不都合でない真実

民主党政権の「仕分け」作業の中で、蓮舫議員が次世代スーパーコンピュータ開発の予算に関して「一番でないとダメなんでしょうか」という質問に対して批判が集まった。
しかし蓮舫議員は、ハカラズモ日本人のある「行き方」を語ったのかもしれない、と今思っている。
とりあえず二番手でいる方が経費削減にツナガルという点で、「仕分け」の趣旨にもそっているばかりか、一番になるにはそれが「近道」かもしれない。
ところで、小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトのリーダー川口淳一郎氏の言葉の中には、日本の科学技術につていの啓発的な言葉がいくつもある。
日本は、「先行例」がない分野で、自ら新しい道を開拓しようとはしないといし、「実践例」がなければ積極的にその技術を「売り込もう」としないというのがあった。
マラソンや競輪で風除けの為に、トップの後ろ側にくっついていく選手の絵を思い浮かべるが、後続の方が先をいくものの姿がよくみつけられるし、模索するより既存のレールを走った方がコストもかからず早く目標を達せられるということもある。
その点で、「はやぶさ」プロジェクトは世界に先駆けた日本では珍しい挑戦だったといえる。
何しろ、この広い宇宙のなかで芥子粒ほどの小惑星イトカワから物質を集めて、「地球創生」または「宇宙創生」の秘密をさぐろうというのだ。
仮に、地球外物質を採取できたとしても、地球に戻ってこれるかは、「発射台から地球の裏側のブラジルのサンパウロのてんとう虫に当てる」ぐらいの難しさなのだそうだ。
ところで、この「はやぶさ」の成功をより感動的にしたことは、幾度か「ダメか」という窮地においこまれつつも、「自動復元」したからである。
特に、「はやぶさ」からの電波が数ヵ月も届かずに、その行方は「絶望視」されたこともあった。
約30名ほどからなるスタッフは、「はやぶさ」から電波が届く限りにおいて、そのデータを解析したり、修正したりして、日々充実した仕事にあふれていた。
しかし、電波が届かなくなった途端に、何もすることもなくなり、管制室にブラリとやってくる程度だった。
そんな時、リーダーである川口氏の役割は、皆の気持ちを「繋ぐ」ということだった。
メンバーが立寄ったときに、管制室に熱いお茶が置いてあるとか、ゴミがチャント捨ててあるということが、このプロジェクトが依然「死んでいない」というメッセージだった。
川口氏は、「はやぶさ」からのデータが途絶したあとでもスタッフに、「もしもこういう場合にはどうする?」という形の宿題を出し続けたという。
それは宿題の内容そのものよりも、スタッフの「気持ち」を繋ぐコトが主な目的であったという。
しかし、川口氏「繋ぎ」とめるべき重大なものが、もうひとつあった。国の「予算」である。
データ途絶により、文科省のなかでも「予算打ち切り」の話がもちあがっていた。
しかし川口氏は次年度の予算を確保するために、つまりプロジェクトの「継続」をはかるために、通信が復活する可能性をバックアップ用のバッテリーの残存量などからはじき出して提出し、どうにか予算を確保できた。
アメリカのスペースシャトル・チャレンジャーで、低温でおきる装置の不具合が予測されたが、そのリスクが客観的な数値としてハジキ出せなかったために、そのリスクを見過ごされたのを思い起こす。
しかし、川口氏のリーダーシップの中で最も「注目すべき」ことは、「不都合な真実」を公開したことであった。
実は、イトカワの表面はとてもゴツゴツしていて、探査機が着地できる状況ではなかった。
そこでその担当でもないスタッフのアイデアで、シャトルから弾丸をはなち、そこからマキ上がる物質を採取するという方法がとられた。
そして「弾丸」が発射されたという「信号」が地球におくられ、管制室の「はやぶさ」スタッフはこの成功に、ワキにワイタ。
また「世界初の快挙」というニュースが世界にも伝えられた。
ところがわずかその一週間後に、プログラムミスがみつかり、「弾丸が発せられていなかった」可能性があること が判明した。
川口氏自身が「知らないほうがよかった」ともらした情報で、内部で隠しておけば当面は隠せるものであった。
しばらくは、口もきけないほど消沈していた川口氏であったが、その事実をあえて世界に公表した。
しかし川口氏は後に、この「不都合な真実」を公表したことが逆に「はやぶさ」プロジェクトの「信用性」を高めた 面もあったと証言している。
ところが、迷子になって数か月後に、突然「はやぶさ」の電波が管制室の画面に確認された。
そして、イトカワの物資を採取した「はやぶさ」は見事にオーストラリアに着地し、地球帰還に成功したのである。
プロジェクトの成功はは、誰も口に出しはしなかったものの、「アキラメ」感漂う中で、少しの可能性を捨てず、スタッフの気持ちと文科省の気持ちを「繋ぎ」とめていたことにある。
その為にはプロジェクトが「アクティブである」というメッセージを出し続けたといってよい。
昨日辞任した「復興担当大臣」に聞かせたい話だ。

最近、理化学研究所と企業が共同開発したスーパーコンピュータ[京]が、その計算能力において「世界一」となったニュースがあった。
蓮舫議員もその快挙を讃えたらしいが、コンピューターはあくまでも「道具」であり、問題はその「素晴らしい」道具を使って何をするかであろう。
新時代の技術として一番注目を集めるIPS細胞であるが、高い計算能力のあるコンピュータが存在しなければ、 この技術を可能にする遺伝子情報に出会うことはなかったであろう。
一方、、官民含めて「金」につながるか判らない「悠長な」研究に、それほど大きな予算を注ぐ余裕はないのだろうか。
これが、「風よけしつつ」二番手でいく最大の理由なのかもしれない。失敗にそれほど金をかけられないからだ。
また、川口氏が指摘するように、パイオニアとして先陣を切るのに消極的なのは、「リスク」にかける気持ちが低いという国民性もあるだろう。
かつて堀江青年が「太平洋ひとりぼっち」でヨットで横断した時の日米の政府の態度、マスコミのとりあげかたにもっとも象徴されるような気がする。
1962年、日本人で初めてヨット・マーメイド号で太平洋単独航海を果たしたのは、当時24才の堀江謙一氏であった。
しかし当時ヨットによる出国が認められておらず、この偉業も「密出国」、つまり法にふれるものとして非難が殺到し、堀江氏は当初「犯罪者扱い」すらされた。
対照的に、堀江氏を迎え入れたアメリカ側の対応は、興味深いものであった。
まず第一に、日本とアメリカの両方の法律を犯した堀江氏を不法入国者として「強制送還」するというような発想を、アメリカ側は絶対にしなかった。
その上サンフランシスコ市長は、「我々アメリカ人にしても、はじめは英国の法律を侵してアメリカにやってきたのではないか。その開拓精神は堀江氏と通ずるものがある」と許容した。
そればかりではなく、「コロンブスもパスポートは省略した」と、堀江氏を尊敬の念をもって遇しサンフランシスコの名誉市民として受け入れたのである。
そうすると、日本国内でのマスコミ及び国民の論調も、手のひらを返すように、堀江氏の「偉業」を称えたのである。
アメリカという「権威」にならって、堀江氏の評価を変えたということだ。
ところで川口氏の言葉に、日本は「売り込み」さえすれば世界で先行しうる技術があるのに、それを積極的にしようとはしないというのがあった。
日本製のトランジスタ・ラジオが世界を席捲したときに、 当時首相であった池田勇人が、やや皮肉をこめて「トランジスタのセールスマン」と呼ばれたことがあった。
企業のカンバンを背負って世界中で自社の製品を「セールス」しまくった日本人の姿も今やオボロゲになりつつある。
日本製は「安かろう/悪かろう」の時代には、企業を含めてセールスに励む必要があったうが、低コストで街を明るくするLEDや、様々な日用品に使われている「炭素繊維」などを見るように、良い物なら売れるのは確かである。
一週間ほど前に、日本の東レが開発した「炭素繊維」がボーイング737の航空機に使われているというニュースがでていた。
炭素繊維は、髪の毛よりも細くて鉄の十倍もの強度があるという。
それを特殊な合金でかためたものが、航空機の機体の素材になる。
航空機はアルミ合金などの金属ではなく、今や「繊維」で出来ているといって過言ではない。
そして機体の重さが半分になれば、燃費がよくなかあり、航空運輸の世界に大きな変革をもたらした。
かつての航空機は大型で主要都市を結び、その主要都市のハブ空港から、小都市に中型飛行機をとばしていた。
しかし今や燃費がよくなった中型飛行機でヨーロッパやアメリカ東岸までも飛ぶことが出来るようになったのである。
ところで「炭素繊維」は、1959年、アメリカのユニオン・カーバイドの子会社ナショナル・カーボンがレーヨンから黒鉛にする世界初の炭素繊維を発明したことに始まる。
しかし、今やこの方法はいまや廃れているという。
そして現在、世界で圧倒的な「シェア」を占めるのは、1961年、通商産業省工業技術院大阪工業試験所(現産業技術総合研究所)の進藤昭男博士が発明した方式で、これを日本の企業が発展させたものである。
1970年代からの成長初期には「軽くて強い」、釣り竿、ラケット、シャフトなどに利用されるようになった。
2000年代にはいって、航空宇宙分野での実証が進み、その信頼性が認められるようになってからは自動車の車体への用途が注目されている。
軽くて強く、鉄に比べるとコストも低いので、自動車の各パーツに炭素繊維を使うと3割程度重量が軽くなり、この軽量化によって、燃費が良くなりその結果、排出量の削減効果が期待される。
さらに、次世代の電気自動車においても、電池の電極等に炭素繊維を用い、リチウムの電池の軽量小型化により、資源問題への緩和への一策ともなりうるのである。
世界最大手の東レは、2011年にドイツのダイムラーと合弁会社を立ち上げ、量産モデルに採用した。そしてダイムラーが2012年に発売するメルセデス・ベンツの上級車「SLクラス」にそれを採用するという。
このように「炭素繊維」に関しては、日本勢の「独壇場」となりそうな勢いである。
ところが、日本は「先例」がないと積極的に前にすすまないという点では、素晴らし技術をもちながら「介護ロボット」の国内利用や世界利用があまり進まないことなどが思い浮かぶ。
また日本が世界をリードするかとも思えるIPS技術にせよ、「生命倫理」や「人間哲学」と関わる部分では、果たして日本がどれくらいこの技術でウッテでられるか、ということに疑問である。
「風除け」のために二番手で行くという習癖が繰り返されるかもしれない。

ところでスーパーコンピューターの使い道であるが、「はやぶさ」が「地球誕生」の秘密を探るのが目的だったのなら、「日本創成」を探るという目的には使えないだろうか。
考古学的データを「解析する」のに、スーパーコンピューターが使えないか、ということだ。
コンピュータの発達は、東ドイツの秘密警察「シュタージ」の秘密文書の復元に使われた。
ところで、「天皇制」というものは、良し悪し含めて、日本人が何者であるかというアイデンティを与えた面があったと思う。
しかし、その「天皇制」が戦後否定されたために、日本人のアイデンティの大きなヨリドコロを失った。
それに代わるアイデンティが企業への強い「所属感」であり、目指すべき「成長」ではなかったではなかろうか。
戦後、非科学的な「神話」は否定され、自由や民主主義という理念が、日本人に新たな高揚感をもたした面はある。
日本人は、自由や民主主義の価値を体得した新たな国民に生まれ変わったという「錯覚」さえ抱いていたのではないか。
「所得倍増」などの経済成長が一つの理念として社会に充満していたので、そうした日本人の出自不明からくる「空白」などをほとんど意識する必要もなかった。
しかしバブル以降、その企業への「所属感」も「成長感」もない。
しかし、食べること、住むこと、着ることに不全感を感じなくなったら、今度は自由や民主主義では満たされぬ「不全感」がやってきた。
アメリカは、多民族がその民族的出自をめぐってシノギを削って生きているところである。
自分がいかなる国の、いかなる文化を引き受けている人間かを自己証明できなければ、たちまち多民族社会にのみこまれてしまう社会であるから、自分のルーツに意識が高くソレによって自分の「立ち位置」を定めている。
自分が何者であるかを認識し、行動できない人間は、なかなか世界で自分のビジョンを語ったり、それに応じた行動をとることが出来ない。
日本人の場合、原始における民族的由来ばかりではなく、日本における最初の統一政権たる大和朝廷の成立(天皇の成立)の経過つまり「国家創生」が不明なのである。
日本の歴史はそれまで中国の歴史書によって文字として明らかにされたが、大和朝廷が結成された四世紀ごろは、ちょうど中国の争乱により中国の史書の記録を欠いたままなのである。
つまり日本人にとって、一番重要な時期の歴史が文字のデ-タとしてはポッカリぬけており、その上「宮内省」による「天皇陵」の考古学的な調査の規制のため、いつまでも光が届いていないのである。
それは「開かずの扉」ともいっていい。
日本人の民族的由来とか国の成立経過の曖昧さは、今日、日本人の大きな「精神的空白」を生じさせる結果とはなっていないだろうか。
日本人は、出自不明のためか真に自分を語ることができないという民族である。
自分を語ろうとしない人間が「一番」になってすすめるハズがない。
このことは、日本人政治家が国際的な影響力を持たないということや、科学技術の面でも未開拓の分野で世界をリードすることに「消極的な」ことと、無関係でないように思える。
日本人が自らの淵源を「科学的」に探求することは、世界とのツナガリを明らかにすることでもある。
それが、日本人のアイデンティティのヨリドコロを与えることにもなると思う。
そもそも、真実の追求に「不都合」とかいうのはナイはずである。