インフォーマルな力

完全雇用(失業なし)を維持するために、絶えず「内需拡大」をハカラネバならない社会というのはどこか無理があると思う。
特に節電や節約が奨励され、「断捨離」(だんしゃり)までいわれる一方で、できるだけオカネを使いましょうというに等しい。
こういうのを「ツンデレ的」とでもいうのか。
こういう経済社会はイツカ破綻(または変容)せざるをえないとは、常日頃思うところである。
今日ように国民経済を総需要(有効需要)で調整するという発想は、JMケインズの理論に基づくものである。
しかし、JMケインズが登場する以前の古典派は、「供給が需要を生み出す」ということが当然のように受け入れられていた。
それは今日の我々の常識とはあまりにもかけ離れているように思える。まず第一に、売れないものを作って大丈夫かという疑問がおきる。
しかし古典派は、売れないものでも充分に価格が下落すれば、いつかは需要が生じるという「価格の完全伸縮性」を前提としている。
つまり「市場万能論」なのである。
ところがケインズは独占資本主義の時代に生きたために、「価格の下方硬直」(賃金を含む)が生じている経済社会を前提に、経済は「価格」によって調整されるのではなく、国民所得という「数量」によって調整される社会を考えたということもいえる。
だから「両者」の違いは「価格調整」か「数量調整」かの違いなのである。
しかしケインズと古典派経済学との「決定的」な違いは、むしろ「貨幣」に対する認識である。
古典派はオカネを取引の「手段」すなわち交換の媒介としか考えていなかったのに対して、ケインズはオカネがそれ自体の効用をもつ、すなわちオカネがしばしば「目的」と化す(=流動性選好)ことよっても「経済的不均衡」が起き得ることを指摘した。
つまり、モノよりも貨幣が強く選好されると、オカネがまわらなくなり、経済はその分縮小せざるをえないのだ。
だから価格がさほど調整力もなく貨幣経済が浸透した社会では、政府が絶えず「内需拡大」や「インフレ抑制」で総需要(有効需要)をコントロールしなければ維持できないということを示した。
古典派の市場に任せておけばいいという「自由放任主義」と、なんと大きな違いであろうか。
ではケインズ経済学が支配的であった時代から、なぜ最近「古典派」が「新古典派経済学」として衣替えして復活し「市場万能主義」が蘇ったのかというと、政府の経済政策はそれほど「可逆性」がないということが、次第に明らかになったからである。
例えば、不況になって公共事業で「有効需要」を拡大しようとする。
特に日本では公共事業のプロセスの過程で、特殊法人等がたくさん設立されるが、「有効需要」を縮小される過程でも特殊法人は「既得権益」を主張し、統合縮小されることもなく残存し、「政府予算」は拡大する一方という事態が生じたからである。
ケインズ経済学は「価格の下方硬直性」を前提として現実適合性を持ちえたのに対して、「財政予算の下方硬直性」を想定せず、現実適合性を失ったということである。
先進国政府が「赤字財政」で首が回らなくなったり、政府の規制が民間の活力を奪っている面が注目されて、「ケインズ経済学の限界」がいわれ始め、再び「市場の力」を生かそうという、Mフリードマンらの「新古典派」がハバをきかせるようになった。
その思想の上に、サッチャー首相やレーガン大統領や小泉首相らの経済政策が行われたのである。
ただ、新古典派もケインズ経済学もカバーしきれない現象が、原発事故の「社会的費用」である。
経済学では「汚染者自己負担」の原則に基づき、汚染費を企業に「内部化」して企業行動を抑制しようという考えがある。
それが欧米などに見られるように、CO2排出量に応じて「環境税」をかけるなどの政策なのだが、放射能の汚染費はとうてい一企業の負担として「内部化」できるシロモノではなく、経済学が想定した「社会的費用」という範疇を超えるものであった。

原発事故は「放射能」という「見えない脅威」を教えてくれたが、それよりも「見えない」カタチで日本社会を縛っているモロモロの要素を一機に引き出してくれたような気がするのだ。
それが「見えない」カタチというのは、日本社会が「インフォーマルな力」によって動かされているということである。
「フォーマルな力」とは、法にノットリそこから類推される行動様式から生じる力である。
反対に「インフォーマルな力」とは、「法の規制」をうけない「見えにくい権力」のことである。
この「見えない力」は、政治や経済の正規の「取り決め」で行われる正規の「職責」を伴なうのではないにもかかわらず、実はコレコソが日本の「権力」の実体を構成しているのではないかと思われるのである。
もう少し具体的にうと、政治家のグループ、官僚、企業グループ、金融機関、ついでに暴力団や芸能界までも組み込んで、法の条文にないような「取引」が行われ、民意を通りこして「国策」なんかが形成されいくのである。
こうした非公式な「合意」は、いつのまにか業界団体、さらには教育の世界にまで浸透していき、それから逃れようもなく「受容」するというカタチで行使されていくのである。
だから日本で「総意」なるものが仮に形成されたとしても、それは人々の「選択の自由」の結果というわけではないのである。
そうして「原子力は絶対安全」などという「偽リアリティ」のなかで、夏冷房の中、オデンを食べつつ仕事をするような社会が出来たのである。
ところで経済理論の中では、生産活動は資本家と労働者になされるものとされる。
これはマルクス経済学でも近代経済学でも同様で、生産活動によって資本家は利子を労働者は賃金を得る、そして利潤は両者に配分されるということだが。
マルクス経済学の場合には「搾取」によって「剰余価値」は資本家にいくのみで、賃金は「最低限」に抑えられるとした。
経済学では、「生産関数」の中に「なんでサラリーマンが登場しないの」という誰にも聞けない「素朴な疑問」が生じる。
サラリーマンは資本家を補佐する「経営サイド」と考えることもできるし、給与を労働賃金と考えれば「労働サイド」とみることもできる。
すなわち「中間層」であるわけであるが、経済理論における欠落よりも重大なのは、政治勢力としての「中間層」の欠落こそが、日本社会の「最大の不幸」といえるかもしれない。
この「中間層」が政治勢力として組織されないことコソが、放射能とは全く別種の「見えない脅威」となっているともいえる。
ところで、日本国憲法に「総意」という言葉がある。 「天皇は日本国民の総意によって」というくだりであるが、「総意」をイツ確かめたのかという疑問はおいても、「総意」という言葉ほど「民主憲法」に似つかわしくない言葉はないということだ。
ところが日本人は「根回し工作」などを用いて「全一致」のコンセンサスに持ち込もうとする強い指向性がある。
最近の九電のメール問題やヤラセ・タウンミーテイングなどに見られるとうりである。
しかし、コンセンサスの本来の意味は、合意した事項に対して皆が積極的にヤル気をもつだけの真の「合意」ができているということを意味するハズである。
ところが「日本的合意」つまり「総意」とは、強い立場のものがそうでない立場のものに押し付けることによって形成される「総意」であり、押し付けられる側からすれば「他にどうしようもなく」というアキラメから生じるものである。
この「押し付けられる」部分では、実にたくさんのインフォーマルな力関係が働くものであり、それは阿部謹也氏いうところの「世間」とも通じるところだ。
だから「総意」が仮に成り立っても、「合意を強いられた側」は「上層部」がやっているコトに対しても、唯々諾々で、組織の改善に対しては「無関心」でという「惰性」に陥っていくだけの場合が多い。
これは案外日本のサラリーマン(中間層)にしばしば見られる態度で、それを「サラリーマンの悲哀」等と表現しているのである。
どの国も「中産階級」が政治を変えてきた。
日本以外でも韓国では成長にともないこの階級の不満が高まり、大きく政治路線を変えざるをえなかったし、近代民主主義が確立する上でもこの階級が少なからず大きな役割を果たしたといっていい。
戦後、日本の中産階級を中心に生活のスタイルが広がり、娯楽も文化も都市のタタズマイもソレらしいものが形成されていったのは間違いない。
そして農民も労働者も医師も店主もそれなりの政治勢力としての力を持ちえているのに、中間層はほとんど政治勢力としては「無」に等しいということである。
日本の場合、サラリーマンがもしも政治勢力として育っていたならば、これほど会社に生活の細部までも張り付けられることもなかっただろうし、自分の生きがいを犠牲にしてまでも働き続けることはなかったであろう。
しかしそれは結果であると同時に原因である。
サラリーマンが政治活動をするヒマと時間がナイということだ。週末の家族サービスのことをいえばますますそうなのだ。
そしてそこからの「逃げ場」が社会の中で用意されていないということだ。
多くの企業の新入社員の研修は伊勢の冷たい川に入ったり、整列して長時間走ったり、とにかく自尊心をイタク傷つけることから始まる。
そのうち、社員が新幹線で単身赴任の社員を送るためにホームで「社歌」を大声で歌うことになんの「心理的抵抗」もなくなるらしい。
それよりも、女子社員が「なごり雪」を歌ってくれたら、どんなに楽しい「赴任」ができることだろうに。
ところで「九電やらせメール」問題がでてきた当初、課長クラスが上司の「意を汲んで」メールを送ったという報道が出てきた時、「またか!」と思った。
この「意を汲む」ということは「インフォーマルな力」の行使にあたり、上司は身を守る上でもっとも適切な方法なのだ。
命令した痕跡は何ひとつ残らず、課長クラスがツメバラを切らされることになるということだ。
日本経済が強かった頃、日本的経営の中で「稟議制度」というのが注目された。組織の中で提案が「現場」から持ち上がって、皆で印鑑をおしつつ周知され合意が形成されていくという「ボトムアップ」方式である。
なにもかも「トップダウン」方式の欧米からみて、トテモ新鮮に思えたのかもしれない。
しかし、この「稟議制度」というのには「注釈」が必要だと思う。
本当に「草の根的」な制度かといえば、そうではなく上の意向を汲んで、すなわち上層部の気持ちを「忖度(そんたく)」して行う、いわば「忖度稟議制度」なのである。
会社で何かの不祥事が起きた場合こうした「インフォーマル」な忖度などは「カタチ」にはのこらないために、日頃の発言のコンテクストから真に責任を負うべき上層部は責任を逃れることができる。
そして組織の中で「スケープゴート」になるのはだいたいが「ミドル」なのであり、そのパターンが繰り返されてきたのだ。

ところで、「見えない脅威」としての「インフォーマルな力」であるが、これは階段を昇っていこうとする者にとっは「最大の武器」なのである。
日本の上層部は明治以来「人脈」にたよって昇ってきたということが大きい。
戦前の「薩長閥」などはとんでもない代物だが、戦後の「東大閥」も相当なものだ。
影響力のある人物は、検察にも警察にもマスコミにいる自分の「人脈」に守られて、「月のカケタルこともなき」栄華を誇ることさえできたわけだ。
しかも、それらはあくまでも「インフオーマル」なカタチで担保されている力なので、力の「正体」がなかなか見透せないのが特徴である。
今手元にある「日本の地下人脈」(岩川隆・光文社)を見ると、そうした人脈のネットワークこそが何のチェックもキカズは蔓延ってるというのが、日本的な権力の姿なのではないだろうか。
この本には一般の日本人では到底アクセスできない「人脈」のことが書いてある。
中曽根康弘の海軍人脈、児玉誉士夫の上海人脈、岸信介の満州人脈など主に戦争中に築かれた「人脈」が書いてあるが、実はそれらの人脈が戦後の日本の針路を決める上で、どれほど決定的であったかはある程度は想像できる。
我が地元の博多の屋台には、思わぬ「大物」が顔をだすことがあるそうだが、聞いた話では屋台の店主とその大物は戦争中同じ部隊にいたというのだ。
人間の「接点」は、アヤ紐を解くようにしてようやくわかるようなもので、その「知られざる接点」が強大な力をふるうことがありうるのだ。
一例として「海軍人脈」の中に「短現人脈」というのがあるらしい。
「短現」とは、「短期現役海軍主計科士官」ということなのだ。
大学の恩師がソレだったのでソノ話を「大学紀要」で読んだことがあるが、1930年代の終わりごろロンドン軍縮の時代は去り、世界が建艦競争に突入した頃、海軍は主計将校を補強するために、「短期現役補修学生制度」を導入した。
大学生を募り、競争率数10倍の厳しい試験を行い、合格した者をいきなり中尉に抜擢したのだ。
その代表的な人物が中曽根康弘元首相で、中曽根氏は東大卒業後内務省に入ったが役所には一週間しか顔をださずに、直ちに「短現」を志願し四ヵ月後には戦艦「青葉」に乗り込んでいる。
また中曽根氏はいわゆる「ナンバースクール」ではない旧制高校・静岡高校の出身でその人脈に大きなウェイトを置いていた。
つまり中曽根政権では、「短現」人脈と「静高」人脈が「審議会」委員などに任命され、少なからぬ力を振るったということだ。
要するに日本を覆っている権力構造とは、そうした「偶然的」かつ「非公式」な力がモノをいい、それらがしばしば予測可能な「公式な関係」を凌駕するということもあるのだ。

20年ほど前に「日本の権力構造」を書いたウフォルフレン氏は、「私が知っている多くの西欧諸国、またアジアの国々と比べても、偽りの情報が組織的かつ巧妙な手口でばら撒かれている点で、日本は最悪だ。日本の社会構造はおおがかりなペテンによって成り立っている」とマデ書いている。
少し前ならこの指摘を「誇張しすぎ」と受け止めただろうが、311大震災以後、ソノ指摘がとてもよくわかるような気がする。
ところでこの夏、「短」がキー・コンセプトになりそうである。
例えば猛暑と節電で髪型をこれまで以上に短く切る人が現れる。ファッションでも丈の短いスカートやかかとの短いものが「売れ筋」だそうだ。
台所用品では、調理時間を短くできるシリコン製の蒸し器がヒット中だ。
残業が減り、在社時間が短くなる。通勤時間もなんとかして短い方向へ、遊びや買い物も近場ですませる。
家族や友人との交流もふえ、結婚も早まる傾向にあり、人の距離も「近く」なる。
人々は生活を見直し、自分にとって「本当に必要なもの」を考えるようになった。
つまり、「短」ということが、細部まで「政治化」(=誘導)された生活を見つめ直す機会となるかもしれないということだ。