ジャパン・カード

アメリカは金融立国、中国は世界の工場、インドはIT戦略、ロシアやブラジルはエネルギー戦略といったカタチで世界にウッテ出ようとしている。
日本には今「○○戦略」というカタチで国内外にもわかるようなものが、イマダ見当たらない気がする。
逆にいうと、日本は「○○」戦略をしっかり問わなければいけないほどには、国の「転換」の急務または「存亡」の危機というものを味わっていないということかもしれない。
インドは「ゼロを発見」した国で数学などの抽象的理論に優れた能力を発揮する国民性があり、理系教育に力を注いだ。
欧米ではこういう能力にはかなりの給料を払わねばならないが、インドでは安く雇える。
そこで先進各国はオフィスをそのままインドに移すなどしている。
ロシアでは、ペレストロイカ以後混乱し、マフィアが支配する国となり、国が体をなしていなかった時期があり、そこに日本のカルト教団などが活動する余地を与えたりもした。
しかしプーチン大統領がうちだした「エネルギー戦略」で「方向性」を掴み、少しずつ経済力を増しつつある。
また、中国の場合には1989年の天安門事件以後に国の「存亡の危機」が訪れた。
それは学生を中心とした「民主化」への動きを武力で弾圧したために起きた「世界的孤立」であった。
これ以後、それまでの「改革開放路線」はナリをヒソメ外貨準備高は無きに等しくなってしまった。
そこで、最高指導者の鄧小平は思い切った路線の転換をはかった。
当時の日本とも比べようもない位の自由度をもった「経済特区」を用意して外国企業に開放したのである。
これはかつて「犬と中国人は立ち入るべからず」とされたれた「租界」時代の記憶をもつ中国にとっては、かなり「悲壮」な決断だったかもしれないとも思う。
しかし鄧小平は「白い猫も黒い猫もねずみを取るならいい猫だ」という言葉によって共産党内部の路線の対立を収束させ「改革開放路線」を新めて内外に訴えた。
1992年頃より、沿岸部の「経済特区」では道路も電気を用意し、税金は安くし、土地は農民を立ち退かせて用意し、いくらでも安価な労働者を連れてきたのである。
要するに外国企業を国内企業よりも優遇したのだが、これにより中国にたくさんの世界企業が集まるようになっていき、今日の世界経済の大きな流れを作ったのである。
ところで日本の場合、民主党が「国家戦略担当大臣」なるものを作ったにもかかわらず、ソレらしきものが出てこない。
「第二の開国」とまでいわれるTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加受け入れに対しても、明確な姿勢がうちだせないし、国民にもそのことの重大性が伝わらない、まるで「漂流国家」なのだ。
それはある意味、日本が「存亡の危機」にまでにはイマダ立ち至っていないという意識の表れなのかもしれない。
しかし、それはやがて確実にくるもので、外国の方が先に「日本の危機」を認識したのか、「ジャパン・シンドローム」という名前までつけてしまった。
つまり、戦争でも疫病でもないのに急激な速度で人口の縮小が進み、「超高齢化社会」になっていくということである。
露骨にいえば、急速な「国力」の低下に直面するということである。

かつてマッキントシュのスティーブ・ジョブが、「強み」を知って、そしてその「強み」だけに力を注げといった。 その言葉どうりIPODなどの製品を生み出し、いまやマイクロソフトに迫る勢いである。
では、日本の場合は将来どこに「強み」を見出し、どんな「戦略」を打ち出していけるのだろうか。
世界でどんな「カード」を持ち、展げうるのだろうか。
今、世界で起こっている顕著な出来事は、先進国の製造部門が中国・インドに大きく拠点を移していること、それによって新興国が大きく成長していることである。
さらにそれによって先進国の雇用が著しく減少している反面、「金余り」が生じていて利子が低く、新興国のつくる製品の低価格と競合しながら低い価格に収斂するかの様に「デフレ」が起きていることである。
現在のデフレは、かつてのような国内的な要因を中心にした「景気変動」理論では説明できない。
ずっとデフレ・不況が続くかもしれないのだ。
簡単に言えばグローバリゼーションが進行し、資本主義経済というゲームに新興国などがカードを出しうる「参加枠」が広がったということである。
それを背景に一部の富裕層は、自国の雇用の縮小にさえ意に介さず、中国人の安い労働力とインド人の安い頭脳を大胆に組み込んで、とんでもない巨大な富を掴んでいるということである。
そんな世界情勢の中で日本はどんなカードが手元にあるかが大きな問題である。
結論を先にいえば、国が一番の「課題」として取り組まねばならない分野に対してコソ「強み」として打ち出せるのではないかと思う。
だからイマダ未知数の「強み」にすぎないが、それこそが「高齢化社会」に対する取り組みだと思う。
というのも日本人にはかつて「課題克服」についてシッカリした「実績」がある。
1970年代に石油ショックに立ち向かうために日本は世界にさきがけて官民「一丸」となって様々な「省エネ」や「効率化」の技術に取り組んだ。
というか、そのコトの成否に「国の存亡」がかかっていたのである。
そしてどんなに「円高」になろうが、貿易では黒字となり「技術立国」を世界にアピールしてきた。
またそれ以前、1972年のホンダのVCCエンジンがマスキー法をクリアして、同エンジンのアセンブりをアメリカで行うようになったことに象徴されるように、高い「エコ・省資源」能力をもつ。
マスキー法は排気ガス中の一酸化炭素などの排出量をそれまでの1/10以下にすることを義務付け、達成しない自動車は販売を認めないという内容であった。
こんな厳しい条件を一体ドウヤッテといいたくもなるが、それを世界で最初にクリアできたが日本の自動車企業であっだのだ。
ホンダは1969年に自社が販売している自動車に欠陥が見つかり、経営的に非常に厳しい状況にあったが、F1レース参戦の経験で得た技術を駆使し、世界最初に「マスキー法」をクリアする低公害エンジンの開発に取り組んできたのであった。
そうした低公害技術追求の流れは今も継承されており、最近少々ケチはついたものの、トヨタのハイブリットカー・プリウスの人気の高さなどにも表れている。

ところでドイツでベルリンの壁が崩れ去ったのは1989年11月のことであるが、この出来事を溯ればポーランドの自主管理労組「連帯」のワレサ議長をリーダーとする「肉食わせろ」(食料値上げへの反対ストライキ)に始まった運動あたりにいきつく。
ストライキは1987年2月だが、この東ヨーロッパでおきた一部「自由化運動」が大きなウネリをよび、ベルリンの壁崩壊へとむかっていった。
その間わずか3年で、誰も予想できない早さで展開していった。
となると中近東で起きている「民衆革命」の動きも、貧富の格差が広がる中国へと一気に広がる可能性もある。
しかし時の流れの早さということならば、鄧小平が「経済特区」という限定つきで外国企業に国を開放したのが1992年で、2011年にはGDP世界2位に躍り出たという事実である。
その間20年とかからなかったのだが、共産主義国家の体面を維持しつつ、こうまでになった理由はいくつか考えられる。
まず新興国だから、京都議定書などにあるような国際的な環境規制をうけなかったことがある。
また、かつてトヨタやソニーが世界を相手に悪戦苦闘した外国のマネンジメント方式を、その自由度の高さによってソックリそのまま導入した点である。
今、ドラッカーの経営書が再注目を浴びているのは、そうした流れと無関係ではないかもしれない。
日本は「日本的経営」をある程度保持しながら、国際社会と向きあったために世界に通用する「日本的経営」というようなものを絶えず意識し、模索していった苦闘の時間(コスト)がある。
しかし中国はアメリカのマネンジメント様式を最初からそのまま導入したのである。
もちろん、それを受け入れうる「ドライ」な気質が中国人にはあったということだろう。
また政治的には共産主義で土地や人民は国家のものとして管理してきたので、土地と労働の安さが世界企業にはトテツモナイ魅力であったのである。
ところで中国は土地や労働力が安いので海外から多くの企業が進出し「世界の工場」になったたという言い方は、少々誤解をまねく言い方である。
土地や労働力が中国国内の他の物価を比べて「相対的に」安いということなら正しいが、世界に比べて安いというのは「条件」つきである。
国際的に見て「安い」という場合には、要するにその国の「通貨」が安くなければ何の意味も成さないからである。
例えば中国が、日本が体験したような極度な通貨の切り上げ(人民元の切り上げ)をし、中国の土地や労働力は2倍にでもなれば何の魅力も無くなるからである。
その時、外国企業は一斉に中国から撤退するするかもしれない。その時果たして、中国は自国の企業経営をどれだけ保ちうるだろうか。
日本は戦後1ドル=360円の時代からニクソンショック後の1ドル=308円、そして石油ショック後の1ドル=200円代、プラザ合意後の100円以下の時代というように、円は4倍も高くなっている。
最大の理由は、安い円では日本の国際競争力が強すぎてアメリカの貿易赤字が一方的に「赤字」となるからである。
つまり、円が安いことはアメリカの国益に「反する」ことを意味し、絶えず「円切り上げ」の圧力が加わってきたからである。
日本人は円が切り上げられるたびに、国が一丸となって技術革新、省エネ、効率化によってその危機を乗り越えてきた。
ところが、中国がこれほど成長しても人民元はなかなか上がらない。理由は簡単で中国における輸出企業がアメリカの企業そのものだからである。
つまり、人民元が安いことは中国におけるアメリカの企業のコストを低くし輸出をのばすことであり、アメリカの国益にかなうことだかからである。
それでいくと、その理屈は中国に存在する日本企業についてもある程度あてはまる。
今、各地で見られる100円ショップなどは、中国ヌキには考えられない。
同じ高度経済成長を比較すれば、日本の「円安」はアメリカにとって「悪」であったのに対して、中国の「人民元安」は「善」なのである。
ただこの人民元安をイイコトに、中国が環境汚染に見境がなくなるとか、資源を使いすぎて資源価格が上がりすぎるとか、軍事力を増しすぎて脅威をまねくことになれば、「人民元を上げよ」の圧力は国際的に高まっていくかもしれない。
したがって「人民元」が上げられるか否かは、世界中から多くの企業が生産拠点を移しているだけに、世界経済の将来をウラナウ決定的な要素なのである。

グローバル化する世界の中で日本が持ちうるカードは何かと考えるとき、個人的にどうしても目に残る風景がある。
東京圏に新幹線が入ってき、目につくのは川崎や大田区あたりの広大な工場群である。高いビルといえばせいぜい4階ぐらいしかない。
ここを新幹線は比較的ゆっくりしたスピードで20分ほどで通過し、東京の新橋・丸の内のオフィス街に到着する。
日本の産業の「二重構造」をそのまま短時間に「実体験」できた感じがする時間である。
誰かがこの街で「○○」を作って欲しいというメモを紙飛行機にして飛ばせば、数時間のうちに「完成品」がとどくといわれた。それだけ「モノつくり」の精神に溢れている地区ということだ。
ただし、長引く不況で経営難に陥ったり、倒産に追い込まれている工場も多いのだろうと思う。
また土地や労働力の安い中国に拠点を移しているために、「斜陽」の雰囲気さえただよっているのかもしれない。
しかし、「モノつくり」の精神(遺伝子)そのものが消え去ってしまったわけではないのだろうと思う。
見た目は小さな工場の集まりのようであるが、こうした小工場の中には産業用ロボットの精巧な部品をつくるなど、世界的な技術を持っていると聞く。
そして今、日本が世界に先行する分野として、介護福祉医療技術がある。特に介護施設のインテリジェント化や介護ロボットは、こうした「モノつくり精神」にもとづくものだ。
かつてこうした工場群が宇宙産業で使うような精度の高い技術を生み出してきたことは巷間に知られていることであるが、 「高齢化」の急進行のために、ハード面での開発をさらに進める必要が起きている。
そのための補助や支援により、日本は世界で「優位性」を持ちうる可能性があるのではないだろうか。
物ツクリの遺伝子が介護や医療のハード面と結びついたら大いに「強み」がうまれる可能性があるように思う。
具体的にいうと「介護ロボット」や「介護スーツ」の発展は、日本は今世界の技術をカナリ先行しているのである。
つまり「ジャパン・カード」となりうるのではないかということである。
しかし未来の「介護立国」を実現するには、それに逆行するような壁もたくさんある。
福岡県宗像の町工場で人に役立つロボット製作をしている人が「テムザック」というロボットを発明した。
高齢者に役立ち、しかも何か異変が起きたらすぐに遠隔地に映像を送れる医療・介護ロボットである。
彼はこの商品をデンマーク政府へ売り込み成功し、香港やシンガボールから熱烈なオファーが来ている。
氏が希望すれば、香港やシンガポールでは最高の環境を用意するのだろうが、日本ではまだ認可が下りていないという。
ロポット製作は多数の省に関連があるので多数の省へ出向き、認可を貰わなければならない。
これが難しく時間がかかり煩わしすぎるものである。
かつてダイエーの中内会長の言葉を思い出す。
ひとつの店をだすだけで、17の法律が関係し、45の許認可をうけねばならず、200件の申請書が必要になり、各庁・地方自治体の担当者との交渉にかかる人件費は、業界全体で年間500億円にのぼり、このような事務コストわかりやすくえば「規制のコスト」は、結局は価格に上乗せされ消費者が負担することになるのである。
日本人は「モノつくり」に優れた能力があるのに、これでは生かしきれない。
また最近の流れで注目したいことは、新興国にはその「廉価版」を売る「逆転のイノベーション」というものである。
あまりり複雑で高機能を備えた製品は新興国では高くて売れないし、使ってももらえないのだから、性能を上げるだけがイノベーションではないのである。
実は、日本の町工場が生き残る余地というのは、こういう「逆転のイノベーション」にある。
例えば母親のお腹の胎児の様子を見たり、心臓や肝臓の病気の診断にも使う超音波診断装置は価格は1500万円以上する。
しかし、これでは中国農村部の診療所には売れない。そこで新興国向けにこのノートパソコンをベースにした装置をつくり、価格は一気に4分の1になり、中国やインドの市場開拓に成功した。
すると「持ち運び可能」なのが受けて、今度は先進国でも、救急医療の現場などに導入され、ヒット商品になったという。
また、日本は資源が少ないといわれているが、携帯電話やコンピュータの廃棄物からのレアメタルなど、その回収技術をもってすれば相当なものを「掘り出す」ことができるのである。
日本の都市は、ソノママ「鉱山」なのである。