毒リンゴ

東北大震災ですべてを流されたジャズ喫茶の店主が「蓄音機」でジャズを流し、皆を励ましているという。
その話を聞いて、終戦直後に並木路子が歌った「リンゴの唄」がうちひしがれた日本人をとても元気付けたという話を思いうかべた。
しかし「リンゴの唄」の大ヒットは歌の力だけではなく、リンゴにそのものに人のこころを和ませるものがあるのかもしれない。
リンゴの形象や質量の中には、人間にあるプラスの感情をもたらす「何か」が潜んでいるのだろう。
旧約聖書の「雅歌」には、神に目を注がれたイスラエルのうら若き女性を「林の中のリンゴのようだ」と愛でた箇所もある。
リンゴの形象は人間の顔であるようだし、人間のハート(=心臓)にも似ている。
病室にあったらそれだけでも癒される気がするし、悲しみに暮れる心が、あの元気ハツラツの「真っ赤なリンゴ」をカジって元気(命)をもらいたいという気持になるのは、よくわかる気がする。
リンゴの木は平安時代の中頃に記録に残されていて、現在のリンゴが栽培され始めたのは、1871年アメリカから輸入された苗木をもって、各地で栽培されたのが最初だという。
ということは、アメリカから持ち込んだリンゴに「唇寄せて」、アメリカ軍占領下で日本人は元気をもらったことになる。
ところで並木路子による歌のサワリは、「リンゴはなんにも言わないけれど、リンゴの気持ちはよくわかる」である。
空襲ですべてを失った人が、自分の気持ちを伝える言葉もなく、ただ黙々と「復興」を目指して生きるほかはない気持ちを、この唄が代弁していた。
この歌を歌った並木自身が、その半年ほど前の東京大空襲で母と共を逃げ惑い、隅田川に飛び込んだ経験をもつ。
彼女は生き延びたが、母は帰らぬ人となった。そして、並木の心の傷は、けして癒えてはいなかった。
並木は一度はこの歌を歌うことを拒否したが、結局「戦後第一号」のレコードとして発売され、大ヒットとなった。
そしてラジオや蓄音機でこの歌が流れ、人々を元気づけたのである。
1946年当時小学生だった美空ひばりは、NHK「素人のど自慢」に出場し、予選で「リンゴの唄」を歌った。
ひばり母子は合格を確信したが、鐘が鳴らない。
審査員からは「うまいが子供らしくない」「非教育的だ」「真っ赤なドレスもよくない」という評価をうけていた。
審査員は悩んだ挙句、合格にはできなかったという。
しかしそれから6年後の1952年、中学3年の美空ひばりは「リンゴ追分」で70万枚の大ヒットを飛ばし、「リンゴ」でリベンジすることができた。
美空ひばり「リンゴ復讐事件」である。
ちなみに「リンゴ追分」の冒頭の歌詞は次ぎのとうりである。
「リンゴの花びらが 風に散ったよな/月夜に 月夜に そっと えええ・・・つがる娘は ないたとさ/つらい別れを ないたとさ/リンゴの花びらが/風に散ったよな あああ・・」
美空ひばりの「リンゴ追分」の大ヒットを記念して、1976年岩木山のふもとの「弘前公園」には「リンゴ追分」記念碑が立っている。

ところで今、地震や放射能で世の中が騒然としているなか、放射能汚染でヨウソやらセシウムなどの汚染が広がることが心配されいてる。
つまり、東北の空気や海、そして土の中にまで汚染が浸透し、農作物への「実被害」も心配されている。
そして「奇跡」といわれたリンゴのことを思い出した。リンゴの「無農薬栽培」を始めた木村秋則氏が岩木山で突然にヒラメイタ事とは、リンゴを無農薬で育てるということは「土を育てる」ということであった。
それも、「土の表面」ではなく、「土の中」を育てるということだった。
無農薬で育てようとしたリンゴの木は、葉は出てくるものの花は咲かず、毎日毎日害虫取りをしたがいくら取っても追いつかず、7年間はホボ害虫と病気の闘いだったという。
収入のない生活が続き、何をやっても害虫の被害がなくならない。そのうち家も二度追い出され、世間からも「変人扱い」された。
木村氏は「農薬」の有り難味を、イヤというほど味あわせられた。
実をつけぬリンゴの木一本一本に「ごめんなさい」と声をかけて回り、ついに気が狂ったと思われたこともあった。
木村氏自身、きっと「リンゴは何にもいわないけれど、リンゴの気持ちはよくわかる」と何度も口ずさんだとちがいないと、推測する。
絶望に打ちひしがれ岩木山に上って弘前の夜景を眺めつつ佇んでいると、足元の草木等が小さな「りんごの木」に見えてきた。
しゃがんで土をすくってみると、畑の草はすっと抜けってしまうのに、何もしていないのに根っこが張リ抜けなかった。
また土が畑の匂いとぜんぜん違っていた。
この粘り(根張り)こそが肝心だと気づき、大切なのは「土の中」なのだと思い至った。
大豆の根粒菌の作用による「土作り」の知識があったので、6年目に大豆をばら撒いた。
年をおうごとに「カイゼン」が見られ落葉が少なくなり、花が咲くようになった。
そして、8年目で少しばかり小さなリンゴが実り始めた。
そしてその翌年ついに畑一面にりんごの白い花が咲き乱れた。
木村氏は、その風景を見た時に足がすくんで身動きできなくなり、涙が止まらなくなったそうだ。

リンゴといえば青森県で、全国の出荷量の半分を産出している。この青森県には「核燃再処理工場」が ある。
六ヶ所村のプルとニウム処理工場のことである
。もしフクシマ級の地震がおきればと、想像するだに恐ろしいことである。
こんなところで「命のリンゴ」と現代最先端技術の「影」の部分が交錯しているのだ。
そういば西洋絵画で、「エデンの園」で善悪の木の実を食べて楽園を追放されたとき、アダムとエバが手に持っていた木の実は、なぜか「リンゴ」であった。
旧約聖書によれば、エデンの園があったチグリス・ユーフラテスあたりで、「バベルの塔」をつくるためにレンガを焼いたために、たくさんの木が伐採されたという。
その森林伐採が砂漠化を引き起こしたために、「エデンの園」はみるカゲもなくなったともいわれる。
人間は石の代わりにレンガをつくり、漆喰の代わりにアスファルトを手に入れた。
こうした技術の進歩は人間を傲慢にしていった。人間は天まで届く塔のある町を建てて、名をあげようとしたのである。
「エデンの園」なんて作り話としか受け止められない人が大半かもしれないが、少なくともこの地域には奥深い森があったことは、今もその地下に膨大な「化石燃料」が眠っていることが証明している。
この砂漠化も、「神の頂」に近づこうとした人間への神の怒り、すなわち「バベルの呪い」とすれば、すさまじいものがある。
ところで聖書では、エデンの園にあった「善悪を知る木」を食べるこによって人間は神のごときものになったという。
神のごときなった人間は楽園を追放されたということであるが、それでは「善悪を知らない」人間とはどういうものかを考えるのはむずかしい。
しかしここで「善悪を知る」とは、赤ん坊が物事をワキマエル知るようになったというのとは、違うように思う。
「善悪を知る木」を食べたということは、後にパウロが語ったごとく「神の義」でななく「己の義」を求めるようになった人間の姿を表している。
聖書が、何度も「義人はいない」と語っているのはその意味である。
確かに、人間の最大のヤッカイモノは、自らを支える「正義」ということではないだろうか。
その姿は、自らを「神」とすることであり、それならワザワザ神を求める「必要」など感じない。
結局は、世界の真相は「カオス」でしかなく、人間はその一面ノミをとらえて「正義」として自らの「支え」としているにすぎないような気がする。
でもこの世の中に「絶対正しい」ことなどそれほど存在しないでしょう。
ちなみに「カオス」(=混沌)という言葉は、バベル(=混乱)という言葉にも似ている。
西洋文明では、リンゴは人間を神のごときものにさせた「禁断の果実」ということになる。
というわけでリンゴは人々を幸せにする「命の側面」ではなく、人間を滅ぼす「影の側面」として意識されたりもする。
それでも、リンゴはやはり何か特別のものがあるのか、会社名や商標にリンゴ(=アップル)が使われることが多い。
マッキントッシュを作ったアップル社や、ビートルズの歌を売り出したアップル・レコードが特に有名である。
そして1977年、実際にアップル社とアップル・レコードが「商標」をめぐって裁判となっている。
ニューヨークに住みアーバンギャルドのシンボル的存在である画家ピエト・モンドリアンは、リンゴをモチーフとした作品が多い。
モンドリアンは、「真の芸術家は、大都市を抽象的な生活の具体化とみなす。それは自然よりも親しく、よりおおきな美観を彼に与える。建築における面や線の均衡とリズムとは、気まぐれな自然よりも、芸術家に多くのことをもたらす」と語っている。
ところでニューヨークの愛称が「ビッグアップル」であることはあまりにも有名であるが、この愛称が海外でも広く知られるようになったのは1970年代である。
この語源には多くの流説があり、大恐慌時代に多くの失業者がニューヨークで「リンゴ売り」をしていたのが由来だとか、ジャズのメッカとしてのニューヨークを表す言葉として、ジャズマンが使い出したという説もある。
また、1920年代に既に競馬関係者の間でニューヨーク競馬に憧れる意味で「ビッグアップル」という言葉が既に使われていたという説もある。
「ニューヨーク歴史協会」が発表している説では、1800年代初頭、当時男性が集まるサロンにいた女性達のことを「リンゴ」と呼んでいて、一番いい「リンゴ」が集まるのはやはりニューヨークということで、「ビッグアップル」と呼ばれるようになったという。
つまり、あんまりいい意味で生まれた言葉ではなかったが、本当の果物の「リンゴ」を販売する業者達がリンゴの「イメージ浄化」キャンペーンを行た結果、「リンゴ」に対する悪いイメージはいつしか払拭され、やがて「ニューヨーク=ビッグアップル」という重厚かつ親しみ易い呼び名だけが残ったという。

ところで、ニ三日前に東京都知事に再選されたばかりの石原都知事の言葉に、東京のパチンコと自動販売機の電気で「福島原発」一基に匹敵するというのがあった。
なぜもっと節電しないか、パチンコをやめさせて、自動販売機をなくそう、政令をだすべきだなどと発言していた。
庶民のささやかな娯楽にまでは口をだしてほしくはないが、確かに電力における節電ムードは「石油ショック時」ほどではないように思う。
そういえば思い出す。1970年代石油ショックの時も、日本の「国難」と認識されていたことを。
テレビは午前一時ごろには終了し、その頃には多くの夜のネオンが消えていた。
エスカレーターもセンサーで作動するようになった。
「石油ショック」以上の国難かもしれない今日、電気における「自粛」ムードはいまなお低いといわざるをえない。
「ニューヨーク大停電」の悪夢がよぎる。医療が突然とまり、交通機関がとまる。信号も消え銀行システムもはたらくなり、大混乱となった。
ところで1965年11月9日、アメリカとカナダで大停電が発生した。ニューヨークを中心に被害が大きかったため、「ニューヨーク大停電」ともよばれものもある。
10時間の停電で、約3000万人が影響を受けたとされる。ちなみに、この停電については、「グレート・ストップ」という言い方もある。
原因には諸説あるが、その一つは冬の寒さで暖房などの使用率が上がり、ナイアガラの発電所で問題が生じたという説が有力である。
ニューヨークの大規模停電は、1977年と2003年にも起きている。
日本と違って、電力事情が不安定な米国ならではである。
今も語り草になっている、2003年におきた「ニューヨークの大停電」、いまだに原因は不明だという。3日間の停電で一兆円ほどの被害をあたえている。
リンゴには「芯」があり、その芯が破断すればすべてが途絶える。都市文明を集積した電気信号ととらえるならば、スタンリー・キュービック監督による映画のタイトルなぞらえて、現代の都市文明は「電気仕掛けのアップル」とでもいおうか。

西洋でリンゴは、しばしば「毒を盛る」にイイ果実の代表ともなっている。そのため「毒入りリンゴ」という言葉が物語りの中でしばしば登場する。
例えば童話の「白雪姫」のオリジナル版では、白雪姫の美しさをねたんだ母親が、リンゴ売りに化け、「毒リンゴ」を白雪姫に売りつけたのである。つまり、白雪姫は自殺ではなく、他殺なのだ。
そして日本人は、どういうわけか現代文明の「毒入りリンゴ」を常に世界に先駆けて口にしてきたように思う。
世界で核兵器が最初に投下された「ヒロシマ」・「ナガサキ」に続き、報道カメラマンのユージン・スミスによって世界に伝えられた「ミナマタ」が世界に衝撃を与えた。
そしてこのたびは、チェルノブイリの原発と同じ「レベル7」の評価をうけた「フクシマ」が加わる。
さらには、「同時多発テロ」となったので一箇所の地名としては知られることはなかったが、日本の中枢「カスミガセキ」をターゲットとしたサリン・テロである。
1995年オーム真理教のサリン事件は、異常な宗教集団の特異な事件として忘れられがちであるが、この事件の現代的な意味合いはとてつもなく大きいのである。
オーム真理教は世界的に展開したグローバルな組織で、ソ連崩壊後のロシアと密接な関係をもっていた。
日本で新政府をつくるために、国の統制のタガが緩んでいたロシアに入り込み、「旧ソ連製」の武器を手に入れ武装化しようとしていた。
また「宗教テロリズム」という概念を生み出し、ビンラディンやアルカイダに影響(=勇気?)を与え、アメリカの同時多発テロ「9・11」に繋がる。
このテロが、太平洋における「米軍再編」に繋がり、「普天間基地移設」問題へなっていった。
そう考えるとオームによるテロ事件は、現在のある意味では「世界の枠組み」を作るきっかけとなった事件ともいえるのである。
旧約聖書「創世記」には神によって食べてはならないとされた園の中央にある「善悪を知る木」を、「見るによく、食べるにいい」果実とあらわしてある。
今も進行する福島原発の事故で放出される放射能の状況がコノママ進展したら、日本人は現代文明の「毒リンゴ」とシンボリックな意味合いにおいてではなく、現実的な問題として向かわざる得なくなりつつある。
あの「奇跡のリンゴ」のことが脳裏にうかぶ。