構造的失敗

少し前には「希望学」という学問を聞いたことがあったが、最近では「失敗学」という学問をよく聞くようになった。
原子力事故調査委員会の委員長に、「失敗学」の提唱者である畑村洋太郎東大名誉教授が任命されてたことが大きいが、国際的にいうと「事故検証学」ということになろう。
この会の委員長が原発や放射線の専門家ではなく、「失敗学者」であったこと自体に、政府のこの事故に対する「認識」が表れているのかもしれない。
そんな折、外国から多額のオカネを投じて購入した「放射能浄化装置」がトラブル続きで、それも「開」と「閉」の表示が「逆」になっていたトカいわれると、「開いた」口が「閉まら」なくなる。
とかく人間は失敗するものだ。だから失敗の原因や性質を追究して「パターン化」しておけば、同じような失敗を防げるというのが「失敗学」の発想だと思う。
しかし、失敗学ができたとしても、人間は「事故」や「災害」が自分にダケは降りかからないと考える傾向があることが、最大の「失敗因」だったりする。
三陸沖には、津波が警告された「石碑」がたくさん立っていた。それなのに、その石碑の下には「平気」でたくさんの人家が立っていた。
反対に1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた「石碑の警告」を守り、坂の上で暮らしてきた住民達は、改めて「先人の教え」に感謝したという。
人間は「知識」としては知っていても、それを自分の問題とは考えない。あるいは自分が生きている内は大丈夫と、不吉なことは考えないようにようになる。
また「生活の便利」のために、過去の「災害」は忘れ去られてしまう。
結局、時間を経た「失敗」は伝わらずに、同じ「失敗」は繰り返されていくのである。
もう一つ「失敗」が伝わらないのは、例えば上層部が責任追求を免れるため、「真の情報」を隠すということがある。
これでは、伝わるべき情報自体がないのだから、同じ「失敗」が繰り返されることになる。
かつていわれた「構造汚職」という言葉が閃くが、このような理由で繰り返される失敗は、もはや「構造的失敗」とでも言いたくなる。
また一方で「失敗学」の可能性を考えた時、「完全犯罪」が偶発事によって崩れ去るように、「失敗」の事情はとても「特殊」な事情に支配されていると思わざるをえない場合もある。
人々は、やってはいけないことをなぜ行ったのか 当人達にしか分からない「特殊」な背景が存在するにちがいないのだが、その背景を本人が把握しているとも言い難い。
例えば1986年に日航ジャンボ機が「逆噴射」して羽田沖に突っ込んだ事件があったが、そういうパイロットの「心の闇」とか、そんなパイロットに操縦桿を握らせた、航空会社の「構造的問題」もあろう。
だから、「失敗」を科学する、パターンや法則らしきものを見出すことは、失敗の「特殊性」を捨象することに繋がり、そのデータを信頼しすぎると新たな「失敗」を惹起することにもなりうる。
その点、1999年におきた東海村の「臨界事故」は、「失敗学」の教材となる様々な「教訓」を含んでいるように思う。
この臨界事故は、核燃料加工施設であるJOCが引き起こした事故で、作業員の死者2名と667名の被曝者を出した。
JOCは燃料加工の工程において、国の管理規定に沿った「正規マニュアル」ではなく「裏マニュアル」を運用していたことが明らかになっている。
具体的な例をいうと、原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程では正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用するという手順だったが、裏マニュアルでは「ステンレス製バケツ」を用いた手順に改変されていた。
さらに、事故当日はこの裏マニュアルをも「改変」した手順で作業がなされていた。
想像だが、国の「正規マニュアル」は、「幾重」にも「安全」への対策が考慮されて作られたものであろうから、逆にそれを一つ二つ緩めても、問題が表面化することなく運用できたのかもしれない。
まわりくどく「安全優先」でいくよりも効率も良くコストを下げうる「裏道」の方が採られることになった。
とすると「幾重」にも安全ロックがかかったハズの「マニュアル」は、かえってアダになりうるということだ。
ちょうど、災害対策につくった「ハザードマップ」が安心材料になって、「危険区域」にない住民が逃げ遅れたりするのにも、類似してる。
また、作業員にその認識があったかは知らないが、「裏マニュアル」の存在自体が、作業工程を「更に」スキップできるものだと考える「心のスキ」を生じた可能性もある。
結局JOCの事故は、政府がどんなに厳しい「安全基準」をつくってマニュアル化しようとも、その運用では「マサカ」というようなことが行われうるとことを証明した事故であったともいえる。

ところで一番強烈に残っている「失敗」といえば、1986年のスペース・シャトル・チャレンジャーの事故である。
実はアノ事故は、「予測可能」な事故であったのだ。
その「予測可能性」をめぐって、二人の技術者の行動に「倫理的」側面から焦点が当てられたという。
チャレンジャー号爆発事故は、ブースターロケットのシール部品である「Oリング」というゴム製品が、低温(打上時の気温はマイナス3度)で弾性を失い、高熱ガスが漏洩して貯蔵タンク内の燃料に「引火爆発」したものであった。
実はこのトラブルは、不確実ながらも「予測」されていたのだ。
主任技師ボイジョリーは、温度と弾性の間の「相関関係」を知っており、低温になるとシールの信頼性が保証できないことを知っていた。
ただし、正確に何度でそれが起こりうるかまでは予測できないでいた。
数字で出せないことは客観的データとして認知されないのだ。
ボイジョリーの所属する「モートン・チオコール社」の経営陣は、NASAとの新規契約を強く望んでいたこともあり、この技術的問題を俄かには受け入れられないでいた。
そして、副社長は、「正確なデータ」を出せない「技術責任者」であるロバート・ルンドを呼びつけ、「技術者の帽子をぬいで、経営者の帽子をかぶりたまえ」とモーションをかけたという。
以後、ルンドは経営者サイドについた発言を繰り返したために、後々まで非難されることになった。
一方、主任技師のボイジョリーは「Oリング」の不安定性について最後まで経営陣を説得しようとしたが、それも無視されチャレンジャー号は「予定通り」打ち上げられたのである。
そして打ち上げから、73秒後にマサニ心配していた「Oリング」の弾性喪失が原因で爆発したのである。
ただ組織の中にいる技術者・ボイジョリーに、「内部告発」までを求めるのは「酷」で、事故は防げなかったにせよ、彼なりに「技術者」としての責任を果たしたと認められる。
何しろ、予見された危険可能性は「定量的」に把握されたものではなく、あくまで一つの「リスク」としか捉えられてはいなかったのである。
しかし、この点については、乗組員の「知る権利」としての問題が依然残る。
医療で「インフォームドコンセント」という言葉があるが、実は「医療」だけでなく様々なリスクを伴う事象について使われる言葉で、スペースシャトルの打ち上げなどにおいても、乗組員は打ち上げに「同意」するか否かを判断する権利を有している。
「インフォームドコンセント」とは、専門家ではない人たちが専門家を「信じて」全てを委ねるのではなく、専門家から十分な情報提供を受けて、自ら「最後の決断」をすべきであるという趣旨のものである。
チャレンジャー号の場合には、乗組員に伝えられた「リスク情報」の中に、「Oリング」に関する情報は含まれてはいなかった。
つまり、彼らはまさに「知らされていなかった」リスクによって、命を落としたのである。
リスクを与える側からすると、十分な説明をする責任(説明責任)が果たされていなかったということだ。
ただアメリカが「立派」なのは、どこかの国のように事故が起こるとウヤムヤにせず科学的な「原因究明」がしっかり行われ、「マニュアル」の徹底見直しがはかられるということである。
例えば、チャレンジャー爆発の前年の日航機の御巣鷹山への墜落事故でも、ボーイング社が自社の修理ミスが原因と認め、「修理マニュアル」の徹底見直しを行っている。
日本では、JR福知山線脱線事故にせよ「事故隠し」をしたり、「情報を隠し」たりするが、それは上層部の責任追及を免れを「企図」したとしかウケとめられない。
そういう点で、アメリカの方がはるかにイサギヨイ。

1986年は、チャレンジャーの爆発、チェルノブイリの原発事故がおきているので、この年は「失敗」の当り年となった。
国内で「失敗」の当たり年を探すと、1983年の2月8日、9日の「2日連続」で起きた「大事故」が思いあたる。
横井英樹社長のホテルニュージャパン火災が起きて多数の死者がでたその翌日、「逆噴射」した日航機が羽田沖んの海に突っ込んだりした、「魔の二日間」であった。
ホテルニュージャパンでは火災でスプリンクラーが作動しなかったし、日航事故は精神を病んでいるパイロットの労務管理にも問題があったことが指摘された。
こうした事故を「失敗学」にアテハメれば結局、組織と個人の問題、あるいは組織悪とか自己保身の問題などに「収斂」されていくように思う。
こういう社会的構造の中でおきる「事故」や「失敗」というのは、松本清張の作品群こそが、「優れた教科書」であるようにも思う。
しかし、おそらく畑村教授らの「失敗学」の対象は、そこまでを「射程」にしてはいないのかもしれない。あまりに人間臭い話は、「科学」の対象にはなりにくいからだ。
しかしながら、2008年毎日放送の番組「なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・異端の研究者たち」という番組を見ると、「事故」というものは、とても大きな「コンテクスト」の中でおきるモノのと思わざるをえない。
実はこの番組の直後に、電力会社は毎日放送のすべての番組から一斉にスポンーサーを降りるということが起きている。
結局、こういうことがマスコミが原発を積極的に批判できない背景の一つともなっている。
さらに「異端の研究者たち」は自民党政府や電力会社からも弾圧され続け、学会の圧倒的多数の学者達からは「6人組」と蔑まれていたという。
もちろん、出世コースからも外された研究者たちであった。
人は世間から「評価」されることを渇望するために時流にノッタリとか、時勢にオモネたりするということもある。
また電力会社は多く大学に、想像もできない巨額の「研究費」を寄贈している。
これで研究させてもらえるとなると、学者も「原発推進派」にならざるをえないし、電力会社役員からの巨万の献金が「政権与党」に渡ってしまえば、原発推進は「国策」となってしまうのである。
菅首相でサエも首相就任当初は、積極的に「原発輸出」を打ち出していたのである。
また、「原発支持」にまわった労働組合の存在も無視できないし、原発立地所在地の自治体や漁港組合などへの莫大な「補助金」によって恩恵をうけた住民とて同様である。
ちなみに、あの3月11日の日も東京電力幹部はマスコミ幹部OBを引き連れて中国旅行中であったため対応が遅れたと報じられている。

経済学は「利潤」を学ぶ学問というより、「コスト」を深く学ぶ学問なのだ。
そして経済学には、人間の失敗を語る上で「サンク・コスト」という概念がある。
多大の金をかけたことから、人間はなかなか手が引けないということがある。
そしてますます「傷」を大きくしていくというものである。
これは、民主党政権での八つ場ダムの建設廃止や青島都知事時代の東京都市博覧会などの大プロジェクトの中止などが「いかに困難であったか」なども思い浮かべるところであるが、実際に我々の生活に「サンクコストの罠」はいたるところに見出すことができる。
例えば、映画館に「ブラック・スワン」を見に行ったけれど、その内容に気色悪くなったものの、せっかくオカネを払ったので、気色悪くても我慢して最後まで見てしまうようなケ-スである。
男女のおつき合いにしても、多額の「初期投資」した相手とはなかなか別れにくくなって、ついには「泥沼」状態へとヒキズリこまれたりする。
そして「惨苦コスト」をマトメテ払わねばならなくなったりする。

ところで、「失敗は成功のもと」という言葉があるが、それと同じくらい「逆」もなりたつように思う。
つまり「成功は失敗のもと」ということだ。
戦時中の日本軍の失敗は色々いわれている。例えば日本人は「現地調達」の思想はあっても、「ロジステクス」(後方支援)思考が欠如していたことなどがその代表である。
「軍事的」に成功し太平洋を南下してその支配圏を拡大するにつれて、その「兵站線」が長く伸びて、食糧や燃料、武器の運搬がまったく滞った。
それを米軍によって寸断された時には、せっかく築いた支配圏も放棄せざるをえず、サイパン島やガナルカナルでは餓死者が続出したのである。
戦時の「技術開発面」をいうと、日本の技術でゼロ戦が世界一にたっ時に、そこでゼロ戦の技術開発は終わってしまったことである。
ゼロ戦は皇紀2600年に制定されたから、正式名称「零式戦闘機」と名づけられた。
ゼロ戦は、その速度、上昇力、航続力など機動性が世界のトップになった瞬間から、一部の技術者を除いて、「軍部」はイノベーションを考えなくなった。
むしろ逆に、もっと機体を軽くしようとか、燃料タンクやパイロットの背中を守る鉛の遮蔽板を外してベニヤ板に変えてしまう。
レーダーなどの新兵器も開発もしくは搭載しようとしない。それでも「零戦」には速力と機動性があるのだから、どこにも負けないといった「信仰」が支配的になっていく。
この信仰と関連して「神風思想」といううのがあるが、鎌倉幕府の北条時宗が、国難にあたりそのリーダーシップを発揮して、北九州に有力御家人を結集させ、二度目の元寇においては、「防塁」までも築かせた上で敵の攻撃の「準備」をしていた。
そうして「天佑」としかいえない暴風がモンゴルを「追い払う」ということがおき、「神風」思想が生まれた。
こいう思想は二次世界大戦までも持ち越され、そのうちに「神風」が吹いて日本を守ってくれるという暗黙の信仰をも生んだと思う。
そしてこの「神風思想」はけして現代でもマッタク無関係とはいえないように思う。
例えば、政府財政の「赤字累積」問題だが、その時々の 政権が国民の「支持」をとりつけるために、増税や歳出カットを「先送り」してきたということもある。
しかし問題の先送りは、日本政府の悪癖で、今「改革」を叫んでコトを荒立てるよりも、いつか「神風」がふいて問題が解消されるようなことが起きるという、「甘い期待」みたいなものがあるのではないかと思う。
実際に、経済不況の歴史を見れば、日本が不景気に陥りそうな時に、ヨーロッパで第一次世界大戦がおきてバブルになったり、戦後ドッジラインによる不景気がおきた時も、朝鮮戦争による「特需」によって景気が一気に好転したこともある。
そうした体験は、今でも「神風期待」を醸成しているようにも思うが、どうでしょう。
これが「先送り心理」となって、取り返しがつかない地点にまで行ってしまう、ということも有り得る。