス王の臣下だから、イギリスはこの時にフランスの領土となった。
しかし、ウイリアム王の領土はフランス王のそれよりも広大で、この状態が300年以上続いた。
ところが、英仏戦争によって、イギリスはフランスにあった領土をすべて失い、現在のように元の島国になったわけである。
まとめていうと、イギリスはフランス語を話すフランス人の王が支配し、国民はアングロサクソン人だったのだ。
英語は、このフランスから来た王族達が話したアングロ・ノルマン(フランス語の方言)と、土着のアングロサクソン語が合体して出来たものである。
こうしたイギリスと、そこから未知の大陸に出たアメリカの歴史から見ても、日本人のように「自然の力」に依存し時が熟すのを待つような農耕民族とは対照的であることがわかる。
絶えず仕掛け、打って出る人々である。
「仲良く育てる」よりも、我先に「一獲」を狙って勝負する狩猟民族なのだ。
そういう民族的「本性」は、最近の経済事象の中にモロに現われているし、その一番の表れが「ハゲタカ」である。
アメリカの金融工学を駆使した「ハゲタカファンド」である。
ハゲタカファンドとは、投資家から集めた資金で、不良債権(破綻した会社や業績の悪い会社)を安く買い、再建して価値を高めた後、比較的短期間で売却して利益を得るというものである。
ハゲタカファンドは、破綻企業の一部または全体が再建可能と見た企業に資金を投入し、会社の経営権を握り、企業を再生させるもので、よくいえば「企業再生ファンド」である。
しかし、ハゲタカがハゲタカたる所以は、ある程度健全な会社でも、狙いを定めれば企業イメージのダウンや株価の操作で徹底的に弱らせ値を下げさせた後、買い取るなどといった「奸計」を「仕掛ける」ところである。
ある意味で日本のバブル経済は、プラザ合意で意図的に円高誘導してバブルを作り出し、金利を下げたママのアメリカのいわれるまま「総量規制」でバブルをハジケさせたのだから、アメリカという国単位のハゲタカに「仕掛けられた」とみることもできるかもしれない。
あの当時、日本の不動産会社がアメリカの魂である「ロックフェラーセンター」を買い取ったなど騒いでいたが、買い戻されて結局は元のサヤに収まっているのだ。
また1941年に、全ての情報を握って日本が攻撃してくるのを待っていた「真珠湾」の巧妙な「仕掛け」なども思いおこす。
お人好しの「農耕民族」では、こういう「仕掛け」には太刀打ちできないのだ。

ところで、政府の震災対策が遅々として進まないのも、民主党政権が相変わらず官僚依存で「政治主導」ではなかったことを端無くも示しているように思う。
なにしろ「国家大事」を考えたこともないような人々をたくさん議員に仕立てて政権を担おうとだのだから、土台「政治主導」になれずハズがない。
ところで政治家よりもヨホド優秀に思える「官僚まかせ」ではナゼいけないか、というと「国民不在」の政治となるからである。
それが日本の長年の「積弊」という認識はホボ定着している。
官僚が国民のことを考えて仕事をしつつも、ツイツイ己の「天下り先」の確保とか退職後の生活のユトリにも「目線」が行ってしまうというのなら、まだイイ。
官僚の目指すところその第一が「天下り先」の確保というものらしい。
その手口は巧妙化しているが、日本人が考える「仕掛け」とはせいぜいその程度のものだ。
しかし全体としてのその弊害は膨大な税金の無駄使いと、官民の癒着を生むネジレタ「所得移転」を引き起こしている。
退職金の所得税率が通常よりも低いのも実は、「天下り先」を渡り歩く官僚の老後の生活を少しでも「豊かに」するのが本当のネライであるという話もきく。
それでは「政治家まかせ」でいいのか、というと最近では別の意味で「国民不在」となっているような気がしてならない。
一言でいえば「対米追従」がとても目にツクようになったということである。
今回の福島原発などの処理についても、(追従が適当な言葉かはよくわからないが)低濃度の汚染水を海に流すなどは、「アメリカ側の要請」であったからだという。
特に小泉政権の頃より、日本経済はアメリカによって「金融支配」されていることが露骨に見えるようになった。
イギリスでは「2パーセント以下の利子」ならば暴動がおきるという話を聞くが、それどころか日本は「ゼロ金利政策」が続いてきた。
それは日本は米国の双子の赤字の4割を米国債で買い支えているということと関係がある。
日本の異常な低金利政策は不良債権の悩む企業の救済とか景気回復とか言うけれども、米国と日本の「金利差」3パーセント程度を維持して米国へ金が流れ易い仕組みをつくっているというのが、「本当」のところだ。
そこまで、米国による日本の「金融支配」が相当に進んでおり、これを果たして主権国家といえるのだろうか、という気もする。
そしてアメリカの金融機関が世界最大の「預金額350兆円」を誇る日本の郵便局の存在を、手をこまねいて見逃すハズもなかった。
日米両政府間で交わせられる文書として、日本に「これこれの制度改革をせよ」と正式に圧力をかける外交文書というものが存在する。
2005年7月に衆議院を通過した「郵政民営化法案」はこの外交文書にそって作られたものである。
それは、日本の金融機関のみならず外資系の金融機関も、新しくできる郵貯銀行を完全に「子会社化」するのを可能にするものであった。
、 ちなみにアメリカの郵便事業は、なんと今でも米国郵便庁が運営する国営事業である。
郵便事業は国民の通信事業であるから、「国防」にも関わる事業として、民間企業や外国資本による株式の多数支配は許されないような「法的規制」がかかっている。
東京電力もそうだが「特殊会社」というのは、政府が株式の3分の一ぐらいを保有する公的独占会社である。そのために政府の強い規制をうけるが、郵貯銀行や郵便保険(簡保)は、一般の商法が適用される会社となるために、会社そのものが売り買いされる対象になるということである。
ただし、膨大な資金源たる郵貯、簡保を支配しようとする日米の金融機関、選挙基盤である特定郵便局長の利権確保をはかる郵政議員、資金で国債購入にむかおうとする財務省、などなど様々な利害が錯綜して、最初の「民営化」イメージとは、(よくわかりませんが)随分と様相が違ってきているようである。

ところで、東北の大震災は日本経済の「裏面」にあるものを色々と全面に出して教えてくれたようにも思う。
私も含めて、「大地震→株安→日本売り→円安」という繋がりが脳裏に浮かんだが、「円安」に関していえば全く正反対の「円高」の方にブレている。
一般に荒廃から経済の復興の過程というのは、基本的に国内生産がママならず海外より物資を輸入するため「円安」になる傾向になるハズである。
だから震災がおこれば「円安」傾向になるというのは「長期トレンド」としては間違ってはいない。
しかしこれは、高校や大学で学ぶ「経済理論」の話であって、実際にマネーゲームをしている人々のほとんどは、そうした「長期トレンド」で勝負しているわけではない。
一瞬、一瞬が勝負の「狩猟系」の人々なのである。
また、阪神淡路大震災のあとで「円高」になっていたことを「学習」したということもある。
実は意外なことに、円が対ドルで当時の史上最高値を付けたのは阪神淡路大震災から約3カ月後の1995年4月28日の「79円75銭」であった。
そこでどういうことが起きたかというと、震災という出来事では、とりあえず資産を「流動化する」、端的にいえば手元に「現金」をおくという流れが起きる。
一般家計ならば、電気も水道も食料も従来のようなカタチでは入手できないなら、最終的にタヨリになるのは「現金」そのものである。
また企業においても、株や債権を保有している割合を減らし、現金化しようとする動きが起きても不思議ではない。
そこでは、海外の資産を売って円に換えて日本に送り返すという「リパトリエーション」の動きも生じる。
今回、震災後の「円高」においては、保険金の支払い要求に対して保険会社が海外資産を「流動化」したことが最大の原因であり、それを見越した投機の動きがさらに「円高」を加速させたということである。
阪神淡路大震災の時、震災後の「円の史上最高値」が人々の「記憶の残像」として強く残っており、投機を生んだことは間違いないであろう。
ちなみに、1990年代に日本の保険会社である協栄生命や千代田生命などの保険会社が相次いで潰れたが、保険会社は予約利率よりも運用利率が上回っていれば、「儲け」が出ることになっている。
ところが、アメリカが「仕掛けた」前述の「超低金利」によってそれほどの運用利率を稼ぐことはできなく、「経営難」に陥ったと考えられる。
さらに「長期トレンド」をいえば、震災対策の2011年度補正予算では「赤字国債」の発行に頼らざるをえないであろう。
ということは「財政の悪化懸念」は、円売り・円安にツナガルのはほぼ間違いのないところであろう。
また今度の大震災で明らかになったもうひとつのことは、「サプライチェーン」というものである。
それもグローバルに展開された「サプライ・チェーン」である。
「サプライチェーン」とは、完成品が製造されるまでに必要な部品や材料の製造・加工などの分業体制のこである。
自動車産業の場合、3万点以上の構成部品から1台の完成車が製造されるまでに大中小の自動車部品・材料メーカーが多層にわたる分業を行う。
中には、多数の高品質部品や世界最高の技術水準を持つ部品が含まれ、世界の自動車メーカーに供給される。
地震・津波・原発の複合的な被害により、数千社の自動車関係メーカーが被害を受け、サプライチェーンが破壊された。
自動車の部品は、トヨタのように名古屋を中心とした「企業城下町」から調達されるのかというイメージをいだいていたが、最近のIT自動車では、機械加工部品、電子制御部品や専用半導体、化学と材料分野の分野まで裾野の広さというものを思い知らされた。
その結果、日本全国で自動車生産が一時的にストップし、生産再開後も稼働率が上がらない状態である。
被害を受けた企業による復旧努力が続いているが、多数の中小部品メーカーを含めた生産の完全復旧へのめどは立たない。
自動車が生産できない分、人件費や機械リースなどの固定費負担に苦しむ中小部品メーカーが全国的に増大している。
海外生産への影響は、輸送中の在庫がなくなると、これから深刻化することになる。

大震災によって、この20年近く、日本にへばりついていた需要不足(デフレ・ギャップ)が、一夜にして供給不足(インフレ・ギャップ)に転じた。
3年前のリーマン・ショックでは、突然需要が蒸発して国内総生産(GDP)が大きく落ち込んだ。それだけ大規模な需要追加が必要であった。
これに対し、東日本大地震は、突然供給力が消滅して生産が出来なくなり、GDPが落ち込むことになる。
労働力や資本が津波で流されてしまっただけでなく、電力供給が大幅に減り、道路や鉄道網の寸断、放射能漏出もあって物流が滞り、資本や労働力が稼働できなくなったことも大きい。
1970年代の国難は「石油ショック」でいわゆる「油断」であったが、今回はもっと差し迫った「ライフライン」の危機ということである。
石油供給減による電力不足を心配し、夜のネオンは早い時間から自粛気味であったのをよく覚えている。
昨年、東京の丸の内に新しいビルができたというので行ってみると、日曜日の朝早くで人影もマバラであったにもかかわらず、冷房がガンガンかかっていた。寒いくらいでカイロが欲しくなるくらいであった。
その電力を原子力で起こしているのか、(三菱あたりが)自家発電をやっているのかは知らないが、丸の内ビル街のレストランでは夏に「オデン」がよく売れるのだという。
昨年の夏は、冷房使いすぎの「危うさ」を感じたのか、全国で伝統的な「涼の智恵」をよみがえらせる「浴衣で水うち」の運動が広がっていたのを思い起こす。
あれも「何か」の予兆だったか。
そして、どうしても思い出す約30年前、丸の内の地下街で年配のサラリーマンつまりオジンの群れが、ワイシャツをまくりあげネクタイを緩めながらNHKのテレビ番組「おしん」を見入っていた風景を。
あの「場面」から30年あまり、失ったものにも思い至るところである。
今後、「仕掛ける人々」には、「我慢」だけで対抗するというわけにはいくまい。