パフューム

ヨーロッパでは放牧している家畜に自らの所有物であることを示すために焼印を押した。
「焼印をつける」ことを意味するノルウェーの古語から「ブランド」という言葉がうまれた。
つまりブランドとは「識別の徴」なのだが、特にファッション関係で「ブランド製品」というのは、デザイナーの名前そのものが「識別の徴」となっている。
そして、服から帽子、香水から皮製品に至るまで総合的にその名前が「冠せ」られるていることに気がつく。
そうしたブランドは商品名として「一人歩き」するので、それが「人名」であることさえすっかり忘れてしまう。
人名がそのまま冠せられるケースとしては、体操競技のことを思い浮かべる。
体操競技では、難度の高いワザの一つ一つに、そのワザの開発者の名前が付けられる。
日本人の開発した技では、かつてムーンサルトと呼ばれた鉄棒の技を「ツカハラ」とよんだり、平行棒には「カサハラ」というワザもあったと思う。
例えば鉄棒ワザだと、イエーガー、クルーガー、ゲイロード、コバチとか次々と繰り出して、「ブランド技」のオンパレードで、演技がなされてく。
そして「本家」選手より、後続の「コピー技」の選手の方がキレル技を出したりすることもあるのだろう。
もっと露骨な話では、中国卓球の強さの理由のひとつに、他国のライバル選手の「コピー選手」をつくるというのがある。
つまり、中国一流選手の練習の相手をするために「○国の○選手になりなさい」という具体的な指示をうけるのだそうだ。つまり「想定○選手」をつくるのだ。
もちろん体形や身長も、ひょっとしたら顔も似た選手が指名されるのだろうか。
「コピー天国」中国ならばヤリソウだ。実際に中国版の「福原愛」などが存在するのだという。
現在、世界女子NO1の実力である張恰寧という選手はなんと、かつての日本女子チャンピオンであった小山ちれ選手(中国籍)の「コピー選手」だったのだというのだ。
卓球を少々知っている人なら、その事実に、ピピンとくるはずだ。確かに似ている、
つまり「練習用」の「コピー選手」でも、本家をシノグほどの一流選手になることができるということだ。
偽モノ(コピー)が本モノに勝つとは、偽モノが本物になること。つまり「勝てば官軍」ではなく「勝てば本モノ」なのだ。
よく考えてみると「学ぶ」ことは「マネブ」ことだし、中国の「コピー」選手の育成は、マネブ相手を「具体的」に指示したダケのことだともいえる。
我々とて無意識に「マネビ」つつ生きてるし、時々はブランドを身にまとうなどして「他人のアイデンティティ」を借りつつ生きている。
昨年の福岡の国際マラソンで「ペースメーカー」として先頭を走っていた選手が、いつのまに「本分」を忘れてレースに参加して独走してしまい、「やる気満々」のレースから締め出された「珍事」を思いうかべた。
イギリスの生物学者リチャード・ドーキンスが、「利己的な遺伝子」(1976年)の中で、情報による複製の過程でそれが「伝達」、「変異」という条件を満たしていれば「進化」するという。
そして生物学的な「ジーン」(遺伝子)に対して「ミーム」とよんだ。
「ミーム」の訳語としては「摸倣子」、「摸伝子」、「意伝子」などがある。
そして、ある「ミーム」への接触が繰り返されることで、そのミームが「心のプログラム」になる。
「オカネ」が価値あるものとして、「青信号」が安全として受けとめられるようになるのだ。
そうして、広くいえばこうした「ミーム」の体系こそが「文化」という見方もできる。

図書館にいくと、自分の世界を少しは広げようと、自分とは最も「縁遠い」コーナーにある本をチラ見することにしている。
そして、見つけた本の中に「香水ブランド物語」というのがあった。
私と「香水」との接点といえば、わずかに中学のころ、男性香水「マンダム」のテレビコマーシャルのチャールス・ブロンソンの「U~~~m マンダム」をつぶやいて「男の世界」に浸っていた程度である。
しかし当時、あの香水をつけたら坊主頭の中学生でもブロンソンになれそうな気がした。
さて「香水ブランド物語」の著者は平田幸子という女性で、父親と二代にわたって「香水評論家」といわれている人である。
平田女史のこの本には数々の「香水」を説明しているが、その「香り」を言葉におき変える表現力において卓越している。詩かファンタジーの世界に入り込んだ気がする。
かつて日本人が世界大会で優勝して一躍有名になった「ソムリエ」のコンクールで、ワインの味覚そのものを巧みな話術と表現力で競いあっているシーンを思い浮かべた。
そういえば、香水の産地は南フランスのプロバンス地方あたりが有名で、ワインの産地ともかなり重なり合っている。
、 ところで、あるブランドをより強く確立するために、ブランドのイメージをニオイで表現する「香水」を売りに出すことが業界の「常識」なのだという。
昨年、「ココ・シャネル」の映画が公開されたが、ココシャネルはとても斬新で豪華な帽子のデザインからスタートしていることを知った。
あのオードりーヘップバーンが「テファニーで朝食を」で被った帽子である。
、 帽子をつくったら、それに合う服、さらに革製品というようにカバーする範囲が広がっていき、ファッションから持ち物まで「総合ブランド」に向かっていくのは自然なことかもしれない。
そして、ブランドの精神や哲学を「香水」というアイテムに託してシンボル化していくことが一般化しているのである。
色彩や形で表現されているものを、ニオイという消え行くもので「表現」しようというのだから、事物をよほど「深く」ツキツメないとできないことは、想像できる。
「香り」というものは、「カタチ」や「色彩」と違って、スグサマ消え行くものだけに奥深く、それ故にこそそれを生み出す人間性そのものの「表現」であるということだ。
そうであるならば、ベルサーチやジバンジーなどのブランドを「統一」して身にまとうということは、まさに他人の名前を「身にまとって」生きているということに他ならない。
マリリンモンローが「シャネルno5」ノミを「着て」ご就寝なさるというのは、結局はココ・シャネルという女性のアイデンティティを「借りて」生きていることに近似してくる。
ところで、オードリーヘップバーンならばジバンシー、カトリーヌドヌーブならばイブサンローランといった具合に女優が特定のブランドに固執するケースが結構あるそうだが、そうであるならば「女優」というのは、ブランド主とコラボレーションによって生みだされるようなものかもしれない。
前述の「テファニーで朝食を」では、原作のトルーマン・カポーティは主役のホリー役にずっとマリリン・モンローを考えていた。
ホリーは複雑な家庭環境の中で育ち、本当に男性を愛することを知らず、明日のことは考えない「根無し草」のような若い女性である。
少し寂しい影を持ち、実際にドラッグやアルコール中毒に苦しみ、妖艶な魅力を持つマリリン・モンローがこの役に近いと思ったからだ。
しかしながら、パラマウント社はオードリー・ヘップバーンを選び、彼女もこの複雑なホリーの性格・個性を見事に演じた。
ホリーはマンハッタンのアッパーイーストサイドのアパートに住む高級娼婦でお金持ちの男性からの貢ぎ物で生計を立て、いつかお金持ちの男性と結婚することを夢見ながら、自由気ままに暮らしている女性である。
そしてオードリー・ヘップバーンがコールガールを演じたということでセンセーションを巻き起こした。
この映画は優等生オードリー・ヘップバーンに「小悪魔的」な魅力を付加し、「ムーンリバー」の音楽とともに「ジバンンシー」を着こなしたファッションは世界的な話題をよぶことになったのである。

前述の「香水ブランド物語」では、「香水」がどんなに奥の深い世界であるかを教えてくれた。
なかでもおもしろかったのは、香りは人肌のヌクモリによって変化するそうだ。
最初に飛び出すつけてから匂いだす揮発性の高いトップノート、次に30分くらいかかってもっとっもバランスのよいカオリが出るハートノート。
最後に、約3時間以降に持続するように残るラストノートで、「残り香」といわれるものである。
つまり、一つの香水に「いくつも表情」が隠されているということである。
ちなみに「ノート」というのは「~調」ぐらいの意味で、香水の世界では、基本となる「~ノート」を作りだすのにどのような植物や花を合成するかという一応の「ベース」があるらしい。
ところで、香水にはあまりポジティヴなイメージの名前は使われていないようである。
「矛盾」「妄想」「羨望」「強情っぱり」「 禁断」「 阿片」「 爆薬」「優しい毒」 あげく「強迫観念」「阿片」などを意味するものまである。
こんな強力な香水を身にまとって誰かに近づくならば、それこそ巧妙な「ワナ」を仕掛けるようなものかもしれない。イカンゼヨ~~。
ところで、日本の女性の名前も世界的な香水のブランド名となっている。「MITUKO」である。
もちろんその名前には「魔」「眩」などのの要素はないが、それとも外国人は日本の女性の名前それ自体に、そういう要素をカギトルのだろうか。
明治初期に、東京牛込の骨董商の娘に青山光子という女性がいた。
ある冬の日この骨董屋の前で氷水に足を滑らせ怪我をしたオーストリア人男性の世話をしたのが「MITUKO物語」の始まりとなった。
それどころか1874年のこのハプニングは「EU誕生」のきっかけとなったといえるのかもしれない。
この怪我した男性はオ-ストリア大使として日本を訪れていたクーデンホーフという人物であったが、二人はお互いに美術面における知識と趣味を共有し、いつしか恋に落ちる。
周囲はその結婚に反対したが、3年後に反対をおしきって結婚することになる。
青山光子はクーデンホーフ家というオーストリアの由緒正しき「名家」に入ることになった。
クーデンホーフ家の領土はボヘミア地方にあり、光子は十数人の使用人のいるロスンベルク城で7人の子供と優しい夫に囲まれ幸福な日々を送った。
そして、二人の間には「光太郎」「栄次郎」という二人の子供ができた。
ところが1906年、夫ハインリッヒの突然亡くなり、庇護者を失った彼女は、異国の地で一人で生きていく他はなくなる。
光子は家をよく守り、光子はすべての子供たちを名門学校に入れて、子供達を熱心に教育した。
その教育理念は子供達に残した数多くの手紙の中にある。
そして、日本の明治思想と欧州の理念を融合させた厳しくも優しい教育理論は上流階級をはじめヨ-ロッパでも高い評価を得ているという。
そして、クーデンホーフ家の伯爵夫人として日本人として初めてウィーンの社交界に登場するや、彼女の凛とした立ち居振舞いから「黒い瞳の伯爵夫人」として社交界の花形となっていく。
彼女のことが噂でひろがるにつれ、フランスのゲラン社は「MITUKO」という名の香水を発売するのである。
ところが1914年に第一次世界大戦勃発し、敗戦国オ-ストリアの光子は皮肉なことに日本によって財産奪われる結果となる。
その後光子はウィーン郊外で晩年を過ごし、病と闘いながらもクーデンホ-フ家の復興のため尽力した。
彼女はオ-ストリアでの45年間、一度も日本に帰国することなく1941年に67歳で亡くなった。
ところで息子の”栄次郎”は、1923年に著書「パン・ヨーロッパ」を発表し、近代におけるEU(欧州連合)の提唱者として知られた人物リヒャルト・クーデンホーフ・カレツキである。
リヒャルトは映画「カサブランカ」の中でポール・ヘンリード演ずる反ナチス抵抗運動の指導者・ヴィクター・ラズロのモデルとなった人物なのだ。
「カサブランカ」のラストシーンではイングリット・バーグマンとともに飛行機で逃れる人物である。
リヒャルトは母について「自分に課された運命を、最初から終わりまで、誇りをもって、品位を保ちつつ、かつ優しい心で甘受していたのである」と語っている。
香水「MITUKO」を調べると「気品あふれる香水で大人の女性に愛される」とあった。

香料はもともと医薬品として扱われた時代には、調香師は薬剤師のような存在であった。
ヨーロッパ中世において、ドミニコ修道会の僧達は、薬剤、香油、軟膏などに使用する薬草や花を栽培し、香料の調合を行っていた。
そして1221年に世界最古の薬局・サンタ・マリア・ノベッラを設立している。
「ネ」(鼻)とよばれる調香師が登場し、自然からの贈り物である天然香料に人間が発明した合成香料を加え、「香水」を作り上げることに成功した。
彼らは植物や海や鉱物のニオイからインスピレーションをうけ、音楽や絵画によってイマジネーションを膨らませ、香水を創り上げるアーティストである。
南フランスのグラースあたりは、パリより5度ほど温暖で果物が豊かに実り、花も咲き乱れ、香りただようところであり、香料の「ふるさと」といわれている。
高校の古典の時間に、日本では、平安時代には、お香がさかんにタカレタことがを習った。
何しろ暑い中でも十二単なるものを着て生活するのだから、ニオイはハンパではない。
ニオイけしが必要なのは、ことの必然であろう。
これがいつしか「道」となり「香道」として確立したのが、8代将軍の足利義政の時代であった。
先述のように、ファッションのブランドは、香水のブランドをシンボル化させるといったが、 現代において「香水」を通じ「日本」を表現したのが、イッッセイとケンゾーである。パリのシャンゼリゼ近くに三宅一生と高田賢三の店がある。
彼らが生んだパフュームは、日本の衣食住からくる哲学を盛り込むことによって、てアジアと一線画す「日本の「香り」として意識され、愛されるようになった。
実は「香料」の起源はずっと古く、紀元前5000年前古代エジプトやメソポタミアで「香料」が使われはじめたが、クレオパトラはキフィという自分用の「香油」を浴びるように使っていたという。
新約聖書のはじめ、この世の救い主が生まれるという兆候に3人の博士が、ベツレヘムの馬小屋に駆けつけた。
そのときに携えたささげものは3つで、ひとつは黄金で、これはこの世の王をあらわす。
もうひとつは乳香(にゅうこう)で、救い主(油注がれたもの)をあらわす。 最後のひとつは没薬(もつやく)で、医師をあらわす。
この出来事は旧約聖書「イザヤ書」60章に予言されており、「(異教徒たちは)みな黄金、乳香を携えて来る」とある。
ところで、香水という意味の「Perfume」はラテン語の「煙を通して」という言葉から始まり、神への勳香として供えられたものだ。
香をたくというのはニオイ消しではなく、礼拝にさいして祈りを「天」に上らせ届けるということである。
だいぶ「本来」の目的から離れてしまっているようです。