虚国依存

今、日本は、放射能からの脱出を最重要課題としているが、アメリカへの「一辺倒依存」から離脱が、大きな課題としてあるように思う。
その理由は、「モノをつくらぬ」国から感化されると、日本が同じ「テツ」を踏む気がするからである。
つまり、日本人の最大の長所であり、美点が失われていきそうな危惧を感じる。
「彼は昔の彼ならず」、アメリカは「昔の強国ならず虚国になった」感じを、ますます強く抱くようになった。
ところでアメリカが軍事的に「強国」であることと、ドルが「基軸通貨」としての地位を保っていることには「不可分」の関係がある。
つまり石油代金の決済がほぼドルでおこなわれてきたことと、石油が豊富な中東の安定を「アメリカ」の軍事力に支えてきたことが大きな要因である。
「ドルは有事に強い」という言葉があるが、端的にいうと、アメリカなら確実に石油を確保できることを意味する。
1971年、ニクソン・ショック以降、ドルは金の代わりに実質は「石油」によってささえられてきた。
つまりアメリカが石油を中東で入手し、それを精製し世界に売ることができる。
だからアメリカの石油会社から石油を買うためにはドルが必要で、中東諸国も基本的・伝統的にはドルで取引をしてきた。
経済学的には、社会的共通資本ともいえる「ドル」離脱のコストが大きい限り、ドルはどうにか「基軸通貨」としての地位を失わないで済むということだ。
ドル価値の圧倒的な要素は「石油引き替え券」ということで、それは「ドルー石油本位制」と言ってよいかもしれない。
アメリカが冷戦にみる「緊張」が無くなったにもかかわらず、様々な口実をつけてイランやイラク、アフガニスタンをはじめ、中東諸国で軍事力を展開している本当の狙いは、「石油資源の確保」であることはいうまでもない。
アメリカはかつての輝きを失った今、なんとかして「ドル=石油券」としての価値を死守しようとしているかに見える。
というわけで、アメリカは「世界の警察」といえるほど公正中立な存在ではなく、「石油の番人」あるいは「ドルの番人」として、あくまでも自国の利害にソッテ、それもネオコンなどの一部のエスタブリッシュメントの利害にソッテ行動するという見方が正しい。
以上のように、中東の石油資源を一方の柱として、またアメリカのメジャーを中心とした石油の精製力・販売力をもう一方の柱として、中東諸国の多くがドル・ペッグ制、すなわち自国の通貨がドルと「連動」する通貨体制をとってきた。
しかし、ここにきて「ドル・ペッグ制」を離れる動きがでてきており、エジプトやリビア情勢の不安定性などアメリカの軍事力では防ぎきれない情勢がうまれつつあり、その「動き」はさらに拡大しつつある。

ところで、アメリカ中心の資本主義社会がある時期から「新しい段階」に入っているということは、誰しも感じていることだが、どこがどう違ってきているかを明瞭に言葉にするのは、なかなか難しい。
かつてアメリカの精神は、印刷工から身を起こし独立宣言の起草者となった東欧出身のユダヤ人であるベンジャミン・フランクリンによって体現されるともいわれた。
それは「正直と道徳」に基づいて、善を積み重ねるようにカネをためる努力により「成功」を勝ち取るスピリットといってよい。
アメリカという国はいつから、こういう「精神」を失っていったのだろう。
振りかえれば、冷戦終結とともにアメリカは、「モノつくり」への意欲を失っていったような気がする。
1990年代には、IT技術に支えられた新たな「金融技術」こそが、「強国」を「虚国」に変貌させたように思う。
金融は本来、貯蓄主体から生産主体へカネを移転させることを仲介し、社会全体にある能力や資源をフルに活用するのを助ける機能を持つものである。
つまり「モノつくり」という「実」に支えられている限り、 健全に機能するものだ。
しかし、「金融」というものが、ある部分で「集団心理」に支えられているということも事実である。
しかし、「金融技術」の発達はカネを手っ取り早く稼ぐ「魔物」と化し、アメリカという国が人間とモノとの間に介在する「虚」の部分を意図的に増幅するかのようにフルマイはじめた。
そうして、「虚国」アメリカを支えている一番の国が日本であるといっても過言ではなく、そのマイナスの影響をもろにうけるのを懸念する。
それは、アメリカからターゲットとされた日本の「高い貯蓄率」をもって、米国債を大量に買い支えていることに最もよくあらわれている。
そして、このことは日本国債残高の増大と連動しつつ「危険度」を増していることは、それほど認識されていないようだ。
単純な経済理論をしえば、一国の需要(消費需要プラス投資需要)が、その国の供給を超えた部分は、政府の財政赤字と貿易収支の赤字となってあらわれる。
アメリカは「双子の赤字」もナンノソノ、日本とは正反対に「総需要>総供給」の国でありローンを大きく抱えてでも「使っちゃえ」の国なのである。
住宅ブームがひきおこしたサブプライム・ローンの後遺症がいまなお続いているが、住宅バブル当時、仕事も不安定な低所得者が車を2台も所有して路上駐車したりする現象となって表れいた。
どんなに金融が「魔物」と化しても、貯蓄性向の強い日本ではマズ起き得なかったに違いない。
ところで日本は貿易において「対米黒字」であるが、アメリカという国は世界のどこの国にもない「特権」を有する国なのである。
それは貿易で黒字を稼いで外貨を貯める必要がない。すなわち自国の通貨ドルを「印刷」して使えばよい国なのである。
しかしどうあっても、ドルを流し続けると経済法則上ドルの価値が低下するので、「買い支えて」もらう必要がある。そこでアメリカがネライを付けたのが、「高い貯蓄率」を保持する日本なのである。
日本としても貿易黒字の分「円高」になりすぎてはいけないし、ここのところ恒常的な「内需不足」を「輸出」でカバーしていく必要上、ドル(=米国債)を買って「円高」を食い止める必要がある。
日本の財務省はじめ機関投資家などは、米国の国債を大量に買い支え、アメリカの「身の丈」を超えた「消費生活」(=ローン生活)を支えているということである。
ところで、日本の経済はアメリカの金融のプロ集団によって随分と「誘導」されているとみなしていい。
日本はバブル期には米国債を大量に買い、バブルがはじけた後は、アメリカに乗せられた「超低金利政策」により、相対的に金利が高くなった米国債を買い続けさせ、ドルをアメリカに還流させてきた。
また、アメリカの金融機関はその「還流したドル」をもって、今度は米国債利子の支払いよりも高い投資信託などをして荒稼ぎしていくのである。
これではますます、アメリカは地道で長いプロセスを要する「製造」に身が入らなくなり、一瞬にして「大金」を稼ぐ「虚」の部分に没入していくのである。
アメリカ経済のシンボルたる自動車産業の雄GMでさえも、「国家管理」にはいってしまったのは、それを如実に物語っている。
さらには、虚国アメリカの「脆さ」は、サブプライムローン破綻であり、リーマンブラザースの倒壊となって一気に露呈してきた。

今、誰しも感じていることは、アメリカを中心にしたグローバリゼーションの進行とともに資本主義経済はすっかり変身したということである。
かつてマックス・ウエーバーが指摘した「資本主義の精神」は、労働と清廉であったはずだが、今は「出し抜き」と「貪欲」が支配する資本主義へと変貌している。
ただ富を築きあげてしまっても、その「貪欲」に見合うだけの「魅力的な」投資先が無くなりつつつあるということである。
これが原因でカネの動きがツナミのような勢いで各国を襲うこともしばしばである。
カネ余りは「低金利」を意味し、世界の先進国で「低金利」が進行している。
かつて新世界・アメリカの富がイタリアのジェノバに集中していた時期があった。
そこでカネ余りが生じたが、そのお金をどこで消費したらいいのかわからない。
豪奢な宗教施設をつくったり、高価な工芸品をつくったり、山を切り開いたてワイン畑にした。この山を切り開いたことが、洪水などの自然災害を起こしたりもした。
高金利をはらってくれるスペインのフェリペ2世にカネをかしたりしたが、結果的に富を失うハメになったという。
日本人も世界中から「高い富」を集めて、高い貯蓄(金融資産残高)を誇っている。
この高い貯蓄の行き先は、日本の国債やアメリカの国債が大きな割合を占め、リスクをとって高い収益を期待できるほどの「投資先」を見出せないままでいる。
こんな状況は、実態の伴なわないマネーの「乱舞」を引き起こしている。アメリカでITバブルから住宅ブームはそれを如実に表す現象となった。
資本主義の新段階をシンボリックに表す言葉として「切り売り」という言葉を思いついた。
このような「カネ余り」をささらに加速化しているのが、「不動産の証券化」である。
バブル時代に日本の企業がロックフェラー・センターを買い取ったりしたら、アメリカはその魂を売ったとまで言われたが、あれくらいカワイイもので、いまこういうビルの所有権は「証券化」され、世界中で「切り売り」されているのである。
アメリカは、身も心も売って「カネ」を集め、「金融商品」を生み出すダケの国になっている。
アメリカは「モノをつくる国」の地位すっかり捨てて「カネをつくる国」へと転換した。 今では製造業の占める割合はGDPの14パーセントにすぎず、働くものは10人に1人の割合である。
ところで日本は、工場を中国に移転するなどして「モノをつくる国」の立場を捨てようとしている。そして雇用がドンドン縮小している。
かつての世界最大の製造業の国であったアメリカが、1980年代初頭に「モノ作り」に興味を失ったかのような道を歩みつつあるかのようだ。
若者の深刻な「理系離れ」もその一つの表れかもしれない。
日本がアメリカの「轍」を踏むのは、日本人を捨てることに等しい。

今進行する「金融資産の異常な肥大化」は、ある部分では穀物・エネルギー価格の暴騰を予測しての部分もあるといわれている。
そして「マネー」を支払手段や交換手段としてのみ見るならば、その定義域が一気に拡大しているように思える。その意味ではアメリカは世界通貨を「印刷」する国というだけではなく「カネ」をつくる国になったともいえる。
「カネをつくる国」とは、複雑な金融工学を駆使して不動産を証券化するなど「準貨幣化」していることを意味している。
マネーサプライとは、世の中に出回っているオカネの量のことである。
ところで古典派経済学では、マクロ理論(所得決定理論)というものは存在しない。
各市場で価格調整が行われ、決定される価格の全体が「物価」となる。その需要と供給量の一致した量の集計が「国内総生産:Y」なので、これ以上「マクロ理論」が入り込む余地がないのである。
いわゆる古典的な「貨幣数量説」で、マネーサプライと所得水準には一定の関係が存在しているというものである。
M=vPY:お金の供給量=お金の回転速度×物価×実質国民所得の関係が成り立つ。
古典派経済学の前提では、貨幣は社会の取引量(国民所得水準)に応じて一定量必要だが、「一定の速度」でさらさらと流れる、つまり貨幣を手元に長く置こうとしたり、早くものに変えようとはしない。
貨幣の速度vを一定とすると、国民所得Yが市場の集計で決まるとマネーサプライ(M)は物価水準を変化させるだけである。
結局、貨幣は物価水準を決定する「ヴェール」でしかないのである。
つまり貨幣量は物価水準のみを変化させ、経済の実体を変えないということなのだが、ケインズは貨幣量の変化は他の金融資産の代替関係を通じて利子率を変化させ、それが設備投資に影響を与え国民所得の水準を変化させるとした。
つまり、マネーサプライは、物価のみを変動させるだけではなく、経済の実質に影響を与えるという理論なのだ。
ちにみにフリードマンら新古典派経済学では、将来「期待」を織り込むことにより、貨幣量の変化は長期的に経済の実態に大きな変化をあたえないという「新貨幣数量説」を提起した。
ケインズ「貨幣論」の詳述は割愛するが、古典派経済学の「貨幣の回転速度」が一定とする前提に誤りがあることは、最近のデフレで日常的に体験できることである。
大体、物価上昇期待が大きい時は、早くカネをモノに変えようとするので、貨幣の回転速度があがるし、物価が低下している時はさらに下がるのを期待して貨幣を保有しようと、貨幣の回転速度は低下する。
また先述のとうり、資本主義の変質を物語る大きな要素として、「マネー」の定義域の広がりがあるといえる。それはM1、M2に加えてM3が加わったことである。
マネーサプライの指標としてM1(現金・普通預金)とM2(定期預金・個人投資信託)はアメリカ国内に暮らす一般的なアメリカ人のもっているオカネの量を示すが、M3は金融資本家を筆頭にしたお金持ちがもっている投機的マネーをカウントするのに役立つ指標である。
株式交換における企業買収に見られるように、株式は貨幣になったのである。
資本主義を変質させたのは、1980年代にアメリカで横行したM&Aといえる。
証券化の技術を応用し、企業を売買していく。経営者や投資家は、企業から上がる収益ではなく、企業ソノモノを売買することで儲けることを考えたために、従業員の雇用と生活を守るハズの企業がいわばオモチャになっているということである。
株式、債権の貨幣化現象(M3)は、そのこととと深く関連している。
2006年にアメリカ連邦準備制度がマネーサプライの指標のひとつであるM3の発表を止めることを宣言した。
M3は、実体経済に対して、金融工学が生み出したコンピューターの中のお金がどの程度あるのか、バランスが取れているかを知ることが出来る唯一の指標であった。
「M3を隠す」ことが意味するところは、2001年以降猛烈な勢いで増え続けたドルの供給量を表沙汰にしたくないという意図が秘められている。
その一方で、アメリカはモノつくりが衰退しているばかりではなく、溢れるドルは信用を失いつつあり「ドル離れ」も進行しているのである。
ドル・ペッグ制は、通貨換算が単純で「為替差損」を生ぜず安定しているが、アメリカの金利政策の影響をモロ受けするという危険もある。
イランが原油のドル決済を中止し、円とユーロに切り替えている。
親米国であるクウェートがいち早くドルペッグ制から離脱している。
ロシアやベネズエラといった産油国はドル以外の通貨で石油を売り始めている。
「ドルー石油」本位制の一方の柱である中東諸国でさえも、ドル・ペッグ制を離脱し始めたのは、「虚」に走る「アメリカ依存」に危うさを感じているからに違いない。
日本は、こうしたアメリカという「虚国」にいつまで「依存」し、「操作」され続けていくのだろうか。