シェア・コミュニティ

最近、アウト・ソーシング(=外部委託)という言葉をよく聞く。しかし、これは今に始まったことではない。
今の「アウトソーシング」とは、企業が「経費削減」のため、生産工程の一部を外部に委託することを指す。
しかし、人間の歴史は、古代の「傭兵」から今日の「原発」の子会社委託まで、「アウトソーシングの歴史」といっても過言ではない。
最近では政府も赤字財政の打開策を「アウトソーシング」に求めるようになってきた。
しかし、一番身近なところでは、「家庭機能」のアウトソーシングであろう。
家庭はそれによって身軽になり、産業社会に「適応」してきたともいえる。
家庭は「生産機能」を企業に、「教育機能」を学校に、「食事機能」を外食レストランに、「葬機能」を葬儀屋に、「育児機能」を保育所に、といった具合に「外部」委託してきた。
現代人は、「生活」に関するほぼすべてをアウトソーシングてしまったということだ。
その結果、「便利さ」と引き換えにお金がなくては暮らしていけない、「サバイバル能力」のとっても低い、「我々」が出来あがってしまったというわけだ。
最近、テレビで「意表」をツカれる風景を見た。
東北の震災ののち、宮城県・塩釜近く女川の若者達が「震災FM」というミニ放送局を立ち上げたというのだ。
この若者達はニートやヒキコモリといった者達が中心だそうだが、震災を契機に社会の中で意外にも自分の「役割」を見い出すことができた。
だいたい、引きこもろうにも引きこもるべき「家」が流されたのでは、「表」に出てこざるをえない。
人と接することの少なかった彼らが、社会との「接点」をもつことを体験し、「被災者」をインタビューして、それを放送に流しているのだ。
彼らの喋りは、トチッテばかりでお世辞にもうまいとはいえない。しかし必死で伝えようという彼らの気持ちが伝わり、かえってイイという「町の評価」であった。
震災後に、サバイバル能力を発揮したのは、意外にもこうした若者達であった。
被災地の状況は、「セルフヘルプ」(自助)という言葉では充分ではなく、むしろ「セルフ・サバイバル」という言葉の方がふさわしい。
ところで毎日新聞(7月9日版)にあった野坂昭如氏の阪神神戸大震災での「体験報告」には、哀切なものがあった。
人は涙が枯れた時が一番危ない。仮設住宅に入った時が最も危ないのだそうだ。
避難所では人目をハバカって酒を飲むことはなかったが、仮設住宅に入ると、人々は孤独と向かい合い、アルコールとの付き合いが始まる。
女性は会話で癒そうとするが、男性はアルコールで癒そうとする傾向が強い。
その点で、男性の方が女性よりも「ストレス・テスト」に弱いというわけだ。
さらに「仮説住宅」は、あくまで「仮」の集落であり「ムラ」といえるほどの「連帯」は生まれず、人々は避難所にいる時以上の「孤立感」を味わうのだそうだ。
そういう「仮説住宅」の状態は逆に、人間が「永続性」あるものとして「コミュニティ」をどれくらい意識し作りうるかが、「復興」のポイントであることを教えてくれる。
東北の震災で人々は、放射能により長く故里には帰れないという気持ちがあるのも、阪神神戸の震災とは異なるところである。
さらに、アマリの国政のテイタラクに、かえって上には頼らない「サバイバル」への「共同意識」(共生存)が芽生えていくかもしれない。
人々は、遅々とした国の動きをいつまでも待てないからだ。
それは、見事に「原発社会」とちょうど「対極」にある「新しいコミュニティの模索」といえるかもしれない。
ところで「脱原発」のシンボル的存在であった東大教授の高木仁三郎氏が「原発社会」の本質を次のように簡潔に表現していた。
「ひとつの原発の建設は、その他の選択肢をすべて圧殺してしまう。巨大な資本が投入され、地域経済は支配される。巨大権力集中型のエネルギー社会を否応なく生み出していく」と。
確かに1995年阪神神戸大震災以来、人々の価の値観(ものさし)が大きく変わった気がする。
金銭的な豊かさだけを重視せず、社会貢献や環境保全といったソントクを超えた「価値」への共感が芽生え始めた。
少子高齢化が進む中、「地域」で安定した過ごし方や住み安い環境を作り出すことが、これからの社会全体の「命題」であるといってもよい。
ところで日本には、旧き良き「里山」に息づく農村共同体の文化があったことを思い起こす。
「震災FM」というミニ放送局の立ち上げに見られるよに、かつてのムラの結びつきを思わせる「次世代コミュニティ」への動きが「自然」と立ち上がってきそうな気配もある。
我々はネットワークの時代なので「掲示板」などでいち早く互いの必要や欲求を知ることができる状況にある。
「次世代コミュニティ」が日本の伝統的なムラと異なる点は、ネットワークを活用した人々の情報交換に加え、ハイテクを駆使した農作物生産である。
なぜ農作物かといえば、コミュニティが「永続性」をもって自立するための最低条件こそが、必要最低限の「食糧生産」だからである。
けして市場経済を否定するものではないが、市場と「コミュニティ」との割り振りは、コミュニティがどの程度自立的な「生産機能」(つまり自給自足能力)を持ちうるかで決定するといってもいい。
ところで、「未来の農業」についての東京大学先端科学技術研究センター 客員教授の奥村勝弥氏のビジョンは啓発的である。
奥村氏が日本の技術は何が優れているかを考えた時、ITや通信,バイオ、薬、自動車などは米国や欧州,将来はインドや中国などに勝てないかもしれない。
日本が将来優位に立てるとすれば「農業分野」であり、それもハイテクを駆使した「ハイテク農業」だという結論に達したのだという。
ハイテク農業は、多様な技術の「裾野の広がり」の上ではじめて実現するものである。
空調や循環水、光などを制御して農作物の成長を管理する。空調管理や循環水などには半導体工場の技術が、光源にはLEDが、センサにはMEMS技術がそれぞれ役立つ。
またIT技術を駆使した需要予測や天候予測に基づいて生産をすれば、過剰・過少生産を防ぐことになる。
農作物工場を動かすためのエネルギー源も必要になるが、エネルギーを蓄えるため効率の良い電池をどのように作ればいいか、また電力をどのように起こすかということにも関わってくる。
「次世代コミュニティ」にとって、その生産とは「売る」為のものはなく、自らの必要の為の「最低限」の生産となる。
しかし生産手段を共有するほど「社会主義的」なものではなく、「自給農」を営みながら、「端末」でツナガレたコンピュータで会社の仕事をこなす。
つまり、「半農半○」で生活していくというイメージである。
昨年末の「改正農地法」の施行で企業参入が勢いづき、企業の農業参入というと、カゴメやイトーヨーカ堂など大手企業ばかりが注目されている。
しかし、「新コミュニティ」への動きとして注目すべきは、地方の建設業や食品メーカーなど中小企業の「農業参入」のほうが数の上で圧倒的に多いのだ。
「原発」にシンボル化されるのは、合理主義、個人主義、行き過ぎた成果主義であり、結局それが「無縁社会」という言葉のごとく、人と人とのつながりが希薄化しているといていい。
「新コミュニティ」の社会では、そうした「思考傾向」は、もやや不要であり、かえって「害」でさえある。
一方、もはや「ボランティア」などと位置づけられる活動はない。
人々が「コミュニティ」を支えるための活動と、自分自身が生きていく活動を「切り離して」考える「発想」自体が存在しないからだ。

今の日本にとって、2008年5月に中国で起きた四川大地震後の「復興」は参考になると思う。
北川チャン族自治県の中心都市である「県城」は、四川大地震による建物倒壊や山崩れで、安昌鎮への「移転」を余儀なくされた。
復興のシンボル事業のひとつとして、山東省の企業が農業「夢工場」と呼ばれ全国的なモデルプラントとして建設した。
山がちな四川省は水力発電が盛んで、エネルギーには恵まれている。
農業「夢工場」は新生・北川のシンボルとしてメロンの温室栽培を行っている。
ここでは、「ハイテク」を駆使した農業生産基地で、今も順調に稼動しているという。
ところで日本企業は、生産基盤をますます中国やインドに移転しているという。
とすると、少子高齢化が進む日本社会における雇用というのは、政府より民間委託された企業の「介護サービス」の割合が占める割合がとても大きくなっている。
家庭の要求と行政の折り合いが悪いために、いくつものNPOが生まれてきた。
しかし会社から派遣された人々が、面識もない老人を相手にどれだけ真摯にサービスを提供できるのか。
それは、家庭が「介護機能」をアウトソーシングした老人施設にもいえることでもある。
そこで老人の介護や病気などにおいても、かつての「ムラ」にあったような「相互扶助」機能のようなものが求められ、それは「地域」のツナガリの復活以外はない。
自分が幼い頃に遊んでくれたり、育ててくれた「顔見知り」のお年寄りに対してこそ、心がかよった「サービス」ができるのではないだろうか。
かつてのムラのつながりが、「農業生産」における「共同作業」であったことを思えば、農業生産によってコソこうした地域共同体的な意識が生まれる。
そこには、「鎮守の森」がそうしたムラの「連帯」のシンボルとして存在した。
というわけで、ハイテク装備の「次世代コミュニティ」(E・コミュニティとかよぶ?)が、果たして「老人」が安定した生活をどれくらい実現できるかだ重要となる。
日本の「ムラ」には、長い年月を経て育まれた、モノがない時代でも楽しく心豊かに生きていける知恵と技術がたくさんあったように思う。
行政は「財政難」でクビがまわらなくなりるつあり、機能することができなくなると、「介護保険制度」のように、民間企業ににアウトソーシングをするようにもなった。
近い将来、化石燃料は減少し、経済規模も縮小していくことが予想される。
電力も「権力集中型」の原発ではなく、「次世代コミュニティ」が自然エネルギーをジマエで起こし、必要最小限をマカナッテいくというような社会となるかもしれない。

今日注目すべき流れの一つは、「共有」をコンセプトとした「シェア・コミュニティ」というものが生まれていることである。
生活者の「共同」といえば「生活共同組合」というものを思い起こす。
「生協」は、本来その利用は組合員のみに限られて「仕入れ」などを共同化して安心・安全なものをリーゾナブルな価格で販売するものだった。
しかし、「シェア・コミュニエィ」は消費者の間でモノやサービスを共有しようという動きであり、それが今大きく広がってきているいる。
車を共有するカーシェアの会員数はこの一年で4.5倍になり、ビニール傘などの日用品の共有から、オフィス、一軒家のシェアまで、その動きは今、急速に拡大している。
背景にあるのは大量消費社会への疑問で、そして若年層を中心に何かを「シェア」を通して「誰かと繋がりたい」という欲求の高まりがある。
アメリカでは、随分前から「シェアハウス」というのがあって、大きな邸宅の「部屋ごと」に違う人が借りて、共同生活するものである。
今から30年ほど前に、個人的にその利用に与った経験があるが、シェア・ハウスの情報は「口コミ」や大学の掲示板などで得るもので、それほど簡単にアクセスできるものではなかった。
しかし今やインターネットの普及により、ネット上の「掲示板」などで互いの必要を知ることをでき、モノを「シェア」することを契機として、そこからより強い「地域的」結びへと発展する可能性がアルものである。
さらに、「シェア」によって誕生した新たなコミュニティは、跡継ぎ不足に悩む農業を応援し未来の地域社会の形を探ろうというプロジェクトにもなりうる。
ところで、新しい波のコンセプトである「シェア」は、同じ趣味や必要性を抱くものを、結びつける可能性を生み出していく。
人々が一番得意とする生き方を取り戻し、人と人とがつながりながら「本当の意味での自己実現」を達成できる「仕組み」作りといっていいかもしれない。
冒頭に述べた若者たちの「震災FM」の立ち上げもそうした動きの一つととらえていい。
こういうシェア社会を「予感」させる「生活共同」の動きの例をあげると、映画館を運営する「みやこ映画生活協同組合」、俳優、声優など芸能人のマネジメント業務(芸能事務所)を行う「東京俳優生活協同組合」などである。
ところで自分が好きなことを生かすことと、「地域的」な連帯を同時に満たすためには、「隣人」を選んで住むということがあってもイイ。
10年ほど前に、一流の音楽家まではなれずに、生活基盤が弱い二流・三流の音楽家が集まって助けって、音楽を楽しみつつ助け合って生きている人々のアパートをテレビで見たことがある。
それで日本史に登場する一人の芸術家のことを思い起こした。
本阿弥光悦は、京都生まれで工芸家、書家、画家、出版者、作庭師、能面打ち、様々な顔を持つマルチ・アーティストである。
優れたデザイン・センスを持ち、すべてのジャンルに名品を残した
本阿弥家はもともと室町時代から刀剣を鑑定してきた名家である。
刀剣は鞘(さや)や鍔(つば)など刀身以外の製作工程に、木工、金工、漆工、皮細工、蒔絵、染織、螺鈿(貝細工)など、様々な工芸技術が注ぎ込まれている。
光悦は幼い時から家業を通して、あらゆる工芸に対する高い見識眼を育んでいったにちがいない。
幸か不幸か父親が分家となり、家業から自由になった光悦は、身につけた工芸知識を元に、好きで勉強していた和歌や書の教養を反映した芸術作品を創造するようになった。
やがて40代に入った光悦は、才能があるのに世に出る機会に恵まれない1人の若手絵師、俵屋宗達と出会う。
1602年光悦は厳島神社の寺宝「平家納経」の修理にあたって宗達をチームに加え、彼が存分に実力を発揮できる晴れの舞台を提供したのである。
そして徳川の時代、57歳にして光悦の人生に大きな転機が訪れる。
徳川家康から京都の西北、鷹ヶ峰に約9万坪の広大な土地を与えられたのだ。
光悦は俗世や権力から離れて芸術に集中できる空間が手に入ったとで、新天地に芸術家を集めて理想郷とも言える「芸術村」を築きあげた。
光悦の呼びかけに応えて、多くの金工、陶工、蒔絵師、画家、そして創作活動を支える筆屋、紙屋、織物屋らが結集し、彼はこの「芸術村」の運営と指導に当たった。
つまり本阿弥光悦は、日本最初のアート・ディレクターであり、今風にいえばプロダクションの社長も兼ねたような存在である。
特殊な才能ををもつ者を「芸術村」で共生させたばかりか、「共同創作」をはかった点で「自己実現的共同体」である。
それは、いわば「夢」の共有(シェア)空間であり、「シェア・コミュニティ」の一つのモデルを提供しているように思える。