年金と国のかたち

「年金支給」という約束事は果たさねばならない。
政府当局のその意識レベルこそが「国のかたち」をきめている。
年金制度(積立方式)は、政府当局と国民との間で交わされたマレに見る「超長期」の約束である。
政府当局にとって、莫大な積立金をヒタスラ保蔵しておくのはあまりに芸ナシだし、だからといって恣意的な運用が許されるハズもない。
国民には自分が積み立てた分に応じて、自分に支給される権利があるという意識がある。
近年、日本の政府当局にはそういう「超長期」のデザインがまったく欠けていたということが露呈した。
というか「そんな約束イツしましたか」とツッパネられている感さえある。
この問題こそ、民主党への「政権交代」の主要因といってよかったが、「掛け金」の引き上げと給付金のカットの理由に挙げられるのが「少子高齢化」である。
しかし、「少子高齢化」は人口構造を見れば完全に予見可能だったし、日本だけに見られる傾向ではない。
世界の先進諸国が共通して取り組んでいる問題だが、少子高齢化を"口実"に頻繁に給付額をカットしたり、「掛け金」を引き上げている国は、先進国においては日本だけなのだそうだ。
むしろ、社保庁の年金記録の杜撰さや、担当職員による「横領」などに見るとおり、長い「約束事」に対する姿勢こそが問題なのではないのか。
日本の役所というのはそんなところかと思わせられると同時に、「積立方式」による保険料の積み立てに見合った(物価調整後)支給は全くの幻想であったことがホボ明らかになった。
これらの役所の不祥事を「文化」と結びつけるのは無理があるかもしれないが、だからといってそれとは全くの無関係とはいえないと思う。
欧米では、時間がどうかかっても「約束事」は果たさねばならぬという意識は、「水に流す」傾向のある日本人に比べはるかに高いものなのである。
(ツブヤキ:8年ゴシの約束を果たしてくれた小惑星探査機「はやぶさ」の帰還が感動をよんだ。)
欧米社会はなんといっても「契約社会」であり、聖書における「預言」や「契約」が何世代かかっても実現すると信じうる感覚は、日本人が聞くと「気が遠く」なるような話である。 だから欧米において、年金支給においても、一度約束(契約)したものとしてあり、それを反故にすることは絶対に許されないことなのである。
だから「政府債務」という時に、ヨーロッパ社会の場合には「年金債務」をも含めて考えるのである。
それはどうあっても返さなければならないものだからだ。
この点、日本では年金債務を政府債務には入れない。
年金保険は長い間積み立てられているが、経済の情況に応じて5年に一度「再計算」されるという制度があるのだ。
実際、われわれが加入している厚生年金や国民年金は、十分に納得いく説明もなく、5年に一度の財政再計算のたびに、毎回のように給付額がカットされ、掛け金が引き上げられてきた。
約束されていたはずの年金額が支給されないだけでなく、重い負担ばかりを強いられてきたのである。
つまり日本の年金債務の場合「流動的」いかえると「操作可能」であり、そういうものを「政府債務」として計上する必要はないのである。
しかしながら、年金支給の「再計算」などということは、欧米から見れば、「契約不履行」を意味するものであり、おおよそ考えられない制度である。
もしもこの「年金債務」を政府債務に加えたら、ただでさえ巨額な債務を抱えているのに、日本はそれ以上に世界に突出した「債務国家」となるだろう。
世界に「突出」した日本の年金制度の特徴といえば、その運用が一般の「公共事業」に回されているということである。
欧米の社会では、年金のように確実に支給されねばならないものを、公共事業などというリスクのあるものに使うなどという発想はほとんどない。
積立金は本来、債権や株式等、十分に収益の見込める金融資産を中心に運用すべきであって、収益がほとんど見込めないような施設を作ることによって運用すべきではないハズである。
アメリカの場合には、せいぜい「国債」で運用しているのだ。

それでは年金資金と公共事業という「日本的な」結びつきはイツ・ドノヨーに生じたのだろうか。
年金の積立金がある種のハコモノと結びつくということならば、2003年12月末に、厚生労働省が大規模年金保養基地(グリーンピア)と年金住宅融資の両事業により、年金財政に約1兆3000億円の損失を与えたというニュースで知ることができた。
グリーンピアの大半が業績不振に陥りこれをもって国民の年金給付額が減らせられるならば、国民はモットモット怒ってしかるべきだ。
しかし、厚生年金病院や厚生年金会館、老人ホームなどの福利厚生施設は、その利用はある程度退職者などに還元される部分があるので、多少は許容される要素がないわけではない。
そして確かに、厚生年金保険法や国民年金法には、「政府は(年金加入者と受給者)福祉を増進するため、必要な施設をすることができる」という条文がある。
しかし年金の積立金がが使用頻度が極めて低い道路や巨大な橋、トンネルなど、その便益が退職後の老人などにほとんど及ばないものに回されると聞くと、まったく違った感じをうける。
つまり建設会社を儲けさせ、官僚の退職後のポストを確保し、長期政権であった自民党の議席を確保するために運用されてきたとしか思えない。
こういうことが見逃されてきたのが、戦後の日本の「国のかたち」を形成したと言って過言ではない。
しかも、国民が出した「保険料」が退職後に積み立てた分戻ってこないというのならば、保険料は「徴税」と何ら変わらないものではないのか。
官僚からすれば、税金に比べて収支報告も決算報告も厳密ではない保険料の積立金の方が「使い勝手」が良かったというだけのことではないだろうか。
さらに溯ると、国民皆年金制度が確立された時代と田中角栄の「列島改造論」が喧伝された時代とが「規を一」にしていたということがある。
その時代は農業から工業への産業構造の中心が大きくシフトしていく過程で、その中間的「受け皿」として建設業(土建業)があったということがある。
そて厚生官僚達の夢が、田中角栄の「土建国家建設」と結びついたということでもある。
それでは「厚生官僚達の夢」とは何なのだろうか。

経済学者の野口悠紀夫氏はかつて「日本は今なお1940年体制をひきずっている」と指摘したことがある。
「1940年体制」というのは、要するに日本で確立した「戦時体制」をさしている。
その頃、金融も自由な市場での直接金融方式から統制的な間接金融に変質した。
税制は、それまでの地租、営業税中心の体系から、直接税中心の体系に変わった。
地方財政は、分権的なものから、国に依存する体質に変化した、
また、江戸時代から継続していた地主と小作人の関係が、「食糧管理制度」の導入によって本質的な変化を遂げた。
都市における地主の地位も、「借地法・借家法」の強化によって弱体化された。
以上の社会体制はそのまま伝統的なモノと思われがちであるが、「戦時」の体制としてかたちづくられた「特殊」なものであり、それが「平時」も続くことによって日本の「国のかたち」として定着した感があった。
我々の一番身近なところでは、所得税はそれ以前からあったものの、1940年の税制改正で世界ではじめて給与所得の「源泉徴収制度」が導入された。
「源泉徴収制度」は戦費調達を確実に行うために導入されたものであるが、税の捕捉率100パーセントということは、サララ-マンの自営業者などに対する「不公平感」を募らせ、間接税(消費税)中心の税体系へと移行したのは周知のとうりである。
1940年の「税制改革」で地方への補助金・交付税なども、中央政府が全国的な支配体制を築くためにつくられたものであったが、それが地方分権にむけて「三位一体改革」として本格的にメスが入り始めたのはようやく最近のことである。
もうひとつ例をあげると、1941年には、借地・借家人の権利を強化するための「借地・借家法」の改正が行われ、契約期間が終了した後でも「契約が解除しにくく」なった。
この背景には、家賃統制を実効的なものにすること、とりわけ、世帯主が戦地に応集したあとに残された留守家族が「借家から追い出される」のを防ぐという目的があった。
ところが現代、この戦時体制のしたの「借地・借家法」よって土地やビル・オフィスの回転効率が悪く、地価の高騰を招いているなどの問題となっている。
また1937年に産業報国会が作られたが、これは労使双方が参加して事業所別に作られる組織であり、労使の懇談と福利厚生を目的としたものであった。
戦時は労使の「一体化」が何より優先されたからだ。
日本の組合が企業別組合として結成され、現在に至っているのは、戦時中からの産業報国会などの組織が衣替えして成立したからであるというわけである。
また日本の大企業は、もともとは部品に至るまで自家生産する方式をとっていた。
それが、戦時期の増産に対応するための緊急措置として「下請」方式を採用するようになった。
1960年代末にトヨタに部品を納入していた子会社の40%以上は、その下請け関係を戦時期に築いていたという。
1940年代を支配していたのはヒックルメて「社会民主主義」的な統制色であり、それを担ったのが「革新官僚」といわれる官僚群であった。
「革新官僚」とは1937年に企画庁が、日中戦争の全面化に伴って資源局と合同して企画院に改編された際、同院を拠点として戦時経済統制の実現を図った官僚群をさす。
彼らは東大や京大でマルクス経済学を学び、星野直樹企画院総裁や岸信介商工次官らを代表とし、満州でそうした計画的な経済体制を実現しよとしたのだ。
そうして彼らとかぎらず政治家も含め戦時における計画経済の模範としたのがヒットラーのナチス・ドイツであったのだ。
戦時経済体制の中で厚生省の年金課長である花澤武夫氏が、ヒットラーの戦時経済体制をモデルにしていたのは知る人ぞ知るである。
特にその年金の運用法については、現代の「国のかたち」を作ったといって過言ではない。
ドイツで「年金保険」の70億ライヒスマルクを使って、ベルリンから八方に向けて戦時目的の高速道路アウトバーンを作ったし、労働者住宅をどんどんつくった。
クラフト・ドルフ・フロイデ「歓喜力行団」というリクレーション活動の組織やヒットラー・ユーゲントなどのスポーツ奨励のための青年組織を作ったのである。
こうした社会民主主義な国家をつくるということが、「厚生官僚達の夢」となったのである。
国会でもとりあげられたらしいが、花澤氏が「厚生年金記録回顧録」(1986年刊)という本で「年金制度」ができた経緯・背景を呆れるほど率直に語っている(そうだ)。
この発言は当時の厚生省官僚たちの「夢」(または「野望」)をよく表している。
「この膨大な(年金)資金をどうするか。これをいちばん考えましたね。何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。これを厚生年金保険基金とか財団とか言うものをつくって、その理事長というのは、日銀総裁くらいの力がある。そうすると、厚生省の連中がOBになったときの勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だ。これは必ず厚生大臣が握るようにしなくてはいけない」
暴言に聞こえるがあまりにストレートに本音を語っているようにも思える。
ただ花澤氏らを中心に年金制度を作った官僚たちとて、積立金くを道路や公的住宅に建設等に使ってしまえば、あとから年金支払いの時にこれを回収できなくなる可能性が高いことはわかっていたハズである。
彼らは役人としての「野望」はあったにせよ、国民を騙そうなどということを考えるほど「悪辣」な人達ではなかったと思う。
むしろ彼らが想定していた世界観に「誤算」があったというほうが正鵠を射ているのではないだろうか。
戦後はかなりのインフレの時代であったために、それが確定給与型の年金の債務ならばほとんど価値はゼロになってしまうので、積立金を早いうちに使って道路た公的住宅を作っておこうというのは、合理的な判断でもあるということである。
仮に年金給与が返せなくなったら「積立方式」から「賦課方式」(現役世代が退職世代の給与を負担する方式)に切り替えればよいという見込みだったのだ。
つまり厚生官僚達の「誤算」とは、日本銀行に匹敵する大金融機関をつくろうという「野望」と、インフレによって債務はほとんどチャラになってしまうとう計算が入り混じってのことだったということだ。
それでも厚生官僚が旧大蔵省や旧通産省との権益の確保競争に勝ち得たとはいえない。
なぜなら、年金よりも残高の多い郵便貯金・簡易保険が活用されて、旧大蔵省「資金運用部」とそれをとりまく公社・公団・事業団というかいう形で、高度成長期以降の自民党・官僚政治を「下支え」してきたからでる。
しかしならが厚生省もやはり、特別会計や公社・公団・事業団という形で相当利益を確保してきたといってよい。
」と、ここまで書いてみると、日本の「国のかたち」をきめた決定要素としては、天下りポストの確保などの各「省益」間のぶつかり合いと「力関係」ということもあげられる。
そして戦後、厚生官僚達は、「国民皆保険」を目指したが、そこに「列島改造」を謳いながら日本を作り変えようとする田中角栄の構想と響き合うものがあった。
高度成長時代に設立された公共事業関連の公団や事業団は数多くあるが、その中で一番大きなものが日本道路公団であった。
そうして年金の積立金の一部が、間接的な融資という形で、こうした公団や事業団に回ったということである。
以前は170兆円ある厚生年金積立金のうちの100兆円が財務省の財政融資特別会計を通じて、こうした公共事業関連の公社・公団の特別会計に融資されていったのである。

「この国のかたち」という言葉がある。
司馬遼太郎に同名のタイトルがあるから、おそらく司馬氏がこういう言葉の使い方をされたのがはじめてかもしれない。
以上みたように年金の「運用」は戦後のこの国のかたちを作るうえで大きな要因であったことを思わせられる。
そして今日の「政権交代」も「年金改革」がポイントであったのだから、今国会では「税と社会保障の一体改革」が最大のテーマとなってくハズである。
年金の制度の中身や細かい数字のことはサッパリわからないが、消費税の増税レベルあるいは、賦課方式や積立方式などが当然大きな議論になろうが、年金積立金の「運用方法」も議題にして当然であろう。
菅総理は「持続可能」な年金制度を目指すそうだが、戦争や疫病以外で急速な人口の縮小がすすむ日本社会は、世界で「ジャパン・シンドローム」とよばれるほど、世界の政策当局の視線を集めている。
今後の民主党は年金改革プランは「世界モデル」を提示するということでもある。
もうひとの意義は、「年金制度のデフレ・モデル」を提示するということもあるかもしれない。
果たして民主党政権は「増税」とあわせて国民が納得できる「持続可能な」年金制度プランを提示できるのか、が問われる。
(それよりも、民主党政権の「持続可能性」が問題か)。