縄文が育てた

最近、ある整体師さんにもらっているおかげで、体調がとてもよい。
今まで、整体師さんの所に行った事はアルにはアルが2回以上続いたことがない。
ウワベだけの「癒し」というのがわかってしまう。
この整体師のさんは、自分のことを「顔わる、頭わる、口わる」と言っておられるが、もう数ヶ月お世話になった。
費用もバカにならないのに長く続いたのは、結局、この整体師さんは心も体もイタイところをついてでも、本当の「癒し」を提供してくえるからだ。
痛いところをツカナイ、つまり人を「お客様」として大事に扱うような整体師はイラナイ。
というわけで、体が「森林浴」を浴びた感じになっている。
そしてこの整体師さんにジョーモン人を連想してしまう、というわけではなく、屋久島の森に行って「森林浴」をあびた感覚が蘇った。
そして日頃、人間がなんとヤヨイ的に生きているかと思ってしまう。
さて、自分が定義する「ジョーモン的」と「ヤヨイ的」とは次のとうりである。
ジョーモン人は、「自然」や「神々」にアンテナを張って生きる人々、ヤヨイ人は、「人間」や「世間」にアンテナを張って生きる人々である。
ヤヨイ人は稲作を日本に持ち込み、それを始めた人々だから、自然に対する感覚は高いが、むしろ作物をつくる上で人間の「恒常的」な組織化ということを、初めて意識した人々であった。
それが、いつしかムラとして社会的な形を取りはじめたのだ。その自然への感度は、「森の奥深き」で体得してきたものとは本質的に違う。
人間の関係や気遣いが過ぎると「気枯れ」が生じる。「気枯れ」はできりだけ早く払わないと、本人も気づかないうちに、「病んだ」心に落ちこんでしまう。
すなわち、ジョーモン的な「森林浴」の気分からは、いつしか遠いところにいる。
ところで、人間は生き方のうえでも職業ガラにおいても、ジョーモン的要素とヤヨイ的要素を併せ持っているが、この整体師さんにしばらくお世話になった理由は、「内なるジョーモン」と出会えたからかもしれない、と思う。
さてジョーモンといえば連想する人がいる。
強烈しすぎてかえってジョーモンの人とは違うと思わぬでもないが、岡本太郎氏はジョーモンの体現例とするのに、最も判りやすいのではなかろうか。
最近「Taoroの塔」という番組によって岡本太郎の生涯がドラマ化されている。
岡本太郎の芸術に最も影響を与えたのはピカソだが、もうひとつ「縄文」がある。
「Taoroの塔」とは、1970年の大阪万国博覧会で人々のドギモをぬいたあの「太陽の塔」である。
岡本氏が芸術のインスピレーションを受けたのがジョーモンの中でも「火焔式土器」である。
岡本氏のスピリットは、あの土の器からメラメラと、マツロワヌ精神が炎をあげている、かのようだ。
岡本太郎氏は、火焔式土器に出あった時の気持ちを、次のように書いている。
「偶然、上野の博物館に行った。考古学の資料だけを展示してある一隅に何ともいえない、不思議なモノがあった。 ものすごい、こちらに迫ってくるような強烈な表現だった。
それは紀元前何世紀というような先史時代の土器である。驚いた。そんな日本があったのか。いや、これこそ日本なんだ。身体中に血が熱くわきたち、燃え上がる。
すると向こうも燃えあがっている。異様なぶつかりあい。これだ!まさに私にとって日本発見であると同時に、自己発見でもあったのだ。」
ところで、あの万博の塔のモニュメントの顔は、日本史の授業で使う図表のなかにある、ジョーモンの中でも特に「ハート型土偶」と実によく似ている。

ところで縄文文化は東北を中心に栄えた。
この地域は古代より、金(砂金)、鉄などの鉱産物が豊かに産した。
こうした「宝物」が後に奥州藤原氏の繁栄を可能にしたことは、いうまでもないことである。
そして東北に古代より住んでいた人々のことは、 「化外の民」、「まつろわぬ民」と呼ばれた。
この地域には、 「化外」とは朝廷の王化に染まらないこと、「まつろわぬ」とは服従しないことを意味する。
また蝦夷は優れた馬を飼育しており、その馬を用いた騎馬戦は機動力に富み、これと先の日常的な狩猟の技能とが結びつき、さらに高い戦闘能力を生んだと考えられる。
古代の「王化」に浴さない「化外の民」は「一を以て千に当たる」高い戦闘能力をもっていた。
その高い戦闘力ゆえに、服属した蝦夷を俘囚(ふしゅう)と云い、これを組織された軍隊として平安時代には「防人」に代わり北九州で、「対外防備」の任に就かせたという。
蝦夷が弓馬の戦闘にすぐれているのは、彼らが日常的に狩猟を行っていたためである。
こうした「化外の民」は、縄文の森でその精神を陶冶された、と思う。
今、世界が賛嘆する東北人の自制心と忍耐心には、その「けがいの民」として生きた自立心・自負心があるからかもしれれない。
ところで、前述の岡本太郎氏は神奈川生まれだが、「Taroの塔」という番組を見るかぎり、「マツロワヌ」というのは、岡本氏の人生ソノモノであるように思える。
岡本太郎は、テーマプロデューサーに就任した当初から「万国博のテーマ“進歩と調和”には反対だ」と公言しており、太陽の塔には「反博」の象徴としての意味合いを持たせたという。
「調和」は幾分ヤヨイ的で、岡本氏の感性には合わないのかもしれない。
テクノロジーの発達を「進歩」と認めない岡本太郎は、「人類は進歩なんかしていない。何が進歩だ。縄文土器の凄さを見ろ。ラスコーの壁画だって、ツタンカーメンだって、いまの人間にあんなもの作れるか」とも述べている。
ところで万博覧のシンボルとなった「太陽の塔」を見上げて思ったことは、「巨木」である。そして、縄文文化は、「巨木文化」でもあった。
青森県で30年以上まえに本格的に発掘された三内丸山遺跡であるが、六本の巨大な木柱に支えられた十六丈から、あたかもスキーのシャンツェを思わせる傾斜で、長い引橋が地上あるいは海面に向かって描かれた復元図がある。
これは、ハイテクを駆使した現代建築を思わせるものである。
さらに日本海に沿って、直径1メートルほどのクリ材を用いた大型建造物の遺構が、次々に発見され「巨木文化」という言葉がうまれた。
フレーザーの「金枝篇」という有名な本に、欧米にもケルト文化に「巨木文化」があり、カシワの木がその中心であり、そこから生まれた装飾文様などが、「縄文」と非常に似ていることを岡本太郎氏は指摘している。

今回の東北関東地方の地震で、車の部品などを作っている中小の企業で製造が不能となり、世界中の工場で車の製造などが ストップしているという。
日本人がつくる製品は、精度が極めて高いので、外国の会社に依頼しても、そう簡単に代替品がつくれるわけではない。
あらためて日本人の「モノつくり」の能力を再確認できたように思う。
日本人は伝統的にクギを一切使わない建造物を建てるなど、世界にどの民族もなしえいない技術をいかにして発想・獲得してきたのだろうか。
個人的な感想をいえば、クギを使わないとは、木にひそんだ神(精)を殺すことへ畏れであったのではなかろうか。
職人達の感性は当然プロとして研ぎ澄まされたものだが、その背景に日本人が本来持つ感性の細やかさがあると思う。
これは「精なるもの」との交信によって研ぎ澄まされたというのは、いいすぎだろうか。
ところで、日本人の製造能力を少し溯れば、江戸時代の「職人文化」と結びつけるのは可能であり、ソレに異を唱えるつもりはない。
ただ能力というものが、素質(DNA)ばかりではなく、環境に大きく依存することを考えると、日本人のモノつくりの能力は、「縄文時代」に淵源があるように思えてならない。
日本人は縄文時代に土器以外何か本格的な「モノつくり」をしたというわけではないので、この場合の「能力」とは優れた「モノつくり」を可能にする「感性」ということである。
「竹の精」「花の精」「雪の精」「木の精」などなど「精なるもの」との語らいこそ、日本文化の特質であり、今日の世界的な職人技術の高さの由来なのではないか、と思う。
奥深き森で養われた「感性」ということである。
そしてそれは、弥生時代には「校倉造り」という木の延び縮みを利用して、湿気が多いときには外部に閉じ、乾燥している時には外部に開くという「仕掛け」として実現している。
こういう外来ではない、日本人独自の建造法を生み出したのは、紀元前14世紀からき紀元前3世紀までのトテツモナク長く東北を中心に栄えた「縄文時代」があったのではないか、と思う。

日本人が養った能力は一言でいえば、「自然を読む」「自然を聞く」ということである。
「石の声を聞く」、「木の木目を読む」など、現代の職人達が修練の結果ようやくにして得られる感性のことである。
そして現代においても、ミリ単位以下の仕事が、意外や機械にたよるのではなく、人間の手に伝わる「五感」全体に頼ってなされていることに、驚きを感ぜざるをえないのである。
職人の話などを聞くと、彼らがいかに五感を使って仕事をしているかがわかる。
視覚・聴覚・味覚などを使いその日その日の温度や湿気の違いによって、微妙に技能の匙加減を変えるのである。
溶接工の中には、金属を味見して見分ける人もいる。旋盤工の中には微妙な音の違いを識別する人がいる。また塗装工の中には100分の1ミリの厚さ違いをヨリわけられる人もいる。
こうした鋭敏な感性こそが、寸分違わぬ「究極の精度」を生んでいるのだと思う。
古代、縄文の森で日本人は「もののけ」を全身で感じ取りながら生きていた。自然な微妙な変化をも見逃すまいと生きてきたのだ。
もっといえば自然の中に精霊の「揺らめき」さえ感じとろうしたのである。
多様な自然への対応がおのずから細やかな感受性を生んでいったのではないだろうか。
こういう「交信力」に優れた人として、木版画家の棟方志功を思い浮かべる。
棟方志功氏が木を彫っている時の姿をテレビでみたが、片目を失明しており、板に向かって全身で踊り、祈祷をしているような姿でノミを動かしていた。
青森の貧しい鍛冶屋に生まれたが、ゴッホに魅かれ絵を志した。画家仲間や故郷の家族は、しきりに棟方へ有名画家に弟子入りすることを勧めたが、マツロワズ激しく抵抗した。
「師匠についたら、師匠以上のものを作れぬ。ゴッホも我流だった。師匠には絶対つくわけにはいかない」
「日本から生れた仕事がしたい。わたくしは、わたくしで始まる世界を持ちたいものだ」と考えたという。
36歳の時、大作「釈迦十大弟子」を下絵なしで一気に仕上げた。その制作中に「私が彫っているのではありません。仏様の手足となって、ただ転げ回っているのです」と語っている。
そして39歳の時、今後は「版画」という文字を使わず「板画」とすると宣言した。版を重ねて作品とするのではなく、「板の命」を彫り出すことを目的とした芸術を板画としたのだそうだ。
53歳(1956年)で、ベネチア・ビエンナーレで国際版画大賞を受賞し、一躍世界のムナカタとなった。会場へ来た人のほとんどすべてが、棟方の木版画を前にして「驚然」としていたという。
1975年72歳で永眠した。墓はジョーモンの故里・三内霊園にある。

ところで「森の文化」は、海外でも存在するのに、日本人がどうして「モノつくり」の感性に秀でているかについては、「四季の変化」や自然条件の多様な移り変わりの中で、独特な「細やかさ」がうまれたのではないだろうか。
永六輔の「職人」のなかに、職人の言葉をまとめているが、これが実にイイ。
職人の「感性」面を含めて紹介すると、次ぎのようになる。
「樹齢ニ百年の木に対して、二百年残る仕事をしなければ失礼だ」。
「バイオリンは楓の木からるくるんですが、その楓を育てた土から調べないと、いいバイオリンはつくれません」。
「棋士や囲碁師が駒や碁石をパチンと置くとき、首筋に痛みが走る層ですが、将棋番や碁盤は、やっぱりカヤの木がいいですね、長時間指しても、打っても肩が懲りません」。
「桐の木は分類上では、木というよりも草の方が正しいんですよ。花は空洞で、茎になっているんです。そこがわかって仕事をしないと、桐の家具はつくれません。」
「うなぎを焼くのは、身をこ焦がさないように、タレを焦がすのがコツです。
バタバタあおぐのは、火をおこしているわけじゃありません。落ちた脂の煙でうなぎを包んでいるんです」
職人は人に見せてほめられるものではなく、形に残さないものこそが職人のワザとなるものがある。「しみぬき」のワザ、そして花火師もヤヤそれに近いのかもしれない。
医療に関しては次ぎのような言葉があった。
「最近では、結石を電磁波で破壊してしまう方法があります。こうなると、体外から体内の結石を狙い撃ちするわけですから、湾岸戦争の中継だと思ってください。これも医者というより、職人ですね」。
「外科医なんてものは、メスをもったら板前だよ。手術を料理といったら悪いけど、でも皿に盛り付けると同じで、きれいにシアゲたいって気持ちはあるんだ」。
教育論としては、「頭の悪いガキをつかまえて、頭をよくしようとするから、世の中無理がいく。頭の悪いガキには、それなりの生き方を探してやるのが大人の責任じゃねえのかねェ。
いいんだよ、多少は頭の悪いほうが。愛嬌があってさ、世の中けっこう楽しくやれるもんだぜえ。政治家にだって、頭の悪いやつがあれだけいついるってさァ」などなどである。
「日本の職人」の言葉を「金融工学」のクォンツ達の言葉を「併記」したら、さぞや面白かろう。
ちなみに、クオンツは金融工学を駆使して金融派生商品とつくりだした天才達のことで、「Quantitive」すなわち「数量化」を意味する言葉からハセイした言葉である。

「モノつくり」について、日本は国際的に競争力が落ちたということがいわれている。
しかし「競争力が落ちた」という時に注意したいことは、「通貨の価値」を考えなければならない。
例えば、お隣の国・韓国はアメリカのドルと通貨の価値が連動(ドル・ペッグ制)しているので、日本のように対ドル通貨価値で一ドル=360円の時代から90円の時代まで、「ドルを基軸とした」国際競争力で4倍も不利になっているのに、いまだアメリカに対して黒字を稼ぎ出せる製造能力を保持している点は、充分に評価に価する。
韓国はドルと運命をともにするドル・ペッグ制を採用しているので、こういう不利な条件が課せられていったということがなく、現代の中国に至っても、ドルに対して「人民元」の値上がりはなされていない。
中国は「世界の工場」というけれど、日本人のモノつくりの「精度の高さ」はいまなお世界を凌駕している。
日本の製品の品質の高さを物語るジョークがあったのを思い出す。
IBMが日本の会社に部品の製造を依頼して、「100個の内ひとつ程度の不良品は許容できる」という文書を渡した。
すると日本の会社は、101個の部品を作り、一応不良品も一つ作りましたといって品物を渡したという。
東北を中心に栄えた「縄文文化」は、日本人の「無意識層」の形成に与っている。
むしろ「弥生文化」はモノつくりの「組織化」という点で日本人の意識の「表層」を構成するものではなかろうか。
人間は、長くジョーモンの森を削り取り、「森の精」を殺してきたのかもしれない。せめて「内なる」ジョーモンを探りあてて、時々は「森林浴」気分に浸れたらイイ。