中心と辺境

最近、久しぶりに山口県萩の町を訪れた。
従来、観光バスで乗りつけて二三時間の滞在してのピンポイント見学で何の情緒も味あわぬママだったが、ハジメテ山陰本線で豊浦や長門の海を眺めながら訪れ、ようやくこの地の全貌が見えてきた。
また便利な巡回バスを何度か乗り降りして、街中の歴史施設の位置関係もようやく掴むことができた。
武家屋敷に行けば半径500メートル以内に、木戸孝胤、高杉晋作、桂太郎、青木周蔵など名だたる歴史上の人物の家が隣接してあり、野外博物館にでも来たかと錯覚するくらいだが、それは鹿児島(薩摩)の武家屋敷にいっても似たような体験をする。
歴史を紐解けば、長州も薩摩も「関ケ原」の敗者であり、最も「極度に」領地を削られた者達であった。
長年「復興」への思いを抱きつつ、それが明治維新に繋がった。
つまり明治維新は薩長の徳川に対する「復讐劇」だったといえるもしれない。
薩摩の島津は一時は九州全域、長州の毛利も中国のホボ全域を領地にするほどの勢力を誇ったが、関ケ原の戦い以後は九州や本州の「辺境」に追いやられたという点では共通している。
ただ辺境に追われた両藩には、奄美の砂糖の収奪や下関海峡通過の廻船への金融などで「経済的な富」を築く上での「地の利」があった。
また開明的な君主や優秀な改革者もいたという点で、幕末に諸藩が財政難に苦しむ中、いちはやく西洋文明を取り入れ「雄藩」といわれる存在になっていく。
薩摩や長州のことを考えると、文化人類学でいうところの「中心と周縁」とかいう言葉が思い浮かぶ。
文化人類学がいうところのコンテキストは知らないが、例えば辺境に位置するものは辺境たる故にに力を蓄え、中心たるものは中心たる故に力を消失していく、そんな「力の作用」を考える。
そうして「辺境」にあって力を増すものが次第に中心を侵食つつ支配者(中心)となっていく。
そんな「力の作用」を思う時、こういう展開は、歴史以外にも様々な分野でも起きていることに思い至った。

最近、金融界と芸能業には様々な「共通点」があることをとを思わせられる。
まず第一に、時代の「花形」であること、さらには「虚業」といわれること、もともと「賤業」だったこと、加えて「闇社会」とのツナガリが深いこと、などである。
サホドでもなかった「金融」が時代の「中心」とまでいわれるようになったのは、「ソ連崩壊」による冷戦終了後、アメリカの軍事産業から、金融業界に「優秀な」人材が流れてきたことである。
彼らのIT技術を駆使して作り出す金融商品は、ある意味では軍事的ノウハウの転用であり、極端なデジタル的商品であったといえる。
1980年代、日本人にもよく読まれた邱永漢氏のアナログ的な「投資術」といかに大きなヒラキがあることかと、今更ながら思わせられる。
そういえば邱永漢は、直木賞を受賞した作家でもあったし、相当なアナログ人間なのだ。
それまで理工系の人間が金融業を目指すということはほとんどなかったが、理工学部なんかにも「経済工学」といった講座が設けられるようになっている。
日本の十八番であるモノツクリは、グロール化と円高によってマスマス不利な環境に置かれつつあり、土地や労働力が安い新興国にシフトしていく流れを止めることはできない。
モノツクリに代わって「金融」が重きをなすことには、変わりはないだろう。
さて、芸能界つまりエンターティンメントがこれほど世の中の脚光をあびた時代は、日本では元禄期などからだろうが、世界の歴史においてはローマ帝国の時代にスデニそういう傾向が表れている。
映画「グラディエーター」に見るような剣士の戦いが見世物になっていた。
戦がなくなった分、大衆の攻撃性や刺劇欲求のハケグチがそういう「血なまぐささ」を求めたのかもしれないが、現代の日本人はそういう戦争を想起させるものにはムシロ拒否反応があるのではないだろうか。
現代の芸能は現実がかなりザラザラしているので、「癒し」や「元気」こそが重要で、さらに大衆の「憧れ」を体現するものとして、芸能は時代の「花形」ともなっている。
また金融業も芸能界もモノを作り出す業界ではないゆえに、「虚業」とよばれることが多い。
ただし、金融業は社会の貯蓄を投資にまわすというカタチで、実質的なモノツクリを潤滑にする大きな社会的な役目を担っているので、ソレを一般的に「虚業」というのは適切ではないが、サブプライムローン問題に見るが如く「虚構」を売り込んで結果として人々に甚大な被害をだしたところからは、「虚業」といわれる言葉を連想させられる。
また金融も芸能ともかつては「賤業」といわれたところから出発した。
日本社会でも差別された人々によって、つまり農業や手工業のような「生産的な」仕事から締め出された人々によって、様々な「技能」や「芸能」が生み出されて行ったのである。
例えば「河原者」と呼ばれた人々により狂言・能楽・生け花・作庭などが生み出されて行ったことはよく知られている。
京都の「竜安寺石庭」は夙に有名であるが、巨大な中国の山水の世界を日本人独特の感性を研ぎ澄まして写した「枯山水」の庭である。
最大の特徴は、「水を感じさせるために水を抜く」という逆説によって「水に見立てられる」ようなものを作る。
白砂も大海をイメージし、岩は島というより山である。
近世の史料には、室町幕府に仕えた相阿弥という人物の作庭と伝えるが、作者、作庭年代、表現意図ともに諸説あって定かでない。
15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されており、しかも中の部屋から1ヶ所だけ15個の石全てが見える位置があるという。
一体こういう「美意識」はどこから生まれたのだろうか。
東洋では十五夜(満月)にあたる15という数字を「完全」を表すものとしてとらえる思想があり、15に1つ足りない14は「不完全さ」を表すとされている。
日本には日光東照宮の陽明門にみられるように、「物事は完成した時点から崩壊が始まる」という思想があり、建造物をわざと不完全なままにしておくが、そのことと関係があるかもしれない。
イギリスのエリザベス女王が1975年に日本を公式訪問した際、石庭の見学を希望し、女王が石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道された。
そのため昨今では世界各地での日本のZEN(禅)ブームと相俟って、海外からの観光客の来訪者の比率が高いといわれている。

ところで、「芸人」といわれる人々は、客に見てもらわなければ、つまり客が集まらなければ、その日の糧を得ることはできない。
つまり、「芸」の水準は生きるか死ぬかの問題である。
歌舞伎の発祥は、安土桃山時代に表れた「出雲の御国」とよばれる女性がおり出雲大社の巫女となり、文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回したところ評判となったといわれている。
女性では風紀の乱れが心配という理由から男歌舞伎になっていったものである。
ちなみに歌舞伎という言葉は「カブキ者」(~傾く)達、つまり今でいうと「ヤンキー」に属する者達を表す言葉から来ている。
今や成田屋の御曹司が脚光を浴び、大衆から憧れられる存在へとなっているのも、時代を思わせられる。
世界の歴史でも、日本の歴史でも、差別される側が磨いた美や技術が国民的シンボルを形成していることがわかる。
ただし、昔はこうして生まれ磨かれた「芸」ソノモノが「売り物」であったが、今はいかに大衆の「憧れ」を満たしつつも、しかもヒョットしたら自分達にも手に入るかもという期待が加味された「憧れ」を提供できるかがポイントであるようだ。
さて、沈滞する世の中にあって現代のエンターテインメント業界の中心であるAKB48や嵐であり、彼らの「経済効果」はどれホドだろうか。
調べてみるとAKB48の去年の経済効果は驚愕の200億円で、新曲CD「フライングゲット」はわずか2日で17億円(108、5万枚)売り上げているので、タイトルどうりにフライング・ゲットしたのである。
そして2011年の経済効果は300億~350億以上は「鉄板」(「堅い」の意味)、といわれている。
一方、「嵐」はデビュー10周年記念のベストアルバムが136万枚のメガヒットで、シングルでは09年リリースがすべてトップ5入りする快挙を果たしている。
音楽界DVDは部門新記録となる50万枚で、音楽ソフトの総売り上げは軽く100億を超えるという。
AKB48と嵐は、不景気続く日本経済を「下支え」しているといっても過言ではないのだ。

ところで、金融については、旧約聖書に「利子」を禁止する記述があるために、キリスト教徒の間ではひろまらなかった。
ところがヨーロッパ社会の中で、農業や商工業から締め出されたユダヤ人達が、金融を始めたのであるが、ユダヤ人たちは古バビロニアに捕囚として連れ去られた体験の中で当時ソノ地で行われていた「利子」をとって「金融」を行うということを見聞したことが、その発端といわれている。
旧約聖書の「戒律」例えば「殺すなかれ」は、同じくユダヤ人に対する規定であるから、異教徒にたいして「利子」をとるというこに対しては、それほど大きな抵抗はなかったであろうことも推測される。
紀元後に離散してヨーロッパの片隅で生活していたユダヤ人達の間で大きな富を築く者も現われ、彼らの中には王族に「貸付け」までして「政治力」をもつものさえ現われていったのである。
つまり「周縁」から「中心」を支える力へと転じていったのである。
最後に「闇社会」とのツナガリの深さであるが、これはテレビやマスコミで報道されることは少ない。
なんらかの事件が起こるたびに週刊誌にポット出るくらいで、それほどオモテにはでない。
しかし古今東西、「中心」たる権力者や花形には様々な利権を求めて「闇」が群がる傾向は一般的であるようだ。
そしてこのことが「中心」が力を消失する原因ともなっていく。
暴力団稼業で、唯一合法的に収益を上げることが出来るのは「興行関連」と言われ、昔から「興行を打つ」と言い「博打を打つ」と同じ言葉を使う。
流しをやったり、キャバレー周りで、陽のあたるところを目指すような歌手がいるとして、そうしたスジとのツキアイなくしてはなかなか「歌う場」さえも与えられないのだという。
「興行を打つ」際は、出し物、場所探し、広告、入場券販売、会場警備まで取り仕切っているのが現実のようだ。
そしてこの場合、地元ヤクザ者が仕切る場合が多い。
もっとも最近は、世間の目が厳しくなったことから、「芸能プロダクション」や「イベント業」に姿を変えているらしい。
実際に、暴力団組織には「○○一家の芸能担当」とかいうのがあって、当世脚光を浴びる芸能人を「自分が育てた」などと豪語する者も多いと聞く。
利用する人がいるからヤクザ稼業も成立する。
「芸能プロダクション」や「イベント業」の経営は、前科前歴のない者を責任者に仕立てて、裏で暴力団が仕切っているところが多く、最近話題のY興業などはその典型で、簡単には手を切ることが出来ないのである。
金貸し業や芸能の世界には、ノシアガリ願望や金銭欲など様々な人間の欲望が噴出している場であり、トラブルがたえない世界でもある。
その辺のニオイをイチハヤク嗅ぎ付けるに巧みな闇世界の人々に、「活動」の場を提供しているということあろうか。
ところで「金融」をめぐる事件で多い起こすのは、終戦まもなく「光クラブ」を経営して破綻・自殺した東京大学の学生で山崎晃嗣という人物がいた。
東京大学の学生と「金貸し」業は不似合いな感じだが、山崎はそういう評価をも「超えられる」合理的精神の持ち主だったようである。
山崎は日本マクドナルドの創業者・藤田田(ふじたでん)と東大で同期生であるが、最近、あるジャーナリストが日本マクドナルド元社長の藤田田と「光クラブ」社長の関係について書いていた。
そこで引き出されたインタビューで、藤田氏自身が次のように語っている。
「私は光クラブの社員ではなかったが、山崎を尊敬していたし、山崎に資金を融通していたことも事実。私は今まで山崎ほど頭のいい人間にお目にかかったことがない。そういうと、山崎が『お前ほど心臓の強いヤツに会ったのははじめて』と、答えたことをおぼえている」と。
山崎は、戦後の混乱期に1948年、東大在学中にヤミ金融「光クラブ」を設立させ、商店主らに高利で金を貸し付け、事業を急拡大させて世間を驚かせた。
この人物に代表されるように、反社会的で無責任な若者たちは「アプレゲール」とよばれ、三島由紀夫の「青の時代」や高木彬光の「白昼の死角」のモデルにもなっている。
山崎は、「私は法律は守るが、モラル、正義の実在は否定している。合法と非合法のスレスレの線を辿ってゆき、合法の極限をきわめたい」といった言葉を残している。
価値観が転倒し、拝金主義が蔓延したそんな時代の「申し子」であったかもしれないが、バブル崩壊後に「儲けたもん勝ち」といった獄中の堀江貴文氏と一脈通じるものを感じる。
結局山崎晃嗣は、「物価統制令」違反などの容疑で逮捕され、それがキッカケとなって事業が破綻し、青酸カリを飲んで自殺している。
この山崎の人物像はテレビの番組などで見る限り思考がとてもデジタルで、その「金融」技術において雲泥の差があるとはいえ、サブプライムローンという鬼子を生み出した「クォンツ達」と似かよったものを感じるのである。

最近、震災で被害をうけていた常盤ハワイアンセンターが復興して映画にもなった「フラガール」が復活した。
もともと炭鉱の街で、斜陽となって炭鉱業からの生き残りをカケてハワイ・リゾート風の街を創ろうという発想は斬新であり、斜陽の街が一気に陽の光をあびた感じがした。
映画「フラガール」では、家族のなかでも自分の娘を人前で肌を晒させるような仕事に就くことを認めたものかといった家族の葛藤なども描かれていた。
ところで日本の炭鉱地帯といえば福岡では筑豊であるが、多くの外国籍の労働者も炭鉱労働に従事させられたことは、大陸に近い福岡だけではなく全国的に行われたことが判明している。
筑豊からでた芸能人といえば井上陽水がいるが、あの透明感やら哀感やらが一人の歌手の人格の中こめられていることは、この地のそうした歴史と切り離すことはできないでのではなかろうか。
ああいう音楽は、普通にホイホイやっている人間にはゼッタイ生まれてきそうもない。
最近NHKの「SONGS」という番組に、柴崎コウが登場していたので、歌手・柴崎さんに見入ってしまった。
柴咲さんは、金貸し業のメッカ・池袋で遊んでいた時にスカウトされたそうだ。
柴咲さんには「いくつかの空」「かたちあるもの」や「月のしずく」などの名曲があるが、ご自身作詞の「影」という曲に注目した。
そこには差別されている側の「心情」が歌いこまれているように思えた。
~♪昔、僕の母がいっていた/ここにはなにもない。探し物は 私達何ももっていない。/せめて底へ沈まぬためにも、未知なる種をもった君の後ろ姿/壊れかけた夢を繋ぎ 今日を無事に終わろう/君を取り囲んで唯一の糧にする/そっとつぶやいた/~♪
気になって調べたところ、お母様がロシアの人とのクォーターで、柴咲さんの母は北海道礼文島出身という「辺境」の出身である。
したがって柴咲さんには「八分の一」のロシア人の血が入っているという。
そのことは柴咲さん自らテレビで公言されたこともあったそうで、柴咲さんは日本人の父似ではなく、クォーターのお母様似だそうだ。
ど~うりで。