原発供養

東北における震災と津波で被災した人々の復興が始まろうとしている。
数世紀前に起こった大津波のことがカスカな伝承として残った地域の人々が命を繋ぐことが出来たという話を聞いた。
今更言う必要もないことだが、今回の「想定外」の地震の記憶はシッカリと伝えられなければならない。
しかし人々はこれだけの被害をうけてもなお同じ場所に留まろうとするのかと思わぬでもないが、逆に亡くなった人々を身近に感じたり、魂を鎮めたりしながら日常を生きるのが自然なのかもしれない。
亡くなった人々の眼差しを感じたり、山川草木の中にもなくなった人の霊魂を感じとったりして 生きる、つまり「死者と共存」していくのも日本人の文化なのだろう。
そういえば、彫刻家であり詩人であった高村光太郎が妻・長沼智恵子と死別しつつも、その後「共棲」でもするかのように生きたことを書いた一文のことを思い出した。
長沼智恵子は大学在学中から画家を目指してきたが、その後その行き詰まりに陥り、それを「回避」するような形で光太郎と結婚した。
芸術家同士の共棲の中で、芸術に専念していけたのは光太郎で、生活を背負って夢をあきらめたのが智恵子であった。
さらに智恵子の実家の父が亡くなり、1929年には実家が破産し、一家は離散状態となった。
その頃から智恵子の表情に暗い影が射すようになり、精神に異常のキザシが現れはじめた。
そして数度、服毒自殺をはかったりしている。
当然、画家として表舞台に出ることは全くなくなり、芸術家としての道を諦めざるを得ず、光太郎という芸術家の車輪の下に引き込まれたような感もあった。
当時「新しい女」として域用とした智恵子は、陰日なたに咲いて満足できる女性でもなかった。
そして精神を病んだ智恵子は入院生活を送りながら、1938年52歳の時肺結核で亡くなった。
この時、光太郎は55歳で、24年間の結婚生活に終止符をうったことになる。
高村光太郎の愛の熱唱「智恵子抄」の背景は、このように壮絶な「実人生」があったのだ。
ある女性精神科医が書いた「逆光の智恵子抄」には、智恵子が分裂症を発症したその原因は、最愛の夫である光太郎を想うばかりに、彼女が選び続けた究極の「自己犠牲」と「抑圧」によるものとしている。
高村光太郎は最愛の妻・智恵子を失い、晩年は山の中での寂寥とした生活を理想とし、岩手県花巻市でに独居自炊の生活をした。
山小屋での冬の生活は夜具の上に雪が降り積もる状態だったという。
東北の花巻の山間に工房を作って一人彫刻に勤しんだ詩人でもある光太郎が、「智恵子の半生」のなかで、智恵子を失うことで、智恵子がかえってどこにもいる「普遍的存在」になったと書いている。
光太郎は山荘での生活の中で、亡くなった智恵子にで「智恵さん気に入りましたか、好きですか」とさりげなく呼びかけるといった具合である。
高村光太郎の日常は、畑を耕し、山の中でのたった一人の生活をして、自然の中に「遍在」する智恵子と向かい合い、語り合おうとした生活であったのだ。

日本には古来、神道というのがあって、その後に仏教というものがはいってきた。
そうして、両者の間でいわゆる「習合」がおきて、本来なかったようなものが生み出されていく。
この独特な習合が日本文化を形成していったといっていいくらいだが、その典型的なものが「お盆」である。
先祖の霊がお盆の時期に帰ってくるので、先祖供養をするというのが「お盆」である。
我々は、先祖供養の際に「お坊さん」を呼ぶので、お盆はすっかり仏教の「祭祀」の一つと思っているが、とんでもない。
本来の仏教では、人間は六道(天道/人間道/修羅道/畜生道/餓鬼道/地獄道)を輪廻するという考え方があり、これを「輪廻転生」と呼んでいる。
人間は死んだら「六つの世界」に、別の形出生まれるというのがその考え方である。
だから人間が生きてた「個性」というものは、生まれ変わったその時点で「消滅」するはずである。
ということは、「先祖の霊」がお盆に帰ってくるというのは、本来の仏教ではありえないことなのである。
しかし日本ではご先祖様つまり死んだ人はいつまでもどこかにイルという土着の信仰の方がマサって、仏教の考え方をシノイだ格好になっている。
意外に思われるかもしれないが、仏教では「霊」というものを認めない。
何しろ死んだらすぐに別の世界にうまれかわるのであるから、霊がこの世に残るということもない。
ところが日本人の土着信仰では「怨霊信仰」というものがあって、大変強力な「霊威」を認めているのである。
だから、死んだ人を悪くはいわなし、非業の死をとげた人をモチアゲたりする傾向がある。
そしてこの「怨霊信仰」こそが日本人の根本にあり、すべての災いはこの「怨霊の仕業」と考えられていたのだ。
したがってこお怨霊を鎮めることが日本の宗教の「最大のテーマ」となるのである。
そこで神道や仏教に怨霊を鎮めることが期待されることになるのだが、日本の天皇家の中でも聖武天皇は、「鎮護国家」を前面に打ち出して、霊威をおさめるために「仏教」を採用したわけである。
聖武天皇による「大仏造営の詔」はそれを端的に表している。
「誠に三宝(=仏教)の威霊に頼て、乾坤相泰かに、万代の福業を修めて、動植ことごとに栄えむことを欲す」
つまり、大仏を造ることによって、その大仏が霊力(呪力)を全国におよぼしてくれることを期待していたのである。
もともと霊などというものを認めない仏教が、怨霊を鎮めるなどというのは矛盾そのものだが、逆にこの処に仏教の「日本化」が顕著に現れることになるのである。
ところで、「お盆」における先祖供養というものは実は「儒教」の影響も強く見られる。
これまた意外ではあるが、儒教は「霊」の存在を認めている。だからこそ「祖霊信仰」というものがでてくるのである。
儒教のなかでも、御先祖様対して最も重要なことは「孝」をツクスことである。だからご先祖様を大切にして「祈り」をささげなければならない。
子孫を絶やさないということもその一つである。なぜならば子孫を絶やせば先祖の霊を祀ることができなくなってしまうからである。
こう見てくると日本の宗教は、土着信仰をベースに神道、仏教、儒教が混成して実にユニークな信仰を生み出しているということである。
もう一つの特徴は、「教義」を土台としないがゆえに「意識せざる」信仰者が多い点である。
「無神論」を自認している人が、実は「アニミズム的」意識にドップリ浸かっているのをしばしば見かける。
「信じる」「信じない」を超越した「無意識領域」の信仰者であるということである。
子供の遺影をもって卒業式に連なる親は、単なる写真の入った額縁をもっているのだろうか。
あの額縁の中にその子の霊が宿り、亡くなった子をつれてきたのだ。
津波で被災した子供のランドセルを探す親は、単にランドセルというモノを探しているのだろうか。
きっと子供の霊が宿る「カタミ」をさがしているのだと思う。
日本人のホトンドがこのようにモノに「霊」が宿ることを無意識で信仰している。
つまり徹底的に「アニミズム世界」の住人なのだ。
また「言葉」のなかにも「霊威」が宿ることを無意識で信仰しているのだ。
死者のことを悪くいうことを恐れるだろうし、「言霊」信仰をもっているので、不吉なことはできるだけ言ったり、予測さえしないようにしているだろう。
こういう心理的傾向は、「最悪」を考えることを拒絶させ、大災害への準備を怠らせる結果にもなる。
またケガレ意識は日本人一般にあるもので、葬式などにいった後などには「塩」をまいたりするのである。

数日前の毎日新聞の社説に「原発供養」という言葉が書いてあって、大いに共感をおぼえた。
ところで、日本人は長いこと使い尽くしてお世話になった針や道具に感謝をこめて「供養」する気持ちをもっている。
これとても、自然物に霊威が宿ると意識する「アニミズム的」心性から生まれたものであろう。
長く膨大なエネルギーを生み続けた「原子力」に対して、多少でも「供養」する気持ちが必要だということが書いてあった。
何しろ40年間、耐用年数を10年過ぎてまで酷使され、ろくな手当てもされず、安全管理も手抜きされ、あげくに地震と津波で機能不全に陥った原発に対して、日本中がまるで「原子怪獣」に向けるような嫌悪と恐怖のまなざしを向けている。
それでは原発に対して、アンマリといえばアンマリすぎる。
まじめな話、「40年間、本当にありがとう」という感謝の祈りをささげなければ、原発だってオサマルまい、といいうのが内田樹という哲学者の「原発供養論」である。
それにしても、「原子力」とは、震災で亡くなった人に近づくことさえ許さないとは、なんと「荒ぶる神」となってしまったのだろう。
過去に、日本が「元寇」という国難に直面した時、天皇はじめ多くの皇族、武士も伊勢へ参詣している。
多分、今日本全国でたくさんの人が祈りを捧げていると思う。現代人は馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、この宗教的態度は、日本人としてきわめて「本質的」なものだと思う。
それにもかかわらず、現代人の意識を反映してか「まるで汚物に触れるような」原発に向かうのと、本当に今まで便利な暮らしをありがとう、だからゆっくり休んでいいよ、成仏してくださいと「遙拝」しながら原発に向かうのでは、作業員の態度と気持ちの「入りよう」が全然違ってくる。
こういう「供養」の心で、廃炉の作業にかかわる方が、結果的に作業効率が高く、ミスも少なく、高いモラルが維持できるハズである。
また、「荒ぶる神」と格闘する作業員をネギラウ気持ちも深まっていくように思う。

ところで、原子力は根本的に「生態系」に存在しないエネルギーであり、人間がナイガシロにすれば「荒ぶる神」となりうる。
それは、旧約聖書に登場する人知を超え、人力によっては制することのできない、巨大な力としての「唯一神」をも想起するものでもある。
旧約聖書のテーマは、その神と人間はどう「折り合って」きたか、ということである。
だから聖書は、「神」を拝する仕方についての膨大な「経験知」が蓄積されてきた書物ともいってよい。
数年前に原子力発電所に入った経験があるが、内部はひっそりとした「神殿」のようでもあり、中心部の原子炉こそ「聖所」といてもよいものであった。
イスラエルの「幕屋」(移動神殿)ではその聖所の中に大祭司だけが入れる「至聖所」があり、神の怒りにふれた大祭司は神に打たれることになる。
そこで倒れた大祭司を外から引き出すために、一般人では至聖所にはいれないために、体に「紐」をまきつけて「至聖所」にいり、捧げモノをしたのである。
神仏習合以来、日本人は外来の「恐るべきもの」を手近にある「具体的な存在者」と同一視したり、混同したりしつつ、「現実になじませる」という手法を採ってきた。これに少し似た話がある。
砂漠をさすらうイスラエルの民は、自分達のママにはならぬ神を畏れ、求めることをやめ、「金でまぶした子牛像」を造って礼拝しはじめた。これが神の怒りにふれ、イスラエルは「次の世代」が生まれるまでシナイ半島の砂漠をさすらったとある。
日本人は、落ち着いているかに見えた「原子力」に「金」をマブシて使いたいだけ使ったために、「荒ぶる神」にしてしまったのではないだろうか。
あるいは、カネになる「打ち出の小槌」のように扱ったったのかもしれない。
政治家も、官僚も、もちろん電力会社の経営者も、原発を誘致した地方政治家も、地元の土建屋も、補償金をもらった人々も、「金の子牛像」として拝してきたということかもしれない。
日本人にとって、すべての災難はじっとしていれば通りすぎるものであり、これほどの「荒ぶる神」の素顔を見たのは、初めてだった。
原子力発電所の施設の老朽ぶりや、都合よくコストカットしてある安全設備の不十分さ、そしてロボット大国といわれる日本で、ロボットが事故現場で一台も動かないとは、それこそ「想定外」であり「人災」の要素は多分にあったと言わざるをえない。

東京大手町のオフィス街に「将門の首塚」がある。日本の伝統ではタタルモノに対しては、神社や塚をもって「鎮め」できた。
「荒々しいもの」は塚に収め、その上に神社仏閣を建立して、これを鎮めるという方法である。
塚に草が茂り、あたりに桜の木が生え、ふもとに池ができ、まわりで鳥や虫が囀るようになれば、ついでに人々が憩えるようになれば、それは「生態系」に受容され、人間とも「折り合い」がついたとみなすことができる。
神社仏閣を建てたりしてもなお不安が消えなければ、「歌を詠む」「物語に語り継ぐ」などをしてきたそうだ。
日本史上もっともその「祟り」が畏れられた崇徳上皇にしても、西行法師がその塚に捧げた「一首」によって怒りを鎮めたと伝えられている。
私が住む福岡市の南方、太宰府近くに四王寺山(大野山)があり、この山頂に筑前琵琶を始めた玄清法印の記念碑がある。
「筑前琵琶」という楽器はどうしてはじまったかというと、日本の民間信仰の中に家には「荒ブル神」すなわち「荒神」であるカマド近くの「火の神」があり、今風にいえば「台所の神様」であり、それを鎮めるために琵琶を弾いたのが始まりである。
つまり「荒神琵琶」というものがあって、そこから筑前琵琶が生まれ、福岡には高峰筑風という名人が博多の対馬小路に登場した。
その娘が女優の高峰三枝子である。
以上のように日本人の伝統には「自然を畏怖する気持ち」があり、自然との「折り合い」をつけようとして、様々なことをおこなってきたのである。
そこに理屈こそなくとも、それが「経験知」であり、こういうことをけして非科学的なものとみなし切り捨てることはできないように思う。
ところで建設現場では、なぜ「地鎮祭」を行うのかというと、家を建てる工事でさえ、「恐るべきもの」の不意の闖入についての警戒心がなければ、思いがけない事故が起こることを「経験的」に知っているからにちがいない。
こういうことが「非科学的」であるというのならば、祭祀は「恐るべきもの」をつねに脳裏にとどめおき、絶えざる緊張を維持するための「覚醒」の装置としてみなしてもよい。
地鎮祭は「地霊」を鎮めるためのではなく、人間の側の緊張感を亢進させるための「心的装置」とうけとってもよい。
ところで、日本の大地震や津波などの「国難」がおこった場合、為政者または指導者層にほとんど「祈る者がいない」「祈る対象がない」、これこそが日本の宿痾といえる。
、欧米ならばウォーターゲート事件時のように、必ずや政治家の「祈りのサークル」が立ち上げられ、政治的指導者の中から多くの「祈り」が捧げられるだろう。
このたび、責任問題を追求される電力会社や、政府の高官などの指導者層の言葉や態度からは、そうした「畏怖」の思いが伝わることはほとんどなかった。
だからこそ、内田樹氏の「原発供養」の記事に共感をおぼえたのである。