新瑞穂国事情

デフレとは、人々がお金を手放さないので内需が起きないということであるが、もうひとつある。
人々が土地を手放さないので内需が起きないということもある。
もしも、もっと土地を有効に活用すれば民間住宅投資などもっと有効な「内需喚起」が期待できる。
今、農業は規模縮小されたとはいえ、この「土地の有効利用」という観点からすればまだまだイジレル「余地」の大きい領域であり、近年の食糧自給率の低迷や国際競争力の低下問題からすれば、「国家戦略的」問題といってもよい。
さらにそれは日本人の文化の深層にもふれる為、「国民的」問題といえるかもしれない。
ところで、かつて日本は「瑞穂の国」とよばれていた。
「瑞穂(みずほ)」とは、みずみずしい稲穂のことである。
日本は稲が多く取れることから瑞穂の実る国ということで、「瑞穂国」とよばれてきたのである。
もっと正確には、「豊葦原千五百秋瑞穂国」(とよあしはらの ちいおあきのみずほのくに)が日本国の「美称」としても使われていた。
天皇は、今も「田植え」をされる。
といっても皇居内の苗代で種籾を手まきされ、皇居内の水田で稲を手植えになるのだが、 世界中の王室の中で君主自らが「農作業」される国は日本だけといってよい。
しかし現代の日本、「瑞穂国」とよぶにはあまりにも悲しい事情がある。
「瑞穂国」はいまや「色あせた」美称となりつつあるのだ。
マッカーサーの「農地改革」は、地主に超安値で小作人土地を売らせて強制的に自作農を作り出した。
自分で働いた分がそのまま自分の収益になり、農民達の「働くモチベーション」が一気にあがる。
荒廃の中から産性も一気にあがり、「瑞穂の国」を長く再興するかに思えた。
しかしながら今、「農地改革」を実施するにあたってできた「農地法」の理念が、かえって「瑞穂国」を「荒れ地」に追い込んでしまっているとしたら、こんなヒニクなことはない。
しかし現実にそれが起きているのだ。
だいたいマッカーサーが自作農を作り出したのは、日本の「社会主義化」を防ぐためだ。ところが農協を中心とした日本の農民は、生産物の価格を自分達で決められない、土地の自由な活用ができないという意味では、ある部分では「社会主義」に近似した感じさえある。

農地法の根本理念は、農地の所有は耕作者にのみ認められるという「耕作者主義」を建前としている。
要するに、「地主制」復活に対する「楔」であるのだが、逆にいうと自分の土地を農地として認められようと思ったら「耕作」をしっかりする必要がある。
「耕作者主義」の立場から、「農地の転用」は厳しく規制されている。
つまり農民以外は「農地」をもってはいけない。反対に農地をもちそこを耕作しているからこそ「農民」なのだ。
しかし農地は、地元の農地委員会が認めればコンビニエンス・ストアになるし、工場にもなるし、道路にもなる。
そして農地を「宅地」に転用したら、数百万円でしかならなかった土地が、宅地に転用すれば数千万円にハネあがることもある。
そのチャンスが訪れた時に、すでに農地売り払っていたら、あるいは他人に貸していたら、ベストの売却機会を逸してしまう。
実はこうした農民の「転用期待」が土地の「有効利用」を阻む最大の要因となっている、ということはあまり知られていない現実なのである。
自分の家で食べる程度に休み休み耕作をし、もっぱら「農地の値上がり」を待つ。
農地は固定資産税や相続税においても優遇されている、つまり「保有コスト」がかからない。孫の代には新幹線がくるかもしれないし、高速道路だってくるかもしれない。そう簡単に土地は手放せるハズがない。
つまり農地という限られた資源を有効活用せず、さながら農地で「資産運用」しているにすぎない。
こういう農業を本気に取りくむ姿勢がないところでは農業技術における創意工夫などとても期待できそうもない。
そしてさらに深刻なのが、全国至るところで起きている「耕作放棄」の無残な現実である。
これでは「瑞穂国」の美称が泣く。
そして「瑞穂国」の高官達も、農民のそうした資産運用の「ヒソカ」を知りながらも「暗」に手助けしているように思えるフシもある。補助金バラマキである。
1970年代ごろより日本人の米の消費量はものすごい勢いで減り始めた。
市場の法則に従えば、需要の高い野菜などにシフトしてしかるべきだった。
あるいは、効率の悪い小規模農家は淘汰されて「土地の集積」が起こってしかるべきだった。
しかし米の生産については規模拡大は起こらず、たくさんの小規模農家が残存し「非効率的生産」におさまらず、高齢化と相俟って「耕作地放棄」を生み続けてきた。
また、農地の転用をスムーズに行い他の用途に回せば地方の税収も増え、その予算を生みだし内需拡大だって起きるはずなのにである。
今日の民主党の「農家の戸別保障」なるものも、「農業改革」の意思をかえってソイデいるのではないだろうか。
グローバル化に対応する「国家戦略」としては、「長期的展望」を欠いているように思えて仕方がない。

公共事業といえば誰もが国交省を思い浮かべるが、農水省はけしてそれにヒケをとらない存在である。
土地改良事業においては水田を平らにならすし、ダムもつくれば道路もつくる。
そのことを最もよく表わすのが、長崎県の「諫早湾」の開拓である。
何のために干潟を殺したのか、農地を増やすのが目的ということだが、現在なお「減反政策」が行われている 時に一体誰がここの農地を買うのだろう。
(現在は14法人が働いているそうだ)
海を埋めるとなれば土砂も運ばなければならない。
クルマも動いてそのことで需要も生まれ業者を潤す。
しかしそれは、農民や漁民の声を無視した役人および業者の為の干拓という他はない。
諫早湾は元来非常に恵まれた海で、その干潟は「宝の海」といっていいところであった。
漁民達はその豊かさを「魚介類がわいてくる」と表現していたのである。
その有明海で、いまや赤潮(=死骸の集積)が発生しているのである。
行政の執拗にくりかえされる説得で、漁民達はそこまで干拓反対を唱えるのは住民のエゴではないかと か思い始め、また補償金の一部積み増しによってしだいに干拓同意にむけられていった。
水門を下ろし堤防を締め切ったところで、豊饒な干潟が干上がってしまった。
億を超えるカキが死に真っ白なカキの死骸が一面が広がった。
アサリもカニもとれず、タイラギはほぼ全滅になってしまった。
漁師達はかつて一緒になって干拓反対を唱えていたのだが、漁ができなくなった漁民は公共事業の仕事をもら い干拓の仕事を手伝ってきたという哀しい現実がある。つまり漁師達の心の絆までも引き裂いてしまった。
海の漁業資源は浅瀬や干潟といった浅いところで育っているのであり、干潟を埋めるということはその地域の生き物を殺す ということである。
ちなみに水門のことを地元の人々は、「ギロチン」と呼んでいる。
最近、管首相はついにギロチンをあける決断をした。農水省を信じてきた農民達は今度は農地が「塩害」に侵されることを危惧している。

ところで日本人は自然や生命を育んでいこうという伝統的な意識をもっていた。
長年培った「瑞穂の国」は瀕死であってもその住人達は内なるDNAは絶対に死にたえてはいない、と思う。
かつて世界に名を馳せたTOYOTAの「カイゼン」は、農業での体験から生まれたものである。
現場で少しづつやり方を変えていく創意工夫のことである。そうした日本人のDNAを示す二つの例を以下に紹介したい。
「産地直送」の流れはは、福岡の老舗百貨店から始まった。
1981年、博多大丸は地元ナンバー・ワンの岩田屋に水をあけられ、商品戦略の見直しを迫られていた。
生鮮食品担当の古山氏は、浮羽郡(現久留米市)田主丸で成功していたある農園の話が頭に浮かんだ。
地元農協には加盟せず、青果市場に直接農作物を持ちこんでいたことから、手ひどい嫌がらせにあっていた。
農協の意向を反映したのか、市場はこの農家から持ち込んだ生産物を徹底的に安く買い叩いた。
ところがこの農家の「いずれは誰かが分かってくれる」という「信念」はスゴかった。
一箱150円でトマトを出荷し続けたのである。すると消費者が、あのおいしいトマトを売ってくれと青果店に催促し始めたのである。
古山氏は、博多大丸に赴任して以来、九州各地の篤農家を訪ね歩いていた。
篤農家とは、農協の言いなりに農薬をばらまき、週末と夏休みだけ農業する兼業農家ではなく、熱心に農業 を研究している、いわばプロの農家をさす者達のことである。
そして古山氏は、九州各地に篤農家が意外に多いこと に気付く一方で、その作物の流通の悪さに愕然としたという。
実は農協はそれほど生産物の「味」にはこだわらず、形と大きさだけを問題にする。
要するにブランドイメージとして「見た目」が大切なのである。
どんなにおいしい野菜や果物を生産しても、形が悪かったり規格外の大きさだと、農協はひきとりを拒否す るのである。仮に引き取ることがあっても、二束三文のはした金しか出さない。
農協を中心とした農作物の流通は全ての仕組みが農協の利益のために働いており、どんな品質のいい農作物 を生産しても、農協に与しない生産者は徹底的に排除されていた。
古山氏は農家から百貨店に直接農作物を持ち込むことはできないかと考えたが、そういう物流の仕組みはな く、百貨店の担当者が生産者の家を直接まわって集荷するほかはなかった。
つまりコストがかかるということなのだ。
安くしか売れないものが、コスト高なのだから商売になるハズがなかった。
しかも扱っている品物はせいぜい10品目にすぎず、百貨店で「産直」を発信するには売り場面積はあまりにも小さ く頼りなかった。
見向きさえもされない。
広告を出すにも野菜を広告にだす百貨店などいままで聞いたことがなかった。
しかし古山氏は、田主丸で見つけた酸もなくアクもなく渋みもない、そのまま食べられるホウレンソウを信じた。
本当の野菜の味をなんとか世に知らしめたい。古山氏の熱い情熱は、次第に上司にも伝わっていった。
そして新聞に「ほうれん草を生で食べてみませんか」の全面広告で出た。
この新聞広告は、当時の流通業者や生産現場に衝撃を走らせた。
生でホウレンソウが食べられるという衝撃より、百貨店大手が「ホウレンソウ」の全面広告を出したという衝撃だった。
ともあれこの衝撃こそが「産直」の産声となった。
今まで有機野菜の「潜在的需要」があったハズなのに市場はなかなか応えられずにいた。
しかしこの「産直」の激震をもって有機栽培農家と消費者が直接結びつく「流れ」が起きていった。

旧約聖書によれば、人々は「エデンの園」追放後、「汗して働く」ことになったのだが、地は呪われ「アザミとイバラ」が生じたとある。
そして実際に、「人類の戦い」のかなりの大きなウェイトが、「アザミとイバラ」の戦いに注がれてきたといって過言ではない。
稲作のための農地をつくることも、それ自体が自然界の中に「変態」をつくるものであるから、既存の生態系から様々なシッペ返しをうけることになる。
この場合の「アザミとイバラ」とは害虫と雑草で悩まされるということである。
最近「奇跡のリンゴ自然栽培」で世に知られた木村秋則氏のことが思い浮かんだ。木村氏は20数年前「自然農法論」という本を読んだのがきっかけで、米を無肥料・無農薬で作ったことができるならリンゴでも出来ないだろうかと思った。
片っ端から農業関係の本を読みあさり、本格的に取り組みだすことになった。
しかしそれは苦悩と挫折の始まりでもあった。
最初の年は前年の残留肥料のせいか順調だったが、初夏になると葉が黄ばみ落葉を始める。
それから7年間、葉は出てくるが花は咲かず害虫と病気の闘いだった。毎日毎日害虫取りをしたが、いくらとっても追いつかない。
だから木村氏ほど「農薬」の効き目とありがたみを知っている人はいないかもしれない。
収入のない生活が続き、それでも毎日の作業を新聞のチラシを分けてもらい鉛筆で書きとめた。実は子供にノートを買ってあげることも出来ず、夜は弘前の繁華街で働くという生活が続いた。
しかし新聞広告にウスク鉛筆でかいた記録は、リンゴの木箱2箱になったという。
家族にはだんだんよくなってきたと言い聞かせるものの、何をやっても害虫の被害がなくならない。
そのうち家も二度追い出され、世間からも変人扱いされた。
リンゴの木一本一本に「ごめんなさい」と声をかけて回り、ついに気が狂ったと思われたそうだ。
絶望に打ちひしがれ岩木山から弘前の夜景を眺めつつ佇んでいると、足元の草木等が小さなりんごの木に見えてきた。
しゃがんで土をすくってみると、何もしていないのに根っこが張リ抜けなかった。
畑の草はすっと抜けってしまう、また土が畑の匂いとぜんぜん違っていた。
この粘り(根張り)こそが重要だと気ずき、今まで「土の表面」のことしか見ていなかったが、大事なのは「土の中」だと気がついた。
大豆の根粒菌の作用による土作りの知識があったので6年目に大豆をばら撒いた。
年をおうごとに「カイゼン」が見られ落葉が少なくなり、花がさくようになり、8年目で少しばかり小さなリンゴが実り始めた。
そしてその翌年ついに畑一面にりんごの白い花が咲き乱れた。
その風景を見た時に足がすくんで身動きできなくなり、涙が止まらなくなったそうだ。
木村氏はリンゴが出来ない時、野菜と米をずいぶん勉強した。それが今はとても「大事な時間」だったと振り返る。自分独自で確立した理論を伝えるために、無肥料栽培をめざす生産者の指導を行っているという。
菅首相は、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加を機に農業分野を活性化し、国際競争力を高めることを目指すという。
これまで日本の自由貿易交渉は農業がネックで行き詰まる状況が続いている。その結果、農業分野で思い切った決断をした韓国勢との競争で日本企業は大きなハンディを背負いつつある。
しかし「開国」を謳うからには、日本の農業の現状で外国との競争に晒してとても太刀打ちできそうにもない。
それには農地の規模を拡大して効率の高い農業生産を行う必要があるが、その為には「土地の所有と利用を切り離す」大胆な改革が必要になる。
これは農地法の精神「耕作者主義」の根本的な見直しでもある。
しかし農林族といわれる議員達は、農地が他の用途に転売される危険など企業の農地取得に警戒感が強く、「農地法改正」のハードルは高いといわざるをない。
そんななか、「1月22日」の朝日の朝刊に次のようなことがのっていた。
政府の「食と農林漁業の再生実現会議」は、若者や企業の農業参入の妨げになっている「農地法」の制度や運用を見直し、参入を促す改革を実施するという方針を確認したというものであった。
株式会社の本格的な農業参入は、当初は構造改革特区に限定されており、農地を所有できず賃貸ししながらの農業しかできないなど、本格的な農業参入とはいいがたい面があった。
これを企業が議決権ベースで過半数を出資できるようにすることを今後検討するのだという。

ところで「瑞穂国」の高官達は、退職後のポストを保障してくれる「天下り」にむけて「既得権益」を最重視する傾向にある。
「天下り」の語源は、万葉集の「葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らし召しけるが」であるからして、こういう国益を損なう行為に「天下り」という言葉をあてることは、「瑞穂国」という美称に対しても適当ではない気がする。
もっとも、色あせた「瑞穂国」に対するブラックユーモアとしてなら別ですが。
ちなみに農水省高官の「天下り先」を調べた結果、予想どうり「農協」関連団体がとても多かった。