サウダージ

どうでもいい「偶然」を見つけるのは、ウレシイ。
最近よく聞く外国語である「サウダージ」は、望郷を意味するポルトガル語、「エスペランサ」は希望を意味するスペイン語、この二語はいずれも「日本のポップス」のタイトルともなっている。
「サウダージ」を歌ったポルノグラフティの二人は広島県因島出身であるが、広島は歴史的にブラジルと交流が深く、特に因島に近い呉市は今でも在日ブラジル人の非常に多い所である。
また、「エスペランサ」を歌った西野カナの出身地の三重県には「志摩スペイン村」がある。
ここにスペイン村が作られた理由は、計画当時バルセロナ・オリンピックとセビリア万博の開催期に当っており、日本でもスペインへの関心が高まっていたことがある。
それと、 スペインのイメージは「明るい太陽と海辺」というものだが、三重県志摩もそういうイメージで観光化していこうということ、カナ。
ただし、ポルノグラフティの歌「サウダージ」は「望郷」というよりも、むしろ異性への「思慕」を意味するようだ。
この「サウダージ」も「エスペランサ」もヒット曲のタイトルゆえにソノ言葉を知ったが、ブラジル(ポルトガル語)やフィリピン(スペイン語)から日本にやってきた人々にとって、それらは微妙に「対」となった言葉ではアルマイカ、と思うようになった。
ところで1990年代より、日本に「定住」している在日ブラジル人が増え、次のような地域でそれが目立っている。
関東圏では、群馬県の大泉町が有名で、三洋電機や富士重工業や凸版印刷などがあるため、 それらの工場で働くブラジル人が非常に多い。
群馬県では他に太田市、栃木県小山市、茨城県常総市には、日系移民の子孫のブラジル人などが多く住んでいる。
また東海地方では、ヤマハやスズキの静岡県浜松市は、日本で一番ブラジル人の多い市で、愛知県豊田市にはトヨタ自動車関連の工場が数多く、そこで働くブラジル人が非常に多くなっている。

10年ほど前に、新宿区大久保のいわゆる「職安通り」に行った時に、そこがすっかりコリアン・タウンに変貌していることに愕然とした。
今日本に住む移民や難民、外国人労働者が増えているにもかかわらず、我々(福岡市民)がその実態をほとんど知ることはない。
特に、文化圏が違う人々の生活の実態はなかなかわからないが、「映画」が参考になることが多い。
例えば、近年アカデミー受賞映画となった「スラムドッグ・ミリオネア」はフィクションであってが、かなり我々が知らないインドの下層の人々の実態を伝えてくれて衝撃的だった。
最近のニュースで、「映画」を通じて「難民」の実態を知ってもらおうと、国連難民高等弁務官事務局が主催して「ヒューマン・シネマ・フェスティバル」が開催されたをことを知った。
この映画祭の「作品紹介」を読むと、紛争や迫害、自然災害で突然平穏な暮らしを奪われ、過酷な生活を強いられている難民たちが、希望を捨てずに力強く生きる姿が描かれているという。
「ウォー・チャイルド」は、内戦下のスーダンで7歳の時に子ども兵にさせられた難民の少年が、世界的なラップ歌手として成功するまでを描いた。
また、「ウォー・ダンス」では、アフリカのウガンダで、全国ダンス大会に初めて出場する学校の難民たちが描かれている。
いずれも「実在の人物」を追い続けたドキュメンタリータッチの映画である。
「君を想って海をゆく」では、イギリスにいる恋人に会うためにドーバー海峡を泳いで以降とするクルド人難民と、彼に泳ぎを教えることになるフランス人の心の交流がテーマである。
ところで後述の「第三国定住制度」によって日本には、ミャンマーからの難民を受け入れているが、このたびの映画祭には東日本大震災の被災地でボランティア活動をしたミャンマーの難民たちを描いた「すぐそばにいたTOMODACHI」という映画もある。
さて「国連難民保護条約」が採択されてから今年で60年を迎えた。
この条約には、難民の権利や義務について定めており、難民を彼らの生命や自由が脅威にさらされるおそれのある国へ強制的に追放したり、帰還させてはいけない。
また、庇護申請国へ不法入国しまた不法にいることを理由として、難民を罰してはいけないことなどを定めている。
そうした趣旨で「第三国定住制度」が設けられていて、祖国に戻ることも避難先に定着することもできない難民を別の国が受け入れる制度である。
ただ日本の「難民受け入れ」には課題が多く、難民たちは来日して半年間の研修を受けた後、千葉県と三重県で新たな生活を始めたが、言葉や文化の違いに悩み、研修にもなじめず仕事の当てがないと不安を訴えている。
また、国と自治体、地域社会が連携を深め、経験豊かなNGOなどの出番が期待されている。

日本に住む「移民」や「外国人労働者」もそうした「難民」に準じたような課題を抱えているが、甲府に住む外国人労働者をドキュメンタリー風に描いた「サウダージ」という映画がマモナク公開される。
この映画の監督である富田克也氏が「サウダージ」の撮影を決めたのは「甲府に人がイナクなったわけではない。
中心街で何が起こっているのか。その実情に興味を持った」からだという。
1990年代初頭、日本は多くの日系ブルジル人を労働力として受け入れた。その一つに山梨県甲府市がある。
商店街が「シャッター通り」と化した甲府市は、今の日本の多くの地方都市の姿ソノモノだが、「空洞化」している中心街のとあるビルの一室でヒップホップに熱狂する若者いた。
ここが甲府市が他の地方都市と違うところで、一歩違う地区に足を踏み入れれば、日系ブラジル人やペルー人の社会があるということである。
甲府での移民問題がまだヨーロッパのように深刻ではないのは、日本人とブラジル人の社会が「比較的」切り離されているからだが、この映画ではこの街の移民と日本人社会の「接触」が迫力あるラップのリズムにのせて展開していく。
第64回ロカルノ国際祭「国際コンペティション部門」にノミネートされ「日本の新しい世代の映画」と評価された。
アラスジは、土方として働く精司は「セレブ指向」の妻に気持ちのズレを感じ、タイ人のホステスのミャオという女性と親しくなる。
そして不況で仕事を失ったとき真剣にミャオとタイ行きを考える。
一方、ラッパーの猛は徐々に日系ブラジル人たちに対する反感を募らせ、ブラジル人を刺してしまう。
この箇所は完全にフィクションであるが、日本に希望を見出せずブラジルに戻っていく人々の姿は今の現実をオリこんでいる。
富田監督は甲府のブラジル人の社会に入り1年かけて調査したそうだ。
土方役の精司役は、職業が本当に土方の富田監督の幼友達だし、ラッパー役の猛も現実世界でもプロのラッパーだそうだ。
役者が脚本つくりに参加しているので、「ブラジル人には駐車場を貸さない」といった話など、彼らが提案してくる。
だから、「ナマの声」から生まれた真実味がある。
ドキュメンタリー風の映画とえば、かつてマイケル・ムーア監督の「華氏911」 (2004年)があり、世界的にも評判をよんだ。
この映画ではアメリカ同時多発テロ事件へのジョージ・ブッシュ政権の対応を批判する内容を含むもので、その斬新な感覚にヒキツケられた。
ちなみにマイケル・ムーアは、ゼネラルモーターズの生産拠点の一つであったミシガン州フリントでアイルランド系の家庭に生まれ、フリント郊外のデイヴィソンに育っている。
母は秘書、父と祖父は組み立て工、叔父は自動車工労働組合創立者の一人で、座り込みストライキで有名だったという。
さて、富田監督は「サウダージ」でコレカラもっと深刻さを増すのかもしれない「外国人労働者」の問題を提起したといえる。
さらにこの映画の魅力は、ラップ、タイの音楽、演歌など世代や文化を代表するさまざまなジャンルの音楽が挿入されていることだ。
日本にジェロやアンジェラ・アキなど日本人歌手以上に演歌がうまく歌えるプロ歌手が登場しているが、日本におけるグローバリゼーションの深化を「日常に即した」カタチで描いた映画といえる。

明治期より、日本ではブラジルへの移住を呼びかける「街頭ポスター」があり、それを目にした日本人が夢を求めてブラジルへ移住していった。
そして、ブラジルで仕事を得て子供を育てた。
時代が変わり今度は、その子供達(日系2世、3世)が「夢」を求めてブラジルから日本にやってきている。
彼らの来日の動機は母国との「賃金格差」に着目したいわゆる「出稼ぎ」である。
父祖の国である日本は当初彼らの目には素晴らしい国に映ったようである。
「賃金格差」とえば、生活費を切り詰めて日本で働けば、2年で故郷に家が建つ計算のハズだった。
日本でたくさんお金を稼いで、国にお金をたくさん持って帰ることだけを考え、体のことなどは考えない。
労働者にとって何よりも大切なのは健康だが、頭にあるのは「まずお金」で、残業・休日出勤を厭わず仕事をする。
1980年代後半、バブル景気に沸いていた日本の製造業で、3Kなどといわれたブルーカラー労働の職種では、日本人の働き盛りの労働者を集めるのに苦労していた。
しかし、仕事をこなさなければならない中小企業を中心に外国人労働者への大量の需要があった。
そんな中、「単純就労」目的でアジア系・南米日系人を中心とした外国人労働者が急速に流入してきたのである。
1992年頃からバブル崩壊による景気後退期に入っても外国人労働者の流入は続き、コスト削減を図る製造業は賃金の高い日本人労働者を雇用せず、外国人労働者を安い賃金で使うことで、需要は衰えることはなかったのである。
つまり、給料が安い期間工の求人に応じる日本人が少ないため、外国人労働者を雇わなければヤッテイケナイところがあったのだ。
しかも、日系ブラジル人の大半は総じて熱心に働き、日本人がイヤガル残業もいとわない。
その中には不法就労者も多く含まれていたが、1990年の「入国管理法改正」により外国生まれでも日系人であれば、日本人と同じように居住や就労の自由が与えられるようになった。
つまり「移民3世」までの外国籍の日系人に、日本での事実上「制限のない」就労が認められた。
一方、資格外の単純就労者を雇用している企業や斡旋業者に一定の罰金が課せられるようになると、流入してくる外国人の国籍が少しづつ変化し、特にブラジルからの日系2世、3世を中心に益々多くの外国人が日本社会の中に就労するようになったのである。
しかし、日本の受け入れ体制は十分ではなく、日本在住のブラジル人の子どもたちの状況は悪くなっているという。
不況で家庭が経済的に厳しくなり、両親の精神状態の不安定さが子どもに波及し、家庭内暴力も急増している。
特に浮かび上がった課題は、日本で「発達障害」と診断されるブラジル人の子どもが増えていることである。
トヨタの「お膝下」の東海地方には、在日ブラジル人の半数約25万人が暮らしている。
トヨタ自動車のある愛知県はもとより、群馬県、静岡県、三重県、岐阜県と多くの県で外国人労働者の流入化現象がみられ、地方産業の底辺を支えているのは、いまや外国人といってもイイくらいである。
トヨタ関連の会社は400ほどもあり、各社雇用の数は様々だが、企業規模の大小を問わず、外国人は完全に「トヨタ王国」に組み込まれている。
しかし2008年におきたトヨタショックで状況は一変した。
当初1兆6000億円の黒字を予想していたトヨタの業績が世界的な不況で悪化し、車の生産が急遽止められた。翌3月期の決算で1500億円の赤字を発表した。
それに伴ない、立場の弱い派遣労働者は真っ先に切られ、仕事を失った日系ブラジル人の中には帰国を余儀なくされたり、夜の街へ流れる者も増えていった。
日本の製造業は、大手メーカーを中心に地方の工業団地に工場を設立している。
もともと工場を建設した場所に大量の労働力があったわけではなく、必然的に人手不足となり「その穴」を埋めてきたのが外国人労働者であった。
豊田市の保見ケ丘団地は約4000人の日系ブラジル人が暮らすが、「巨大失業地帯」と化した。
外国人労働者の雇用形態は、保見団地の日系ブラジル人の場合9割以上が請負会社から派遣されている間接雇用労働者となっている。
当然、日系人の生活保護世帯も急増し、その負担は市の財政に重くのしかかっている。
企業と日系ブラジル人との間に派遣会社が入ったために、企業はこうした日系人の「惨状」と向き合うこともない。
利潤追求のために外国から低賃金労働者を招いておきながら、不況になればサッサと追い出し、結局「外国人」問題を自治体や住民に「押し付けた」形になっている。
企業は外国人労働者を「調整弁」としか考えておらず、日本政府もそうした人々えの「セーフティネット」を用意せず、「職がない、金がない、学校にいけない、権利がない街」が生まれていったのである。
「名古屋ふれあいユニオン」の平良マルコス副委員長が「トヨタ下請けで働く日系ブラジル人の実態」を報告している。
トヨタグループ企業であるの会社に業務請負会社を通じて350人ぐらいのブラジル人がで働いている。
それまで、日本人とかブラジル人の管理者から、「明日から来なくていい」と言われてしまったら、 すぐに諦めてしまうのが常態であった。
一人の日系ブラジル人女性が解雇され彼女は「名古屋ふれあいユニオン」に入って解雇撤回を強く要求したところ、すると解雇は撤回され職場復帰することができたことがきっかけとなった。
それが口コミで噂が広まり、60名ほどが労働組合に入ってきたという。
逆にいうと、彼らは、労働組合にそのようなことができるとは思っていなかったし、有給休暇を使うなどトテモできなかったというのだ。
また、日系ブラジル人の働く職場で一番問題なのはコミュニケーションが不十分さで、会社に雇われている通訳の中には、会社が言うことを労働者に伝えることだけが仕事で、労働者が困っていることを会社に伝えようとはしない場合が多い。
だから、遅刻や欠勤があったときも労働者本人はきちんと会社に伝えたつもりなのに、会社からは「無断欠勤」と判断されることもあったという。
また外国人は危険な作業に従事することも多く、コミュニケーションが不十分でおきる「労災」の問題も重大である。
不十分なコミュニケーションのまま作業をして、手を失ったり指を失ったりするケースもおきている。

エスペランサからサウダージへ。そして帰国。
今「第二の開国」といわれるTPP参加か否かで、日本は決定的な「方向舵」を切ろうとしている。
TPPに参加すれば製造業における利益増が見込まれており、外国人の往来はさらに激しくなることが予想される。
では、それを受け入れる体制はどうか。
セーフテーネットは、全然整備されていない状況ともいえる。
そうなると「第二の開国」は治安をさらに悪化させ、これまで日本が世界に誇る公共財であった「安全」が完全に失われていくことにもなろう。
さらには、東北大震災の後に日本人の心に根ざした「助け合う」心に水を差し、凍らせることになる。