ものづくり大国(農業篇)

世の中には、本当に存在するのか存在しないのか、確かめたくなるものがある。
黄色いサクランボとか、青いバラとか、四角いスイカとか、ぜひ一度この目で見てみたい。
「黄色いサクランボ」といえば、1960年代初めに流行った「若い娘が、うっふん」で始まる歌謡曲のタイトルであるが、赤く色づく前のサクランボを指しているらしく、その意味では黄色いサクランボは実在する。
四角いスイカは、香川県善通寺産が有名だが、あまり食用には適さずしばらくディスプレイ用であった。
しかし「おいしい四角」をつくるための試行錯誤がなされて、「三本仕立て一果狩栽培」として、開花の約2週間後に木製容器にいれるとヨイのだそうだ。
容器の大きさを一辺20センチとすることで、黄帯の消失が早まり果実の着色不良が解消され、通常のスイカと大差なく、オイシク食べられる。
スイカといえば、最近テレビで福岡県宗像の直売所で売れている「果肉が黄色いスイカ」すなわち「クリームスイカ」を紹介していた。
黄色いスイカの作り方の説明はなかったが、色の違いだけではなく、味や食感も赤いスイカとは異なり、気品がある味と香りがあるのだという。
果肉の90%以上が水分だが、カリウムやアミノ酸の一種である「シトルリン」の作用により、むくみ改善や利尿効果が期待でき、夏バテや腎臓病の予防に効果があるとされている。
通常、赤いスイカは収穫後にJAの共選所というところに運ばれ、JAの技術員の検査やセンサーによる空洞のチェックなどが行われたうえで格付けされ、箱に詰められて全国に出荷される。
しかし、クリームスイカは生産量などの問題からそうはいかず、「個選」といって、各農家が個別に選別を行う。
畑から持ち帰ったスイカの表面を磨いてツヤを出し、外見の見た目と手で叩いた音で出来を判断する。
音を耳で判断できるようになるには、経験がものをいう「職人的」能力が必要とされるのだという。
ところで、「青いバラ」というのは存在しないはずだった。バラには一般の青い花に含まれる青色色素を作る能力がないため、Blue Roseは、「不可能」の意味も持つほどだった。
つまり青いバラも、青色ダイオードと同じくらい実現が難しかったが、それがいまや実在するようになった。
バイオテクノロジーを用いて「青いバラ」挑戦したのがサントリーで、14年の年月を経て2004年にようやく開発に成功した。
ブルーローズの花言葉は、「夢 かなう」である。
かつて小椋桂が「シクラメンのかおり」を作詞したおり、「真綿色したシクラメンほどスガシイものはない」と大嘘を書いて「遊んで」みたそうだ。
そもそもシクラメンは赤色しかなく真綿色すなわち白いハズがない。ついでにいえばシクラメンの球根は豚のエサとなるもので、和名で「豚の饅頭」という名前がついていた。
見た目とはウラハラに、実情はスガシイと言える花ではない。
♪真綿色した豚の饅頭ほどオイシイものはない~。出あった時の君のようです♪
小椋さんも随分お人が悪いと思うが、ウソが誠になってしまうのが、この世の中の怖さまたは面白さである。
この歌のヒットを機に、なんとか「白いシクラメン」をつくろうという努力をした人がいて、今ではソレは実在することになってしまった。
いずれもたゆまざる日本人の努力によるものであり、こういう「美の夢」をネバリ強く研究実現していくのも、日本人的特性かとも思う。
その他に、料理人が芸術的に野菜をきったり、氷を刻んだりして人の目を楽しませたりもする。
つまり日本人は、製造業のみならず農業においても、「高い付加価値」を生み出すことに長けた国民なのだ。

「ものづくり大国」日本は、東北大震災によってむしろ世界に実感せれた。世界の先端産業が、日本製部品なしではヤッテイケナイことを表明するかのように「操業停止」に追い込まれている。
他国で作られた部品では代替がきかないのだ。
もう一つ、東北から関東に至る地域で放射能汚染での「出荷停止」はそれ自体は不幸なことだが、そうした放射能汚染が暫定基準値を超えたと報道された農作物の「多様さ」に少々驚かされた。
「ほうれんそう、きゃべつ、ぶろっこりー、かぶ、あぶらな、茎立菜、信夫冬菜、山東菜、小松菜、ちじれ菜、紅采苔」などである。
日本には、国土が南北に長く四季がはっきりしているため、各地の消費者にニーズに合わせた季節折々の農作物を一年を通じて作ることができるという他国にない自然の「リッチ条件」がある。
そうした環境で磨かれた「ものつくり」意識の高さは、製造業と同じく農業にも、いや農業にコソ強烈に生きているのだ。
つまり、日本の「ものつくり」の原点は農業にあり、もし製造業が円高の為に海外移転して、アイデンティテイの危機をもたらすならば、むしろ農業における「ものつくり」においてこそ、それは保存され継承されなければならないように考える。
農業における「ものつくり」とはやや意外かもしれない言い方だが、ソレは次のような作業を考えれば理解しやすいと思う。
例えば、果物の「剪定技術」などは、「ものづくり」そのものである。
生育途中で、日陰の実を間引きしたり、枝ごと切ったりして、良い実だけ残るように樹形を整えていくのだそうだ。
そして篤農家といわれるほどのプロならば、5年後の樹形をイメージしながら、今の「枝切り」をしているのだという。
ある種「神業」に近いものがあるのかもしれない。
また欧米人が、果実の一個一個に「袋かけ」をして大切に育てる日本の果樹園をみたら腰をヌカスかもしれない。
また欧米でトマトといえば、ほとんど同じトマトなのだが、日本ではその管理技術によって、酸味や糖度やコクの調整を行い、様々なトマトを意図的に作り出し、それに応じて値段も変わってくる。
またトマトの水孔栽培など、土をまったく使わずとも、大量のトマトを実らせる技術というのもある。
肥料の絶妙な使い方で、果実の中身を調整するワザは日本人の「独壇場」といってもいいかもしれない。
「肥料」といえば日本は江戸時代より海産物を肥料として使ってきた。
そこが家畜の糞尿を肥料とした欧米と違うところで、どの海産物を原料にした肥料を使ったかで、そうした最終生産物の微妙な食味の違いを生み出すのだという。
ちなみに、イチゴの品種は世界で600ほどが登録されているらしいが、日本だけで180品種つまり約3分の1を保有している。

前稿で、日本の製造業における「物づくり」を日本人のアイデンティティとまで書いたが、縄文時代に育まれたそうした日本人の感性を「農業」が保存し、製造業にまで伝播されたもの考えている。
TPPによる「関税ゼロ」で日本の農作物は壊滅的被害を受けるという意見もあるが、日本人は同じ農作物でもかならずや「高付加価値」をつける能力があり、どこにでもあるモノとは「一味」違うものを作る能力があるということである。
だからアメリカの粗放農業で作られた農作物に対抗して、日本人特有の繊細で細やかに作られた「高付加価値」農作物で対抗すればよい。
外国と同じような大規模農場と効率化で「コスト安」競争するというのでは、あんまり勝ち目はない。
むしろ値段は高くても、高いなりの価値があるものを作ればヨイということである。
農業における共同体的意識なども含めて、技術やものつくりに対する高い意識は、近代の産業社会(企業社会)においてプラスとして作用した面が多く、それが日本の近代化の成功にも繋がったのである。
そしてもしも今日の農業に「停滞」ということがあるならば、農業それ自体よりはむしろ、「農政」の失敗に帰せられるのではないろうかと思う。
農家が農地が道路になるのを見込んで耕作する気もない農地をいつまでも持ち続けるとか、戸別保障制度にではわざわざ利益も出せない農作物をつくり、「自給率アップ」に貢献したとして所得保障してもらうとか、農地として相続しても二十年たてば宅地にして税金をおさめなくてよくなるとか。
こういう政策は結局は農業における創意ある「ものつくり」を萎ませるのみであるのだが、こういうあり方とオサラバするには、既得権益意識が強すぎたりとか農政の「闇」があまりに深すぎるのだろうか。

日本は「高付加価値」のものつくりにおいて高い能力を発揮する国民性があるのだが、一方でアメリカ人には日本人にはない「発想力」(応用力)あることにも注目したい。
日本食の大きな要素となっているものに「大豆」があるが、味噌、醤油など欠かせないものである。
当然日本人は大豆生産において優位性をもっていたはずだが、アメリカが大豆生産において非常に高い生産力をもっている。
実際日本は、現在大豆の多くをアメリカから輸入している。
ところでアメリカが「大豆生産」を伸ばしたのは、あまり知られていないことだが、自動車会社を創設したフォードの力が大きい。
アメリカに大豆が伝えられ作り始められたのは1920年代といわれる。
日本には大豆生産の記録が「古事記」にのっているくらいだから、日本の方にはるかに「経験知」があったはずである。
実はフォードは自動車製造以外にも「人類の完全食」の実現という夢を抱いており、車で儲けたお金をつぎ込んで世界中の食物をしらべた。
そして最も優れた食品として注目したのが「大豆」だったのである。
大正時代の日本からも文献を取り寄せて調べてみたところ、 燃料の原料となることも突き止め、実際に一時期フォード社は大豆油を使って操業していた時期もあったほどなのだ。
そのタンパク質にも注目し、豆乳や大豆クッキーを全国的に展開し、牛乳や動物性の食生活を変え、あらゆる機会に大豆食を導入するように国民によびかけた。
また大豆の繊維を自動車のシート用に使ったり、自動車用品の10パーセントもを大豆からつくることを目標にかかげたりしたのである。
また服の素材原料として使用し、一時はデュポン社の「プラスチック繊維」と競うほどの様々な特性を見出していったのである。
またトラクターを販売する農家には、新規作物として大豆導入をすすめたりもした。
しかし肝心の農家は、大豆すなわちソイ・ビーンズなど見たこともなくそれほどの関心をよぶことはできないまま、1929年の大恐慌による農作物の大暴落が起きることになるのである。
そしてフォードは農家を支援するために、新品種の開発も栽培技術の指導もフォード社の社員をつかって行ったりした。
これがどの程度の成功をもたらしたかはしらないが、大豆のポテンシャルをトコトン活かし切るという点で、アメリカの発想力または構想力ははるかに日本を凌いでいる。
ものつくりに優れた日本であっても、大豆生産のを食用油にするとか、工業用の燃料や繊維なまでしようという「発想」までは思い浮かばなかった。
わずか100年も満たないアメリカの大豆生産は、その生産量において日本の350倍にも達しているのである。

ところでデフレ不況、放射能被害、少子高齢化、製造業の海外移転などを考えた時に、日本人がどう生きていくかを考えた時に、どうしても「農業」ということころに意識がむいてしまう。
食糧さえ確保できれば、仕事があろうがなかろうが、何とか生きていくことはできるからだ。
人に売って儲けるためではなく、雇用不安や失業のために「自給自足的」な農業を考えざるをえない人々はたくさんいるにちがいない。
あの「サウンド オブ ミュージック」のモデルとなったトラップ・ファミリーはドイツ侵攻のために、オーストリアからアメリカに移住し一時は家族で歌って生計をたてたりもしたが、結局故郷に良く似たアメリカの田舎に自分達で家を建てて自給自足の生活したのである。
そこが今、その家もホテルとなってトラップファミリーの一人息子が経営し「サウンド オブ ミュージック」ファンがこのホテルをよく訪れるのだという。
これからは国や行政、会社などをアテにしては生きていけない時代となるかもしれない。そんな世の中で少なからぬ人々が、農業をもっとオープンなものにして欲しいという「願い」がおきて当然であろう。
そんな農業への関心の高まりの一方で、その気持ちを微妙にハグラカされるのが「農業統計」というものである。
公的な農業統計によれば、「農家数」は江戸時代には4人に3人、明治時代に2人に1人、戦争直後には4人に1人、現在は100人に3人に統計上なっている。
しかも巷に伝えられるようにソノ3人が高齢化しているのなら、いかにして農作物がつくられているのか、一体「減反政策」を誘うほど米が余ったりするものだろうか、実に「不思議な数字」である。
もちろん、農作物の海外からの輸入が相当量あるのはわかっているが、ソレニシテモである。
それで調べてみると、「農家数」や「農業就業人口」には大きな「盲点」があることがわかった。
だいたい「農家」の定義をよく知ることがポイントである。
農家とは「農地を10アール以上もっている」世帯のことで「職業概念」ではない。つまり実際に農業で生産活動をしているかは問わないのである。
農業を統計的に分類する上で次の二十もの区分があるという。
①農業経営体、②農家、③販売農家、④主業農家、⑤準主業農家、⑥副業的農家、⑦専業的農家、 ⑧第一種兼業農家、⑨第二種兼業農家、⑩自給的農家、⑪土地持ち非農家、⑫農家以外の農業事業体、⑬農業サービスし業態、⑭基幹的農業従事者、⑮農業就業人口、⑯農業従事者、⑰農業先住者、⑱農業世帯員、⑲組織経営体 ⑳法人経営体、に分類されるのだという。
つまりいわゆる「農家」には、我々が食べている農作物の大半をつくっている主業農業や農業法人に雇われている人数が含まれていないのだ。
しかも、65歳以上の高齢化した農家といわれる人たちは、サラリーマンや公務員を引退した後に、たまたま実家に農地があって、趣味程度に家庭菜園をやっているといった程度の農業をおこなっているのであり、他に仕事はしていなので「専業農家」として、農業就業人口の「統計上の高齢化」に貢献しているダケである。
「就業」とは、その日の業務につくことであり、農業で食べている人を農業就業人口にマッタクいれずに、働いてもいない人を全部入れていることになる。
これが日本の「農業人口」の実態であり、そこから導き出される結論がナニモノデモナイことは確かである。
「農家の減少」はけして農業生産の減少ということではなく、日本は世界5位の「農業大国」なのである。
その上、従来の農業にはなかった様々な管理技術が導入され、もはや単純な力仕事は減って、「頭脳労働」が成否を決める大きな要素になっているという。
気象情報や各作物ごと市況のデータベースを見て、作物の値上がり値下がりを予測して、一番高値がつく品をベストタイミングで売り出すなども大切な能力である。
例えばある宮崎の青年は、「私のつくっているミニトマトの作付けは、千葉県とバッテイングしている。だから千葉県の気象情報が気になるので、パソコンの端末で全国の気象情報を取り出し、千葉県の気象状況に目を配っている。そして千葉県の気象状況を見ながら、自分の作付けを調整している」といっている。
常日頃から無数の農家が市場や他産地の情報や動向をいちはやくキャッチし、変化のシグナルを読み取り、「作付け」判断をしているのである。
どこかの産地が一時的に沈めば、別の産地がすぐにカバーに入る。年間を通じてスーパーに一日も途切れることなく並んでいるのは、そうした情報化の証拠でもある。
また農作業において、微生物肥料によって作物がどれだけかわるとか、フイルムの遮光によってどれだけ作物が変わるかなどを試行錯誤をしていく。
テレビでは放射能に汚染つつある田畑にある化学物質を蒔いて少しでも放射能物質を吸収させているのを見たが、化学的な知識が モノをいう仕事でもある。
「品種改良」までに取り組むとなると「創造的」であり、冒頭でのべたような「美の夢」の実現につながったりもする世界である。
根本的に農業は「自己完結的」世界であり、社会にでるのを嫌がりヒキコモルような人も自然を相手にしたら、生き生きと仕事ができるのはないだろうか。
また、農地は工場と違って「移転」することはなく「持続可能」な仕事場でもある。
さらに知識欲、探究心、体力など様々な能力をフル活用して仕事ができ、しかも定年もない。
もちろん想定外の気象や害虫などによって苦しむこともあるかもしれないが、これからの農業は基本的には「自給自足」あるいは小コミュニティにおける自足用の作物をつくり、それをある程度域内のコミュニティとの交換などで済ます程度の規模で農業を考えればいいのである。
最近では、「貸し農園」というのがあって、週末にやってきて農家の指導を仰ぎながら「農作業」をやることに生きがいを見出す人も増えているという。
その際に、農園を貸す農家が簡単な講習を行うことによって、都市民と農家とのコミュニケーションも生じるのである。
またコミュニティレベルでいうならば、自然の腐食力を使った「有機エネルギー」の実現などにも、夢が広がっていくのではないだろうか。
要するに、ものつくりの精神が付加価値の高い農業生産に結びつき、そうした農業の可能性が人々にさらにオープンになった社会は、雇用や所得ばかりではなく「人間性の回復」をもたらす可能性があるような社会にも思えますが。