Mr.インテグリティ

岩崎夏海氏といえば、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーを読んだら」の作者である。
最近、岩崎氏がNHKの番組で30年以上前の「ドラッカー」の経営書「マネンジメント」を読んだ時の感想を語っていた。
読み始めてまもなく「マネンジメント」は命をカケて書いた文章であることを実感し、読み進むうちに自然と涙がでてきたそうだ。
通常、作家が身を削って書いた文章でも、そういう感慨を抱くことは滅多にないのに、である。
個人的には大学の英文購読の時間に、「マネンジメント」を読まされたことがあった。
あの時の印象では、これは経営学のタグイの本ではない。あえていえば「人間学」の本という印象だった。
岩崎氏によれば、ドラッカーの「言葉」にはどこまでも「真摯」さが宿っており、読んでいくうちに気持ちが落ち着くし、自信さえ湧いて来るのだそうだ。
それほどのものならば、あらためて読み直してみたい気にサエなった。
しかし、果たしてドラッカーの「真摯」さとは何に由来するのだろう。よほどの苦労人だったのだろうか。

ピーター・ファーディナンド・ドラッカーは、1909年オーストリア・ウィーンに生まれた。
ドラッカー家はもともとオランダにいたポルトガル系ユダヤ人の家系で、父はハプスブルク家の政府高官で、母方には著名な学者が輩出している。
つまり、ドラッカーは裕福なエリート家庭に育ったのだ。
ただ、ユダヤ系であった分、ウィーン革命による古い19世紀的ヨーロッパ社会の崩壊やナチスの勃興に対して、人一倍敏感に感じるところはあったようだ。
ドラッカーは若き新聞記者としてヒットラーをインタビューしたり、批判的な論文を書いたりしたこともあった。
しかし次第に「身の危険」を感じて、1937年にアメリカに家族とともに移住した。
そして彼がアメリカで目にしたのは20世紀の新しい「社会原理」として登場した組織である「巨大企業」だった。
たまたまジェネラル・モータースの副社長が彼の著作を読み、顧問としてドラッカーを招いた。
そしてドラッカーはGMを題材にした著作に取り組み、広い見地から「企業とは何か」などを著した。
ドラッカーの意識下には、ヨーロッパが「全体主義」に侵されていったこと、アメリカが大恐慌で経済的に破綻したことなどの、重苦しい歴史的経験があった。
そうした暗礁の中から、人間が「自由」と「尊厳」を保ちうる「マネンジメント」、すなわち組織運営の「あり方」を極めて真摯に追求していったといってよい。
ドラッカーは、世界ではじめて「マネンジメント」の重要性を世に知らしめた人物で、その本は「フォード再建」の教科書としても使われたという。
ドラッカーは数多くの重要な「経営コンセプト」を考案したが、その興味・関心は企業の世界にとどまることなく、社会一般の動向にまで及んだ。
ドラッカーは「人を幸福にする組織」のあり方の追求したのだが、そのためにはどうしたらよいかを考える上で広く社会に目をむけるのは当然のことであった。
ドラッカーは、企業の目的は「顧客を創造する」としたので、当面の「客」に目をむけるだけではなく、今のところ「客」にはなっていない層にこそ「目線」をむけねばならないとした。
したがって、その「視野」が社会全般に及ぶのは当然であろう。
ところで「顧客の創造」は、企業に所属する一人一人の「意識」と結びついたものであり、「マネンジメント」は企業経営のノウハウにとどまらず、個人の「プロフェッショナリティ」の育成、つまり「自己啓発」あるいは「セルフマネンジメント」の書ともなっている。
いわゆる「知識労働者」が21世紀のビジネス環境で生き残り成功するためには、「自己の長所(強み)をどう生かすか」や「自分がどう変化すべきか」などを知ることの重要性などを指摘しているのである。

ところで唐突に、一人の野球選手のことが思い浮かんだ。
それは、広い意味でマネンジメントの「失敗例」の一つといえるかもしれない。
1971年にロッテオリオンズに飯島秀雄という選手が入団した。
飯島選手は、おそらく日本の「プロ野球」史上もっともユニークな選手であったといってよい。
何しろ、野球経験が「中学時」だけで入団したのは、飯島選手だけであっただろうからだ。
飯島選手は東京オリンピックやメキシコオリンピックの100m走の代表選手である。
スタートダッシュに優れており、「50mなら世界一」早い先選手であった。
オリンピック中継の「飯島トップ 飯島トップ」という音声がいまでも耳に残っている。
つまりベース間を「直線」で世界で一番早く走る男にロッテ球団はメにつけたのだ。
しかし飯島選手には、中学の一時期以外、野球経験がほとんどなかった。
プロ野球選手として二軍で一度打席にはいったこともあったらしいが、当然の如くに「三球三振」で終わったという。
飯島選手は、「代走」専門の選手であり、ピッッチャーからキャッチャー、そしてキャッチャーから二塁ベースにボールが届くまでの時間を「単純」に合計すると、計算上は絶対に「盗塁成功」になるハズであった。
しかし飯島は、ロッテ球団の期待にかなう「成果」をあげることはできなかったのである。
つまり盗塁成功率は50パーセント程度にとどまり、代走としての「実績」をほとんど残さぬままに退団となった。
飯島氏は自分の「強み」を生かすことができない世界に身を置いてしまったのである。
言い換えると、走力という「強み」は「カケヒキ」のある世界ではまったく通用しなかったのだ。
飯島選手はピストルの音とともにスタートするのと同様に、投手の単純に足をあげたらスタートとするとても「真正直」な人だった。
そして「盗塁」スタート自体がママならず、スタートしたとしても成功率は半々だったのである。
また、飯島選手が「代走」で塁に立てば、それ自体「これから盗塁しますよ」というメッセージを敵方に伝えるのと同じだから、バッテリーをはじめ、全選手がそれを阻止することに全神経を集中するという「特異な」舞台が生まれたわけである。
ロッテ球団の飯島秀雄氏の入団は、走塁における「リスクゼロ」をめざしたものであり、突飛なことをいわせてもらえば、「金融工学」におけるクオンツ達が考えたことを思いうかべるのだ。
クオンツ達も、究極において「リスク・ゼロ」を目指して手の込んだ「金融商品」をつくったのだが、現実世界の「想定外」のフルマイに、その「幻」はもろくも崩れ去った。
飯島選手の場合、本人も球団も、プロ野球の世界がその「強み」を生かせる世界ではないことを悟った時、野球のユニフォームを脱いだのである。
ちなみにドラッカーの教えの中に、「自分が成長できない環境からは迅速に抜け出すこと」というのがある。

ところで今、我々はドラッカーいうところの「真摯」な言葉に飢えてるといっていいかもしれない。
東北の大震災311以降は特にそう思う。責任をもってしかるべき人達からは、そういうような言葉をほとんど聞くことができないでいる。
地震津波に加え、「真摯言葉」の飢饉が起きているともいえる。
ところで、日本的ニュアンスで「真面目な人」という場合の、「真面目な」を表現する適切な英語が、なかなか思いあたらない。
「sincere」とか「industrial」とかいう言葉も思い浮かぶが、どうも違う。
ところで、ドラッカーのいうところの「真摯さ」は「integral」(=統合)という言葉を訳したものだ。
ドラッカーは「マネジャーにできなくてはならないことは、そのほとんどが教わらなくても学ぶことはできる。しかし、学ぶことができない資質、後天的に獲得することのできない資質、始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。それは才能ではない、真摯さである」という。
この「真摯さ」(インテグリティ)には「人から何を言われても自分の信念を曲げない」という意味が強く込められている。
つまり、「何が正しいか」を考えるのなら、自分の信念を曲げず、「正しい」と思ったことに突き進むということである。そこから自然に首尾一貫した「行動」が生まれる。
ドラッカーによれば、リーダーは愛想よくする、人を大切にする、人付き合いをよくする、そんなものが十分なワケがないとサエ言っている。
このような資質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきあいがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと、「危険」であるとサエいいきっている。
さらに、「うまくいっている組織には、必ず一人は手をとって助けず、とっつきにくくわがままなくせに、しばしば誰よりも多く育てる。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待するリーダーが一人いる」と、リーダーの資質を語っている。
しかしドラッカーがいうリーダーシップは、カリスマ性とは関係もなく、神秘的なものではない。むしろ平凡で退屈なものさえいっている。
東北の震災・311以後、国政においてリーダー不在を感じなくもないが、その分地方自治体で優れたリーダーがでているようにも思うが、彼らこそがそういうリーダーにあたるのかもしれない。

さてドラッカーの本には、ハット「気づき」をよぶ「名言」が随所に散りばめられている。
通常、「変化」に対抗する組織はホットイても出来上がってしまうが、「沈滞」に対抗する組織をいかに作るかということが「マネンジメント」の主要なテーマである、と。
またドラッカーは「すべてのものは陳腐化する」という。組織に生きる人間は、常にこれを「キモ」に命じて生きるべきである、と。
どんなことでも、「出来た」「成し遂げた」ことは、もう「その時点」から「陳腐化が始まる」ぐらいの「仮定」の下で生きるぐらいが、丁度よいということだ。
それは、たえざる「イノベーション」を要求することになる。人間は「変化」することより「継続」することを望むが、「継続」するためにこそ「変化」し続けねばならないということである。
もちろん、変化は失敗をもたらすこともあるが、ドラッカーは「失敗しない人間を信用するな」ともいっている。
そして「マネンジメント」の成果は、様々な失敗をも含めて「長期的」観点から「評価」されるべきものであるという。
「もしドラ」の中で、現在のチームを変革しようとするのならば、高校野球を転換するようなイノベーションをしなければ、本当には強くなれないというような話がでてくる場面がある。
例えば「高校野球の常識」を崩す、投手ならば「ノーボール」でいく、打者なら「ノーバント」を貫くなどである。
もちろんそれは「理」にかなうものでなければならないが、そういう大胆さこそがイノベーションというものだ。
かつてロッテ・オリオンズのバレンタイン監督が、二段構えのクリンナップ打線をつくり、プロ野球の「打順」の常識を覆して「大成功」したことなどを思い浮かべる。

ところで岩崎氏の「高校野球の女子マネージャーがドラッカーを読んだら」は、ドラッカーの"マネジメント"の概念を巧みに織り込んだ大胆な発想で、60万部を超えるベストセラーとなっている。
では岩崎氏のその大胆発想の「源」はどこにあるのかと思うが、17年間、作詞家の秋元康事務所でテレビ番組のプロデュースや放送作家などをしてきた方だそうだ。
目だった経歴では、2005年から07年までAKB48のアシスタント・プロデューサーをした。
つまり岩崎氏は、現在「快進撃」を続けるAKB48の「仕掛け人」の一人でもあったのだ。
(余計な話かもしれないが、氏は離婚歴もあれば、自殺未遂歴もある)。
そういう事情から、「もしドラ」に登場するのモデルはAKB48のメンバーのイメージが「重ね」合わせて創作されたものだそうだ。
だから、「もしドラ」はドラッカーの思想と現代日本のアイドルグループのキャラクターが「MIX」されて生み出された、「奇書」なのだ。
ところで岩崎氏からみて、AKB48のリーダー高橋みなみは、ハイレベルの「リーダーシップ」を発揮する人物で、「尊敬」の念さえ抱いているという。
前田敦子が「握手会」で嫌なことがあって一人で控え室で泣いていることがあった。
そこに、遅れて高橋が入ってきて、泣いている前田を見つけると、隣に座って、何をするでもなく、何か聞くわけでもなく、前田の髪をただただナデテいたというのだ。
その時、岩崎氏は女の子は泣いている女の子を見ると、こうやって慰めるんだと強いインプレッションをうけたという。
それを「もしドラ」で、夕紀が文乃を慰めるシーンで使ったそうだ。
その北条文乃というのが実は、AKB加入当初に「子鹿」のようにビクビクしていた渡辺麻友をモデルにして創作した人物像なのだという。

さて「もしドラ」は、「野球部の定義」からはじまる。
主人公・川原みなみは、親友・宮田夕紀が「野球部とは野球をするための組織ではないか」とアタリマエのことをいうと、「ドラッカー先生によると違う」と一刀両断にする。
みなみは自分の未熟さをよく知ったうえで、「ドラッカー先生」をひきあいにだすのだが、相手にはっきりと「NO」というところ、誰が正しいかではなく「何が正しいか」を明確にさせることで、ドラッカーいうところの「真摯さ」を示したといえる。
さらに主人公は、「マネンジメント」の内容に応じるかのように、野球の「顧客」とは誰か、そして野球の「顧客」が求めているのは何か、などを「真摯に」追求していく過程が面白く書いてある。
そしてドラッカーがいうように、「組織は顧客によって定義される」ならば、野球部とは「感動」を「顧客」に提供する組織なのだという「結論」が導かれるのである。

実は、ドラッカーは「日本が好きだった」というよりも、「日本に恋をしていた」。
そして「マネンジメント」の「日本語版」の原文が、この本の日本語訳を行った上田惇生氏のもとに残っている。
テレビでその推敲の跡をみたが何よりもドラッカーの「真摯さ」をアラワしているように思えた。
(脳裏に浮かんだのは、東北大学で魯迅のノートを添削した「藤野先生」の書き込みである)
そして岩崎氏によれば、ドラッカーこそが「真摯さの体現者」なのだという。つまり、「Mr.インテグリティ」なのだ。
ドラッカーは戦後の復興で見せたリーダー達の創造性に目を見張ったが、今そうして出来たものが危機に瀕しており、日本ほどそれらを「大変換」しなければならない国はないともいっている。
そして新しいことを生み出すためには、まずは計画的・体系的に「捨てる」ことが大切だといっている。今こそ「断捨離」が必要である。
そういえば、戦時中のリーダーであった者達は「公職追放」でイナクなっていた。
そのため、思い切って捨てるべきものを捨て去ることができたのである。
そして上がいなくなって、若い課長や係長が突然リーダーとして会社を「牽引」していったのである。
彼らはヤヤ皮肉をこめて「三等重役」ともよばれたが、彼らによって組織の「新陳代謝」が促進され、創造的な革新が行われていったのである。
ドラッカーは現代日本に1950年代、60年代に登場したような革新的、創造的な指導者の登場を願ってヤマナイいっている。
また、ドラッカーのひとつの「キーワード」に「すでに起こった未来」というのがある。
未来の種子はまかれているし、未来の「萌芽」は今まさにココにあるということだろう。
だからドラッカーは「未来学者」ではない。現状の自然な「帰結」を語っているにすぎないのだ。
例えば、今年子供の出生率が何パーセントか減ったならば、未来における自然な帰結はすでに起こっているのだ。
「もしドラ」の人気は、かつて「経営者」だけがマネンジメントを知っておけばいい時代から、一人一人が「マネンジメント」を学ぶ必要がアルという時代に変わったことを意味する。
つまりコレモ、「すでに起こった未来」なのだ。