ペアの思考

明治のいわゆる鹿鳴館時代に、「華」とも称された日本人女性達がいた。
夜ごと、西洋の男性を相手にダンスに励んだというのだから、よほど「西洋風」がイタについていなければ、できない「芸当」であったであろう。
「付け焼刃」では無理なことだけは確かである。
歴史家が彼女らを評価するのを聞いたタメシがないが、個人的には、彼女等の「豪胆さ」は明治の元勲に匹敵する、とサエ思っている。
鹿鳴館を彩ったこうした女性達の中には海外留学の経験があり、アメリカの大学で学んだ者達もいた。
しかし、鹿鳴館世界に日本人女性が参加するのが至難なのは、日本人には「ペア」の伝統がないということもあろうか。
「シャル・ウイ・ダンス」という映画では、一人のサラリーマンが、「あの世界」に入っていく姿が描かれていたが、それは「ペア」というものにマッタク馴染んでいない男のオノノキとコーコツが描かれたものであった(と思う)。
ところで「ペア」というのは「対」(つい)のことだが、「同ぞくでありつつも異なる機能・作用をもつ」がゆえに「対」となる。
しかし日本の伝統文化に、ペアによる舞踏とか、ペアによる社交とか、ペアによる遊技とかいうものを、なかなか思いつかない。
ヨーロッパでは、中世の頃から、農民の素朴な踊りも、漁村の野卑な踊りも、貴族の踊りも、皆ペアではじまった。
確か、ブリューゲルという画家が、ペアで踊る農民を描いたモノがあったかと思う。
しかし、日本の江戸の町人にせよ、京の公家にせよ、ペアでやる踊りなどツイゾ存在しなかった。
この「ペア」の思考が、ギリシア芸術に顕著にみられるデザインたる「シンメトリー」と、どのくらい関係あるかどうかしらない。
が、「シンメトリー」には、左右対称で描かれた「ペア」の意匠を明確に見てトルことができる。
しかしもっともっと本質的なことは、日本で「夫婦」や「男女」が果たして「ペア」として認識されていたかということである。
それは欧米諸国では、皇帝とよばれた世襲君主には「男子に限る」という枠がついぞ設けられなかったことと無関係ではないかもしれない。
オーストリアのマリア・テレジア、イギリスのエリザベス一世、ロシアのエカチェリーナ女帝の存在をみればわかるとうり、彼らは「男の君主」を凌ぐ存在であった。
オランダのある政治家が「この世の中が、男性と女性という異なる特性からなっているならば、政治外交の分野でも、ふたつのものの見方は生かさなければならぬ」といもいっている。
つまり「男と女」に優劣はなく、互いに補完しあって存在するという認識が見られる。
またキリスト教の見方では、その相互補完を徹底させて両者を合わせて「一体」という男女観・結婚観でサエある。
現代においてもアメリカでは、大組織のトップにでもなれば、夫婦そろってペアで社交に励むのが常識である。
SONY元会長の盛田氏が書いた「Made in Japan」に、その辺のことが書いてあった。
日本人の夫人の場合は、たとえ社長夫人であろうと「国内」にいる限り、そこまでオモテに出る必要はないのだ。
逆に出過ぎると嫌われる感じもする。つまり夫人はあくまで、「奥さん」であり、「妻」つまり「はしっこ」の存在という意識の名残がこうした言葉からもうかがわれる。
そういう伝統文化で育ってきた日本の女性が、突然にしてあの「鹿鳴館の華」になりえたのは、よほどのことではなかったかと思えるのである。

ところで、日本でそうした「ペア」の思考がついに生まれなかったのは、「儒教」の影響が大であったことは、否定できない。
儒教は江戸時代以来、「男尊女卑」の傾向を生んだので、夫婦も「横関係」のペアであるよりも、「上下」の関係になっってしまった。
しかし、この「上下関係」は男女関係ばかりではなく社会の隅々まで浸透していったので、様々な「上下の意識」に固められていったといってよいだろう。
ただ、日本の儒教の影響とはいっても、「薄められた」日本的儒教であり、中国や韓国ほど儒教の「毒」にアタルことはなかった。
もっといえば、この「日本的儒教」こそが長く、日本の「男女観」の意識を支配したみたといってよい。
日本的儒教を本家の中国と比較した場合に、「孝」の比重が非常に高いといわれている。
江戸時代において、武家に生まれたものは生産活動をしているわけでもないのに、家の「つづく限り」においてお上より「禄」つまりサラリーを受け取ることができる。
平和な時代の武家に生まれついた以上は、戦勲をたてて「報酬」をいただくわけでもなく、「転業」するわけでもなく、ただただ「世襲の禄」にスガリツイテ生きる他はなかった。
つまり「家の継続」こそが至上命令となったのであるから、女性(妻)に期待されることは、まず健康な「おのこみこを生む」ことなのである。
夫人に男子誕生が見込めないとなると、側室や妾の存在が許容され、それでもダメな場合にそなえて日本特有の「養子制度」が生まれていくのである。
全国の藩主間でさかんに「養子」のやりとりがおこなわれたのである。
わが地元は黒田52万石であるが、黒田の血筋は三代で途絶え、四代目は薩摩から養子を迎えている。
ところで、この時代の「女性観」を黒田藩に仕えた貝原益軒が書いた本をもとにして作られた「女子教育」の教科書「女大学」が見事にあらわしている。
女大学(おんなだいがく)は、江戸時代中期から女性の教育に用いられるようになった教訓書である。
ここでいう「大学」とは、教育機関の大学ではなく、儒教の教科書「四書五経」のひとつである大学のことを言う。
儒教によって女性の誠が19か条にまとめられているた。興味深い内容なので下にそのまま紹介したい。
(一) 女子は成長して、嫁に入り、夫と親に仕えるのであるから幼少のころから過保護にしてはならない。
(二) 容姿よりも心根の善良なことが肝要で、従順で貞節そして情け深くしとやかなのがよい。
(三) 女子は日常生活全般なに亘り、男女の別をきちんとしなければならぬ、幼少といえども混浴などもってのほか。
(四) 七去の法。(淫乱・嫉妬・不妊・舅に従順でない・多弁・盗癖・のある嫁は離縁されるべき)
(五) 嫁いだら夫の両親を実の親以上に大切にせよ。 (六) 妻は夫を主君として仕えよ。
(七) 夫兄弟や親戚を敬愛せよ。
(八) 夫に対して嫉妬心を抱くな、感情的にならず冷静に話し合う事。
(九) 無駄話はするな。人の悪口、他人の悪評を伝えるな、気をつけないと家族、親類の不和を招く元になる。
(一〇)婦人は勤勉でなければならぬ。歌舞伎や、神社仏閣等人の多く集まる場所に行くのは四十歳未満の婦人は好ましくない。
(一一)神仏に頼って祈りすぎてもいけない。人事を尽くせ。
(一二)万事倹約を旨とせよ。
(一三)主婦がまだ若い場合は、みだりに若い男に近づいてはならない。たとえ夫の親戚や下男であっても。 (一四)衣服はあまり目立たず、分相応に、清潔を保つこと。
(一五)夫方の付き合いを重視せよ。自分の親への勤めを果たすときでも夫の許しを得ることが肝要である。 (一六)みだりに他人の家へ出入りするな、普段は使いをやるのがよい。
(一七)召使を置く場合でも、任せきりでなく、自分の労苦をいとわずやるのが、婦人のつとめである。
(一八)おしゃべりな下女は解雇し、しつけはきちんとし、褒美をやるときは、けちけちしないで与えよ。
(一九)主婦の心の持ち方をのべている。従順であれ・怒り恨むことなかれ・人の悪口をいうな・ねたむ・思慮浅くするな。
その後、時世に合うように「改作」を試みた者も多く、あの福沢諭吉も「新女大学」を著わしている。

ところで、国連がつくった「世界人権宣言」、その人権内容をさらに細かく規定した「国際人権規約」で、各国政府は人々が守るべき人権のスタンダードを示されることになった。
各国はできるかぎりこのスタンダードを目指すべきことを求められるようになった。
つまり、国際人権規約の内容を「批准」することによって、それに合わせるべく「国内法」が整備されることが行われるということだ。
「国際婦人年」は、1972年国連総会において、「性差別撤廃」に世界的規模の行動で取り組むために宣言・設定された行動計画の一つである。
国連は1975年を「国際婦人(女性)年」とすることを宣言し、同年にメキシコ市で開催された第1回世界女性会議では〈世界行動計画〉が採択され,女性の状況改善をめざして以後10年間の「指針」が立てられた。
日本で有名なのは、文部省の若いキャリア女性官僚を中心に、国際婦人年の行動計画「10年以内」に女性の権利の向上をめざす法律をつくることがはじまり、タイムリミットギリギリの1979年に、「男女雇用機会均等法」というのができたことである。
出来上がった法律は不十分であったにせよ、後に改正され「内容」においても、「実効性」においても、世界スタンダードに「見合う」ものになってきているように思う。
また男子に学校で「家庭科」を学ばせるようになったのもこの「流れ」にそったものであった。
ところで1970年代は、経済が安定成長期にはいり、女性の職場進出が増え始めた時期であったが、その時代を鋭敏に受け止め見事に歌謡曲にしたのが、1971年尾崎紀代彦の「また逢う日まで」だった。
阿玖悠氏の作詞で1971年の大ヒット曲となり、レコード大賞受賞曲となった。
♪♪二人でドアをあけて、二人でドアをしめて、その時、二人は何かを感じるだろう♪♪
これぞ正しい「ペア」による「別れ」の姿だが、「悲恋」ではなく、それぞれがそれぞれの道を歩きたいから別れる。
それも「また逢える時まで」という余韻を残した明るい「別れ」となっている。
1970年代、女性解放と称して「中ピ連」の榎美沙子なる人物がピンクのヘルメットで、男社会に挑む姿勢をみせていたが、男女同権を女も男と同じになるんだというスタンスで「たたかった」(?)。
しかし、そこには「ペア」の思考が完全に欠如していたように思う。
ところで、「ペア」の思考とは、異なるものが対等に補完しあうという思考だから「男女間」だけに存在する思考法とはかぎらない。
日本人でダイローグ(討論)の伝統が育たないことがしばしば指摘されるが、この「ペア」の思考の欠如とも関係しているのではないかと思う。
なぜなら「ペア」の思考は、ものごとを「対立」させながら、より 高い真実にまでもっていく、つまり「アウフレーベン」する「弁証法的」議論の方法を連想させるものだからだ。
日本人は「白・黒」、「正・反」をはっきりさせて物事の本質をつきつめようとするのではなく、曖昧にしておいて「玉虫色」にするのが得意な国民性である。 欧米の伝統では、反論がでないとこちら側の論が主張できないので、反論のない相手方に不満をもらしたりする。
日本では事前に「根回し」がおこなわれ、「全員合意」の下でことが遂行されるのである。
だから国会における法案の成立も、賛成側と反対側が「頭数」をなんとか確保しようとする動きに終始することになる。
10日ほど前に、自民党サイドは、民主党が自民党の議員を「一本釣り」したと非難し、他に「同調者」がでることに不安を抱いているようだが、ネジレを「議論」で物事を解決しようというのではなく、「釣り」で勝負しようということだ。
それは日本に、ギリシアにおける議論の場たる「アゴラ」にあたるような場がなく、路地隅でのヒソホソ話の「空間」しかないというのも、日本の料亭政治の「暗喩」のようでさえある。
というわけで、日本では、「何が語らえたか」よりも「誰が語ったか」が重要な要素であるために、「真実究明」にはむかない姿勢で物事にあたる傾向がある。
欧米では、事故が起こった場合など、情報を公開した上で「真実」を追究し、いったん明らかになった「真実」に対しては、党派を超えて「頭を下げる」という態度が身についているような気がする。

女性の職場進出に対応して、国連のILOの基準にそって、国内「労働法」においても「育児休業法」や「介護休業法」などもできている。
しかし、現実には男性が「育児休業」をとるまでにはなかなか至っていない。
特にサービス残業がまかりとおるような企業社会ではなかなか「権利は出来ても、行使できる」マデには、至っていないということだ。
ヒドイのは最近話題になった「権限のない管理職」の話である。
一般の労働者の場合には原則8時間労働が定められていて、労働基準監督局の手入れなどもあるが、ヒラの社員を名目だけでも「管理職」にしておけば、そういう制限もないために「監督の目を逃れ」、無制限に働かせることができるというものである。
こういう状況で実際に「育児休業」をとるのはきわめて難しく、2010年に改正となった「育児休業法」は、「介護休業法」とセットでそうした環境を少しでも整えていこうという趣旨で出来たものたと思う。
実は、この「改正・育児休業法」は、日本に「ペアの思考」を根付かせる法律になるのではないかと、ヒソカに期待しているのである。
そのポイントをマトメると、次のとうりである。
夫婦共働きの家庭が多くなっているなか、出産後も仕事を続けたいと望んでいる女性が多くなっている。
しかし、実際には、働く女性の約6割が第一子出産前後に仕事を辞めている。
政府は、第一子出産前後の女性の「継続就業率」を、2017年に55%まで引き上げることを目標として掲げている。
つまり子どもを産んでも仕事を続けることができる環境整備を進めることが大きな課題になっている。
また育児休業は男性も取得できるが、男性の「取得率」はわずか1.23%にすぎないのが現状である。
そこで父親がもっと子育てにかかわる時間を増やすことで、母親に集中しがちな子育ての負担を軽くし、男女とも仕事と家庭の両立が図られやすくする、というものである。

最近では「イケメン」をもじって「イクメン」という言葉も流行しているようだが、個人的な感想をいえば実際に「生んだ」母親と、それを「傍観していた」父親とは随分と「距離」があるように思える。
だいたい父親の体は平板で、子供を抱くようには出来ているようには思えない。
そして、母の愛は子供の成長の上で「特別」な意味があり、父親が「母性」に代わりうるようには思えない。
例えば「八日目の蝉」というドラマがあったが、あの名作を「父性愛」バージョンでリメイクしようなんて誰も思わないだろう。
ところで今、アメリカの人物伝を読んでいるが、学校もいかずに教育もマトモニうけなかった人物がなぜ大成しえたのだろうか。
偉大な才能を発揮するうえで、「父親の存在」はほとんど登場してこないといってよい。
母親の幼い子への「働き」かけこそが、時間の経過にしたがって思わぬかたちで、「実」を実らせたりするのである。
エジソンは学校で馬鹿呼ばわりしていたが、そのエジソンを包み込む「母親の存在」なくして、彼の発明の才は生きただろうか。
マーク・トウェインは、どうしようもないいたずら小僧だったが、ユーモアあふれる母親の存在なくしては、あのウイットあふれるあの物語は生まれなかったであろう。

最近のニュースで東北大震災以降、結婚率が非常に高まっているという話を聞く。
理由は、女性が一人でいることに不安を覚えて結婚に踏み切るケースが多いと報道されていたが、逆のケースつまり男性が一人でいることに不安を覚えたというのも、結構多いのかもしれない。
しかし、子育ては大変な事業であるからして、時にノイローゼになったり、「虐待」したり「育児放棄」したりするケースが後をたたない。
男性がソバにいてやれるだけでも、そうした「悲劇」はかなり防げるような気がする。
今から30年ほど前、テレビのワイドショー「三時のあなた」という番組名をモジッて「三ジのあなた」というの言葉があったのを思い出した。
当時の女性にとって「食事」・「掃除」・「育児」をやってくれる「あなた」こそが、理想ということであった。
しかし、あの言葉には、「ペア」の思考とは随分と違うニュアンスがあった気がする。
互いに「異なる性格」の働きを結びつけて、ひとつのことを完成させること。
これが「ペアの思考」であるが、異なる一方を殺したら、とてつもない資源利用の「不効率」が起きてしまう。